どうしようもない
本来十数ページかかるところを短編にしているので早足で進んでいきます。ご了承下さい。
―――昔の話をしようか
え? いきなり何?
付き合って初めての行為を終えたベッドの中で彼がいきなりそんなことを言い始めるから驚いてしまった。
昔の話って龍くんの?
違う? 私の話?
うーん、大して楽しくないよ?
だって本当に普通の女の子だったし。
ん? 元彼の話が聞きたいの?
そんなの止めようよ、面白くないって。
ちょ、分かったよ。話す、話すからくすぐらないでぇ。キャハハハ。
くすぐり攻撃から呼吸を落ち着かせた私は彼の逞しい胸に頬を寄せる。
彼の気質のごとく穏やかな心臓の音を聴きながらゆっくりと口を開いた。
*****
初めての彼氏は幼馴染みで、とても人に好まれる容姿をしていた。
私は赤ん坊の頃から彼に夢中。
いつも彼の後ろをハイハイして、自分のランドセルと彼のランドセルまで持たされながらも、必死で後を追った。
どんなに邪険にされようがどんなに利用されようが、私は彼の側に居るだけで幸せだった。
中学に上がると彼は沢山の女の子と遊んだ。
こうなるともう彼の後は追えない。
流石にデートへ付いていく訳にはいかないじゃない。
元々一度として相手になんてされたこともなかったので、これを機にこの初恋を終らせるのもいいのかもと涙した。
泣いて泣いて目が溶けるんじゃないかと思うほど泣き暮れたけど、それでも彼と離れる決心はついていたのに。
だが、彼はそんな時に限って珍しく後ろを振り返ってしまった。
そして自分の駒使いという存在がないことに気付き憤ったの。
『俺が他の女と寝るのが気にくわないのか図々しい。だったら俺の彼女にしてやる。ありがたく思え』
私はこの言葉に愚かにも有頂天となった。
ずっと大好きだった人の彼女になれたのだから仕方がないよね。
え? 今? 今は龍くんだけが好きだよ。当たり前じゃない。
もう話の腰を折らないでよ。
それでね、彼と付き合ったんだけど………彼の生活も態度も変わらなかった。
一応『彼女』という名は私だけのものだったけど、誕生日もクリスマスもバレンタインも別の女の人と過ごしたみたい。
たまに思い出したように呼び出されて、安いホテルで荒々しく抱かれて終わり。
ホテル代は私が払っていた。
最低だとは思う。
でもね私は幸せだった。
たとえ約束はいつも反故され恋人らしい行為をしたことがなかろうとも、それでも私は確かに幸せだった。
そして、その幸せは突然終わるの。
高校生になってしばらくしたある日、私は彼の数多いる相手の内の一人に包丁でお腹をグッサリ刺されてしまった。
それも彼の目の前で。
彼は相手との関係を切る時にいつも私の名前を出すから、毎回私は彼女達の怨恨の的となり日々嫌がらせを受けていた。
しかしまさか刺されるとは思いもしなかったけどね。
ん? 大丈夫だったよ。今の私はピンピンしてるでしょ。
幸い彼が咄嗟に止めに入ったから傷は浅くて済んだの。
痕は整形手術で消えたし。
だけど目の前で私が刺された彼のショックは大きかったみたい。
俺様で傍若無人だけど、実は誰よりも繊細な人だったから。
もう、怒らないでよ。過去のことだし、聞きたいって言い始めたのは龍くんだよ?
彼はね、それから人が変わったみたいに優しくなった。
女の子とも遊ばなくなったし、今までの行いを土下座で謝罪して甲斐甲斐しく世話を焼き、重度の心配性で私の側から離れない。
それはそれで幸せだった。しかし私の心が晴れることはなかった。
彼は高校三年間、私に対して誠実で素晴らしかっけれど、私はどこかで彼を信用することが出来ないでいたの。
贖罪の気持ちで側に居られても辛い。
それが済んでしまえば再び他の子の元へ行ってしまうのではないか。
彼は必死に否定したけど、そんなの分からないじゃない。
だから、卒業を切欠に結婚しようと照れながら告げられた時も私の心は曇ったまま。
必死にアルバイトをして買ったのを知っていた婚約指輪も私にはなんだか重くて。
私は指輪を置いて彼の元から去った。
親の転勤が重なったので大学も県外に変更し携帯も解約して、彼には何も言わずに引っ越してしまった。
結局私は彼がまた元に戻ってしまうのに怯える小心者だった。
それに耐えきれなかったのね。
これで彼とはおしまい。
今彼がどうなったのかは知らない。
もう過去の人だもの。
今の私には龍くんだけだよ。
え? まだ他にも過去の人が居るだろって?
な、なんで分かったの?
ひゃぁっ、分かった、分かりましたからそんなとこ触らないでぇ。
今日は終わりって言ったじゃない。
体がもたないよ。
もう、龍くんのバカ、エッチ!
彼のいやらしい攻撃を避けるべく今度は彼の胸を押し少し距離を開けてから話始める。
******
私が彼と出会ったのは大学に入ってすぐだった。
今まで元カレ命だった私は他の男性と仲良くするなんて発想はなかったのだけど。
慣れない大学生活で気軽にしゃべりかけてくれた彼とごく自然と仲良くなった。
明るく爽やかで快活な彼は、クールでダークな印象を持つ元カレとは正反対でそれが新鮮だったのだと思う。
学内でも人気の高い彼が彼女に振られ落ち込んでいるという噂を耳にして、心配で声をかけた。
私も元カレのことがあったから気持ちはよく分かるので、その日二人で飲みに行き予想以上に落ち込んでいた彼を慰めると同時に酒の量も進む。
目覚めるとベッドの上で彼と裸で抱き合っていた。
うん、分かってる。
あれは一番の酒の失敗だったと反省してる。
彼も横に居た私に驚いていたし。
今考えると、あの状況では傷心の彼につけこんだようだ。
無かったことにしようと提案したけど、真面目な彼はそれを納得しなかった。
責任を取るからと、私達はそのまま付き合うことになったの。
こんな始まりだったけど一年間は幸せだった。
二人とも元恋人のことを引きずりながらもお互い距離を縮めていき、私の方は彼に惹かれていった。
とても幸せな日々だった。
しかし一年経ったある時、彼の元カノが現れたの。
今付き合っている恋人と上手くいっていないみたい。
彼は突然現れた彼女に困惑してたけど、どこか嬉しげだった。
それから彼女はよく彼と連絡を取っているようだった。
デート中でも彼女から会いたいと連絡が入れば私を置いて飛び出してしまう。
バレンタインデーの日、待ち合わせ場所に現れず寒空の元三時間待たされた後、メールに『彼女が泣いてて今日はそっち行けない。悪い』と入っていた。
その後も恋人のことで悩む彼女の相談に乗るとかで何度もすっぽかされ、私の優先順位が低いのは明らかだ。
そういう扱いには慣れていたはずだったけど、優しくされ過ぎた私には辛かった。
彼も私に悪いと思っているのか、彼女は放っておけないけれど一番大切なのは私だとフォローを入れてくれる。
だから私もその言葉を糧に大学生活をずっと彼を想い過ごして来たけれど、卒業を間近にして彼女は恋人と別れてしまった。
涙を溜めて抱きつく彼女を優しく宥める彼。
私はそれを完全な傍観者として隣で眺めるだけ。
落ち着いた彼女は涙を流しながら儚く言い放った。
『やっぱりアナタじゃないとダメなの……やり直しましょ』
彼は驚きで固まっていたけど、震える華奢な肩を引き離そうとはしなかった。
彼女は額を彼の胸に寄せ、私へと目をやる。
『そういうことだから。申し訳ないけど彼を帰してね』
私はそれに頷くことしか出来なかった。
―――彼は寂しがり屋だから、どうか、もう離さないであげて下さい。
そう言って頭を下げた私に彼女は満足そうに是と返した。
これで私と彼の恋は終わり。
え? その後の彼?
しばらくは私の所へ来て何か言っていたけど、私はすぐに就職してまた他県へ引っ越したからよく分からないわ。
頻繁に電話もかかって来たけど彼女に悪いと思って着信拒否にしたし。
ほら、彼って真面目だから繋ぎで付き合った私も放置出来なかったんじゃないかな。
真実大切な人を取り戻したのだから、私のことなんて忘れてくれていいのにね。
私? 私はもう忘れてるよ。今は龍くんだけ。さっきも言ったでしょ。
え……次の人?
もう、本当になんで知ってるのかなぁ。
龍くんに隠し事って出来ないみたいだね。
うん、浮気なんてするわけないでしょ。
龍くんだけでお腹一杯です。
ちょ、そういう意味じゃないってば。
んっ、ええ!? このままっ!?
無理だよっぁんっ。
分かったから離してぇ。
私は彼にあらぬところを触られながらも必死で脳内の思い出を探る。
*******
まだまだ手慣れない業務に辟易としながらも、なんとか社会人としての生活をこなしていた私。
そんな日常の中で唯一の癒しはお気に入りのカフェでの読書。
常連としてお店の人に顔を覚えて貰えるようになった頃、一人の男性が喋りかけてきた。
その人も私と同じように常連さんだっから存在は知っている。
いつも静かに所定の位置で珈琲片手に読書している年上の男性。
男の人だけどそこらの女性より顔立ちの綺麗な美人。
そんな人がなんで私にって疑問だったけど、私の読んでいる本はいつも彼の愛読書と同じで気になったらしい。
共通の趣味と彼の豊富な知識で私達の会話が尽きることはなく、暫くしてお付き合いを申し込まれた時も迷いはなかった。
彼は広くて綺麗なマンションに一人暮らしをしていて、実家は資産家で今は特に働いてはいないらしい。
彼は静かな場所を好むからデートは大抵家の中で、途中から半同棲になっていた。
優しく穏やかで大人な彼に私は夢中になった。
いつも外食や出前ばかりな彼の為に料理を振舞い、苦手らしい家事も積極的に手伝った。
幸せを噛みしめるような日々だったけど、それは段々とでも着実に形を変えていく。
『僕のママはもっと甘い味付けなのに』
『僕のママはそんな洗濯物の畳み方はしない』
『僕のママはもっと磨くよ』
彼は幼い頃に亡くなった母親が大好きだったらしい。
母親を大切に思う男性は素敵だけど、彼の場合は度を越していた。
“僕のママ”というフレーズが口から出ない日はない。
『君は僕のママと目が似ているんだ。だからあの日声をかけたんだよ。勿論他は全然似ていないけどね、ママは美人だったから』
そう言って笑う彼。
私を見つめる目がいつも愛しげな理由がよく分かった。
彼は私に母親を求めていたの。
お金持ちだったけれど彼の母親は家を他人の手に任せるのを良しとしない素晴らしい人だったそうで、私も期待に応えようと頑張ったけれどいつも彼をがっかりさせてしまう。
だからだろうか。
お酒を飲むと彼はいつも私に暴力を振るい、そのまま乱暴に抱かれる。
次の日の朝、酔いのさめた彼が必死で謝る。
そんな不安定な彼を私も見捨てることが出来ずにいた。
もう、怒らないでったら。
過去のことだよ。
今は龍くんが守ってくれるから暴力なんて無縁なのは知っているでしょ。
落ち着いた? よかった。
でね、暴力は日増しに酷くなっていったのだけれど、私を殴り首を絞めながら彼はぶつぶつ呟くようになったの。
『ねぇママ。なんで叩くの? 僕がキライ?』
『痛いよ、止めて、優しいママに戻って』
その口調は幼く、まるで何かに怯えているようだった。
彼が私に暴力を振るうのは防衛本能だった。
幼い日のトラウマに捕らわれたままの彼。
私は抵抗を止め、好きなように殴らせた。
それが落ち着くと彼の頭を抱き寄せそして囁くの。
―――大丈夫。もう怖いことはないよ。痛かったね。頑張ったね。
これをすると彼の強張りが解けわんわんと泣く。
抵抗しないから身体はボロボロだったけど、暴力を振るう日は段々と減りその内完全に消え去った。
彼は母親のことを乗り越えたようで、もう“僕のママ”は口にしなくなっていた。
その後父親の跡を継ぐ為に就職して、元々優秀な人だったからすぐに頭角を現したみたい。
私を宝物か何かのように大切にしてくれるし、絵に描いたようなキラキラした日々だった。
でもね、一人の女性がマンションの前に待ち伏せしていたことにより事態は急変する。
二人仲良く休日のショッピングを終え帰宅した時だった。
マンションのエントランス前に佇む一人の女性が彼を見つけ駆けてきた。
彼に綺麗な笑みを浮かべ私にキツい睨みを寄越す彼女は、彼の婚約者と名乗った。
父親が勝手に用意しただけだと彼はすぐに否定して彼女を摘まみ出した。
儚げな美しさを持っていた彼は今や美しさの中にも頼りがいのある逞しい男性に成長していたので、きっと彼の父親も次のステップをと考えたのだろう。
そして私は気付いてしまう。
私が彼の側に居てはダメだってことを。
私は母親の代わりだったから。
立派になった彼にはもう代理の母は必要ない。
母親に似ている女が居てはトラウマからの完全なる解放は成し得ない気がした私は、仕事を辞め彼の元から去った。
これで本当の本当におしまい。
あとは龍くんとの出会いが待っているわ。そこは知っているでしょ。
え?……うん。……うん、そうだね………辛かった。
三人と過ごした時間は幸せだったけど、辛かった。
グスッ、ありがとう龍くん。
なんだか当時の気持ちが報われて成仏出来たみたい。
そっと優しく包み込む腕の中で考える。
さて、この男はどんな風に私を不幸にしてくれるのだろうか、と。
色んな男に振り回されて利用され、それでも一途な私………嗚呼、なんて可哀想なのかしら。
考えただけでゾクゾクする。
私が唯一愛すのは、恋人に虐げられる可哀想な自分だけ。
最低男達は可哀想な私を演出してくれる最高のスパイスなのだ。
それなのに一番目の最低俺様浮気男も三番目のニートマザコンDV男も簡単に改心しちゃって、つまらないったらないわ。
二番目の元カノ執着優柔不断男はじわじわと良い感じだったけど、フィナーレで元カノを選ばなかったのには興醒めよ。
でもこの男には期待してるの。
私の勘が言ってるもの。
こいつは私をずっと不幸にし続けてくれるってね。
さてさて、どんな駄目男なのかしら。
ワクワクしながら眠りに就く。
そんな私を見つめる男の目はどこまでも優しい。
「おやすみ、俺の天使。よい夢を」
額に口付けられて完全に夢の中へと旅立つ。
「不幸に酔うのは気持ち良かった? あいつら君を捜して廃人みたいになってるよ」
遠くの方で男のくぐもった笑い声が聴こえる。
「だがもう隠し通すのも難しいみたいだ。だから、この先は俺の手で直接君を不幸にしてあげる」
首に鎖の付いた首輪を嵌められるが眠っている私に抵抗など出来るはずもない。
「この部屋に一生監禁して俺が一から十まで世話する。孕ませるけど子供には会わせない。ムカツクから。な? 不幸だろ?」
男は眠る私の顔中を丹念に舐め回す。
「俺は世界一の幸せ者だ。待っていてくれ。大切に大切に真綿で包むよりも大切に世界一の不幸者にしてあげるから」
新しい恋人が最凶ヤンデレ男であることを知るのは、もうすぐ。
そして気付くのだ。
不幸とは、同情する者があってこそ気持ちのいいものだと。
どうしようもない男にばかり惹かれるどうしようもない女は、最後に最もどうしようもない人間を引いてしまったのであった。
ただのM女の話でした。