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【登場人物】
*アグライア・エルシャンク……ギリシャ人の絶世の美女で、エリートの母親。

*カルディナーレ侯爵……インド人で、エリートの父親。

*ルシフェウス=ベルーガ=エルシャンク・カルディナーレ……エリートの本名。

*ダグラス・マックィーン……数々の事件を迷宮入りさせている、医師免許を持つ有名殺人鬼。
【第二章】 ギャングハスラー苦闘編
act,38:女神が残した遺産




 初めはほんの、遊びのつもりだった。
 軽い大人の情事で男は、彼女を抱いた。

 彼女はこの上なく美しかった。
 シルクの糸を思わせるプラチナブロンドの、腰まで長い髪は風に流され、その白亜の彫刻を思わせるような、白き絹肌に豊満なる胸。
 まるでこのエーゲ海の真珠貝から誕生した、まさに美の女神ヴィーナスのように、どこかパール掛かった煌めく艶やかな素肌は、人を(かたど)った真珠を思い起こさせるほどに麗しい。
 エーゲ海の色と同じ美しき瞳は、まるでその双眸(そうぼう)にこの母なる惑星、地球そのものを閉じ込めてしまったようだ。
 女が発する声は、まるでカナリアのように美しかった。
 それ故、最初はほんの火遊びのつもりが男をすっかり虜にし、このギリシャにいる間は毎夜その女を愛でた。
 黒き髪と瞳に褐色肌のこの若き男は、両親が高齢で出来た息子だった為に、この年にしてもう両親を失い跡継ぎになっていた。
 その権力は男の母国である政治にさえ及ぶほど、強大なものだった。
 よって、ギリシャにある母国の大使館に、仕事で来ていたのだ。
 若いと言っても、もう三十代を()うに超えている男ではあったが、ハンサムで色っぽさを持っていた。

 女は初め、一人っきりだった。
 これ程の絶世の美貌を持ち及んでいながら、女は二十歳の若さで孤独だった。
 それまで母との二人っきりの家族だったが、男に出会う半年前に母は病で他界した。
 この人里離れた海辺の丘で、小さな家にそれから一人、女は住んでいた。
 ある日エーゲ海クルーズを楽しんでいる男が、海の上に浮かべた船から双眼鏡で景色を楽しんでいる時に、丘にひっそりと(たたず)む女を見つけたのだ。
 真白なワンピースでその身を包み、茶色いシースルーの肩掛けを羽織り、寂しげで儚そうに佇むその姿を双眼鏡越しで見た時、思わず男は迷った。
 あれは天使か、人魚か、女神なのか。
 そう思案している間に、男はたちまち心を奪われてしまった。
 それからコッソリと男は、女の元を訪ねたのが知り合う切っ掛けとなった。
 女はこうして自分の肉体を毎夜貪り、抱いてくれるこの見知らぬ男を真剣に愛した。
 今まで苦労する母の後ろ姿を見て育った女は、決して幸せではなかった。
 だから子供の頃からずっと、夢見てきた。
 いつか必ずお金持ちになって幸せになったら、お母さんを楽させてあげたいと。しかし、その母も過労で死んだ。
 孤独の中、こうして抱いていた夢の行き場を失いながらも、心に根付いた夢は、そう簡単には諦めきれなかった。
 そんな時、女は男の子供を身ごもったのだ。
 元気な産声を上げるその赤ん坊は、男の子だった。
 父と同じ褐色肌と、母の美しき容貌と髪と瞳の色を持って生まれて来た。
 こうして行き場を失っていた女の夢は、この息子に託された。
 
 女は息子にルシフェウスの名を与え、男は息子にベルーガの名を与えた。
 そして女と男の、それぞれの苗字を共に与えた。
 エルシャンクが、女の苗字。
 カルディナーレが、男の苗字。

『ルシフェウス=ベルーガ=エルシャンク・カルディナーレ』

 これがこの二人の間に生まれた、男の子の名前となった。
 これを期にギリシャにいる間、男はギリシャの豪華別荘に女と息子も一緒に住まわせ始めた。
 女は幸せだった。
 裕福な夫を持ち、自分の背負った同じ苦労を息子にまで味合わせる事無く、穏やかに過ごせる日々。
 これぞ女の望み求めた、幸せだった。
 息子にだけは、決して自分と同じ苦労を背負わせたくはない。
 女は己の全人生を賭けて、この息子を溺愛した。
 そうして息子が四歳になったある日。
 男は自分の国へ、戻らなければならないと女に言った。
 女は私達も連れてってと、せがんだ。
 男は迷ったが、この美しき女を諦め切れなかった。
 手放すには余りにも惜しい、いい女だったからだ。

 こうして男はコッソリこの親子を、母国インドに連れ帰り別宅に住まわせた。
 女はその事を不思議に思った。
 以降、男は時々しか会いに来てはくれなかったが、再会した日はそれまでの空白を埋めるかのように、女を深く抱き続けた。
 それが返って女の謎を深めた。
“どうして? 私達三人は家族ではなかったの!?”
 男に抱かれながら女は、謎から疑いに変わった。

 ある日女はとうとう、男の後を付ける。
 すると男は今までに見た事もない、大豪邸へと入って行った。そこが男の本邸だったのだ。
“どうして妻と息子である私達は……”
 女が思っていたその時、インド人の女を連れ立って車で出かけて行く、男の姿を見た。
 瞬間、女は直感で悟った。
 今のはずっと前から一緒にいる本妻なのだと。そして自分はただの、愛人であった事を――――。
 途端、女の正常心は灰の様に、粉々に打ち砕かれた。
 そう。女が夢見、望んできた世界が消滅した瞬間だった。
 息子の幸せの為なら、自分の人生をいくらでも犠牲にしてもいいと、女は誓った。
 自分が得られなかった幸せな人生を、息子を通してやり直すつもりだった。それが女の夢だった。
 それが叶っているのだと信じていたものが、実は嘘に塗り固められた偽りの人生を、生かされていたのだ。
 この件を切っ掛けに、夢は野望へと変わる。
 女は美の女神から、復讐の女神へと変貌した瞬間でもあった。

 女は息子を連れて、本邸へと乗り込んだ。
 自分はこのカルディナーレ候の子供を産んでいるのだから、自分こそ正統なる妻に相応しいと怒鳴り込んだのだ。
 このギリシャ人女の変貌振りに、男は戸惑い困惑した。
 まだ子供のいなかったインド人の本妻は、ショックを露にし本邸を出て行った。
 こうして女は思惑通り、本妻の座を手に入れたのである。
 母の意気込みにより、息子ルシフェウスのインドでの本格的な侯爵家子息としての、生活が始まった。
 ギリシャにいた時から受けていた英才教育もあって、インド本邸での学識も目を見張るものがある程、賢い男児に成長していた。
 当時、まだ五歳の時である。
 しかしこれに一番困惑したのは、父親カルディナーレ候だった。
 何せ国の政治にも足を突っ込んでいる立場として、跡取りの息子が別国の血も受け継いでいるハーフでは、立場が弱くなるのだ。
 そこでカルディナーレ候には、正統なるインドの純血である跡取りが求められた。
 よって嘗ての本妻を今度は愛人として、妻エルシャンクの目を盗んでは逢引を繰り返した。
 そしてついに、インド人の妻は妊娠し、検査の結果も男児を身ごもっている事まで判明した。
 これで立場は、再び逆転する。
 所詮、異国の女であるエルシャンクは、本妻としての立場がこの国では弱い。特に政治家をも努める侯爵夫人としては。
 こうして、妊娠八ヶ月になった腹を抱えた元本妻を連れて戻ったカルディナーレ候は、ギリシャ人妻のエルシャンクに出て行くように命じた。
 昔とはすっかり、態度の変わり果ててしまったこの美の集合体である女への愛は、今やすっかり冷めて最早畏怖にも似た感情を、彼に抱かせるようになっていた。
 しかしだからこそ、それでめげるようなエルシャンクではなかった。
 何せ今や彼女は、復讐の女神と化していたのだから。
 エルシャンクはその元来の容姿で美しく微笑み、同じ子を持つ母親として新たに宿った命の喜びに、同意を示しておいてそのインド人妻の、大きく膨らんだ腹を優しく撫でた。
 腹の中でそれに応える様に、元気良く腹を蹴る胎児の活発さが、表面からもはっきりと伺える。
「まぁご覧になって! こんなにも元気一杯に、あなたのお腹をキックしているわ! まるで今すぐにでも早く出たいと、言わんばかりですわね!」
 エルシャンクのこの歓迎を込めた言葉に、思わずインド人妻は嬉しさを覚えて、彼女に心を許してしまった。
「子供はいいわ。とても素敵よ。だってその子の為なら自分をいくら犠牲にしても、構わないと思うようになれる。見返りのない愛を注いでやれる。それこそが、また母としての喜びへとなるからよ。だから私はルシフェウスの為に何だって出来るの。ホラ、この子も早くママに会いたいって言ってるわ。あなたも早くこの子に会いたいでしょう」
「ええ。勿論よ。一刻も早く、この子に挨拶がしたいと思っているわ」
 母親同士として、すっかりいがみ合う事無く異国の女同士、仲良く微笑みあっていた。
 その様子を夫カルディナーレ候は、複雑且つ照れ臭そうに見詰めていた。女とは、理解出来ない生き物だとも、思った。
 その通り。女は理解出来ない生き物なのだ。
 男が考えている以上に、ずっと心の中には思いも寄らない淡白さを増大させている事も、ある。
「会わせてあげるわ。お望み通りね」
 エルシャンクはまるで風が揺れるように、爽やかに微笑んだ。その言葉の意味を、インド人妻が理解する前に、事は起きた。
 エルシャンクは優しい微笑を崩す事無く、隠し持っていたナイフを唐突にインド人妻の心臓に、力一杯叩き込んだ。
 そして驚愕の顔を向けて、最後の視線を向ける彼女へ相変わらず美しく微笑みかけたまま、エルシャンクは次にその腹を切り裂き子宮に手を突っ込むと、中の胎児を勢い良く引き摺り出した。
 鮮血と腸と一緒に、羊水も派手な音を立てて体内から溢れ出てくる。
 一気に地獄と化した現場は、数々の悲鳴が上がった。その場には数名の使用人もいたからだ。
 そんな中、まるで動じる事無くギリシャ人妻エルシャンクは、片手に掴んだ胎児を天高く掲げると、夫カルディナーレ候の方へと向き直り、この上なく美しい残虐な形相で彼を睥睨し不気味に微笑んだ。
 それを合図の様に、手の中で蠕動(ぜんどう)しているまだ未熟な胎児を、渾身の力を込めて床へ叩き付けた。
 鈍く耳障りな音を立てて床に張り付いた胎児は、今まで(うごめ)いていたのが嘘だったかのように、全く動かなくなった。
 ゼリーの様に柔軟な頭部は無残なまでに破裂し、新鮮な脳漿(のうしょう)が零れ出ている。これで生きている訳がなかった。
「跡取りは、うちのルシファーだけで充分よ。あなた」 
 カナリアのような美しき声でエルシャンクは(さえず)ると、その真珠の様な絹肌を鮮血に染め上げ、その胎児に繋がっている臍帯(さいたい)を強引に噛み千切る。
 臍帯(さいたい)は動脈と静脈で出来ているので、そこから噴射した鮮血はたちまちエルシャンクの美顔と髪を、深紅で濡らした。
 だが微動だにせず彼女は、その反対側に繋がっている胎盤(たいばん)を引っ張り上げると、愕然としている夫の顔に目掛けて叩き付けた。
 夫カルディナーレ候は絶叫を上げると、身近にある棚から銃を取り上げ彼女に向けた。
 それでも尚、鮮血で深紅に染まる彼女は、更なる人智を超えた美麗さを極め、凛とした表情でスラリと悠然に立っていた。
 その様は、本当に美しかった。
 シルクの様なプラチナブロンドは風に愛され、母なる地球をその双眸に宿した碧眼は、溢れ出るエーゲ海の水を湛え、その花びらが(たわむ)れるような愛らしき口唇はまるで、一輪の薔薇の如く気品ある笑みとなって、そこに咲いていた。
 やがてその麗しき瞳から零れ落ちる涙は、真珠を思い起こさせた。
 決して枯れる事無く輝き続ける彼女の美麗さに、思わずカルディナーレ候の銃を持つ手は罪悪感に震えた。
 そんな夫に向かってエルシャンクは一言だけ、奏でた。

「愛していたわ」

 その言葉を最後に、夫カルディナーレが勇気を振り絞って引き金を弾き、この絶世の美女エルシャンクは全弾を浴び射殺される事で、その生涯に幕を下ろす。
 途端、外を暗雲がたちこめ激しく雷鳴が轟き渡り、大地を、岩を穿(うが)るような矢の様な豪雨が振り出し、風は獣の如く吠え、吹き荒れた。
 その突如とした天変地異に、周囲の使用人達は戦慄した。
 この女は、エルシャンクは、本当に女神や天使の類だったのかも知れないと。
 全身蜂の巣にされても母エルシャンクの(むくろ)は尚、色褪せる事無く余計更なる美を際立たせていた。
 ここまでくると不気味さを通り越して最早、神々しささえ感じさせる死体であった。
 もうその美しきカナリアの鳴き声も、二度と聞く事はない。
 このギリシャから渡ってきたカナリアは、もう――歌わない。

 (ようや)く我に返ったカルディナーレ候は、こちらに背を向けて二体の女の死体の側で、(うずくま)っている混血の息子、ルシフェウスの存在に気付いて声を掛けた。
「ルシファー? 一体そこで、何しているんだ」
 父親に声を掛けられ、ゆっくりと振り返ったその幼き息子の手には、命を失った胎児の遺体が優しく抱かれていた。
「可哀想に、可哀想に。せっかくこの世に産まれて来るはずだったのに、こんな形で世に吐き出され、そして死ななければならないなんて……。可哀想な、僕の弟……」
「ルシファー……」
 まだ八ヶ月の未熟胎児を大事そうに抱いて、涙を零す混血の息子の優しさに、父親はそれ以上何も言えなくなった。そして同時にこの息子に、同情した。
 大人の身勝手な事情で、この惨劇を見せられなければならなかった息子。
 目前で母親を失い、母親の凶暴さを目にして、弟になるはずだった胎児が虫に等しい形で殺される光景。この子だけは生かしてやらねば。生かして……。
 そして最後にルシフェウスは、血塗れで横たわる白亜の彫刻のような母親の死体の口唇に、そっと口付けをした。
「大好きだよママ。今まで僕を愛してくれて、ありがとう……」
 涙を流しながらも静かに囁くとルシフェウスは、母親の胸元に突っ伏し肩を抱き締めた。この時ルシフェウスは、六歳になっていた。
 やがてゆっくりと起き上がると、静かに父親を真っ直ぐに見詰めて、訊ねた。
「ねぇ。お父様。どうしてこんな事に、ならなければいけなかったのですか? どうして」
 母親にそっくりな混血の息子に詰問され、父親は漸く自分が仕出かした事の重大さに、深い罪悪感に陥った。
「お父様が、お前の母親を愛してしまったからだよ。別に、本当の奥さんがこの国にいる事を秘密にして……。お父様が悪いんだ。お父様の身勝手で、二人の女を不幸にし、死なせてしまった……」
 そう白状して頭を抱えて上半身を前倒しにする父親を、ルシフェウスはそっと抱き締めた。そして、思った。
 そう……。お父様が、悪いんだね――――。







 それから、一年の月日が流れた。
 ある夜、ルシフェウスは父親に部屋へと、呼び出された。
 そして父は息子の両肩に両手を置くと、諭し宥めるように語り出した。
「ルシファー。お前は養子になる事が決定したよ」
「養子? どうして? 僕にはちゃんと、お父様がいるのに」
 そう言って父親の黒い双眸を覗きこんでくる、息子の純粋な美しい碧眼に罪悪感を感じて、思わず目を逸らしながら続ける。
「ああ。そうだけど、お父様の知人に是非養子に欲しいと頼まれて、断れなかったんだ」
 するとルシフェウスは、ズバリと真実を口に出す。
「ですよね。僕は混血で、跡取りには相応しくないから」
「ルシファー。そうじゃない。そうじゃないんだ。大人の世界には、お前が思っている以上に複雑な事情が、存在するんだよ」
 まだ幼い息子に痛い所を指摘され、慌てて誤魔化しの言葉を並べる父親。
「知ってますよ。新しく奥さんを招くに至って、僕が目障りになったんでしょう?」
「ルシファー!! 何てこと言うんだ!」
 思いも寄らなかった息子の的を得た事実に、父親は叱責する。
 しかし気にせず息子は、淡々と言葉を紡いでいく。
「知ってるよ。ずっとこの一年間、お父様が僕の処遇に困っていた事を。知ってるよ。もうお父様は僕に、愛情がないことを。もう要らなくなったんでしょう? だったら殺せばいい。去年、ママをその手で殺したように」
「ルシファー! いい加減にしなさい! これは親子としての問題だ。だからこうして二人っきりで、お話しているんだ。あれはママにも問題があった。お前が楽しみにしていた弟を殺した」
 するとルシフェウスはフワリと微笑むと、更に鋭い指摘を言い放った。
「でも弟が生まれても、どうせ僕らは兄弟として一緒に暮らせなかったよね?」
「……お前……」
 この幼さで確かな真実を口に出来る息子に、カルディナーレ候は絶句する。同時に脳裏に蘇る既視感(きしかん)。一体いつ、どこで見ただろうか。
「お父様が悪いんでしょう? 元々。あの時そう言ったじゃない。お父様。ママに問題があったから、お父様は殺した。でもママをそうさせたお父様には、もっともっと問題があった。こんなの、不公平だと思わない?」
「一体何を……」
 瞬間、息子を通して思い出される、あの惨劇での妻――いや、愛人エルシャンクの姿。咄嗟に心で叫ぶ、彼女の名。
 アグライア――――――!!!!
 それはこの混血の息子ルシフェウスの母親の実名。
 そんな父親の心境など知る由もない息子は、美しい笑みを湛えて言葉を紡ぐ。
「許されると思ってるの? 子供から母を奪い、母には欺瞞(ぎまん)で覆い隠された幸せでだまし、そして今度は僕から家族を奪おうとしている。ねぇ、家族って何。養子に出された先でも家族と言うのなら、もう別に家族なんて要らないんじゃない? 血の繋がった実の息子を捨てれる父なんて、親じゃない。母を殺した男が幸せになる為、息子を捨てて別の女と人生やり直していいなんて、理不尽だよ」
 そうしてルシフェウスは、腰元から銃をゆっくりと取り出した。
 息子の姿に重なって、アグライア・エルシャンクの幻影が、彼に向かって手を差し延べてくる。思わずそれに見惚れるカルディナーレ候。
 いつまで経っても色褪せない君は、――この上なく美しい。
「いってらっしゃいお父様。ママが恋しがってる」
 息子の澄んだ声色に漸く我に返った彼は、息子の名を叫んだのを最後に、脳を(つんざ)くような感覚が全身を駆け巡った。
「ルシファー!!」
 こうして満面の笑顔を湛えた男児は、父親に向けた銃を至近距離で連射した。やがて全弾を撃ち終えると、続いては倒れた父親に覆い被さり何度も何度も、ナイフで全身を突き刺した。

 ついにカルディナーレ候も死んだ。幼き息子の手によって。
 広大な屋敷と、防音効果が皮肉にも騒ぎを掻き消した。
 宿泊している数人ばかりの使用人に、まったく気付かれる事なく、ルシフェウスはのんびりと行動を実行に移した。
 ひとまず全身に浴びた血を洗い流して、服を着替えなおすと、改めて用意していたガソリンを入れたいくつもの如雨露(じょうろ)で、屋敷中に中身を撒いて行った。
 その間、この幼き男児はモーツァルト作の魔笛の一部、『復讐の炎は地獄のように我が心に燃え』の詩を、ポツリポツリと小さく呟きながら朗読した。
 その際、詩の一部を変えた。


 『地獄の復讐がわが心に煮え繰りかえる
  死と絶望がわが身を焼き尽くす!
  お前がカルディナーレに死の苦しみを与えないならば、
  そう、お前はもはや私の息子ではない。

  勘当されるのだ、永遠に、
  永遠に捨てられ、
  永遠に忘れ去られる、
  血肉を分けたすべての絆が。
  もしもカルディナーレが蒼白にならないなら!
  聞け、復讐の神々よ、母の呪いを聞け!』

 
 そしてガソリンを撒き終えると、この男児は迷う事無く火を放った。
 インドの夜空を広範囲に渡って、その地獄の炎は焦がした。
 その様子を遠くから見詰めながら、当時七歳のルシフェウスは涙を零して、微笑んだ。
「良かったね。ママ……」
 そうしてこの、幼きカルディナーレ侯爵家唯一の子息であった男児は、インドの国から姿を消す。






 やがて流れ着いたスラムで路上生活を送りながら、母譲りの残忍さを使いこなして我が身に降り掛かる災難をも、容赦なく沈黙させていきながら仲間みたいな手下を作っては、小さいながらもグループを築いていった。
 幼いながらにこの嗜虐性は、母親が守護してくれているとしか思えないほどの、腕前だった。

 そんなある日の夜、彼はある陰惨な光景を目撃する。
 一人の男が、女の死体を掻き壊しながら犯しているのだ。
 ただの死姦じゃない。
 死体破壊型性愛者ネクロデストロイフィリアだったのだ。
 そんなお楽しみ中の彼の前に、ルシフェウスはチョコンと座り込んでニッコリと、満面の笑みを湛えてその殺人鬼の顔を見詰め、無邪気に聞いた。
「ねぇおじさんが、最近(ちまた)を騒がしている有名な殺人者なの…?」
 男は息を荒げ興奮しながら、この突然現れた男児に悠然と尋ねた。
「ハァ…ハァ…何だボウズ。この光景を見て恐ろしくないのか」
 血塗れの女の死体。
 その臓器を鷲掴みにしながら己のペニスを死体の女のバギナに突っ込み、嬉々として激しく腰を振る男。
「どうして? だっておじさん、とっても楽しそうな顔してるじゃない…」
 もう僕の周りにこんな笑顔を見せる人は、誰一人いなかった。ママがいなくなってから。
 そんな時に見たこの男の表情は、例え現場が(おびただ)しい血肉と四肢が散らばり、肉塊が転げ生首がこちらを凝視する、凄惨極まる状態であってもこの男児に安心感を与える効果は、充分だった。
 ルシフェウスはこの男、ダグラス・マックィーンの心から喜びはしゃぐ笑顔に、寂しい心を慰められるものがあった。
 何故ならそれは、偽りのものではない。本物の笑顔だったのだから。
 これだけの本物の笑顔をくれたのは、ママだけだった。
 ママだけが、僕に本物の笑顔をくれた。
 他は混血児で愛人の子である僕に対して、表面だけの社交的な笑顔だけだった。
 お父様さえ――それが凄く、寂しかった。
 だって、ママが真剣に愛した相手だから。だから僕が生まれたのだから。ママが愛する人に、僕だって愛されたかった。本当は大好きだった。――お父様……。
 一体いつからだったろうか。ママ以外誰も真剣な笑みをくれなくなったのは。
 ああ。確か、インドに渡ってからだ。

 ――僕ノ傍ニイタ大人ハ、イツモ恐ロシイ顔ヲシテイタヨ――  

 

 やがて男児はマックィーンから、一つの呼称を与えられる。
 『エリート』
 それはSCCが完成した日であった。


 


 



 死体破壊型性愛者ネクロデストロイフィリア……なんて言葉、あるんでしょうか? 死体性愛者(ネクロフィリア)の言葉があるのは知ってるけど。分からなかったので、勝手に自分で造ってみました。もし他に言い方があったらスミマセン。
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