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最果てのパラディン 作者:柳野かなた

〈第四章:栄華の都の娼女〉

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 秩序を司るヴォールトの、《雷神の裁きデヴィヴァイン・ジャッジメント》。

 それは確かに、素晴らしい奇跡だ。
 あらゆる嘘偽りを裁く、正義の神の加護。

「聖騎士さまは清い方です。罪を犯してなどおりません――」

 けれど、実のところそれは絶対ではない。
 ガスなど昔、あの死者の街での授業でしかつめらしい顔をして、けれど面白がるように語っていた。

 ヴォールトの裁きの祝祷には、抜け道がある(・・・・・・)と。

「皆さま、どうか信じてください! 私は裁きの神の奇跡を受け、ここに宣言いたします!」

 ルナーリアが叫ぶ。
 辺りを見回し、身振り手振りも大きく周囲の避難民や神官たちの視線を集めると、その胸に手を当てて。
 切なる思いを込め、涙を浮かべ――るように見せて。


「聖騎士さまは陥れられました! 街を焼いたあの魔人は、彼の姿をした何かです(・・・・・・・・・・)!」


 発されたそれは、確かに事実に相違した言葉ではなかった。

 ……繰り返しになるけれど、ヴォールトの裁きの祝祷には、抜け道がある。

 たとえば、とある村とある村が、境の土地がどちらに属するかを争った裁判。
 一方の村に属する男は裁きの祝祷を受け、「私は確かに私の村の土の上に立っている」と宣言し、しかし雷に撃たれなかった。
 ……その男は靴の中に、己の村の土を詰めていたのだ。

 たとえばある女が、フェデリコという名の神官を邪淫の咎で告発して起こった裁判。
 女は「私はフェデリコが雌の羊と交わっているのを確かに見た」と宣言し、しかし雷に撃たれなかった。
 ……その女は雌の羊と交わる雄の羊に、フェデリコと名付けていたのだ。

 ヴォールトの加護は、けして心にまでは踏み込まない。

 その者にどれだけ邪な心があったとしても、それをもって雷で心の臓を灼き貫きはしない。
 あくまでその者の言葉が、主観的な事実に相違しないかだけを裁くのだ。

 だから事実関係を誤認していたり、精神を病んで事実に相違するおかしな信念に憑かれていたり――
 はたまたこうして「言葉の根拠となる主観的な事実」を用意すれば、《雷神の裁きデヴィヴァイン・ジャッジメント》は必ずしも発言者を裁かない。

 無論、それが「可能である」ことと、「実際に、うまくやれること」は別だ。
 多くの人間は命のかかった状況で、そんなに上手く嘘をつけない。
 悪意を以てこの祝祷を利用しようとしたものは、多くは被疑者や神官に切り返され、言葉に詰まって心臓を灼かれてしまう。

 実際に、そのような逸話も多く流布している。
 だから民衆の多くは、《雷神の裁きデヴィヴァイン・ジャッジメント》の、その「正しさ」を信じている。

 けれど歴史を紐解けば、上手く相手を陥れることに成功してしまった事例も存在しないわけではない。
 ――後々になっても露見せず、記録にも残らなかったものを含めれば、恐らくもっと多いのだろう。

 そのような祝祷の悪用が可能では、神の威光を損なうと、ヴォールトに祈り嘆願した神官もいるという。
 事実ではなく、邪心の有無をこそ裁いて欲しいと。
 けれどその時ヴォールトは、その神官に啓示を示して逆に問うた。

 ――私が全てを見定め全てを裁くならば、お前たちは何のために生きるのだ、と。

 嘆願を行った神官は悟った。
 それこそ、ヴォールト神が国々の都に《木霊エコー》を下ろして全てを采配しはじめれば、我々は平伏して拝み祈り従うより他なくなるだろう。
 ……けれど、神がそれをお望みになるはずがないのだ、と。

 正義を司る神ヴォールトは、正邪善悪を定めない。
 これこそが悪である、討てとも告げはしない。
 ただ言葉と事実との相違のみを示し、信徒が信ずる善と正義のための戦いに力添えをする。

「聖騎士さまは私とともに居た折に、周到に支度を整えた悪魔の群れに襲われました。彼は私を庇って多くの傷を負われ――そして意識を失われました」

 ――人は雷神を信じるけれど、雷神もまた人を信じている。
 ひとびとがその知恵を正しく用いて裁きを行い、善と正義を見定めて、時に応じてそれを改めてゆくことを。



「……そして、その後です! あの、聖騎士さまの姿をした魔人が現われたのは!」



 だから、うん。

 ……正直、これは神々の聖座で、雷神さまはどんな顔をしているだろう。
 ルナーリアはいま、自分の信ずる善と正義のために、祝祷の抜け道を凄まじくいいように使っていた。

 周囲を取り巻く人々がざわめいた。
 悪魔の化けた管区長の顔が、どんどんと蒼白になってゆく。



 ◆



「ああ、皆さま。私はここに告白せねばなりません――」

 声量と声のトーンが、少しずつ落ちてゆく。
 それにともなって、喧騒がゆっくりと静まってゆく。
 ――人々が彼女の言葉を、待ち望んでいるのだ。

「天涯孤独の身に生まれ、花を、笑みを売る私には、生きてゆくためのお金が必要で御座いました。
 そして過日、私は――さる名も知れぬお方に聖騎士様を誘惑し、その懐深くに入り込むよう持ちかけられ、頷きを返しました。
 卑しい諜者の仕事で御座います。けれど」

 花が咲き綻ぶように、ふわりと浮かぶ笑顔。
 祈るように、あるいは大切なものを慈しむように、胸元に重ねられた手。

「けれど聖騎士さまは、それと知りつつ私に暖かく接してくださいました。
 間者であると知りながら、私に心を配ってくださいました。優しい言葉をかけてくださいました。親しい人々を救ってくださいました。
 私の誘いをはねのけ、自分を貶めてはならぬと柔らかに戒めてくださり、あまつさえ、友人である、とまで。
 ――嬉しかった。嬉しかった。ほんとうに、嬉しかったのです」

 そして。

「それ、なのに……」

 彼女の、膝がゆっくりと崩れる。
 瞳に滲む涙。
 震える手は、胸元からほっそりとした首のラインを辿り、ゆっくりと顔へ。

「それなのに、私は彼を裏切りました! ああ……私は悪魔たちが彼を殺そうとする、その陥穽の最中へ彼を導いてしまったのです!」

 雇い主の影に薄々、良からぬものがいるのではないかとは、私も気づいていたのです。気づいていながら、目をそらしておりました。
 ――許されることではありません、と嘆く彼女は、それはもう悲壮感に満ちていた。
 微かなざわめきは、同情の色を帯びていた。

 誰も口を挟めない。
 神殿は、気づけば彼女の独壇場となっていた。

「聖騎士さまは、それでも愚かな私を見捨てませんでした。
 私を守り、そして善良なる市民の皆さまを守るため、路地から、家々から現れた悪魔の群れへと果敢に立ち向かわれました!
 幾本の矢を受けたことでしょう。幾度の呪いを受け、幾度、斬りつけられたことでしょう。その全てに耐え、聖騎士さまは戦われたのです!
 何度も傷ついて、私を見捨てれば楽にもなれたでしょうに、それもせず。ひたすらに、痛みを堪え、立ち続け――戦い抜いて……っ」

 場の空気を支配する彼女が――しかしほんの一瞬、顔を覆う指の間から、僕に見えるか見えないかの目配せをする。
 それはまるで、悪童が親友に、悪戯の相談を持ちかけるかのように、かすかな笑みを含んだ気配で。

「そうして、騎士さまが意識を失った後に現われたのが、あの恐るべき魔人です」

 僕は彼女の視線に、一瞬だけ、視線を返した。
 なんだかずいぶん、悪さをしている気持ちになる。

 ……でも、ヴォールト神には今回限り、お目こぼしを願うしかないなぁ。

 そう思って、僕は心のなかで苦笑した。

「皆さま、高位の悪魔というのは実に精妙に人に化けるということを、皆さまはご存知でしょうか」

 前置きの、何ら嘘ではない、ただの一般論。
 最後の一太刀を振りかぶるように、あるいは銃弾を装填するように、ルナーリアが、すぅ、と息を吸う。
 そして――


「皆さま! 私は、かの魔人の(・・・・・)正体を(・・・)存じています(・・・・・・)!」


 そう言って、ルナーリアはメイナード管区長をまっすぐに見つめた(・・・・)

 何も、一切、言葉にすることはなく。
 単なる目の動き。単なる一動作。

 けれど、恐怖や憎悪、悲憤、いろいろな激情の篭った視線を見れば、彼女の言いたいこと(・・・・・・)は明白だ。
 彼女は管区長をこそ告発している。
 そのように、周囲の人々には見える。見えてしまう。

「な、な……」

 メイナード管区長の姿をしたものが、目を白黒させ、一歩を退く。
 管区長に化けたスペキュラーにとっては、もうたまったものではないだろう。

 僕を殺そうとして、重厚な暗殺の布陣を組み。
 上手く行きかけたところで、竜などという不確定要素に食い破られ。
 状況を再構築しようとしていたところで、弁舌一本でそれら全ての責任をひっかぶらされそうになっているのだ。

「ち、違う! 違う、これはペテンだ! 何かの陰謀だ――!」

 典型的な悪役の言い逃れに聞こえるけれど、うん。
 ――まったくもって、その通りです。

「それなる女は当事者ではない……! 卑劣であろう! いかな術策を用いて雷神を欺いたかは知らぬが、貴様、女に任せず己の言葉で語らぬか!」

 ルナーリアを切り崩すのは困難と見たのだろう。
 スペキュラーは僕に矛先を切り替える。
 けれど、それは失策だ。

「では卒爾ながら、私にも裁きの祝祷を頂けますか?」
「構いませんよ」

 即座に提案すると、状況を静観していたセシリアさんが軽く笑み、指を二本立てる。

「――いと天高き聖座にあらせられます、我らが父よ」

 祈りの句とともに、胸に突きつけられる指。
 稲光のような清冽な光が、その指先から僕の心臓へと走り、燐光が灯る。
 抵抗せずに受け入れた瞬間――脳裏に、確信が強烈に叩き込まれた。

「雷神の裁きの天秤にかけて、これより貴方に嘘は許されません」

 本当に、嘘を言えば心臓を灼かれて死ぬ。

 これはそういうものなのだと、感じるのではなく、気づけば確信している不思議な感覚。
 まるで法廷に立ったかのような――恐ろしいまでの「正しいことを語れ」という、厳粛な重圧感すら、それは伴っていた。
 ルナーリアはよくこんなものを受けて、ああも見事に演技ができたものだ、と驚きすらする。

 けれど同時に。
 ……裁きの神さまが、「仕方のない」と苦笑するような気配を、感じた気がした。

「さあ伺いましょう、《最果ての聖騎士》よ。――街を襲いしその所行、あなたのものですか?」
「事態を食い止められなかった責任は重く感じています」

 素早く言葉を選ぶ。
 けれどスペキュラーに言葉を挟まれないよう、きわめて大きな声で、流れるように。


「しかし! 僕は街を焼き、人を苦しめるような所業を望んだことはありません!!」


 息を吸い、群衆すべてに伝わるように、大きく叫ぶ。

「そして彼女の言うとおり――」

 彼女ほどなめらかな弁舌は無理でも。
 嘘をつかない、という一点においては――


「そこにいる、管区長の姿をしたものは、悪魔だ!」


 僕だって、彼女にそうそう負けてはいないのだ。

 

 ◆



 場の空気は、一変していた。
 もはや護衛の神官戦士たちですら、わなわなと震える「メイナード管区長の姿をしたもの」から幾分か距離を置き、彼を疑いの目で見つめている。

「違う、違う……」

 ぶつぶつと呟くように否定をする彼を、遠巻きにする人々。
 恐るべき悪魔相手だというのに、僕はなぜだか妙な罪悪感を感じていた。

 無実の誰かを陥れるときには、きっとより強く、こんな気持ちになるのだろう。
 ……こういうはかりごとはなるたけ弄すまい、と僕は密かに決意した。

 ただ――

「私の言葉に何かしらの錯誤があるというならば、それもよろしいでしょう! 違うというならば、あなたがそれを証明するのは簡単だ! 水掛け論を繰り返しても始まりません――」

 ここは断じて追い込む。
 流石に僕も、ああまで容赦なく自分を殺しにきた悪魔の首魁に対して容赦をする気は欠片もない。


「《雷神の裁きデヴィヴァイン・ジャッジメント》を受け、ただ一言、『自分は悪魔ではない』と宣言して頂きたい!」


 僕がそう叫ぶと、しばし、沈黙が落ち――
 ふと、「そうだ!」とどこからか、聞き覚えのある声が上がった。

「訴えは成された! 応えろ!」

 その一言を叫んで、すぅっと雑踏に消える影。
 ……サミュエルさんは本当に、いい仕事をする人だ。巧い。

「……そうだ」
「訴えに応えろ!」
「応えろ!」

 ざわめきが広がる。
 スペキュラーはもう拒絶できない。

「……管区長?」

 セシリアさんが、ぶるぶると震える老人へと視線を向ける。
 今や、完全に進退極まった、メイナード管区長の姿をした悪魔は、血走った目を爛々と憎悪に輝かせ――
 ミシミシと、その体を異形へと変貌させ始めた。

 枯れ木のような腕が、足が、ゴムが弾けるように隆々と膨れ上がる。
 シワだらけの皮膚は白い粘土のような奇妙な質感へ。

 ……それはまるで、子供が捏ねた歪な粘土の像だった。

 ひどく捻くれた鉤爪つきの手、歪に大きい頭部。それとはアンバランスに細く長い体。
 本来、目鼻があるべき場所には虚ろな暗黒の楕円がひとつ開いているばかり。

 ――塑像の悪魔(モデリング・デーモン)スペキュラー。

 ルナーリアが、ひっ、と息を呑み。
 群衆はしばし、呆然としてそれを見つめ――直後に悲鳴が上がる。

「下がって」

 僕は思うように動かず、鈍い痛みを発し続ける全身を抱えながら。
 ルナーリアをかばうように、前に出る。

「ありがとう、おかげでここまで来られた」
「……罪滅ぼしくらいには、なったかしら?」
「十分」

 微かに笑みを交わすと、僕は外套の下、《夜明け呼ぶもの》の柄を握り直す。
 変形を終えたスペキュラーが、鉤爪を構える。


 ――やっと話が単純になった。


 スペキュラーは、なんとしても僕をかわして、この場を切り抜け街へ再び潜伏することを狙うだろう。
 人に化ける悪魔が、万単位の人口を有する大都市のどこにひそんでいるかわからないとなれば、それだけで被害は甚大だ。
 あっという間に疑心暗鬼が通りを支配し、魔女狩りめいた行為が横行することは間違いない。

 けれど、それをするためには、障害がある。
 僕に背を向けて逃げ出して、それで逃げ切れる――と考えるほどスペキュラーも愚かではない。
 待機しているサミュエルさんの気配も察しているだろうし、奴はそちらに対応するためにも、僕を打倒せねばならない。

 僕に一撃を入れて殺すか、あるいは最低でも隙を作り、そこから逃走。潜伏。
 サミュエルさんの追撃も返り討ちにして、次々に化ける人間を切り替え、都を混乱に陥れる。

 ――だから今、するべきことは単純だ。

 全身に鈍痛。関節は動かすたびに鉛の棘でも打ち込まれるように痛い。
 けれどひんやりとした泉に浸かっているかのように、意識だけは澄んでいた。

 ルナーリアを背にかばう僕に向けて、スペキュラーが突進してくる。
 僕が誘い水のように僅かに一歩踏み出すと、悪魔はその鉤爪を繰り出してきた。
 回避すれば、ルナーリアを貫く軌道。悪魔らしい思考。

 体内のマナも安定していないので、《ことば》は使えない。
 全身に呪いの残滓が残り、鈍痛が走る最中、機敏な動作を多用はできない。
 ――だから大きな動作をしていいのは、一度だけ。

 最小限の動作で黄金のつるぎを抜き払い、鉤爪を打ち払う。

「――ッ!?」

 直後に打ち払った反動を利用し、相手の突進の勢いも利用して、滑らかに膝を薙ぐ。
 ゴムのようなその肉体を、しかし霊剣はバターのように切り裂いた。

「ガッ!」

 石畳を揺らして、巨体の悪魔が転倒しようとするその瞬間――
 ばさり、と僕の外套が跳ね上がる。


 ――黄金の一閃。


 振り上げられた《夜明け呼ぶもの》の軌跡とともに、悪魔の首が宙を舞った。
 
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