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【登場人物】
*ローディス・エヴァンス(十六歳)……愛称ロード。元スラムのストリートチルドレンだが、今は世界屈指の大豪邸ジャンセン家の主の好意で居候をしている。義姉のカノンを大事に思っている。

*ミレイナ=フィラ・ジャンセン(十六歳)……愛称、ミリー。シャルギエルの妹で、ロードの恋人。父親に似て寛容だが、我が侭で身勝手な自己中心の人間を嫌う。自分に正直すぎて、隠し事が苦手。

*シャルギエル=グレアム・ジャンセン(二十二歳)……愛称シャーグ、もしくはグレイ。名家ジャンセン伯爵の御曹子。不良に憧れてスラム入りし、一時はストリートギャングウォリアーの新トップになったが、今はその地位も棄て恋人のカノンに尽くしている。今は父親の元で若社長として働いている。

*カノン・クラレンス(十九歳)……ストリートチルドレンの少女。スパニッシュ系で気は強いが優しく面倒見がいい。シャルギエルの恋人で一時は精神を病んでいたが、今では本来の自分を取り戻して前向きに生きている。

*ラバリィ(二十歳)……愛称、ラビー。チルドレンハウスの家長。今ではアクセサリー作りを趣味にしている、しっかり者で気前が良く飾り気のない黒人美女。ビーストの妻。

*ビースト(二十二歳)……ストリートファイトをしていたくらいの喧嘩屋だったが、今はラバリィと結婚して現在電気工事士として働きながら、妻と一緒にチルドレンハウスを支えている。

*アースン(十九歳)……愛称、アーシー。チルドレンハウスの副家長を担っている。タイ人風アジア系の少年だった、ニューハーフ。ナイフ技を得意とするが、今は自分磨きに夢中。

*モラリス・アンジェリート(十六歳)……愛称、モリー。小児母から産み落とさた、元未熟児。嘗てはスラムの脅威なる存在、ギャングハスラーに育てられていたが彼の死後、その忘れ形見である赤ん坊の保護者として養育する。ローディスとは親友同士。

*ダグラス・マックィーン(五十五歳)…元SCCのボスで、臓器提供移植運搬会社の社長をしていた。元外科医の死体破壊型性愛者サイコスリラー殺人鬼。逮捕後、死刑を宣告され刑務所にて服役中。狂人ぶりは相変わらず健在。

*ニューマン(三十八歳)……過去にマックィーンから、違法で子供を臓器移植により助けられたと言う弱みを握られている、悪徳弁護士。

*サクソン(二十七歳)……マックィーンの居室仲間。中肉中背の黒人で連続強盗、窃盗、傷害、恐喝の罪で三十年の実刑を受けている。脱獄を企てている。

*ホプキンス(三十六歳)……マックィーンの居室仲間。青白い顔に痩せている白人男。児童十三人を誘拐、虐殺して終身刑を受けた殺人者。怖い者にはこびへつらうタイプ。

【固有名詞】
*元SCCチルドレンハウス……シークレットセレブリティークラブハウスの省略名で、スラム街に身を隠すように佇む裕福な上流階級者ご用達の、地下世界に存在する危険な娯楽場だったが、シャルギエルの活躍でスラムを支配する三大悪がいなくなったのを期に、野外生活しているストリートチルドレンの集団生活の場となっている。
【第三章】 起死回生編
act,82:輝かしき道しるべ


 小箱の中にはめ込まれている指輪は見るからに眩く輝いている。
 プラチナリングにローズクォーツがちりばめられ、中央に一際大きめのブリリアントカットダイヤモンドが埋め込まれた代物だった。
 ローズクォーツは互いの愛情を強くし持つ人の魅力を高めるそうだ。そしてまた、健康的なセクシャリティを引き出し魅力豊かにする事で女性を守る宝石だと聞き、シャルギエルが頼んでデザインしてもらった世界で一つだけの指輪だ。
 その今までの自分の過去と比べると余りにも豪華すぎる指輪に、カノンは息を呑むと驚きの表情でシャルギエルが向ける優しい眼差しを凝視した。
 だがそれも束の間、その表情は感激に震え歓喜の笑みは動揺で強張っていたがその見開かれたブラウンの瞳からは、次々と嬉し涙が零れ落ちる。
「そんな、シャルギエル……! ああ、どうしよう私ったら……!」
 カノンは咄嗟に挙動不審になりながらそう口走ったが、本人も何を言っているのか分かっていない。
 椅子から降りてその場をクルクル回ったり、広げた両手を頭の横にかざしたかと思えば口元を覆ったりして動き回っている。
 そんなカノンの姿が可笑しくて、それまでこの突然のプロポーズにその場にいた皆も驚いていたが漸く状況を理解するや、クスクスと笑い始めている。
 そうして相変わらず狼狽しているカノンの気を取り戻すべく、声を掛けたのはローディスだった。
「姉ちゃん!」
 そこで漸くピタリと動きを止めたカノンは、はたと我に返ったようにローディスに顔を向ける。そんな姉に苦笑しながら言った。
「……落ち着けよ」
 それに気付いてカノンは改めてシャルギエルを見ると、指輪の入った小箱を手にしたまま予想以上に喜びのリアクションをするカノンの様子に半ば困惑しながらも、彼女の返事を冷静に待っていた。
「シャルギエル私……! こんなの初めてで、だからどうしていいのか分からなくて」
 早口で言い訳を始めたカノンに、一瞬キョトンとしたシャルギエルはついに耐え切れないといったように膝を叩いて笑い始めた。
「そんなの当然だろう? これが二度や三度もあったら正直考え直すところだ。アハハハハハ!」
「笑ってる場合じゃないわよ! シャルギエルの意地悪!」
「分かったから、もったいぶらないで早く返事を聞かせてくれ。心臓に悪い。クスクスクス……」
 そんな二人の半ばコントのようなやり取りに、みんなは面白そうに見守っている。シャルギエルの要求にカノンは慌てるようにして答えた。
「そりゃあ勿論! OKよ! ただ本当にこんな私なんかでいいの!?」
「駄目ならプロポーズなんかしやしないだろう。さぁ、左手を出して」
 漸く笑いを治めてから、シャルギエルは小箱から指輪を取り出す。カノンは相変わらず戸惑いながら、周囲を確認すると皆満面の笑顔で頷いている。
 それに催促されるようにして、カノンは恐る恐るシャルギエルに左手を差し出した。その手を受け取ると、薬指に指輪を通すシャルギエル。
「よし。これでお前は今から俺のものだと証明されたカノン」
「シャルギエル……!」
 カノンは自分の薬指にはめられた指輪をかざして改めて実感すると、感嘆の声を洩らして彼の名を口にしながら嬉しそうにシャルギエルを抱き締めた。
「婚約の口づけを」
「そうだわ! キスをして!」
 ジャンセン卿の言葉に続き、すっかり興奮気味の夫人もそう声を掛ける。
 ローディスとミレイナも一緒に声を揃えて、手拍子しながらキスコールを唱え始めた。
「キース! キース! キース!」
 家族に煽られる形で二人は体を離すと、ゆっくりと唇を重ね合わせる。
 いつの間にか周囲に控えていたメイドや給仕係までが歓声を上げて二人の婚約を称えた。



「婚約!?」
「婚約?」
「うっそ、マジで!?」
 そう口々に声を揃えて言ったのはラバリィに、遊びに来ていたモラリス、そしてアースンだった。
 ここは毎度お馴染みチルドレンハウス。早速副家長として出勤してきたカノンが、シャルギエルを伴ってその場にいる皆に報告したのだ。
「やったなグレイ! これでお前も既婚者か!」
「いや、そいつはまだ早いだろう。結婚の日取りはこれからだ」
 ビーストとシャルギエルがカウンターを挟んで拳を突き合わせながら笑顔を交わす。それに半ば呆れながら腕組みしたアースンがカウンター内でぼやく。
「ちょっとなぁに!? このあたしを差し置いて婚約だなんて」
「お前は既に性別すら差し置いてるだろう」
 もれなくミレイナを伴って一緒にやって来ていたローディスが、アースンに賺さずボソリと答えたが彼――彼女の凄みのある睨みを受けて肩を竦める。
「今日はカジノのバイトが午後からだからこっちにビクトールを預けに来たけど、タイミング的に丁度良かった。グレイさんとカノンさんの婚約発表が聞けただけに」
 モラリスは笑顔で言うと二人に向けて拍手を贈る。ラバリィも一緒になって拍手を向ける。
「ホント良かったわ。一時はどうなる事かと……」
 感極まった様子でラバリィは言葉を切ると涙を零し始めた。
「ヤダ! そんな、ラビー泣かないでおくれよ!」
 その様子に慌てたカノンはカウンターの右端にある跳ね上げ式通過口を抜けてカウンター内に入ると、ラバリィへと駆け寄って彼女の肩を抱いた。それに彼女は強がりながら涙を拭う。
「まったく心配ばかりかけてたから、つい嬉しくなっちゃって……」
 そんな二人の様子を見てミレイナが微笑みかけた。
「ラビーさんはスラムの頃からストリートチルドレンの皆様の、お母様みたいな役割をなさっていたとロードから聞かされておりますわ。ですので娘を嫁がせる思いなのでは?」
「お母さんだなんて、そんな大層なもんじゃないわ。なんて説明をしてんのよ照れるじゃないのロードったら余計な事を。でも確かに、それに近い気持ちなのかもね」
 ミレイナの言葉にラバリィは目頭を押さえながら顔を赤らめると、肩を竦めてはにかみつつ最後の言葉に同意する。
 それに敏感に反応したニューハーフであるアースンは迷う事無く(・・・・・)自分の中の意見をぶつけた。
「だったらラビー、あたしが嫁いでも泣いてくれる?」
「そうね。ある意味では泣けるわね」
 ラバリィは鼻を啜り上げると苦笑した。頃合を見計らって今度はシャルギエルが声を発する。
「それで今回は俺達の婚約発表も兼ねてみんなを今度、我が家で開催する婚約パーティーに招待したくて俺もこうして参上したんだ」
 直後ラバリィとビースト、アースンの歓声が上がる。
 以前から時々シャルギエルの豪邸に訪問済みの三人は、今や馴染んだ様子で喜びを露にした。そんな中で一人キョトンとしているモラリスにローディスが声を掛ける。
「勿論お前もだぜモリー」
「俺も……? しかし俺にはビクトールが……」
「確かにな。俺の経験上アドバイスするけど小さい子供はああした大人ばかりのパーティーは窮屈になってつまらない思いをする。だからその日はビクトールをここに預けておみやげで喜ばせる方が子供の為だぞ。カジノで子供が楽しめないのと一緒だ」
「成る程」
 ローディスのカジノを引き合いに出した話に納得したモラリスは頷く。二人の会話を聞いてシャルギエルも口にする。
「予定では夕方四時に開催するつもりだから遅い時間まで付き合わせる事はないだろう」
「それだったら尚更うちの年長者に任せていても安心よ。夕食の下ごしらえも早くからしておけばいいし。モリーさえ良ければね」
 シャルギエルとラバリィの言葉にモラリスは再度頷いた。
「だったらその日はここにビクトールを頼むよラビー」
「任せて」
 ラバリィは笑顔を返した。すっかり涙を治めた彼女の腕にカノンが嬉々としてしがみ付く。
「それとねラビー。寄付金の事なんだけどシャルギエルが出してくれるんだって♪」
「え!? グレイが!?」
「マジかよ」
 ラバリィとビーストはそう気軽な口調で言ったカノンに振り向いて驚愕を露にする。それを合図のようにシャルギエルも切り出す。
「水臭ぇぞビースト。俺には平気そうに見せるとは。昨夜カノンから事情は聞いたぜ。何も気にせずに受け取ってくれ。俺もストリートチルドレン貢献に一役買わせろ」
「けどよ、お前にはこの町を救ってもらった恩があるのにこれ以上面倒かける訳にはいかねぇって思ってよ」
「俺一人の力じゃねぇだろう。みんながいたからそれが出来た。まぁ何だ。その謝礼と思え」
「バカ、生意気言いやがるこいつ!」
 シャルギエルとビーストはハイファイブ(ハイタッチ)で手を叩き合うと笑いながらそのまま手を握り合った。本当なら両手を使いたいくらいに喜ばしい事ではあったが、二人の間にあるカウンターが邪魔になって片手のみで終わった。
 ちなみに両手を使う場合はハイテンと呼ぶ。合わせた指の本数で異なる為片手と両手で言い分けるのだ。
「ありがとうグレイ。本当に助かるわ」
 ラバリィが微笑む中、アースンが澄まし顔で割って入る。
「仕方ないからここはあたし、あんたに一肌脱いで愛人になってあげ――」
「いや本気で要らん。お前はただ黙って銀紫(ぎんし)を追いかけてろ」
「よし。これも加算して今度銀紫に会ったら密告しよう」
 シャルギエルの素早い否定にコソッとローディスが呟く。この迷惑な一報を知れば忍鷹(おしたか)からシャルギエルへの足蹴が待っている。
「困った時はいつでも言ってくれ。力になる」
 シャルギエルの言葉に躊躇う事無く口走ったのはアースンだった。
「それじゃあ婚約パーティーに誘われたのは嬉しいけど、着ていくドレスがなくて困るわぁん」
「……分かったよ。招待したからにはその用意もしてやるよ。じゃあ今からブティック店に連れて行くから必要な者は一緒に行くか」
 苦笑するシャルギエルが言うと、ラバリィとビーストが申し訳なさそうにソロソロと手を挙げた。快く二人も受け入れてからシャルギエルはもう一人に声を掛ける。
「モリーは? 来なくていいのか」
「大丈夫だよグレイさん。俺には生前エル(にぃ)が遺してくれた財産があるからそれで賄う。ビクトールの将来の為にも無駄遣いは出来ないけど今回は必要だからさ」
「そうか」
 いつだって彼には謙虚な姿勢を見せるモラリスに、シャルギエルは首肯すると穏和な微笑を浮かべた。



 パーガトリ刑務所のフリー面会室でマックィーンは、自分が雇った悪徳弁護士ニューマンと一緒だった。
「言われた物を差し入れに来ましたが、ここまで仕入れて看守の方は大丈夫なんですか?」
 二人の間にある質素な事務用机の上には大判辞書が二冊と付箋、そして携帯電話が一つ。
 大判辞書と付箋の組み合わせは差し入れに許可されているので分かるとしても、携帯電話は違反だ。
 しかしマックィーンはニタリと幽鬼なる微笑を浮かべる。
「所詮奴等もただの人よ。こいつの件に関しちゃしっかり賄賂を掴ませている。俺から殺されるのと金とどちらがいいかを選ばせてやった」
 そう言いながら机の上の携帯電話を手にすると相変わらず不気味な笑い声を洩らす。
「それで、これにはちゃんと言われた通りの仕込みはしてあるだろうな?」
 そうして彼は同じく机の上に置かれてある大判辞書と付箋を、それぞれ両手の中指で指し示しながら訊ねる。
「それは間違いなく。入室前の持ち物検査ではこちらがドキドキさせられましたよ心臓に悪い」
 ニューマンの口内が渇いたような言い方に、マックィーンは愉快気に哄笑した。
「ギーッゲッゲッゲッゲ! そうかそうかそいつは結構!」
 そこで丁寧に包装されている付箋を手に取りビニール越しから眺める。
「……紙質からしても確かなようだな」
「それだけあれば結構な量ですよ。まさかご自分で?」
「バカを言うな。こいつはあくまでもショータイムの材料だ……グッグッグッグ」
 ニューマンの質問に否定するとマックィーンは、鈍い眼光を宿して意味深に咽喉を鳴らして忍び笑う。
「何にせよこれでいつでも自由な時間、てめぇに電話が出来る。例の件と併せて最後まで宜しくお付き合い願うぜ」
 彼が向けてくる冷酷な笑顔に、ニューマンは口元を引き攣らせて精一杯の作り笑いを返して見せた。

 マックィーンはニューマンとの面会を終えると大判辞書と付箋を手にし、携帯電話は懐に隠し持って意気揚々と居室に戻ってきた。
 三人部屋なので彼へ脱獄をそそのかした黒人囚サクソンと、ひょろりと細い白人ながらも更に色白なホプキンスの二人が中で時間を持て余していた。
 寧ろホプキンスの一方的なお喋りに相手をさせられていたサクソンは、ウンザリしていたのでマックィーンの帰りに彼は半ばホッとしていた。
 マックィーンを居室まで連行したのは彼の携帯電話所持に賄賂を受け取る事で見逃した看守だった。
 居室に戻って来る際マックィーンは、その看守にこっそりと差し入れされた辞書と付箋の詳細を耳打ちしていた。なのでその看守が彼を居室に入れドアを閉める時、マックィーンが彼に声を掛けた。
「欲しかったらいつでも来い。――待ってるぜ」
 マックィーンの意味深な笑顔に看守はゴクリと咽喉を鳴らして彼を凝視しながら、ゆっくりとドアを閉めて外からロックした。
 こうして居室に戻ってきたマックィーンは居室仲間のサクソンとホプキンスの二人と共に三人だけになった。そんな彼を出迎えるべく無駄にヘラヘラしているホプキンスの胸倉を突然掴むと、マックィーンは乱暴に自分の方へと引き寄せる。
「ヒッ! な、なんだよ!? 俺は別に何もしてない……!」
「今からするんだよ」
 慌てふためき怯えるホプキンスにマックィーンは不適に口角を吊り上げると、ある一ヶ所に立たせた。
「動くなよ。このままずっと立っていろ。あの監視カメラから俺の手元が見えないようにな」
 居室の出入り口側から左角に設置されている監視カメラに、背を向ける形でホプキンスを立たせる。その真下は死角になっているがそこにはトイレが完備されている。
「少しでも動いてみろ。てめぇを殺す」
「わ、分かったよ……!」
 ホプキンスはただでさえ青白い顔を更に青褪めながら首肯すると、恐怖心で渇いた唇を舌でペロリと舐めて濡らす。その様子はまるで両生類を連想させる。
「いいか。今から言う事を騒がずに聞け」
 マックィーンは右壁側にある二段ベッドの下段に腰を下ろすと二人を交互に見ながら言って、最後にホプキンスを威圧気味に睨んだ。
 爬虫類を思わせるマックィーンの顔は先ほど述べた通り、両生類を連想させるホプキンスと並べるとまるで蛇と蛙だ。マックィーンの鋭利を含んだ眼光にホプキンスは何度も必死に頷く。それを確認してから改めてマックィーンはゆっくりと口を開く。
「今、俺の手にドラッグがある」
 その言葉にサクソンとホプキンスは驚愕の表情を見せたが、サクソンはともかくホプキンスへと再度凄む。
「動くなよ!? これでてめぇがそこに立たされた理由が分かったろう。カメラから俺の手元を体で隠してろ。分かったな」
「あ、ああ。分かった」
 ホプキンスは必死に挙動不審になりそうな衝動を抑えて、懸命にその場から動かないよう努める。
「この二冊の辞書の背表紙の中に覚醒剤(クリスタル)、そしてこの付箋はペーパーアシッド――つまりLSD(ブルーヘブン)を仕込んである」
 今度はサクソンに言い聞かせるようにしてマックィーンは、彼の黒い双眸を見詰めた。サクソンは辞書の厚さと付箋の枚数を簡単に確認すると、押し殺した声で訊ねた。
「これだと相当な量があるんじゃないか? 一体どうするんだ。自分で使うのか」
「バカを言うな。頭を使え。こいつをここにいる連中へ配るんだよ」
「つまり囚人にって事か?」
「そうさ」
「そんな事して……」
 するとマックィーンはサクソンの胸倉を掴んで引き寄せると、ホプキンスには聞こえないようこそっと耳打ちした。
「暴動を起こすのさ」
 それを聞いてギョッとした目でマックィーンを見るサクソン。何か言いたそうだったがマックィーンはひとまず詳しい事は後にしろと目配せする。
「そこでだホプキンス。貴様の出番ってわけだ」
 本来何でも吹聴するほど口が軽く信用のならないホプキンスだが、ここでマックィーンは彼のそれを囚人達への宣伝に使おうと考えたのだ。
「今夜の自由時間にドラッグでここに入った連中を中心にそれとなく(うた)って回れ。来た奴からこいつを配布しムショでの売人代わりになってもらう」
 そうして売人さながらの麻薬配布役を作り、刑務所内にこれら覚醒剤とLSDをばら撒いてゆく。そしてマックィーン本人は直接看守に掴ませるのだ。一種の賄賂として。そうして囚人はともかく悪徳看守の数を増やす魂胆である。
 こういった場所でのこの二種の麻薬は、マイナスの働きを使用者に与える。
 覚醒剤は本来眠気を抑制し疲労感を取り除き気分をハイにするが、刑務所内で使用すればそのはけ口は抑圧される。継続時間は約六時間~十二時間。就寝時間になれば眠らなければいけないし、無駄にはしゃげば注意されてしまう。そうなると逆に働くのが混乱や幻覚、被害妄想からの暴力行為だ。
 注射器までは用意できなくとも、口からの服用でも効果は充分に見込める。
 またLSDの場合、今回吸い取り紙と呼ばれる吸水性のある紙を付箋に使用しそれに液化したLSDを一滴ずつ含ませている、俗に言う“ペーパーアシッド”を利用した。
 これは口に含んで舐めたり、体に付着して肌から吸収させたりが可能なので一番使い勝手がいい。しかも無味無臭無色なので一見それがLSDのペーパーアシッドとは気付かれない。たった一滴と微量ではあるが効果は抜群である。角砂糖やガムなどの食料品にも使用できるのだが、刑務所での食料品差し入れは禁止されているので付箋に目をつけた。
 個人の心身次第で効果は変わるが、基本幻覚幻聴多幸感のトリッパー。しかしながら刑務所内では気を抜けば敵が出来やすい環境からして、不安感や悪心などが主に働きやすくなるだろう。性質は時々覚醒剤にも似ているので不眠も避けられない。継続時間は八時間~十時間だ。
 こうした作用のある二種類の麻薬が今、マックィーンの手元にある。しかも大判辞書二冊の背表紙に付箋は50×15mmサイズで十冊入り(一冊百枚)となると、単純計算しても覚醒剤だけで約四百人そしてLSDではなんと千人に配布可能となる。
 それだけの数が刑務所内で暴走すれば大騒ぎ間違いなしだ。しかも看守まで取り入れれば衝突は必至だ。
「しっかり頼むぜホプキンス」
 マックィーンから含蓄に言われて、ホプキンスは表情を弛ませて首肯した。
「任せてくれ」


 そして夜の自由時間。
 ホプキンスはマックィーンに言われた通りに行動を開始した。
 自由時間にも関わらずマックィーンとサクソンが居室から出ようとしないのは、麻薬の話をホプキンスから聞いた囚人がそれを貰いに来た時の為だ。
 マックィーンと二人きりの居室でサクソンは尋ねた。
「あんたが前に言ってた企業秘密ってのは、この事なのか?」
「いいや。奥の手は別に取ってある。これはあくまでも脱獄しやすくする為の下準備ってところだ。ここが暴動化すればその鎮圧が最善策となる。そのどさくさを利用するのさ。そうすりゃ直後に俺らが脱獄したところですぐすぐにゃあ行動出来ねぇだろう?」
「つまり脱獄後の時間稼ぎってわけか」
 マックィーンの説明に漸く納得するサクソンの表情は、感心しているみたいだった。
「この刑務所にゃあ2500人もの囚人がいる。看守の数も相応だ。これだけの人数を暴動させりゃあ、立派な花火が打ち上がるってもんだ」
「けどタイミングは? 俺らまで暴動に巻き込まれたら意味がねぇ」
 するとマックィーンはベッドマットの下からチラリと携帯電話を忍び見せた。
「こいつでいつでも外とは連絡が出来るし、手筈も整えてある」
「準備は万全ってわけか。あんたを脱獄仲間に引き込んで正解だったぜ」
 サクソンは言うと、満足そうな笑顔を浮かべた。


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