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最果てのパラディン 作者:柳野かなた

〈第四章:栄華の都の娼女〉

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 目を開くと、知らない天井が見えた。
 少し上塗りが剥がれ、ヒビの入った老朽化した天井だ。

「…………?」

 ここはどこだろうと、いつもの調子で身を起こそうとした瞬間、

「っ、ぎ――っ!?」

 全身にひどい激痛が走った。
 馴染みのある筋肉痛の痛みを何十倍にも凝縮して、体の節々に詰め込んだような――鉛の棘の塊があちこちに埋め込まれてしまったような痛み。
 その予想外の痛みに阻まれ、僕は少し涙目になりつつ、寝台に再び身を横たえた。
 首と目線の動きだけで、辺りを見回す。

「…………」

 殺風景な、モルタル塗りの小さな部屋だった。
 窓がないことと換気穴の位置からして、おそらく地下室だろう。

 部屋の隅に木箱がいくらか雑然と積まれている他は、特に何も見当たらない物置めいた空間。
 寝かされている寝台も、簡易なもののようだ。

 扉は、頑丈そうな木製。
 鉄格子や覗き窓などは見当たらないから、牢獄では――ない?

 目覚めたら、牢屋の中というのは、覚悟していた。
 最悪、目覚める前に首を落とされる、というようなケースも。

 けれど、どうやらそういう状況ではないようだ。
 するとどうなのか――そのへんについて考える前に、僕は祈ることにした。
 どんな状況であれ、戦士として、まず体が動けるようにはしておかねばならない。

「灯火の女神、グレイスフィールよ……」

 手を組むのもひどく辛かったので、目を伏せるのみで、我が身の癒やしを祈る。
 集中に向いた状況ではなかったけれど、それでも数秒で深い祈りに達し。


 ……けれど、痛みが引かない。


「あ、れ?」

 祝祷術の効果が発揮されなかったのだ。
 その瞬間、「加護を剥奪されたのではないか」という考えが頭をよぎった。

 
 ――コップ入りの粘つく氷水を、首筋から背筋にかけて注ぎ込まれたような悪寒が走った。

 
 ヴァラキアカの残影に体を乗っ取られ、よりにもよって町中で暴れだすという、不甲斐ない出来事。
 どれだけの被害が出たのだろう。
 どれほどの人々が嘆き、傷ついたのだろう。
 神さまは、どれだけの信仰を失ったのだろう。

 すべて僕のせいだ、とは言うまい。原因は――原因それそのものは、悪魔と、ヴァラキアカだ。
 けれど僕にも、責任はある。もっと巧いやりようだって、あったのではないか。

 そのことで神さまを悲しませ――それどころかひどく期待を裏切って、失望させて、落胆させてしまったのではないか。
 これは神さまからの譴責なのではないか。
 あるいはもっと手酷い、断絶の宣言かもしれない。

 もしそうだとしたら。僕の不甲斐なさや、情けなさや、愚かさのせいで。
 あの優しい神さまが与えてくれたものに、報いることができなかったのだとしたら。
 ……僕は、どんな顔をして生きていればいいんだろう?

 目の前が一気に暗くなる。
 それはほんの刹那の思考だったけれど、寄って立つ地面がガラガラと崩れるような衝撃と恐怖を伴っていた。

 あの冬至の日、守護神として加護を希ったその時からずっと、あの寡黙で優しい神さまが見守っていてくれることを、僕は知っていた。
 ……信じていたのではない。
 地面がそこにあることを「信じている」とか、空が青いことを「信じている」という人がいないのと同じように。
 僕は「信じる」という言葉を用いるべき領域を突き抜けて、そのことを事実として確信していた。

 だからこそ神さまとの断絶の可能性に、考えが及んだ時。
 それが一瞬の思いつきであったにも関わらず、僕はひどく動揺した。

 祝祷術が使えなくなること――それはこの際、どうでもよかった。

 神さまとの繋がりを失ってしまうことが怖かった。
 神さまを失望させたのだと思うと、泣きそうな気持ちになった。
 あの寡黙な神さまに、もし落胆と、侮蔑の視線を向けられてしまったらと思うと、膝が震えるような思いだった。
 そしてそれ以上に、そんなことを思ってしまう自分が――神さまの愛を信じきれない自分が、情けなかった。

「――……っ」

 血をたくさん失ったせいもあるのだろう。
 ひどく寒くて、寒くて、体が震えて。
 思わず涙が零れそうになった時――



【……恐れるな。わたしはあなたとともにいる】



「あ……」

 啓示(こえ)が聞こえた。
 あの寡黙な神さまの、飾らない声が。

 わずかに苦笑するような声音で。
 けれど、不安と恐怖で冷え切った心を溶かすような。
 僕の心を、そっと後ろから抱きしめるような、暖かさとともに。

「…………」

 ――断絶しては、いなかった。
 灯火の神さまは、まだ僕を見守って下さっているのだ。

 なんだか、泣いてしまいそうな気持ちになった。



 ◆



 神様の言葉に落ち着いて。
 冷静に、感覚を研ぎ澄ましてみると――治癒が効果を発揮しなかった理由が、見えてきた。
 体中のマナの流れがずたずたになっている。

 おそらくヴァラキアカの残影が、僕の体を限界を越えて無茶苦茶に振り回した影響だろう。
 魂と肉体のつながりとか、全身のマナのバランスとか、祝祷術でも即座に治癒はできない深い部分にまで損傷が及んでいるのだ。

 そりゃあ、ものすごく痛いわけだ。
 時間をかければ治るだろうから、つまり今必要なのはもう少しの静養ということになる。
 このまま、もうしばらく横になっていれば、少しはマシに――



【……立て】



「…………マジですか」

 思わずぽろりと、そんな声が出た。
 我ながら不敬極まる反応が漏れたことに「ああああああああ!?」と脳裏で謝罪を繰り返すけれど、そんな僕の反応を知らぬげに神様の言葉は続く。



【行って、悪魔を討ちなさい】



 目を見開く。
 いったいどうやって。
 何をして。

 
【信じ、考え、歩みなさい。奈落の悪魔の将を討ち、《涙滴の都(イリアスティア)》に平安を】

 
 そうして、神様の啓示はふつりと途切れた。
 僕の疑問には何一つ答えず。
 あれをせよこれをすればいいなどという、助言すら一言もなく。

 ただ、立って行って悪魔を討って平安をもたらせと。
 信じて、考えて、歩むのは僕なのだと、たったそれだけの言葉を残して。

 無口と言っても、さすがにこれはひどい。
 もう少しくらい、何か言ってくれたって、とも思う。

 ――けれど。
 けれど、その言葉には静かな信頼があった。

 あなたならばできる。
 そう告げる、寡黙な神さまの、声なき声。

「……ひどいです、神さま」

 僕は苦笑気味に、呟いた。
 だいぶ無茶なことを言われている気がするのに、胸にふつふつと勇気が湧いてくる。

 そんなふうに言われたら。
 そんなふうに、無条件の信頼を示されたら――もう、やるしかない。

 だって、そうすると決めたのだ。
 そう生きると誓ったのだ。


 ――今さらちょっと体が痛い程度で、それを擲つつもりは、さらさらない。


 息を吸う。気合を入れて、覚悟を決める。

「っぐ……ぅあ……ッ!!」

 起き上がる、足が痛い。
 ふらつく、壁に手をつく、腕が痛い。
 腹が、肩が、首が――全身を襲う激痛をこらえて、よたよたと。
 僕は、壁沿いに歩きだす。

 必要なのはときに賢しさよりも、根性と愚直な行動だ。

 ここがどこだか分からない。
 なぜここに寝ていたのかも分からない。

 それでも前へ。
 立ち上がって、前に。

 

 ◆

 

「ウィル――!?」
「あががががががが!!?」

 そして扉を開き、薄暗い廊下に出たところ、廊下の向こうから歩いてきていたルナーリアに抱きつかれた。
 彼女は持っていた桶やら手拭いを、ほとんど取り落とすように置いて僕に飛びついてきたのだけれど、受け止める僕が平常の状態ではない。

「ウィル、無事だったのね……!」
「あががががが……」

 現在進行形で無事じゃなくなりつつあります痛い痛い痛い痛い!

「っ、あ、ごめんなさい!」

 と、僕の様子に気づいたのか、ルナーリアが慌てたように身を離した。
 女性に抱きつかれるとか割と稀な経験ではあるけれど、なんだかもうそれ以前の問題だった。
 むっちゃ痛い。脳内麻薬ドバドバ垂れ流して興奮状態にある戦闘時じゃないから余計に痛い……

「……体、痛いの?」
「無茶したからね、祝祷術でも即座には、これはちょっと」
「もう少し、休んでいたら?」
「いや、行くよ。ここは――多分だけど、サミュエルさんの隠れ家か何かだよね?」
「ええ」

 僕がいて、ルナーリアが出てきて、ということはそういうことだろうと思ったのだけれど、やはりそうだった。
 サミュエルさん、あの後、ぶっ倒れた僕を担いで現場から逃げてくれたのか。
 かなり苦労だったろうに、よくもまぁ見事に成し遂げてくれたものだ。

 どのくらい寝ていたのだろう。状況はどう変動しているのだろう。
 聞きたいことは多かったけれど、それはとりあえずサミュエルさんに聞いたほうがいいだろう。

「じゃあ、まずは彼のところに行かないと」
「…………肩、貸すわ」
「ん」

 ルナーリアは僕の腕をくぐるようにして首を回し、肩を貸してくれた。
 僕たちはひどくゆっくりと、地下の廊下を歩いてゆく。

「…………ごめんなさい」

 しばしの無言の後。
 彼女は打ちひしがれた様子で、そう言った。

「薄々、良からぬ相手だって気づいていたのだけれど。立ち位置を調整して、利害関係を作って、うまくやっていたつもりだった」

 つもりだっただけね、と彼女は皮肉げに調子で笑う。
 うつむきがちの顔。長いまつげが、悄然と伏せられている。

 ……まぁ、彼女の言うとおりなのだろう、とは僕も分かる。
 悪魔たちは僕の情報も欲しかったのだろうけれど。
 重ねて、彼女を僕の傍に置いて、僕が彼女に愛着を持てば守らざるをえないと、そういう物理的な攻撃の布石としての狙いもあって。
 荒事に馴染みの薄い彼女はそこを見落として、自らと僕、そして街を危機に晒した。

 そして実際に、その作戦はかなり功を奏していた。
 事実として、ヴァラキアカの残影が目覚めなければ僕は死んでいたのだから。

「…………」

 苦悩、重圧、嘆き、背負いきれない責任。
 それらがルナーリアの顔に、憂いの影を落としていた。


「……じゃ、次はうまくやろう」


 そんな影を取り払いたくて。
 できれば、笑ってほしくて。
 僕はつとめて明るく、そう言った。

「ウィル……?」
「済んでしまったことは仕方がない。うまくやれないことがあるのも仕方がないよ」

 なんでもかんでもうまくいくわけがない。
 僕もこの都では、あんまりうまく立ち回れてるわけじゃない。
 でも――

「それで挫けて、折れて、次に行けなくなったら……ひとは、本当に終わってしまうから」

 あの、おぼろな記憶の前世が、恐らくはそうであったように。
 挫けて折れて、何もかもが怖くなったら、本当に終わってしまう。

 ――彼女には、そうなって欲しくはなかった。

「だからさ。悪魔たちにお返ししてやろう」
「…………」

 神さまは立てと言ってくれた。
 神さまは行けと言ってくれた。
 神さまは信じて、考えて、歩めと言ってくれた。

 だから僕も、そういう風に在ろうと思う。

「やり返してさ。泡を吹かせて、大慌てさせて、どうだ! って言おう」
「…………」
「それから傷つけたぶんよりも、もっと多くの人を癒やしてさ。
 たくさんの善いことや、正しいことや、喜ばしいことをしよう。たくさんのものを作って、たくさん笑おう」

 人を愛して欲しいと、お母さんは言った。
 結果を信じて前に出ろと、お父さんは言った。

 だから僕も、そういう風に在ろうと思う。

「ねぇ」
「うん」

 ルナーリアが、僕を見る。
 乱れ髪に、憔悴した青白い顔。
 そんな憂い顔でも、色違いの瞳は、不思議なうつくしさを湛えている。


「――私が……もし、もうそんな気持ちになれない、って言ったら。どうする?」


 薄い唇からこぼれたその言葉に。
 僕は少しだけ考えて――

「君一人のぶんくらいは、僕がなんとかするよ」

 休む時間が必要なら、それもいい。

「それが、君がまた歩くために必要なのであれば」
「……そう」

 それからしばらく、僕たちは無言で、ゆっくりと歩みを進めた。

 廊下の先、光が見える。
 話し声が漏れ聞こえてくるから、サミュエルさんはあっちだろう。

「………………まぶしいなぁ」

 小さな声。よく聞こえなかった。

「ん、なに?」

 聞き返すと、脇腹をつねられた。
 痛みへの反射で体に力が入り、全身の痛い部位が更なる痛みを送り込んでくる。

「ッあ、あがががが……やめ、あがががッ!?」
「カッコつけって言ったのよ。まったくもう、一人でろくに歩けもしないくせに、大きいこと言っちゃって!」

 そう言われてしまうとぐうの音も出ない。
 実際いま、僕は彼女に支えられてようやく歩いているようなありさまなのだ。
 カッコつけてると言われれば、もうその通りですハイという他ない。

「心配だから……それに、いっぱい借りもあるし、手伝うわよ。できることがあれば。
 ……勝手に何もかもやられるのも、なんか癪だし」

 ふてくされたような言葉。
 目を向けたら、露骨に視線をそらされる。
 けれど、その表情からは、憂いの影が退いていて。

 ――僕は、良かった、と目を細めた。
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作品を継続するモチベーションとなっております。
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