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最果てのパラディン 作者:柳野かなた

〈第四章:栄華の都の娼女〉

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 腐敗臭とか大小便の悪臭を混ぜたような、不快な臭いが薄く鼻をつく。
 漆喰の剥がれ落ち、煉瓦の地を晒す路地の隅には割れた陶器だとか、果物の皮なんかが無造作に捨てられていて、羽音も高らかに無数の羽虫がたかっていた。
 ――ここは繁華街や色街から更に進んで、貧民窟と言われる場所の入り口近くだ。

「それで、この奥なのかな、その人がねぐらにしてる場所」
「そうだけどさぁ……これ以上はキツいぜ、ウィル兄ちゃん」

 顔をしかめながら振り向くのは、灰色の髪に身軽そうなスリの少女、ディーだ。
 今、僕は彼女に貧民街のとある場所までの案内を頼んでいた。
 ……一応、どこからスペキュラーに話が漏れるかわからないので、《防衛派》と繋がりがあるルナーリアには内緒だ。

「兄ちゃんが強いのはもう知ってるけどさ。アタシはそうでもないわけで、そんでこっから奥はホント、ヤバい連中の溜まり場なんだよ。目ぇつけられると後々……」
「あー……」

 この辺りに詳しい知り合いが他に思い浮かばなかったから頼んだけれど。

「やっぱり暗黙の掟とか、ある? 隣人を売らないとか、厄介者を引き込んだら制裁される、とか、そういうの」
「……ある」

 これはちょっと、僕の見込みが甘かったかもしれない。
 年若い女の子を、これ以上、危険な地域の案内に駆り出すわけにもいかないけれど……でも、どうしたものだろう。
 立ち止まり、少し考え始める。

 ――再確認するけれど、暗殺は難しい。

 悪魔が成り代わったメイナード管区長は、ヴォールト神に仕える強力な神官戦士たちに守られている。
 暗殺が最短ルートだとは思うし――もしここにサミュエルさんに加えてメネルドールがいたとしたら、暗殺を決行しても余裕をもって成功させられるだろう。
 けれど残念ながら、メネルは《花の国(ロスドール)》復興絡みで、故郷の《エリンの大森林》に出向いてる。

 そして僕はといえば、そのへんの技能は最低限はブラッドから教わって身につけたのだけれど、ここ数年、それらに関してあまり磨いてこなかった。
 聖騎士という社会的な立場を得た以上、「忍びこむ」とか「不正な解錠を行う」とか、ましてや「背後から首を掻き切る」練習はあまり外聞がよくない。
 南の開拓の旗頭として神輿に載せられている以上、それに配慮して手控えないといけなかった。

 そして当たり前のことだけれど、人はどうやったって練習せずに達人にはなれない。
 多少は魔法なんかで補いをつけられるにしろ、そればかりで神殿の守りを抜けるかは怪しいだろう。

 こういう時、メネルにずいぶん頼っていたんだなぁ、と再認識させられる。
 無事に帰れたら、ご飯でも奢ろう。


 ……ともあれ暗殺できない以上、暗殺以外の手段でなんとかしないといけない。

 さしあたって次善案として有力なのが聖騎士、英雄としての立場を利用して「管区長は悪魔に成り代わられている」旨を告発することだけれど、現時点での告発は不確実だ。
 メイナード管区長に成り代わったスペキュラーは、抜け目なく《防衛派》にべったりの立場をとっている。
 ここで明らかに《開拓派》の旗頭であるエセル殿下や、その直接の部下である僕が「あの人、悪魔です!」などと言い出したらどうだろう。

 ひょっとしたら素直に「彼らほどの人が言うことだから、失礼かもしれないけれど一度チェックしよう」となるかもしれない。
 けれど逆に「《開拓派》が何かの陰謀で我らの管区長を陥れようとしているのでは……?」と思われる可能性も高い。
 スペキュラーはそういう展開へ誘導するだろうし、その流れに入ってしまうと向こうも組織としての体面があるから、意固地になるだろう。
 仮にそうなったら、覆すのはかなり難しい。

 雷神ヴォールトから、啓示などでの助力が期待できれば良いけれど、基本的に、神々の現世への干渉力は限られたものだ。
 ここのとこ頻繁に《木霊エコー》だの《遣い(ヘラルド)》だのと遭遇して、なんだか感覚が鈍り気味ではあるけれど、神々は本来、そうそう現世に顔を出さない。
 この場は娘神たるグレイスフィールの使徒である僕と、親友のワール神の使徒たるサミュエルさんが動いているのを見て「対処進行中、解決見込みの事案」と判断なさった可能性もある。
 実際に手も足も出ない絶望的な状況でもないので、過度の期待はやめておこう。

 むしろそういう期待よりも、より悪い可能性というものを考えたほうが良いだろう。
 たとえばもし、スペキュラーが成り代わる前のメイナード管区長を拘束し、どこかで生かしていたらどうだろう。
 僕がスペキュラーの立場なら、どう『使う』だろうか。
 ……多分、そのまま《忌み言葉(タブー・ワード)》や悪神の加護、暗示など、あらゆる手段を駆使して操り人形にするだろう。

 そして告発を受けたら、「きちんとした検証の場を公開で用意する」などと、それらしいことを言って時間を稼ぎ、その場に「本来の管区長」を用意する。
 間違いなく人間の管区長が検査を受けている間、自分は管区長の従者などに成り代わって検査を回避、シロを勝ち取った後に改めて盤石の管区長へと成り代わり直す。
 仕上げに目障りな聖騎士たちに対し、怪しげな疑義で無用の混乱を招いたことを指弾し社会的反撃――あたりだろうか。
 従者が一人行方不明になるけれど、「あれが王弟殿下はじめ《開拓派》のスパイだったのだろう、だから失踪したのだ」などと言えば済む。

 もしそんな筋に持ち込まれたら、ちょっと手の施しようがない。
 なので告発するとしたら、「その言葉がかなりの説得力を持って、即座にチェックを行う」ことがほぼ確実な状況下でやりたい。

 けれど、悪魔の脅威が身近な《南辺境大陸(サウスマーク)》ならばともかく。
 表面上そこそこ平和なこの《涙滴の都(イリアスティア)》で、「あの人は悪魔が成り代わっている!」は、即座にチェックを行うべき事項とは認識されづらい。
 人間は平和に慣れれば危機に対する感覚が鈍る。

 つまり要は、現在のところ平和なのが問題なのだ。これをなんとかしないといけない。と言うと、なんだか物騒だけれど。
 ともあれそのために――と、そこまでサミュエルさんと二人で練った案を、脳裏で確認した時だ。

「な」
「あ……」
「げっ」

 路地の角を曲がってきたのは、ディーに絡んでいた三人組だ。
 僕にばったり出会った彼らは、顔を引きつらせているけれど。

「こんにちはっ」

 僕はできるだけの笑顔で、彼らに声をかけた。



 ◆



 彼らはロッド、トッド、ジニと名乗った。
 はみ出しものの荒くれ兄弟で、冒険者として《南辺境大陸》で一旗あげようと向かったはいいけれど……

 初手から凶悪な魔獣にパーティを食い散らかされて命からがら撤退。
 その後も今ひとつ運が向かず挫折して、水夫仕事などして大陸間を往来していたのだけれど、勤めていた船で揉めごと、解雇。
 以降、職を転々として、ついには貧民街でもいっとう柄の良くない場所でクダを巻くようになったらしい。

「……なんつーか、典型的なクズだなぁ」
「うるせぇ!」

 ディーがだいぶ辛辣なことを言って、それに対して怒鳴る三兄弟。
 相変わらず乱暴だ。

「ま、クズっぷりで言ったらアタシも似たようなもんだけどな!」
「はぁ?」
「オメーはまだ若いんだから未来あるだろ未来」
「聖騎士さまに助けてもらえよ」

 ……根はそんなに悪い人たちではないのかもしれない。

「それで、聖騎士さまが俺らなんぞ捕まえてよぅ……」
「おう、どうしようってんだ?」
「言っちゃなんだが、なんの役にも立たねぇぞ」
「そんなことはありませんよ」

 頷く。彼らなら、とりあえず信用できそうだ。

「この貧民街の奥、《薬屋》と呼ばれてる方がいらっしゃいますよね」
「おい」

 三兄弟が血相を変えた。

「そこまで案内して頂きたいのですが、報酬はいかほどお支払いすればよろしいですか?」
「ま、待て、待て! アイツはヤバい!」
「できるわけねぇだろ! 分かってんのか!?」
「んなことしたら――」

 どうもこの恐怖の反応から見ても、事前の情報は正しいらしい。
 メイナード管区長に成り代わった悪魔を切り崩すため、義賊として襲撃や調査を繰り返していたサミュエルさんの手元には、かなりの情報が集まっていた。

 ……街の端々、都市の闇の中に潜んでいるスペキュラーの手先たち。
 直接スペキュラーの存在を指弾しても雲行きが怪しい以上……まず行うべきは、スペキュラー本体ではなく、これら配下の存在を白日のもとに晒すことだ。

 救貧活動のため貧民街に出入りしていたら、なんということだろう、悪魔の拠点を発見した! 《涙滴の都(イリアスティア)》に悪魔が潜んでいるぞ! というわけだ。
 このへん適切に訴えれば、ファータイル王国の上層部や、神殿も動かざるをえないだろう。
 治安維持を担当する戦力が十全なうちに、後手に回らず先手先手で情報を明かしていくなら、市民の疑心暗鬼による騒乱も、最小限に抑えられる。
 そして潜伏する悪魔勢力への捜索が始まれば、スペキュラーは手足として動く悪魔や邪教徒を削られることになる。
 手駒がいなければ、十分な準備が必要となる決定的な決起行動は行えない。

 そうやって、《涙滴の都(イリアスティア)》が悪魔による浸透を受けている、今は平時とは言い切れない。
 ――そういう認識を十分に周知したうえで、メイナード管区長を訴えるのだ。

 この状況まで持ち込んで告発できれば、流石にヴォールト神殿も訴えを無下にできようはずもない。
 少なくとも「一応、その場で即座にチェックをする」べき、十分な名分と危機意識が共有されているのだから。

 もちろん、スペキュラーも馬鹿ではない。僕が大きく動き、末端を切り崩しにかかるのを見たら、この展望を察知して逃亡をはかる可能性もある。
 けれど、ここで僕の方が表立って動く意味が出てくる。……そう、頼もしい風神の使徒の方をフリーハンドにできるのだ。

 サミュエルさんにはこれから、風神の加護やメイドさんの魔法も込みで、管区長の監視につく予定だ。
 真正面から戦えば分が悪くとも、彼らは監視、追尾などにかけては、僕より数段上手の腕前を持っている。

 もしメイナード管区長に化けたスペキュラーが立場を捨てて逃亡するようなら、その時点で奴の社会的なアドバンテージは失われるのだから、僕を含めて追撃して討ち取ればいい。
 もし逃げずに留まるならば、囲いの外から締め上げ、相手の手足を削り、しかるのちに告発する。

 座せば死で、逃げれば死。
 よくよく話しあった結果、そういう流れに持ち込むのがもっとも良いだろうという結論に至った。
 だから――

「とても大切な理由で……どうしても、案内してもらわないといけないのです」

 ロッドさん、トッドさん、ジニさんの目を見て。

「――……お願いします、どうか」

 僕は深々と、頭を下げた。



 ◆



 頭を垂れると、動揺の気配が伝わってきた。

「おいおい、聖騎士さまよぅ」
「やめとけよ、俺たち相手に頭なんぞ……」
「いったい何だってんだ」

 と、言われるけれど頭を下げるしか無い。
 ディーも言っていたけれど、この手の貧民窟みたいな区画は、余所者に対して敏感だ。

 メネルと違って僕はこういう場所でうまいこと立ちまわる知恵と知識はないので、誰か案内人についてもらうか、正面突破するしかない。
 そして正面突破した場合、もちろん大騒ぎになって目的の《薬屋》に逃げられる可能性が上がる。
 うまく案内人を確保できなければ、接近さえできないのだ。

「僕を案内したことで恨みを買う可能性があることは、こちらも承知です。報酬はできる限りのものを用意します。どうか」

 ひたすら頭を下げて、頼み込む。
 最初は僕に頭を上げさせようとしていたロッドさん、トッドさん、ジニさんだけれど、どうにも僕が動かないと分かると沈黙した。

「…………なぁ、聖騎士さんよ」

 それから語りかけてきたのは、ロッドさんだった。

「その言い振りなら、わかってるんだろう。
 隣人がどんだけヤバい奴だろうがお互い様、聞かず語らずがここらの仁義。ましてや余所者に売るなんぞ論外だ。後々、袋叩きにされて沈められるのは、俺らだ」
「…………」
「危ない橋は、渡れねぇんだよ」

 彼の言い分は、もっともだ。できることなら命の危機を回避したい、なんて、誰にだって共通の心情だろう。
 誠意と報酬を以って頼み込めばあるいはとも思ったけれど、それでも虫が良すぎようだ。
 ……いったん退いて、別の手を探るべきかと、そう思った時だ。

「な、なぁ」

 ジニさんが声をあげた。

「兄貴、兄貴よぅ」
「なんだよ」
「俺は、受けてもいいかな、って思うんだ」

 それは、ためらいがちな声だった。

「ジニ……?」
「だってよぅ、ロッド兄貴。……俺たちみたいなのにさ、この人、あれやれこれやれ言うじゃなく、『お願いします』って頭を下げてるんだぞ。
 俺も聖騎士さまの事情はよく知らねぇけどさ。その、なんか、そんだけ大事なことなんだろ。街とか、人の命とか、そういうのがかかったさ、なんか、大事な」

 拙い言葉で。震えるような声だった。

「……俺たちさ、そういうのになりたくてさ。そういうのになりたくて……失敗しちまったけど、駄目だったけど、でも、そういうのになりたかったんだろ」
「おい」
「ジニ」

 たしなめようとするロッドさんとトッドさんに、それでもジニさんが言い募る。

「…………俺、この人が羨ましいよ。なんでこいつばっかりって思うよ、俺たちとの聖騎士さまとで何が違ったんだ畜生って。
 ほんのちょっと、何か掛け違ってたら、俺たちだって、って思うよ。この人、失敗すればいいなって思うよ。
 だからさ、断ってさ、知るかざまぁみろって言うのもさ。きっとそいつは気持ちいいだろうって、思うよ。思うけど。思うけどさ。
 ……でも、それしたら、俺、なんか、兄貴たちと見てた、あの時のキラキラしたもんに、泥塗るみたいな気がしてさぁ……
 上手く言えねぇけど、それは、なんか、すごく……すごくよぅ……」

 誰も何も言わなかった。
 僕も、頭を下げたまま、その言葉を聞いていた。

「嫌か」

 ロッドさんが言った。

「お、おう。嫌だ」

 ジニさんがそう返す。
 ロッドさんとトッドさんは、しばらく沈黙し――

「そうか、嫌か」
「嫌ならしょうがねぇな」
「嫌なこと辛抱するとかよ、俺ら、全然してこなかったもんな」

 苦笑の気配。

「ロッド兄貴、トッド兄貴……」
「ま、いいさ。どうせ後先考えた生き方なんぞ、してこなかったしな」
「……よし、話は決まりだ。頭あげてくれ、聖騎士さんよ」

 言われて頭を上げると、彼らは笑っていた。
 ――いい顔だな、と思った。

「報酬が言い値ってのは、マジなんだろうな?」
「遠慮無くふっかけるぜ?」
「それでもよけりゃ……」
「はい、お願いしますっ!」

 僕は、一も二もなく頷いた。


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