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最果てのパラディン 作者:柳野かなた

〈第二章:獣の森の射手〉

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 昔の……前世の夢を見た。
 いつのことだかも覚えていない、朧な夢だ。
 相変わらず僕は、部屋に居た。
 布団の中で、膝を抱えて横になっていた。

 焦燥感が胸を焼く。
 辛い。辛い。怖い。恐ろしい。辛い。
 衣食住には不自由していない筈だったのに、僕はとても怖かった。

 あの時、何が怖かったのだろう。
 ……それは多分、自分の一生が無駄になることだ。
 お荷物として生き、死ぬことだ。
 生まれ落ちて、与えられる食事をして死ぬだけの、何の意味もない一生を送ることが、嫌で嫌でたまらなかった。

 何かしたかった。
 でも、何かをすることは怖かった。
 自分には何かできるのだと思いたかった。
 でも、実際に何かをすることはできなかった。

 モニターの向こうで、社会で働いているひとたちの話を見るたび、羨ましくて羨ましくて仕方がなかった。
 あの人たちは、誰かのために何かをしている。
 誰かの役に立ち、お荷物としてではなく、自分の力で居場所を切り開いている。
 ……誰かに、必要とされているのだ。

 それは、まるで、ショーウィンドウの向こうに輝くきらきらした宝石のような。
 手を伸ばしても届かない、満天の星空の輝きのような。
 狂おしく、切なくなるほど羨ましい、憧れだった。


 自分も誰かの役に立ちたい。
 自分を必要としてくれる人の間で、汗を流して働きたい。
 認められて。成果をあげて。役に立って。
 へとへとになるまで疲れきって、ちょっとは愚痴なんかもこぼして。

 誰にも後ろ指をさされない収入を得て。
 貯蓄したり、たまの休日に、ちょっと気晴らしに無駄遣いしたりして。


 ――そうすれば、きっと僕は胸を張れる。


 自分が価値の無い人間だなんて。
 お荷物だなんて。
 無駄な一生だなんて、思わなくたって済む。

 だけれど、そんな理想は理想で……現実はそうじゃあなかった。
 僕はお荷物で、無駄な一生を送っている。
 心のなかで、誰より僕自身がそんな風に認識していた。
 その自分の声が、僕の胸をずたずたに切り裂いた。

 仕方ないんだとか、これもひとつの生き方だとか、なんとか自分を正当化しようとしたり。
 何も考えないようにしようとして、でも余計に意識してしまって。
 時にはいっそ今からでも何かと考えて、でも、結局は一歩を踏み出す勇気が出せなくて。

 結局、その暖かくて綺麗な、きらきらとした何かを眺めるばかりで。
 胸をおさえてうずくまり、布団の中で呻いて、涙を滲ませていた。

 どうして僕はこうなってしまったんだろう。
 なんで、僕はあそこにいないんだろう。

 僕も、誰かのために、何かがしたい。
 こんな、生きるだけの日々がいつまで続くんだろう。

 嫌だ。嫌だ。
 もういっそ殺してくれ。

 そう思っても、もちろん殺してくれる相手なんていない。
 積極的に死ぬ勇気もない。

 ああ。
 ああ。
 誰か……
 誰か、僕を、助けてください。
 どうか胸を張って、己の生を誇らせて下さい。

 焦燥感が胸を焼く。
 辛い。辛い。怖い。恐ろしい。辛い。
 ぐるぐるぐる、思考は何度も同じ所を巡って、やがて途切れて、消えた。



 ――そんな昔の、夢を見た。




 ◆



 はっと目が覚めた。
 藁葺(わらぶ)きの見知らぬ……いや、ここひと月ばかり、見慣れた天井。
 見回せば、僕は良い匂いのする干し草のなかにいた。壁はところどころ藁の飛び出た粗っぽい土壁だ。
 板戸の隙間から、夜明けの薄明かりが差し込んでいる。

 ……僕はウィル。ウィリアム・G・マリーブラッド。
 両親と祖父の名を継ぐ、灯火の神グレイスフィールの神官だと、手を持ち上げ、自分の掌を見ながら口の中だけで呟いた。

 たまに前世の夢を見た時は、心が前世に引っ張られて、身体の感覚に齟齬が出ることが多い。
 前世の記憶は普通消えるという仕組みが、いかに妥当か、よく分かる。
 1つでこれだ。もし2つも3つも別の前世の記憶があったら、どう考えてもまっとうな生活は送れないだろう。
 身体と心のバランスを保つため、現状を一つ一つ、心のなかで確認して心身のバランスを調整アジャストする。

 ここは狩人、メネルドールの草庵だ。
 藁葺の屋根に土塗りの壁をした、一間だけの小さな家。
 この彼の家は、仕留めた獲物に各種処理などもする関係上、村外れの半ば森のなかにあり、キマイラの災禍を逃れていたのだ。
 それで、ここひと月は、僕は彼の家に居候していた。
 天幕で良いと言ったのだけれど、流石に恩人を野宿はさせられないと、村の人たちに押し切られてしまったのだ。

「……メネル、朝だよ」

 そう告げて、干し草のなかから出ると、靴下を履いて、靴を履いて靴紐を結ぶ。
 一部屋だけの草庵に、床は張られていない。すべて土間だ。

「んぁ……」

 メネルはまだ干し草の中にいて、寝ぼけ眼でむにゃむにゃ言っている。
 居候を始めて知ったのだけれど、彼はどうやら朝に弱い。
 まだ寝かせておいてあげよう。

 あたりを見回すと、ナイフやら手斧やら籠やら壺やら鍋やら、椅子代わりの長櫃(チェスト)やらが整理されて置かれている。
 そのうちの桶を手に取り、ついでにかまどの燠火に新たに薪を放り込むと、僕は板戸を開けて草庵を出た。

 身が引き締まるような、冬の冷たい空気が全身を包む。
 まだ日の出前、辺りは薄暗い。東の空が僅かに紫がかっている。
 村の人たちも、起床前のようだ。

 桶を片手に村の泉に向かう。
 まだ暗い時間、たった一人で一番乗りというのは、意味もなく少し楽しい気分になる。
 水を汲み、顔を洗って口をゆすいで、それから手ぬぐいで少し身体を拭いた。

「うひゃ、寒……っ」

 吹き抜けた寒風にぞくりとしたので、慌てて服を直してベルトを締める。
 それからもう一度、あらためて桶に水を汲んで、草庵へと戻る。

 あれからひと月のあいだ、やることは多かった。
 村の人たちと、ありあわせの資材で天幕を張り、当座の暖房や食事のための燃料を集め、逃げ散った家畜を集め、柵を作り、合間を縫って畑に種を撒き……
 寒さにやられて風邪をひく人が多いので治療し、疲弊した人には祝祷術で生み出したパンを与えと大わらわだった。
 日常や農事のもろもろの知識を実践とともに教えてくれたマリーと、野外行動を教えてくれたブラッドには感謝してもしきれない。

「……あれ」

 そういえば、これってつまり。
 僕は今、仕事をしている、のだろうか。
 うん。……他に表現しようもない。

 前世であれだけ、狂おしいほどに憧れたものに、気づいたら手が届いている。
 そう気づいて、なんだか奇妙な気分になり……じんわりと、暖かな感情が胸の奥に滲んだ。

 ……これは、与えてもらったものだ。
 何もかも投げ捨てて、諦めて、嘆きながら全てを終えた僕に……あの優しい神さまが下さった、再び生きる機会。
 再生の機会。
 ……どれだけ稀有で、ありがたいことなんだろう。

 草庵の前、薪割り用の切り株に桶を置くと、僕は手を組み、膝をついて祈った。

 神さま。
 与えてくださったものを、無駄にはしません。
 今後こそ、必ず生きます。
 きちんと生きて、きちんと死にます。

 そして、誓いを果たします。
 あなたの剣として邪悪を打ち払い。
 あなたの手として嘆くものを救います。

 ……この命の続く限り、必ず。



 ◆



 朝の祈りに合わせて、祝祷術で幾らかの聖餅(パン)を神さまに与えてもらった。

 この術で、全員の食を賄えたら村の復旧も楽だったのだけれど、それは不可能だった。
 単純な傷癒やしなどと比べて、この祈りはかかる時間も集中力の消耗もえらく大きいのだ。
 仮に思わぬ事故で怪我人が発生したりした際、とっさに術が使える状態を保とうと思うと、十数人分程度が精々だった。
 結果としてこの聖餅は、自分と家主のメネル用のほか、術で治療済みの怪我人や病人に精をつけてもらうために用いている。
 特に病人は体力が落ちているので、術で症状だけ取り除いても、放っておくとまた同じ病気にかかってしまうのだ。

 なお、最初はぜんぶ傷病者に回そうとしたのだけれど、それをやろうとしたらメネルに説教された。
 僕がうっかり倒れると他に誰も祝祷術が使えない以上、皆が困る。
 つまり僕の体調管理は結果的に皆のためなのだから、過剰に譲られると迷惑だ、と。
 実にもっともなことだった。
 一時的なことなら自分を後回しにできるけれど、恒常的なことなら自分を後回しにしてはいけない。
 助けられる方だって、露骨に身を削って助けられたら嬉しいより先に後ろめたいだろうし。
 ……というわけで、その辺、遠慮はしないことにした。

 ちなみにメネルもメネルで「俺はいい」とかほざいてたので、同じことを説教しかえして食わせることにした。
 キマイラを探しだして討伐するためにも、この村をさっさと復旧するためにも、メネルは貴重な戦力だ。
 僕と同じく、うっかり無理をして倒れたりしたら困る人材なのだ。

 根っこの生真面目さのせいかメネルは少々自罰的なところがあるし、多少は構わないけれど、それを無制限に認める気はない。
 裁きは終わり、両集落同士で話は済んだのだ。
 あとはメネルのやることは、この村を復旧しキマイラを探して討伐する手伝いをして、金貨一枚分の借金を返済すること。
 そしてこれ以上のキマイラの暴虐を未然に防ぐことで、この地域に住まう多くの人々の生命と財産を守ることだ。
 メネルが自身を傷つけていてはその効率が下がるし、それは結果として皆のためにならない。

 憎しみとか、恨みとか、あるいは極端な自罰感情とか、そういうものと罰や報いとを切り離すのが法の役目だ。
 感情的にはどうあれ、既に裁かれたものが、同じことで二度裁かれることはない。
 法や秩序とはそういうものだと僕は信じているし、自分の手の及ぶ範囲でそうなるように働きかけられるというなら、そうしたい。
 少なくとも、ルールを守っていようがいまいが関係なくて、力の強いほうが感情のままに好きにやるのが正しい、なんて状況よりはよほど健全だ。
 ……とはいえちょっと、このあたりの社会状況は裏ボスすぎるので、どこまで頑張れるか怪しいのだけれど。

 そんなことを考えながら、延々とストレッチをやる。
 旅の間といい、村の復旧をしている間といい、あまりまとまった鍛錬ができない。
 復旧作業で毎日、時間と体力を使いすぎるのだ。
 ストレッチと素振りだけは、なんとか毎日継続しているけれど、筋力トレーニングやランニングなどはもう二の次だ。
 とりあえず薪割りなんかの力仕事と、野山を歩きまわっての採取とかの持久力を使う仕事を多めに割り当ててもらい、ある程度は補っているけれど、腕が鈍らないか心配だ。

 ストレッチを終える。
 短槍《おぼろ月(ペイルムーン)》を取り、軽く振る。
 風切り音。
 突き。捻り。払い。
 突き。捻り。払い。
 足さばきを交えながら、単純動作を幾度も繰り返す。
 漫然と数をこなすのではなく、初動を鋭く、軌道は滑らかに、全身の連携を意識して。

 ……素振りというのは大切だ。
 正しく効率のよい動作を、身体に馴染ませる効果がある。
 たとえば前世でも、プロの野球選手など、いつもバットの素振りをしている。
 彼らはバットを振ることにかけては既に世界で最も上手い人たちだろうけれど、それでも素振りを怠らない。

 なぜか。
 正しく効率のよい動作というのが、結構な曲者だからだ。
 人間は筋力が増したり衰えたりするし、体重だって増減する。
 一ヶ月前に身体になじませたフォームが、今の身体に最適だとは限らない。
 常に最適な動作を馴染ませておかないと、気づけば齟齬は膨らみ、能率は低下し、そのうち見る影もなく衰えてしまう。

 ブラッドも、何はなくとも常に素振りだけは怠るなと言っていた。
 だからその言葉に従い、短槍を振る。
 短槍の素振りを終えると次に盾と片手剣《喰らい尽くすもの(オーバーイーター)》を取り、やはり幾つかの動作を繰り返す。

 仮想の攻撃を、盾で打ち払うと同時に踏み込んで斬る。
 打ち払い、斬る。
 打ち払い、斬る。
 打ち払い、斬る。

 身体が徐々に熱を帯びてゆく。
 吐く息は白い。

 ひたすらに同じ動作を繰り返し、その精度を高める作業は、どこか祈りにも似ていて……
 集中をといた時には、まばゆい朝日が木々の間から差し込んでいた。

 村の方からは賑やかな声が聞こえる。
 起き出してきた人たちが、そろそろ仕事の準備や、朝食の支度なんかを始めているのだろう。

「…………よし」

 素振りを一段落すると、改めてメネルを起こして顔を洗わせ、聖餐を入れた籠を手に歩き出す。
 これを届けて、それから村で皆と一緒に朝食を食べて、今日すべきことをしよう。

 辺境の、小さな村での暮らし。
 やることは多いし、キツい作業もあるけれど……
 でも、なんだか僕は、浮き立つような気分だった。
◆小説家になろう 勝手にランキング◆
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作品を継続するモチベーションとなっております。
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