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最果てのパラディン 作者:柳野かなた

〈第一章:死者の街の少年〉

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 冷えきった神殿の広間には、しわぶき一つも拒絶するような、粛然とした沈黙が広がっていた。
 足を蓮華座に組む。
 膝のあたりに、手の甲を置く。
 少し身体を動かして、姿勢を調節する。
 そして天地の間に一本の棒を通すように、背筋をぴんと伸ばし、顎を引いた。
 広い神殿の広間で、静かに目を閉じる。

「………………」

 視覚は閉ざされた。聴覚、触覚、嗅覚、味覚への刺激も限りなく少ない。
 息を吐きだし、吸う。  
 徐々にそれを、薄く、ゆっくりと。
 吐く息と吸う息を合わせて一つとして、数える。
 いぃ、ち。
 にぃ、い。
 さぁ、ん。
 しぃ、い。
 ごぉ、お……

 ただ数を数えることに集中する。
 他に何も考えない。
 雑念が浮かんだら、数を数え直す。



 ――無心に入るというのは、考えないことではありません。

 ――それでは考えまいとすることを考え、不毛な循環に入り込んでしまいます。

 ――そういった観念の遊びでは、己を無心とすることはできません。



 ――無心になるとは。

 ――真に無心になるとは、ひたすらに。

 ――ここにある今、『この瞬間』に集中することです。



 ――すでに過ぎ去ったことへの回想も。

 ――未だ来たらないことへの空想も。

 ――頭のなかから、追い出しなさい。

 ――ただひたすら、目の前の今だけを思いなさい。



 ――神の前に、投げ出しなさい。

 ――過去の自分でも、未来の自分でもない。

 ――ありのまま、ここにある、今の自分を投げ出しなさい。

 ――ひたすらに、ひたむきに、それだけを行いなさい。



 ――秘技などありません。

 ――今を思い、それに集中し、自分を投げ出す。




 ――それが『無心の祈り』のすべてです。




 マリーの言葉が頭をよぎったが、それも息を数えるうちに消えていった。

 いぃ、ち。
 にぃ、い。
 さぁ、ん。
 しぃ、い。
 ごぉ、お……

 ただ繰り返し、数を数えることに集中する。
 他に何も考えない。

 風の音がした。
 遠くで鳥が鳴いた。
 座る自分の皮膚感覚を感じた。 

 ただ繰り返し、数を数える。

 吐く息を。
 吸う息を。
 呼吸の音を。
 心臓の鼓動を感じた。

 ただ繰り返し、数を数える。

 数を数える。

 数える。


 深く。
 どこまでも深い。
 青い海の中へと潜るような感覚。


 深く。
 深く。

 どこまでも、深く――――



 ◆



 ――どれほど長く、『潜って』いたのだろうか。


 りん、と響いた鈴の音に、僕は現実に帰ってきた。
 ずっと閉じていた瞼を開くと、神殿の光景はやけに鮮やかに見える。

 もうすっかり日も暮れて、灯火が辺りを照らしていた。
 冷たい闇の中に、炎の揺らめきに照らされる神々の彫刻はひどく幻想的で、艶やかだ。

 ……人間は色々なことに慣れる。
 ものを見るということに慣れれば、見慣れたものをいい加減に見るようになる。
 聞くことに慣れれば、聞き慣れたことをいい加減に聞く。
 触れることも、嗅ぐことも、味わうこともそうだ。

 それは、刺激に対して効率よく対応できるようになるということでもある。
 けれど、それは、感動を忘れて感性を鈍麻させていくということでもある。

 僕は、深い祈りから覚めるこの瞬間が好きだった。
 まるで生まれ直したかのように、見るもの、聞くもの、全てが鮮やかに感じられる。
 全身の感覚に、こびりついてしまった汚れを全て拭きとったような爽快感。

 しばらく、余韻に浸って、ゆっくりと蓮華座を崩す。
 長時間同じ姿勢でいたせいで、身体のあちこちがぎしぎしと痛んだ。

「……はい、お疲れ様でした、ウィル」

 それを見計らって、礼拝終了の合図の鈴を手にしたマリーが言葉を発した。

「これで、五日間の『沈黙の祈り』の行は終了です」
「お、お疲れ様でした……」


 ……数えで13歳。
 僕が腕に火傷を負ってから、もう5年が経っていた。
 実のところあの火傷は、マリーがまた火だるまになることを覚悟すれば、祝祷術で跡形もなく治すこともできたそうなのだけれど、一応提案されたそれを僕は拒否した。
 マリーをあえて火だるまにしてまで治すほどのものじゃないと思ったからでもあるし、ブラッドが男の勲章だと言ってくれたからでもある。

 古代語魔法によるものも含めた治療を受けつつ、数十日ほど苦しんだ果てに、ガスの予想通りに手のひらから腕にかけて変色が残った。
 かなりよく治った方らしい。
 実はもっとこう、凄惨に膨れた傷跡になることも覚悟していたので、ちょっと拍子抜けしてしまったほどだ。
 ……今もまだ、その『勲章』は僕の腕に絡みついている。 

 あれから僕は、ぐんぐんと背が伸びた。
 マリーとほとんど視線が同じで、ガスにもほぼ背が近づいた。
 ブラッドは、まだ見上げないといけないけれど、凛々しくなったな、と言われた。
 前世の物差しがあるわけでもないので分からないが、もう160センチは越えたんじゃないかと思う。

 ちなみにこっちの長さの単位だと、成人男性が親指と中指をめいっぱい広げた長さが指尺ししゃくという単位になってるようだ。
 たしかコレは20センチくらいだったので、こっちの世界で言うと僕はおおよそ8指尺の身長ってことになる。
 他にも大人の親指の幅が1指尺の1割で1指寸しすん、つまり2センチくらいだとか。
 同じく成人男性が両腕をめいっぱいに広げて1指尺の10倍の1腕尋うでひろ、つまり2メートルくらいだとか。
 他にも様々な単位が色々ある。
 これはこれで厳密な正確さはともかく、体を使って気軽に測れて便利なのだけれど、ついメートル法に換算してしまうのは前世の記憶のせいだろう。
 おっと、閑話休題。

 それで今日まで五日間は、僕はガスとブラッドの授業はお休みで『沈黙の祈り』の行をしていた。
 地母神マーテル系の修道院で冬に行われる、厳格な行事で、マリーも生前に何度も体験したそうだ。
 これが、また、凄い。

 日の出から五日後の日暮れまで、緊急事態以外は全ての発語禁止。
 合図すら鐘や鈴で行い、最低限の睡眠やら以外、あとは殆どひたすら祈りだ。
 起床して祈り、座って祈り、体が軋む頃になると歩いて祈り、適度に調子が戻ったらまた座って祈り、就寝時に祈る。
 食事しながら感謝の祈り、自分を見つめながら対話の祈り、加護を願って請願の祈り、神を称える賛美の祈り。
 ありとあらゆる祈りのレパートリーをこなしたあとに、最後の締めにさっきの無心の祈りを延々数時間。

 ……できるか! アホか! と自分でもメニューを聞いた時に思ったのだが、意外と人間、やればできてしまうから恐ろしい。
 ちなみに当のマリーは、それだけ長時間祈り続けると流石に物理的に消滅してしまうとのことで、僕の補助に回っていた。
 なお、これだけ祈ってもまだ祝祷術が使える気配が見えないあたり、本当に祝祷術は神さまとの相性が大きい。
 マリー曰く、それなりに敬虔な信徒でも術が使えないという人は少なくないそうだ。

 ともあれこの『沈黙の祈り』は、客観的に見てなかなか苛烈な行だ。苛烈な行なのだが……


 ……実はぶっちゃけ、まだマシだ。




 ◆




 マリーの授業は一番厳しくても『沈黙の行』レベルだ。
 普段はせいぜい靴の作り方とか、服の縫い方とか、野菜の育て方とか礼儀にかなった振る舞いとかそういうのだ。
 なんというか、癒やしだ。常識的だ。


 それに比べてガスの授業は、最近、ちょっとおかしい。
 ずいぶん面倒臭そうな顔をしながらも、なんだかんだ授業をしてはくれるのだが、だんだん内容が高度に、そして一度に教えられる量が密になってきた。
 その過密ぶりが冗談にならない。

 さまざまな《ことば》を暗記したり、《ことば》を組み合わせて文節や文章を作ったり。
 それらを上手く発話、朗唱するために発声、発音の訓練をしたり。
 更には幾何学や算術、修辞や弁論といったものから、地理歴史や法学、土木建築、医学や経済、経営まで教えられ、翌日までに記憶しろと言われる。
 翌日テスト。更に詰め込み。更にテスト。十数日に一回は総ざらい。
 ……詰め込み教育というのも生易しい物量攻勢だ。
 正直、僕が音を上げるのを期待しているんじゃなかろうか。

 無論、幾何や算術は前世の記憶が使える。
 割と数学は得意な方であったので、そのへんかなり楽ができると思っていたができなかった。
 なぜならガスは分かっていると知ったら、その分だけ飛び級式にすっとばして、追加で別に教える内容をもってくるからだ。
 もうちょっと三味線ひいておけばよかったと思わないでもないのだが、本気で生きると決めたのだ。
 幸いこのウィルの体はまだ若くて記憶力も良好であるので、なんとか食らいついている。

 ……そして実際、ここまで教えられて分かったのだが、彼の知識はものすごく幅が広い上に、とんでもなく深い。
 いつかブラッドからガスは、《彷徨賢者オーガスタス》と讃えられていたと聞いた。
 彷徨というのは、さまよい歩くという意味だ。
 実際に長いあいだ色々なところを彷徨い歩き、経験と知識の両面から学んだのだろうということが、それと感じられる。

 この世界の文明レベルは、魔法などの一部を考慮しなければ、前世より遅れているはずなのだが……
 生物の構造について話すにしろ、建築の手順について話すにしろ、ガスの語りは淀みがなく実際的だ。
 前世の中世的な学問にありがちな、空想的な部分が入る余地がまったくない。

 ちなみに僕の前世では空想の産物だった、亜人や幻獣の存在について語るときも、ガスの話に淀みはない。
 実際に遭遇した上で語っているらしいその語りを聞いていると、いちいち前世の知識で小賢しく疑うことも馬鹿らしくなってくる。
 ……実際、目の前に、まぎれもない幽霊がいるのだし。

 ともあれ、そういうわけでまず、ガスの授業がこんな超過密スケジュールの教育だ。
 必死に食らいついているが、いつまで食らいつけるだろう。
 ガスは偏屈なところがあるので、一言でも泣き言を漏らしたらあっさりと授業を中止されかねない。
 だから、愚痴ひとつ漏らせない。
 ただただ目の前の、莫大量の課題をこなしまくる羽目になっている。
 きわめて苛烈である。
 ちょっと、これはおかしい。


 ……が、実はぶっちゃけ、それもまだマシだ。


 ガスの授業に比べても、ブラッドの授業はおかしい。
 ちょっとおかしいとかではなく、本当に、極めておかしい。前世風に言えばマジキチである。

 チャンバラごっこから発展して、木剣や木槍で素振りをしたり、型を覚えたりするのはまだ分かる。
 狩りの延長から、罠猟や追い込み猟を覚え、大型動物を仕留めることや、数日森でサバイバルすること。これも分かる。
 そのうち体ができてくると、本格的な走りこみや筋力トレーニングを課すことも、もちろんブラッドの方針からして分かる。

 どこかから用意してきた――子供が触らないように隠すのは当然だ――本身の剣や、本身の槍、本格的な革鎧。
 そういうものを装備して、走り回ったり、素振りをしたり型をなぞったりするのも、戦士の教育として当然だろう。

 だが、そこからがおかしい。
 本当に、マジキチだった。


「よーし、それじゃあ今日から、お前をマジモンの実戦に放り込む」


 ……は?


「言っとくが、お前を殺す気しかない相手が襲ってくるからな」


 …………は?


「じゃ、行くか。もちろん監督はすっけど事故るとマジで死ぬから、死ぬなよ」



 はぁああああああああああああああああああああああ!?



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