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【登場人物】
*シャルギエル=グレアム・ジャンセン(十五歳)……本作の主人公。名家ジャンセン伯爵の超わがままで超上流階級な漆黒長髪のセレブ美形息子。
【第一章】 ギャングウォリアー力闘編
act,2:出会い


 シャルギエルは好奇心で昂ぶる気持ちを胸にバイクを走らせてゆくと、歓楽街を抜け荒地とも空地とも言うべき場所に出た。そこから先はただ一本、長い事整備されていないひび割れボロついたアスファルトの旧道が真っ直ぐに伸びている。
 一瞬本当にこの先に何かあるのか疑ったが、目を凝らせばずっと遠くにポツリポツリと建物らしき代物があるのが窺えた。それを目当てに更にバイクを走らせると漸く廃墟とも知れない何とか形を維持している建物が三、四軒程現れたかと思うと、再び広い荒地に出た。
 寂然とした空間が二百〜三百メートル位続く中、建て壊された痕跡であろう無残に崩れ落ちた瓦礫の残骸や、剥き出しになった煉瓦(れんが)やコンクリートの土台等が道路の両脇所々に見て取れる。そんな土台等の割れ目からは、生命力の強い雑草が茫茫(ぼうぼう)に生い茂っている。
 少し徐行しながらそんな周囲を見渡しつつ前進していると、今度はやっと賑やかな声と共に居住区らしき場所に出た。それでもどれをとって見てもみすぼらしく、頼りない建物ばかりがまるで迷路の様に密集していた。
 そこでは小さな黒人や白人、アジア系の子供達が入り混じって空地などでバスケや飛び縄でのダブルダッチをして遊んでいる。
 無造作な雰囲気ではあるが、床屋や小さなショップ、バー等もあるみたいだ。
 建物の影や年期の入ったベンチなどには普通にホームレスらしき男が数人、寝転がったり地べたに座り込んで酒を飲んだり煙草を吸ったりしている。果たして煙草かどうかも疑わしいが。
 そんな正に貧民地区(スラム)に、真っ赤な高級バイクでノコノコと乗り込んで来たこの世間知らずの金持ち息子の存在は嫌でも目立った。
 それを見つけた数人の子供達が目を輝かせながら駆けて来るや否や、口々に騒ぎながら後を追いかけてきた。
「スゲー!」
「かっこいい!」
「このバイクあんたのかい?」
 シャルギエルはエンジンを掛けたままバイクを停止させると、子供達を振り返り頷いた。
「ん? あぁ、まぁな」
 その言葉に、更に子供達は無邪気に口々とはしゃぐ。
「うわ〜ぁ! いいなあ!」
「おいらチビだからまだムリだけど、おおきくなったらこんなの乗ってみてえ!」 
 すると偶然側にあった小さな車の整備工の前で、パイプ椅子に腰掛け暇そうに新聞を広げながら、その様子を見ていた一人の中年男がぶっきら棒に声を掛けてきた。
「やめときな」
 男はまるでレスラーの様に筋肉質な逞しい逆三角形の上半身をしたずんぐりとでかい体躯に、もみあげから繋がる口周りのこげ茶色をしたまるで金たわしを思わせるもっさりの髭を蓄えた、眼光鋭い男だった。それでも仕事上の理由もあるだろうが、スラムの住人らしくその容姿は汚らしい。
「そいつはドゥカティというメーカーのバイクだ。死に物狂いで働かねぇ限り、そう簡単にゃあてめえらガキ共どころかここいら一帯の連中共の身分じゃあとても手に入らねぇよ」
 彼の見事に純粋な子供の夢を易々と打ち砕く容赦無い言葉に、それまで嬉々として目を輝かせていた子供達の表情は興醒めし、ブツブツ言いながらもドゥカティのバイクを名残惜しそうに何度もチラ見しながら、元居た場所へと散って行った。そんな子供達を無言で見送るシャルギエル。
 自分にとって当たり前で特別珍しくもない“たかが普通”のバイクなんかに、ここまで関心を持たれた事が彼には意外に思えた。 
 周囲を見渡せばあちこちに数台バイクが駐輪されていたが、確かに彼のバイクなんかとは比べ物にならない安っぽいボロバイクばかりで、本当にその役割を果たすのかすら疑わしい。中にはまるで自転車にエンジンが付いた感じの安易的な酷いバイクまである。少年にとってはそんなバイクが世に“バイク”の名目で存在している事の方が、よっぽど珍しく思えた。
「おいあんた」
 例の男に呼ばれ、少年はエンジンを掛けっ放しのドゥカティに跨ったまま振り返る。
「恐らく何も知らずに暇潰しでノコノコとこんな所に来たみたいだが、ここはあんたみてぇな上級クラスのガキが来ていい所じゃねぇ。だがここでその身なりで(たま)守りてぇんなら、もう少し先に行きゃああんた等と同じ上流階級の人間共が集まって、表じゃ出来ねぇ遊びをする店がある。そこのパーキングにゃあそのバイクみてえな高級車が何台も駐車されてっから、そこにそいつを駐輪すりゃあ、絶対に盗まれはしねえぜ。暗黙のルールでここらの悪共でも、その辺の掟はしっかり守りやがるんだ。自分の(たま)が大事だからな」
男の言葉にキョトンとするシャルギエル。
 すると男は鼻で笑うと、それまで手にしていた新聞をたたんで、手近にある工場の棚に置くと言った。
「意外って(ツラ)だな。てめえ見るからに普段は至れり尽くせりの箱入り並みの上流家庭で育てられたお坊ちゃまが、そんな豪勢な毎日に飽き飽きしてこういう低級社会への好奇心に煽られて、人生の余興にブラリとやって来たってとこだろう」
 見事に図星を指されて、意地を張ろうにも相手の鋭い眼光に見透かされた気持ちになり、格好がつかずについ頭に手をやる。
「ま、てめえがどこまでこの世界に付いていけるかは知らねえが、大人のそういう金持ち連中にも表じゃ出来ねえ悪い遊びをしたがる奴がいるのさ。その存在を匿う為にお忍びとしてあるのがこのスラムにただ一軒のセレブ専用娯楽施設、“シークレットセレブリティクラブハウス”通称《SCC》と呼ばれる店だ。そこだけは法律もモラルもねぇからポリ公も目を瞑る。でなきゃ自分の立場が危ねえからな。結果的には無法地帯って訳だが」
 男はここまで言うと一旦言葉を切った。そして汚れの目立つグレーのジャケットにあるポケットから、しわくちゃになった紙包みを取り出した。更に同じく少しヨレた煙草を一本取り出して口にくわえるとライターで火を付ける。それから大きく煙を肺に吸い込み主流煙を鼻や口から吐き出すと、再び言葉を続ける。
「で、金欲しさにここらのガキはそのSCCを出入りする大人に媚び得る小銭稼ぎをしているが、何せあそこは何でも有りの世界だからな。俗に外のスラムが世間で言うアンダーワールドなら、貴族御用達なるSCCこそがとんでもねえアンダーグラウンドって言う真実だ。だからそこで自ら進んで働くガキにゃあ大概未来はねえが、馬鹿だからそんな事分かんねえのさ。しかし利口なガキはそれを知ってるから、逆にSCCの奴らを上手く利用する。そうゆうガキこそがグループのボスやリーダーになれるのさ。Rやエリートみてえにな」
「……Rとエリート……?」
 最後の名前に反応したシャルギエルは、思わずオウム返しする。
「何だ。もう奴等の名前知ってんのか」
「知ってるも何も、ここに来る前に立ち寄った下町カジノにウエイターと客としていたよ」
 その言葉を聞いて男は目を丸くするや否や、ため息と共に両手を上げてサッと手の平を下へ払う仕草を見せて重々しい口調で言った。
「……だったら余計に十分気を付けな。奴らに会って生きるか死ぬかはお前の運次第だ」
「え?」
「ボケッとしてねえでとっととそのバイクをSCCのパーキングに駐輪しろ! 少なくともそのメーカーのバイクだけでもあそこなら守られる。そうしねえと盗まれちまうぜ。そしてもし万が一この町でお前が目をつけたり狙われる側になってヤバくなったら、ひとまずSCCに自分の会員登録をしろ。お前が運のあるお坊ちゃんならその店から“ひとまず”安全は保障され、誰にも手出しをされなくなる筈だ。それでも会員を信用して気を許すな。何せあそこは表から隠されたアングラ世界。富豪の肩書きを盾にした伏魔殿だ。常に気を張って自分を見失うなよ。それが俺から言える長生きのコツだ」
「そのSCCって……」
「いいから早くその目立つバイクだけでも隠して自分の上流身分をこの町では誤魔化せ! でなきゃ亡者の餌食だ。例の店はこの先行きゃあすぐ分かる! 分かったらサッサと行け!」
 怒鳴られてシャルギエルは、困惑しつつもバイクを走らせた。
 暫く行くと、確かにこの町並みには似つかわしくない立派とまではいかずとも、少し小洒落た造りのまともな建物が突如姿を現した。その周りには確かに高級車が数台並んである。
 とりあえずさっきの男に言われた通りに、バイクをそのエリアに駐輪しようと徐行して建物に近付いた時、その脇の路地から一人の男児が突然飛び出して来た。シャルギエルは大慌てでハンドルを反対に切って避けた為、スリップしてしまった。
「いっつー……。――おい、えーと……ボク、大丈夫か?」
 シャルギエルは少しよろめきながら、転んで起き上がろうとしているその男児に近付く。ところが、その子はわざわざ自分の痛みを堪えながら、子供の身を案じて手を伸ばしたシャルギエルの手を払いのけた。
「オイラ、ボクなんかじゃねぇや! もう十歳の立派な大人だ!!」
「じ、じゅう……?」
 威勢の良い男児にキョトンとするシャルギエル。それを他所に男児は勢い良く立ち上がって更に声を上げた。
「そうさ! 今年でやっと十歳になったんだぜ! なのにいきなりてめえがこの俺様の行き先を阻みやがるから、危うく十歳にして死に掛けたじゃねえか!!」
「……あのな。普通に道路に飛び出すお前の方が問題あんだろが。何が十歳で立派な大人だ。交通ルールの基礎も分かってねえガキが」
 そう言ってポコリと軽くその子の頭をぶつ。とは言うものの、この町には信号や交通標識等の交通規則を示す代物が何一つない事に、まだ彼は気付いていなかった。
「あた! この! よくも……!」
「るっせガキ! いいから大人ってんなら大人らしく大人しくしやがれ! ほら、膝! 血ィ出てんじゃねえか! 見せてみな」
 そう一喝してシャルギエルは、悔しげにぶたれた頭に手を当てている男児の、クリッと大きな幼い瞳から刺す様な批判気な睨みを受けているのを無視して、男児の足元に屈み込む。そして内ポケットからスカーフをサッと取り出すと、傷口を覆う様に結んだ。
「ほらよ。まぁただの擦り傷程度だが、家に帰ったらきちんと手当てを……」 
「ロード!!」 
 最後まで言い終わらない内に、突然の大絶叫と共に突然物凄い勢いで横からシャルギエルは、何者かに突き飛ばされた。何が何やら分からぬまま転倒した姿勢のままで、シャルギエルは状況確認の為に、自分が元居た男児の前に顔を向けて唖然とする。
 そこには、赤髪の巻き毛をセミロングに伸ばした小柄な少女が、男児の両肩に両手を置いて心配そうにあれやこれやと訊ねまくっている姿があった。
「――ったく……バイクごと転ばされるは突き飛ばされるは……一体何なんだこれはよぉっ!!」
 シャルギエルはそうぼやきながら片足をついて立ち上がろうとすると、その少女はキッと物凄い形相で彼を睨みつけて地を蹴ったかと思うと、再びその勢いのままに思い切り突き飛ばして来たのだ。
 シャルギエルは物の見事にもんどり打って背中から地面に着地してしまった。彼は暫く仰け反りながら新たに受けた痛みをたっぷり味わうと、漸く片手をついて上半身を起こしながら肩越しから少女を睨みつけつつ怒鳴った。
「……っってえぇぇぇーーっっ!! こんのクソ女っ!! てめえ一体俺に何の恨みがあって……!!」
 ところが少女は顔を上げると同時に、彼の怒声を上回る大声で相手の言葉を掻き消すかの如く叫び自分の言葉を重ねながら、彼女はそんなシャルギエルの目前にズンズンと大股で歩み寄って来た。
「この子は金もなけりゃあヤクだって煙草だって何一つ持っちゃいないよ!! だから殺して逆さに振ったって何も出やしないんだから!! 分かったらもう二度とこの子に手を出さないで!!!」
 そう金切り声でシャルギエルに怒鳴り付けてきたその少女は、彼の顔の前で仁王立ちすると物凄い形相で足元の彼を睨み倒す。
 余りの事に、シャルギエルは自分こそが犠牲者であるにも関わらず、思わずそんな彼女の迫力に押され後ろ手で地に両手を付き仰向けの体勢のまま、彼女を見上げながら答えずにはいられなかった。
「は、はい……」
 そんな中、突如見知らぬ黒人の少年がやって来てニカリと笑うと、シャルギエルの目前にチャラリと手にある鍵をぶら下げて見せた。
「ん? え? あ……」
 見るとスリップして横転したままの筈のバイクが、いつの間にかしっかりSCCの駐車場にきちんと並べられてある。
「あれ、アンちゃんのバイクだろ? いつまでもあのまま放置してたら盗まれちまうぜお坊ちゃま」
「ああ、サンクス。気が利くな」
「おっと!」
 シャルギエルは言いながら、その子が手に持つ鍵に手を伸ばすと、黒人の子はすかした様に鍵のある手を引っ込めた。
「おい……!!」
「ヤダなぁ短気なんだから。せっかくサービスしてやったんだろ?」
 そう言って黒人の子はもう片方の手で親指と二本指をチョイチョイと擦って見せた。
「ああ」
 シャルギエルは先程の男の言葉を思い出す。“金持ちに媚び売る小銭稼ぎ”か。
 彼は財布から一枚紙幣を取り出すと、その子に渡した。
「うわ……!! すげえ! こんなに!? ありがとアンちゃん! また何か用があったらこのオレに頼むぜ!」
 その子はシャルギエルから受け取ったチップの額に驚き歓喜すると、鍵を彼に放って手を振りながら走り去って行った。鍵を宙でキャッチしたシャルギエルは、ふぅやれやれと一息吐きつつゆっくりと立ち上がり服の土埃を払いながら、脇でボヘッと突っ立っている赤髪の少女にハタと気が付いた。
「な、何だよ……まだ俺に何か文句あんのか……?」
 少したじろぎ気味に訊ねる。
 するとあれ程威勢のあった態度から一転して、少女は黙ったままフルフルと首を振った。そして先程バイクの前に飛び出してきた男児を抱き竦め、少し後退りしながら小声で恐る恐る訊ねてきた。
「あ、あなた……お金持ち、なの……?」
 シャルギエルはたった今黒人の子にしたチップを渡す行為といい、ここいらでは有名らしいこの店の敷地内に駐輪させた自分のバイクの事といい、今更その一部始終を見ていた少女等に“同じ貧乏人です”なんて嘘は通じないと悟り、自分の束ねた後ろ髪を右肩から引き寄せて指先でいじりながら、肯くしかなかった。
「え? う〜ん……別にそれを鼻に掛ける気はねえけど……そんなとこ、カナ?」
 その言葉を聞いて、更にジリッと後退りながら訊ねる少女。
「それで、この店に……?」
「うん? いや、だからここに来たって訳じゃねぇけど、たまたまこの町に暇潰しに来たら、俺みてえなのはここらじゃ狙われ易いから、まだ暫くこの町に居る気ならバイクはこの店にさり気無く置かせてもらって隠した方が安全だって、この町の入り口辺りにある整備工のおっさんにアドバイスもらってさ」
 そう言いながら自分が元来た方向を親指で示す。
「じゃあこの店自体に遊びに来た訳じゃないのね……?」
 相変わらず不安げな面持ちだった少女の表情が、心なしか少し和らいだ気がした。
「ああ。つぅか、この店どんな店?」
 キョトンとしながらSCCの建物を改めてシャルギエルは確認する。
「……ここは……大人の金持ちが表では出来ない危険な遊びを隠れて楽しんだり商売したりする、人として最低な店よ……!!」
 シャルギエルが危険な人間ではないと判断した少女は、それまで抱き締めていた男児を解放しながら、毒を含んだ様に呪いを込めた声色で吐き捨てた。
「ふぅん、そうなのか……」
 何度聞いてもそれがどれだけ最低な店なのかというレベルが分からず、いまいちピンとこない心持ちで他人事の様にとりあえず頷いておくシャルギエル。
「マジだぜ兄ちゃん」
 そう足元で言ってきたのは、ロードと呼ばれた男児だった。
 少しボサボサの短い栗毛色の髪。幼さの中にも少し冷めた感じを放つ、クリッと大きなグレーの瞳。恐らく数々の貧困から来る経験のせいで、夢や希望より現実的な冷めた光を早くもこの年で、その幼い瞳に宿す様になったのだろう。
「そもそも何しにこんな腐った町に来ようなんて思ったのさ。ただの暇潰しで箱入り坊ちゃんが足を向けるからにゃあ、ちゃんとした理由がないとあんまりこんな所に来たがらねぇんじゃねぇか?」
 ロードが生意気な口を利く。そんな自分より五歳年下の十歳の子供に“箱入り坊ちゃん”呼ばわりされて、少しカチンときたらしいシャルギエルは、これ見よがしに自信有り気に且つ少し興奮気味に、胸に片手を当てて言って退けようとした。
「お、俺は……俺、は……あんな甘ったるいセレブ世界から脱出してワイルドにしてアウトローな格好良いハードボイルドな大人の男を目指す為……!!」
「ハードボイルドぉー!?」
 途端二人同時から声を揃えて言われて、思わずそんな二人の顔を見て尋ねる。
「あ? 何だ知らねえのか?」
 すると少女は呆れながら、溜め息雑じりで手を頭にやって首を振った。
「知ってるも何も……」
 それに合わせるかの様にロードは腹を抱えて大爆笑する。
「カノン姉ちゃんに二度目に突き飛ばされた時の態度を見るからにまだ先は遠そうだしそれに…あんたがねぇ!? キャハハハハハ!!」
 どうやら称賛さらる所か逆に滑稽がられている事に――しかも明らかに自分より年下の二人に――気付いたシャルギエルは、少しムッとしながら顔を引きつらせながら言った。
「つまる所俺を馬鹿にしてると?」
「あんた……ホントおめでたい世界で育ったんだなって」
「やっぱ馬鹿にしてんだな?」 
 彼女の呆れ声に、と言葉を繰り返すシャルギエル。
「いやはや、まさかそんな答えを聞かされるとは思いもしなくってさ! アハハハ!!」
 相変わらずまだ笑い続けるロード。
「でも気を付けな。この店はそんなのとはまるで格が違う危険な店、同じ金持ち同士だとかハードボイルドだなんて甘っちょろい事なんか言ってフラフラ子供が入る所じゃない。とんだ餌食になっちまうよ」
 そう語る少女の言葉はあくまでも落ち着いていて、腕組みしながらSCCの建物に背を向けた。シャルギエルは改めて五メートル先にあるSCCの建物を見直した。
 三階建てで一階はレンガ造り、それより上は全て白亜の壁で、入り口は一見オープンカフェ風な感じになっているが、恐らく奥にはまた別の隠し扉でもあるのだろう。オープンカフェ入り口は観葉植物や植え込み等の植物で両サイドを覆い、約二メートル以上の通路みたいな造りで若干入り口を狭そうにして、真正面に来なければそう簡単に中をじっくり確認し難い感じになっていた。
「で、あんた何てぇの?」
 突如少女に聞かれ、フゥと一息吐いてから少年は静かに答えた。
「シャルギエルだ。シャルギエル=グレアム・ジャンセン。十五歳だ」
「え……?」
 少女が少し驚いた顔を見せた。
「……何だよ。やっぱこんな町にまでジャンセン一族の名声が知れ渡っちまってんのか。だったらあんまり思い通り自由にゃ出来ねぇかな……って、お? 今日はやたら冷えると思ったら……見ろよ。雪が降ってきたぜ」
 シャルギエルはコートのサイドポケットに両手を突っ込むと、突如はらはら降って来た雪に空を仰いだ。
「へぇ! ホントだ! 珍しいなぁ! 今はまだ十月末だってのに、今年の初雪は早いな!」
 ロードが雪を見て漸く子供らしくはしゃぐ。
挿絵(By みてみん)
「いいえ……きっとあんたの仕業よ……」
少女は雪をそっと手の平に受け止めて、静かに呟いた。
「俺の仕業? 何でだ」
「だって“シャルギエル”ってんでしょ。名前」
 キョトンとして白い息を吐きながら脇に居る彼女を見やる彼の視線に、少女は少し大人びた目つきを向けて、お互いの視線を絡める。
「それがどうかしたのか」
「知らないの?」
「お前が俺の名前を聞いて驚いたのはまさか“ジャンセン”の方じゃなくて、俺のファーストネームにか?」
「そうよ。“ジャンセン一族”がどんだけ凄いのかなんて少なくともこの町じゃ知ったこっちゃないから安心しなよ。あたいにとって寧ろそのファーストネームの方が重要よ」
 そう言って少女は彼の目から視線を逸らすと、再び雪を降らせる薄暗い曇り空を見上げた。
「この俺の名を重要扱いされたのは今回が初めてだぜ。で? この名前がこの雪と何の関係があんだよ」
「ふふ……とりあえず歩こうよ」
 彼女は何故かはぐらかす様に少年に背を向けると、ゆっくりと歩き出した。ロードも少女の後に続く。
 シャルギエルは意味も分からずひとまず言われるままに、後からポツリポツリと歩き出しつつ一言、放った。
「……――カノン」
 ピタリと少女は歩みを止める。それに合わせて彼も足を止めた。
「……で、ビンゴか? 今そのロード、だっけか? がそうお前を呼んだ気がしたからよ」
「あぁ。ビンゴよ。あたいの名前は……カノン。十三歳よ」
そう言って両手を腰の後ろに組み振り返った赤毛の少女は、フワリと笑った。漸く初めて彼女が見せた穏やかそうなその笑顔に、少年は思わずドキリとする。
「……何だよ……今すっげえ幸せそうじゃね?」
 つい赤くなる自分の顔をはぐらかす様にそっぽ向きつつ、そう口にするシャルギエル。
「姉ちゃんはさ、自分の名前が大好きなんだよな!」
 カノンに確認するロードに、ニコリと笑いながら彼女はその子に肯いて見せる。
「ふーん……“カノン”がか……」
シャルギエルが不思議そうに呟くと、再び彼女は擽ったそうに微笑んで見せた。
「……!!」
 その思いの他愛くるしげな微笑みに、つい言葉を失ったシャルギエルは、この幼い少女に見とれた。
 それでも彼のセレブ世界と比較すれば、このスラムで生きている以上全体的に、彼女の容姿がボサついて汚らしいことは否めない。
 今までクラスメイトにも周囲にもいくらでも磨き上げられた女として完成度の高い、美の集合体のモデル並みのレディーは当たり前の様にいるのが生活の常だったが、そんなあからさまに“作られた”存在はいつしか彼にとってはただ景色に溶け込んでしまった“物”となり、異性というよりかは風景の一部でしかなくなっていた。
 まさかこんなみすぼらしく汚れた赤毛の少女に、異性としてときめきを知らされる事になろうとは、本人にとっても予想外だった。だがその少女が見せた笑みがとても自然で、純粋に清らかな何の計算もされていない美しさに見えたのだ。
 周囲の粗末な風景から浮き彫りにされた、愛らしさとでも言うべきか。
「でも今日は雪が降っていい日だよ」
 ふと口にしたカノンの言葉に我に返ったシャルギエルは、まさかと脳裏に過ぎった思いを払い除けると、その言葉に応じた。
「雪!? 余計寒いだけじゃねぇか。まだ冬でもクリスマスでもあるまいし」
「でももうすぐハロウィンだぜ」
 そう言ったロードに対して、少し呆れながらシャルギエルは答える。
「ハロウィンだから何だってんだよ。ますます雪とは関係ねえし」
「いや、クリスマスってあんたが言うから、イベント繋がりで言ってみただけだよ」
 まるで“子供心が分かってねぇな”と言わんばかりにぶすくされた口調でロードは反論する。
「ハロウィン……そっか。それもあるのかもねぇ……あんたがやって来たのも」
 ふと空を見上げつつ、白い息を吐きながらそれとなくカノンは落ち着いた口調で述べた。
「は? 俺? 何だモンスターとでも言いてえとか?」
「ふふ、その逆。天使だよ」
「あ? 天使? まさかこの俺がか? 俺まだ死んじゃいねぇぞ」
 カノンの言葉にますますキョトンとするシャルギエルは、自分固有の判断で“天使=天国=死”と繋げて考えたらしい。安易なまでに単純な発想である。
 彼の言葉にクスクス笑い出すカノン。
「金持ちは学があるからてっきり分かってるとばかり思ってたら、本当に知らないんだね。まあ簡単に聖書に登場する程オーソドックスじゃないから、よっぽど神学に精通してなきゃ分かんないかな。自分の名前の意味」
 静かに言うと、彼女は再び歩き出す。
 既にもう僅かながら雪が積もり始めて薄っすら白くなった地面が、彼女の足跡を刻んでゆく。
「俺の名前の意味……? ただ……冬の雪の日に生まれたからとしかお袋からは聞かされちゃいねぇけど」
 彼女の後を追って地を蹴りカノンの横に並んで歩き出すロードを確認しながら、彼も後に続いて歩を進める。
「へぇ、やっぱり冬生まれなんだね。あのね、その名前の意味は……雪の天使の名前なんだ。雪を司る天使様。それがその名前なのよ。――“シャルギエル”」
 最後の彼の名を口にすると同時に、クルリと振り返ってカノンは彼を見据えた。
 突然呼び捨てで呼ばれ、ドキリとする。カノンのライトブラウンの瞳が真っ直ぐ彼を見詰める。彼女の表情はとても穏やかだった。思わずその瞳に吸い込まれそうになる。まるで陶器の様な、美しい瞳だった。
「へ、ぇ……そうか。そいつは、初耳だぜ……」
 シャルギエルはそう言いながら、予想外に高鳴る鼓動を何とか落ち着かせようとする。
 いつの間にかまた歩き出していたカノンは、いつまでも背後で立ち止まったままの彼に気付いて、キョトンとした顔をしながら声を掛けてきた。
「どうしたのさ? この町でモタついてたんじゃあ、あっと言う間に何者かに(ふところ)くすねられたりするのがオチだよ。さっさと歩きな」
 二メートル程先にいる彼女に促がされて、ハタとまたもや我に返らされたシャルギエルは、少し慌てる様に足を踏み出す。するといつの間にやら自分の足元にいるロードに気付く。
「……な? いいだろ?」
 そうボソリと足元でニタつきながら言ってくるロード。
「? 何がだよ」
 十歳の男児の言葉にシャルギエルは(いぶか)る。するとすかさずロードが肘で彼の脇を突付いてシャルギエルに聞こえる程度の小声で言った。
「カノン姉ちゃんさ。可愛いだろって言ってんのさ。あんたが見とれるのも仕方ねぇよ。ありゃあ大人になりゃあ磨き具合によっちゃあ大女優並みの美人になるぜ! あんたいい原石見つけたな!」
 とても十歳の男児が言い出す言葉とは思えないその言い回しに、シャルギエルはドギマギしながらつい慌てふためいてしまった。
「べっ、別に俺は見とれてなんか……!」
 カッと更に赤くなるシャルギエルの気持ちを知ってか知らずか、先を歩いていたカノンがもどかしげに彼の元へ足早に戻って来るや否や、コートのポケットに両手を突っ込んだままのシャルギエルの腕を取って、急かす様に先を進めた。
「ほら早く」
「わ……危な! そんな急かすなって!」
 突然片腕を組まれて引っ張られる様に歩かされて、少しバランスを崩しながらも何とか立ち直すと、心臓が更に高鳴るのがカノンの耳に届いてはいないかと、少し気にしながらも必死にクールさを装いながら、年下の少女に促がされるままにシャルギエルは歩き出す。
 
 あれ程初めは野良猫の様に警戒して威嚇しまくっていた筈の赤毛の少女カノンは、今や彼がこのスラムじゃ世間知らずである事と、その名をシャルギエルと聞いて、随分このワイルドな男を夢見る少年に気を許した様だった……。 

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