昼間はショッピングモール、夜はパブやカジノ等が立ち並ぶ歓楽街に姿を変えるこの地区。
そんな賑やかな外装の街のビル同士の間に挟まれる形で、一軒だけ似つかわしくない小ぢんまりとした、古ぼけた木造の教会が窮屈そうにして建っていた。
お蔭で日当たりも悪く、日中の大半を日陰の中に
佇むこの教会もただでさえ古めかしい木造建築が手伝って、常時全体的に湿気が帯びている。
僅かではあるが
黴臭さが鼻に付くのは避けられないこの空間で、その夜長い歳月燃え続けてすっかりこの教会と同じ様に古惚けてしまったある一つの命の灯火が、今正に燃え尽きようとしていた。
「神父様! しっかりして!」
短い巻き毛の赤髪をした幼女の、悲痛な声が響く。
その幼女の声に残り僅かな体力を振り絞りながら、湿っぽいベッドの上で横たわるショートの乱れた白髪に白髭を口周りに蓄えた痩せ細った老人は、
皺だらけの咽喉の奥からやっとの思いで声を絞り出しながら答える。
「……この孤独な……老いぼれ……なんかの……最後を看取ってくれる……者がいて……心から……幸せに思うよ……」
そう言いながらゆっくりと片手を震わせながら上に持ち上げる老人のか細い手を、幼女は必死に縋り付く。
「さいごなんて言わないで! 神父様がいなくなったら私……! またひとりぼっちになっちゃうよぉ!!」
そのつぶらなライトブラウンの愛らしい幼い瞳からは、大粒の涙が滝の様にとどまる事無く溢れ出す。
その悲壮感有り余る程の清らかな涙を、老人は幼女が縋り付くその手の指で拭いながらそっと微笑みかけ、更に言葉を続ける。
「どうか泣かないでおくれ…私の可愛いカノン……。大丈夫……必ずお前の側で……見守っているから……」
その言葉を振り払う様に必死で幼女は叫ぶ。
「いやよ! いやいや!! おねがい! 行かないで!!」
……ここはこの古ぼけた木造教会の、祭壇の奥にある神父専用の小部屋。
そこで普段からこの老いた神父と幼女は二人っきりで衣食住を共にしてきた。
六坪程の1Kみたいな部屋で、簡易流し台と一人暮らし用の小さな冷蔵庫。
そしていま老人が横たわるベッドが一つ。
普段は二人一緒に寝起きしてきたが老人が倒れてこの三日、幼女は老神父を気遣ってベッドの下の床に直に毛布に包まって眠っていた。
他には木のテーブルに木椅子が二つ。
ベッドの横には衣類をしまう為のタンスが一つ。
天井には剥き出しの裸電球が吊り下げられているのみ。
どれにして見ても質素で古い部屋だった。
祭壇の方も二十人座れるぐらいしかない狭さで、この幼女が知る限りではこの教会に祈りに来る者も一日二、三人の高年齢者ばかり。

そんな常連信者もこの一年の間に二人の死を、この教会で見送った。
全くと言って良い程もう寄付すらないこの古教会は、貧しさのどん底にあった。
それに重ねてこの近代的な歓楽街に粘り強く根を張り続けている、このまるで街に似つかわしくないボロ教会は街の組合の連中からイメージを下げると嫌がられていた。
だが先にこの場所にいたのは教会の方だが、組合連中は図々しくも後から進出しておきながら何度も立ち退き要請に来た。
しかしこの老神父が頑としてそれを受け入れず今に至っている。
お蔭で幽霊小屋だのと散々嫌がらせを受け、更にこの教会の居心地は悪くなる一方だったが神父は負けなかった。
心無い人達から変わり者だの、妖怪ジジイだのと罵られても文句を言わずにただ黙って祭壇で祈りを捧げ、そして唯一の理解者である幼女の為に空き時間にはオルガンで音楽を弾き、聖書に
纏わる話を語って聞かせるのだ。
幼女はそんな老神父の深くて温かい、そのしわがれ声が大好きだった。
その優しかった愛する老神父の命の灯火が今、この幼女の目前で消えようとしている。
「……お前に最後に出会えて……ワシは本当に良かった……幸せを……有り難う……カノン……」
そう囁く様にゆっくり口にすると、静かに老神父は目を閉じた。
「ダメよ逝っちゃ! 神父様がいなくなったらあのくみあいのやつらがおおぜいで押しかけて、あっと言う間にこの教会をこわしちゃうわ!」
目を閉ざした老人の目を開けさせようと、幼女は慌てて早口で言葉を連ねる。
しかし、
暫く待ってももう返事が戻ってくる事はなかった。
「……いや……目をあけて……死なないで神父様……っ!」
必死でもう物言わぬ老体を、両手で揺すり起こそうとする幼女。
「……ありがとうはこっちの方よ……私は神父様になにひとつだって……してやれなかった……! 神父様が孤児の私をまちでひろってくれたから私はこうして……! 神父様――!!」
息絶えた老人の胸に顔を伏せて嘆き悲しむ哀れな幼女は、血の繋がりはないが大切なたった一人の保護者の人間を失った。
そんな悲しいドラマが起こっている事など、外の教会の側を行き交う者は誰一人として気付く事もなく賑わい魅せる夜の街の騒音の中で時さえも、無情に何事も無いかの如く先へと続く未来だけを刻んでいた。
こうして僅か七歳の幼女は再び孤独の身となって宛ての無い外へと放り出されると、教会は待ち兼ねたかの如く何の余韻も残さぬ程の早さでたちまちの内に取り壊されて、その跡地には高級ブティック店が建てられた。
街は瞬く間に移ろい、今までそこにあった街にとっては忌まわしきあの邪魔な古教会があった事など微塵にも感じさせなかった。
そして行き場を失くした幼女は、七歳という年で孤独の内に何処へともなくふらりとその街から姿を消した。
神父と過ごしたのは僅か二年と少しだったが、本当に幸せだった。
それまでみなしごとして町から街へと彷徨い続け、もう精魂就きかけて教会の前まで来た時に中からオルガンが奏でる音楽が聴こえた。
当時五歳の幼女はその曲に導かれる様に教会のドアを開けて見ると、老神父がたった一人オルガンの前に座っていた。
そこでそのまま意識を失って倒れた小さな幼女を、老神父は拾ってくれたのだ。
ではその年になるまでの、特にこの世に生まれて幼児自立が完成する頃までの数年間どうやって生き延びられたかというと、そんな事など当の本人はとっくに忘れていた。
ただ気が付いたら路地にたった一人、生ゴミを漁ったりして食を得て生きる事に必死になっていた。
それは正に野良猫の如くに。
とりあえず本能が働くままに、必死に生き延びようと幼いながらに無我夢中で生きていた。
そんな野良の生活に再び幼女は二年振りに戻った。
ただそれだけの事だった。
――そうして六年の歳月が流れた……。