「お帰りなさいませ。お坊ちゃま」
深々と頭を下げて、このジャンセン家に長年仕える老執事は、玄関ホールで朝帰りしたシャルギエルを出迎える。
「只今皆様は朝食中で御座います。お坊ちゃまはいかがなさいますか?」
「今はまだいい。ひとまず先に
泡風呂に入るからその準備と、そこにフルーツとか揃えておいてくれ。それからもう美容師は来てんだろう?」
シャルギエルは相変わらずスタスタと足早に歩きながら、言葉を伝える。
「はい。お坊ちゃま専属美容師は、先程来られて待機しております」
「よし。結構だ」
このシャルギエルの言葉を合図に、執事はマイクとダイヤル付イヤホンでメイド達に、直ちに準備をするように指図する。
シャルギエルは少し面倒そうにダイニングへ向かうと、バンと派手にドアを開け放った。
クラシック曲をBGMに
淑やかに朝食中だった三人の家族は、突然の事に身を弾ませて驚く。そんな我が家族にシャルギエルは、投げやるように言い放つ。
「……今帰ったからな。その事を言いに来ただけだ」
すると母親が食事の手を止めて声を掛けてくる。
「まぁシャーグ! 電話もしないで朝帰りなんて心配したのよ」
「悪い。帰ろうとしたら雪に降られたものだから、やむなくホテルに一泊さ。電話しようと思ったが先に眠ってしまったんだ」
ドア枠に寄り掛かり、お約束のように説明して心配性の母の言葉を受け流す。
「まぁいいじゃないか。シャーグも男だし、もうある程度自由に行動させても不安な年でもあるまい。仮に騒ぎを起こしても対処する能力ぐらい、もう備えてるさ。とりあえず無事帰ってくれば私は問題ないがな」
父親はのんびり言うと、ミックスジュースを口にする。
「相変わらず父上のお心は寛大で俺も気が楽だよ。信頼されてるって事だろうからな。それに比べて一方母上は……。そんなに俺は信用ないかな?」
溜め息交じりで言いながら、わざと母親に哀愁の眼差しを向ける。そんな愛しい我が息子から向けられた切実げな視線に、母性本能を刺激された母親は居ても立ってもいられなかったらしく、ガタリと椅子から立ち上がりながら言ってきた。
「いえ、そうではないのだけれど、親心ですよ! だって大事な愛する息子なんですもの……」
そうしてこちらへやって来ようとする母親を、シャルギエルは慌てて手で制した。
「わ、分かった母上! 気持ちだけで十分だから朝食に集中してくれ!!」
「そ〜お? 何だか一日一回はキスしなきゃ寂しいわママ……」
母親は息子自ら止められて、渋々座り込む。シャルギエルは一日一回どころか嵐の如く受ける母親からのキスに、正直うんざりしていた。
「あんまり世間に妙な醜態とか晒さないで欲しいものね。もしクラスメイトにそんな兄の姿を見られた暁には、とんだ恥さらしなのだから」
妹のミレイナ=フィラ・ジャンセンが、ツンと澄ましてパンをちぎって口にする。
「ミリーを気にして行動してたら何も出来んだろう。その時は自慢のお兄様として御多忙なこの俺様を敬え」
「呆れた……。自分がこの私の恥となっている事にも気付かないなんて、頭を疑うわ」
溜め息交じりで冷静に言うと、ミレイナは自分の長いブロンドヘアを手で払う。
「ところでどうしたんだシャーグ。いつまでもそんな所に突っ立って。ここに来て朝食を取ったらどうだ」
「いや、後にする。ひとまず顔見せに参上しただけだからさ。では失礼」
シャルギエルは父親にそう答えると、そのままその場を立ち去った。その開け放たれたままのドアを、メイドの一人が一度廊下に出てシャルギエルの背後に一礼してから、再度中に戻って静かにドアを閉めた。
泡風呂にゆったり身を委ねながら、マスカットを口に放り込むシャルギエル。ぼんやりと宙を眺めながら、カノンの事を考えていた。
赤色の巻き髪。ピクスドールのような美しいライトブラウンの瞳。それでいてワイルドキャットのように気の強い眼差し。時折見せる愛らしい笑顔。ぷっくりとした口唇。ほっそりとした白い指……。
ガボンと、頭ごと泡湯の中に身を沈める。彼の艶やかな長い黒髪が水面に揺れる。改めてカノンの事を反芻する。
あのはっきりとした顔立ち。まるで彫刻のような……、何か有名な舞台のヒロインのような……。ん? カルメン……カルメン?
ザバリと湯から頭を出し、顔を手で拭いながら大きく息を吸い込む。
そうか。カノンの奴、スパニッシュ系の血が流れているのかも知れないな。
考えながら、今度は苺を摘まんで口に放り込む。同時に脇にある一通り揃ったバス用品が目に入る。帰り際、自分がカノンに言った事を思い出し、フッと笑った。
今頃俺の言った事を気にして、
身嗜みに考えあぐねてる事だろうな。おそらくこういったバス用品全て揃えるだけでも、あいつらの経済力じゃあとても……。
ここまで思ってシャルギエルは、自分が優劣的な考え方をしてしまった事に気付き、口まで湯に
浸けて誤魔化す。そしてもう一度チラリとバス用品を見ると、閃いたようにザバリと立ち上がった。
それからバスタブから出ると、ドアまで歩いて行き掛けてあったバスローブを羽織る。ドアを開けると、メイド一人と専属美容師が待機していた。入れ違うように今度はメイドが中へ入って行き、残りのフルーツの入っていた皿を手にしてシャルギエルの後に続く。
シャルギエルはシャンプー台の前にあるイスに身を投げると共に、そのメイドが手にした皿から今度はスターフルーツを摘まむ。
「失礼します」
この世界屈指のカリスマから選抜された専属美容師は、一礼してシャルギエルの濡れた長髪を手の中に纏めて、シャンプー台に乗せる。
「なぁフランク」
「はい」
シャルギエルに名を呼ばれて、返事をする美容師。
「バス用品一式、新品を揃えておいてくれ」
「と言いますと、シャンプー、コンディショナー、トリートメント、ボディーソープ、ボディースポンジで宜しいですか?」
「それとボディーウォーターと洗顔フォームもな。年頃の少女に相応しそうな香りのを頼む。あ、ついでに歯ブラシ二本と歯磨き粉もな」
「……シャルギエル様、もしかして……」
にんまりとする美容師フランクに、シャルギエルは誤魔化すようにメイドの持つ皿からネーブルを取り上げて言った。
「そんなんじゃねぇよ。その……、ちょっと人に頼まれただけだ。この事は他言無用だからな。分かったか」
軽く視線を泳がせながらネーブルに
齧り付くと、皮を皿に投げ入れた。
「はい確かに。ではひとまず髪のお手入れを致しますよ」
クスクス忍び笑いながら、美容師フランクはシャルギエルの座る椅子の背凭れをゆっくりと倒し始めた……。
スモールはトボトボと歩いていた。
着ているボロ服は濡れたままだが、その内乾くだろうと気にも留めなかった。汚れているのはいつもの事だ。ただ生きる為に飯さえありつけていりゃあそれでいい。その為に今日も小銭を稼がなければ。
しかし今は工場方面にはあの大っ嫌いなロードがいる。今は同じエリアにも、そしてまた顔を合わせるさえもう嫌だった。
そう。ロードの、顔を見るのも……。
――『そうだったんだ。小児母から産まれた未熟児だったから小さいのか。ごめんよ。オイラと同じ年齢とは知らずに年下扱いして……。傷付いたろ? このスラムには色んな事情を持つ子供だらけだ。自分の体格なんて、気にする事ないさ。これから仲良くしていこうぜスモール!』
『有り難うロード……。僕にそう言ってくれたのは、君が初めてだよ……。これからもよろしくな』――
――『おい大丈夫かスモール! あのクソガキ共、オイラがぶっ飛ばしておいたからな! ガキのくせして、スモールが小さいのをいい事によってたかって苛めやがって! 気にすんなスモール! 数人一緒じゃないと、一人ではあいつらの方が何も出来ねぇ弱者なんだからよ!』
『ハハ……分かってるさ。ごめんよロード。世話掛けちまって……。でも僕、今にチルドレンリーダーになってあいつ等をギャフンと言わせてやるんだ!』
スモールの言葉にロードは満面の笑顔で、彼の頭を力一杯撫で回し声を荒げる。
『そうだぜスモール! オイラ達一緒にリーダーになって生意気なガキ共は黙らせてさ! そして苦労して頑張る年下の子供達を俺等二人で守って行こうぜ!!』
『ああ! 今は荒れた街だけど、将来平和な街を僕等で造ろう!!』
『おうスモール!! オイラ達は二人で一つの仲間だ!!』
こうしてロードとスモールは、肌の色も体格の差も関係なく力強く互いに肩を組み合った。そんな時、一人の少女の声が背後から響いた。
『おーいロードー! もうそろそろ帰るよぅ!!』
『あ、カノン姉ちゃんだ。じゃ、オイラ今日はもう帰るよ! また明日なスモール! 気をつけて帰れよ!』
そう言い残して走り去って行くロードを見送りながら、スモールは答えた。
『あ、うん……。また明日……』――
――『あ! やーっといたスモール! 最近なかなかいないから心配したんだぜぇ! 今まで何してたんだよスモール』
『ん……。ちょっとな……。気分が良くなくてさ……』
『気分? 大丈夫かよスモール……』
すると遠くから、またも少女の声が響く。
『ロード! 姉ちゃんゴミ山で拾い物してくるからあんたも来るなら後で来なよー!!』
『O・Kカノン姉ちゃーん! バイバーイ! ……それよりスモール、気分ってどうあるんだよ』
『お前と一緒にいると、気分が悪くなるようになったんだよロード!!』
心配そうに顔を覗き込むロードを突き飛ばすスモール。突然の事に尻餅をついたロードは、びっくりしてスモールを見上げる。
『お前なんか大嫌いだロード!! 本当はお前も、僕の事を馬鹿にしてんだろう!!』
『どうしたんだよ! オイラ一度だってお前を馬鹿にした事なんかないぞスモール!!』
『もうお前とは絶交だロード!! 二度と僕に近寄るな!!』
『何だよスモール! 一緒に平和な街を造る約束をしたじゃないか! どうしてだよ! 一体どうしたってんだよスモールウゥゥーーー!!!』
ロードはその場から走り去る親友の後ろ姿に叫ぶと、大地に拳を叩きつけながら大号泣した。いつまでも、いつまでも。大親友の名を口にしながら、顔面を涙と鼻水とよだれで泥だらけにして…… ――
それからと言うもの、顔を合わせる度に毒吐いてきたのはスモールの方だった。
初めは黙って悲哀の眼差しでスモールを
窺うロードだったが、それが余計にスモールを苛立たせ、不愉快にさせた。
ついに耐え切れずにスモールはロードに石をぶつけた。するとロードのこめかみから真っ赤な血が流れ出し、思わずあっと動揺したスモールだったが、その感情を押し隠しながら尚も毒吐いた。もうただ必死になっていた。
するとそんな無我夢中でやっとの想いで毒吐くスモールの様子を
俄かに気付いたロードは、彼の為に漸く頷いた。
『……分かったよスモール……。お前がそこまでオイラの事が嫌いになったってんなら、もうお前との友情を終わらせる……。これからは、スモール。お前の望み通りオイラとお前は今日から敵だ!!』
そう。敵として応える事がロードの中での、スモールへの友情を示す唯一の証だと決意した事を、スモールは気付かぬまま彼の言葉に漸く安堵した。
これでもう、羨みながらロードと親友として接する必要もなく、妬み嫉み、そして自分勝手な個人的出生の事情を理由にした憎しみを、一方的にぶつけられる……。
お互い背を向け反対方向へと歩き始め、二人の距離が遠のく中、最後に一言だけ口の中で静かにスモールは呟いた。
『ごめん……ごめんよロード……。お前がずっと、羨ましかったんだ……。こんな気持ちを抱いたまま、この先ずっとお前と親友で居続けられる自信が僕には……――なかったんだロード……』――……。
過去の出来事をボンヤリと思い出しながら、スモールは無表情でただひたすらトボトボと歩き続けていた。
ふと気付くと、コンクリート張りの広場に足を踏み入れていた。
ロードと仲が良かった頃、よくここでバスケをして遊んでた……。フン。くだらねぇ事思い出したせいで、無意識にこんな所に勝手に足が向きやがったか。
忌々しい。
スモールは苦虫を噛み潰した表情を浮かべると思った。とにかくこの広場から出てどこか別に――そうだ。今日はゴミ山に行ってビンでも集めて、小銭稼ぎでもしなければもうあまり手持ちがないんだ。
スモールはゴミ山のあるスラム街の奥地へと足を向けた。その時。

「おやスモール!」
その声に、初めは誰かも考えずフラリと魂の抜け殻の如く振り返ったが、その相手を目にするなり体が硬直した。
「久し振りだねぇスモール! 少し背が伸びたんじゃないか? あたいとこうして会うのも一年ぶりだもんねぇ!」
カノンだった。彼女は何も気にする事無くスモールに駆け寄っていた。
「あら? どうしたのさ。全身濡れてるじゃないか。しかも少し臭いし……。汚水にでも落ちたのかい? 怪我はないのかい?」
声を掛けてくる彼女に、ひたすら押し黙ったまま俯くスモール。
ロードとスモールの今の関係はカノンも知っていた。折角の幼い友情が、今では敵視しあう二人の仲に内心残念に思いながらも、第三者の自分が口出しする事ではないと彼女は思っていた。
だが、だからと言ってカノンまでロードに合わせてスモールに冷遇する理由も筋合いもなかったので、平等に彼女は彼に接した。
「どれ、家においで。大丈夫。今はロードの奴も工場に稼ぎに行っていないしさ。家で綺麗に体を洗ってお行きよ」
カノンの優しい言葉にはっとしたように顔を上げたスモールは、口唇をキュッと噛んで再び俯くと、
踵を返して彼女から逃げるように猛ダッシュで走り去って行った。
「スモール……」
カノンはそんなスモールの後ろ姿を、名残惜しそうに見送った……。
優しくて思いやりがありいつも笑顔を見せるカノン。生まれて一度も触れ合う事のなかった、まだ女児と呼ばれる存在だったスモールの母。
その母の理想を、スモールはカノンに重ねずにはいられなかった……。例え肌の色が、違っても。
スモールと別れたカノンは、気持ちを切り替えて本来の目的へと足を向けた。
すっかり体の皮が擦り切れんばかりに全身、頭髪を洗い終えて、今までのボロ服を捨て、持ってる中で一番まともな服に着替えて身なりを整えていた。
ちょっと見、簡単にはスラムの子には見破られそうにはなかったが、それなりに普通の庶民の少女ぐらいの外見にはなっている。
ワンピーススカートにカーディガン。そのポケットには小銭が少々。
工場地区まで歩けば、地下鉄の駅があった。券売機の前で料金表を確認し、目的地までの両道分の金額と持ち合わせを見比べる。
足りるけど……、
切符代だけで精一杯。他の買い物は出来そうにない。仕方ない。石鹸はまた今度にしよう……。帰ったら何か小銭稼ぎしなきゃな……。
カノンは軽く溜め息を吐いて
切符を買うと、改札口を抜けプラットホームへと向かった。
とにかく少しでも質の良い服をリサイクルBOXから入手して、今後お洒落に磨きをかけていかなきゃ……。
そう考えながらも、やはり十三歳にして十歳の男児の保護者である。ふとロードの事も考える。
……一着分ロードの服も持って帰ってあげよう。
駅の時計を見ると、午前九時を回った所だった。
一方、生まれて初めて利用する地下鉄。シャルギエルは悪戦苦闘していた。
バイクや何だの自家用車でカノンに会いに行って、また身分を隠す為セレブリティーシークレットクラブハウス(SCC)の駐車場をチョロつくのも、何かと気を使う。他に何かの交通手段でスラム最寄りまで行ける乗り物はないものかと考え抜いた挙句、PCで地下鉄なる乗り物が存在する事を知ったのだ。
よし。これなら自由が利くだろう。終電始発にさえ注意して、上手くスケジュール調整をすれば、学校の行き帰りでもスラムへ行ける。ちなみに今日まで日曜で学校は休みだった。
そうして美容師フランクから受け取った、バス用品一式の入ったバックを持って我が家最寄りの地下鉄までロールスロイスで送ってもらうと、軽い足取りでプラットホームへと向かった。―― と、改札口で険しい顔した駅員に腕を掴まれていたのだ。
「……おいコラ貴様。何のつもりだ。その汚らわしい手を離せ」
「だったら
切符を買って貰わないと。……まさかここまで来て地下鉄の乗り方が分からん訳ではないだろうね?」
駅員の言葉に、無言のまま駅員の目を
暫く睨み続けて、
漸く口を開いた。
「今日生まれて初めてこれを利用する。今までロールスロイスとかで事足りていたからな。しかし今日からこいつを利用しなくてはいけない事情があるんだ。で、チケットって言うからには地下鉄とはファーストクラスの席が用意されてある、豪華交通機関の一つか?」
「……かなり違う。つまり君も、庶民の常識を知らない箱入り坊ちゃんの一人かい……」
駅員は溜め息と共に言った。ここは超高級階級の住宅地、学園都市にある地下鉄の一つ。こんな天然セレブ人が初利用する時は、そのほとんどが同じ過ちをし、そのくせ高慢ときている。こんな客にここの駅員はすっかり扱い慣れしていた。
「じゃあ今から、乗り方を説明したメモをやるから待ってなさい。ひとまずそこに、券売機があるだろう? そこで目的地までのチケットをだな……」
などのやりとりをダラダラと交わしつつ、漸くシャルギエルはこの工場地区にある駅の外へとやって来る事が出来た。
「全くこの地下鉄ってぇのは指定席もなければ、混雑時に至っては立っていなくてはいかんとは、つくづく庶民の乗り物ってぇのは無駄に体力を要する乗り物だな。まぁいい。乗り方も分かったし、多少の不便さは目を瞑るとしてと」
ブツブツ不満を垂れながらシャルギエルは一度周囲を見渡して、遠くへ見える荒地を見つける。その方向がスラムだと把握すると、大きく深呼吸して一歩を踏み出した。
腕時計を見ると、午後一時を回っていた。
カノンの家に辿り着くと、ロードはともかくカノンもいなかった。
「だよな。貧乏暇なし、だよなぁ……」
シャルギエルは少し残念そうに中に入っていくと、バックをテーブルに置いて椅子に座った。
時計を刻む音に気付き、そこへ目をやると小さな置時計があった。表面を覆うガラス面にひびが入っているが、時計自体はしっかり役割を果たしている。
シャルギエルはバックから取り出した、カノンへの贈り物であるバス用品一式を揃えて置き、おまけに地下鉄傍のファーストフード店で買った、バーガーセット二人前の入った紙袋も一緒に並べる。
そして懐から手帳を取り出して紙を一枚破ると、用件を書き殴ってそのメモをシャンプーボトルで押さえた。
〈手始めにバス用品をやるから、それで身を清めな。ロードの分の歯ブラシやバーガーも用意しておくからな。平日は俺は学校で来れないが、週末にはまた来るぜ。こづかいを少し置いていく。遠慮なく受け取ってくれ。俺からの気持ちだ。またな〉
内心カノンが字が読める事を祈りつつ、十ドル札三枚をバーガーの入った紙袋に放り込んだ。金額が多すぎると、下手すりゃRに気付かれたかられるのを予測して、それなりに多からず少なからずの金額にしておいたのだ。スラムの人間にしてみれば三十ドルもあると、一週間は楽に食い繋げる。尚且つ昨夜シャルギエルが購入した余裕ある食料もあれば、何らかの生活用品等を入手する事も不可能ではない。
ちなみにシャルギエルの心配をよそに、カノンは七歳時の二年間で当時の保護者だった神父から読み書きを習っていたので、字を書く事も出来れば読書する能力が備わっていたのは、貧乏人ながらにして唯一の救いでもあった。
カノンもロードもいないし、いつ帰るのかも分からない。自分は明日から学校なので、今日は帰らなければならない。このまま待っていても仕方ないので、彼は家を出た。
そして今日はひとまず自分の家へ引き上げるべく、再び地下鉄目指して元来た道を徒歩にて戻る。
すると前方から大型トラックが走ってきて、そのトラックを追い駆ける数人もの子供達がキャーキャーはしゃぎながら走って来た。
「? 何だこの騒ぎは」
シャルギエルが目前を走り抜ける子供達を見送りながら、さらりと口にする。
するとそれを聞き逃さなかった一人の子供が振り返り、走りながらシャルギエルに向かって叫んだ。
「ゴミ運搬車よ! このトラックが奥のゴミ山にゴミを捨てに来たのよ! 新しいお宝を手に入れて金に換えるのは早い者勝ちなのよ!」
その女児は言い終えると、走る足を速めてトラックと共に去って行った。
絶句しながら見送っていると、更に大人の住民達も掘っ建て小屋から流れ出て来て、トラックの後を追い駆けて行った。その先を目を凝らすと、ゴミ山の側に小屋らしきものがある。どうやらゴミ山を住居にしている子供もいるらしい。これには唖然とするしかなかった。

「分かるかガキ。これがここの現状だ。てめぇらに取っちゃあただのゴミでしかないガラクタも、奴等にしてみりゃ立派なお宝よ」
突然の声にギョッとして振り返ると、そこにはRが立っていた。
シャルギエルは身構えて自分より背の低い彼を、不愉快気に睨み付ける。
「まぁそう牙を剥くなよフレンド。エリートが働いてるあのカジノに今から行こうと歩いてたら、偶然お前に出くわしちまっただけだグレアム」
無言のままRに不意打ちされまいと、目を逸らさずにいるシャルギエル。
「お前、俺がしている事が酷い事だと思うか」
静かに訊ねてくるRに、何も答えずにシャルギエルは眉間に皺をよせた。
「俺は数え切れねぇ子供の死体を見てきた。それらは全て心無い身勝手な大人共が手を下した物ばかりだ。俺がリーダーからギャングトップまでのしあがってんのはな、そんな大人共を片付けて子供らの生き易い、子供の強力社会を築く為だ。子供に酷い扱いをするのも、少しでも世の矛盾への耐性を身に付けさせて、精神力の強い子供を育てムカつく大人共に反抗する能力を身に付けさせる為の術だ。殺人兵士を教育して今の腐った世をぶっ壊すのさ」
シャルギエルは目を見開く。心の奥で何かが弾けた。
「どうだグレアム。お前には分からないかも知れねぇが、この街を見てあんな子供の無邪気な姿を見てどう思う? 可哀相だと思わねぇか」
真摯な表情でRは、道の向こうにいる数人の子供達に目をやる。
「子供は弱い。弱いのをいい事に腐った大人共はその子供に鞭を打ちまくり、死んだらゴミのように捨て、それをカラスが
啄ばむ。何の為にその子供は生まれてきたかと思うと、この無情の世が憎くて堪らなくなる。そこで俺は思った。弱いのがいけないんだと。この世は弱肉強食。弱い者は死ぬのが当たり前で、強い者のみが生き残れる。だったら強くなればいい。そうだろう? だから俺は束ねる子供達に敢えて試練を与えて、強靭な精神力を身に付けさせ、先々は一兵として腐った大人共を見返す為に殺し、同じようにカラスに喰わせてやるのさ。きっと子供達は喜ぶだろう。自分達をそういう目に合わせた大人が逆にその姿を晒すのだからな。その光景は愉快痛快だろう」
Rの言葉に、シャルギエルはわなわなと固く握った拳を震わせ、怒りにその顔を紅潮させた。その様子を見てRはニヤリと笑う。
「子供ってぇのはよ。祝福されるべきだグレアム。そう思わないか?」
「……ああ……ああ、そうだ。そうだとも。子供は笑って幸せであるべきだ」
そう静かに口にしたシャルギエルの声は、無意識に怒りでくぐもり、震えていた。
その様子を見てRは、ここぞとばかり同調するかのように彼の腕を軽く叩いた。警戒していたせいもあってビクリとするシャルギエル。
「大丈夫だ別に害は与えねぇよ。言ったろ。俺はお前が気に入ったってよ」
そう言ってRはニンマリと笑って見せた。
「どうだグレアム。二度は言わん。お前も俺達と一緒に不幸な子供達を幸せにする為に、共に子供を喜ばせ生き易い社会造りの一端を担ってくれねぇか?」
「……ああ……。そうだな。俺も不幸な子供達をこれ以上増やしたくない。いいだろう。“俺に子供の生き易い社会造りをやらせてくれ”」
シャルギエルは許諾すると、Rの目をジッと見詰めた。
「さすがだフレンド! やはり俺が見込んだだけの事はある。よろしくグレアム。お前ところで幾つだ?」
「十五」
「よし、なら俺が率いてるチルドレングループのリーダーの座に就け。勿論そこにはカノンとロードも所属している。問題はないだろう?」
「勿論だが新入りの俺が、いきなりリーダーになっていいのか?」
「ああ歳の順だ。お前がそのグループに入れば最年長だからな」
「では条件がある。俺には普通に家族がいて学校にも通っている。だから週末しかここに来る事が出来ないが、それでも構わないか」
「当然だグレアム! 俺のギャング仲間には別にスラム出身じゃなく普通に家族持ちの奴も幾らでもいる! サンキューグレアム。お前が仲間に入ってくれて最高だ! そうと決まったらまた来週末に会おう! 主な伝言はカノンに伝えておくから、その時に聞いてくれ。愛してるぜグレアム!!」
再びRはシャルギエルの二の腕をポンポンと軽く叩くと、ご機嫌この上なく歩き去って行った。
暫く見送っていたシャルギエルだったが、漸くクッと不敵な笑みを浮かべた。
「……やはり阿呆は、ただの阿呆だ」
静かに口の中で呟くと、地下鉄の方へ向かって歩き出した……。
戦闘員に所属しそれを得意とするR。血の気の多い乱暴者ほど至って脳みその方は単細胞で扱い易いものだ。ひとまず手始めにRを手中に収める。
問題はエリートの方だ。あいつは恐らく一筋縄ではいかない。知恵比べの腹の探り合いになるだろう。まぁとりあえずエリートにこちらの狙いを悟られないよう用心しながら、組織の中身を探り仲間集めを先決とするか……。
シャルギエルは思案しながら、指に長い髪を巻き付けた……。