返歌を贈ろう!
マジで書くこと無くなってしまった!
今回は『返歌』についてお話ししましょう。
返歌とは、複数人、特に二人でする歌によるコミュニケーション(ネイティブに)です。
先に歌を贈り、歌を受け取った方は、その歌の返事を歌にして返すという、ロマンチックな交流です。
その昔、男女の交際は歌によって行われていたそうです。
男が歌を贈り、受け取った女が気に入れば夜を共にする。
なので、歌の上手い男はモテモテで、また、歌の上手い女もモテモテだったそうなんです。
特にモテモテだった女として名高かったのは、和泉式部だったでしょう。
あの藤原道長すらドン引きさせ、紫式部に「アイツはテラヤバス」と言わしめた伝説の色女です。
前述の通り、小式部内侍の実のマミーです。
そんな恋多き女、恋愛の達人である和泉式部に焦点を当てて、返歌について解説していきます。
彼女も晩年は丹後でひっそりと過ごしました。
和泉式部が本気で愛した人を亡くし、新しい夫がいるのにも拘わらず、日々をさめざめと丹後で暮らしていると、亡くした恋人の童(使いの小僧)がやって来て、彼女に橘の枝を渡して訊きました。
「この花を見て、何を思うか」
実はこの花は恋人の実弟からのもので、皇族の方でした。
彼女は口頭では失礼だと思い、歌をしたためます。
『薫る香に よそふるよりは ほととぎす 聞かばや同じ 声やしたると』
意味:花を理由に私の生死を確かめてるけど、それより私は貴方の声が直接聞きたいわ。
貴方が兄宮様と同じ声なのかを。
それを見た弟宮様は、彼女に返歌を贈ります。
『同じ枝に 泣きつつおりし ほととぎす 声はかわらぬ ものとしらなむ』
意味:同じ枝で鳴いているホトトギスみたいに、私の声は同じですよ。
この時、既に弟宮様は和泉式部に惚れていたと思われます。
声同じだから、会いに来なよ? ベイビー!
的なアプローチに見えますからね。
それに和泉式部もキュンとなりますが、敢えて返歌を贈りませんでした。
恋愛は百戦錬磨の強者である和泉式部の焦らし作戦なのです。
堪らず弟宮様は和泉式部に歌を贈ります。
『うち出でても ありにしものを なかなかに 苦しさまでも 嘆く今日かな』
意味:告白しなければ良かった。
貴女に告白したばかりにこんなに苦しく、嘆く今日を過ごしています。
魚が掛かった瞬間です。
これに対して、和泉式部が必殺の返歌を贈ります。
『今日の間に 心にかへて 思ひやれ ながめつつのみ すぐす心を』
意味:今日一日くらいなんてことないでしょ。
私はあの方を亡くしてからずっとそうして過ごしているのよ。
それくらい察しなさいよね。
これが日本最古のツンデレだと言われています。
(嘘です。ただの個人的見解です)
和泉式部の前ではたとえ宮様でも赤子同然です。
勝負になりません。
こういう恋の駆け引きをしてたんですね。
メンドクサ……。
でも、返歌は今で言う所のライン的なものです。
読んだら返すみたいな。
余談ですが、和泉式部は最後にこんな辞世の歌を遺しています。
『あらざらむ この世の外の 思ひ出に 今ひとたびの 逢うこともがな』
意味:私はもうすぐ死ぬでしょう。
せめて死ぬ前にもう一度だけ貴方に抱かれたいわ。
如何でしたでしょうか。
恋に生きた女
―和泉式部―
では、また来週!
え?
話題がズレてる?
気付かれましたか。
こればかりは例を出せませんから、仕方がありませんね。
いやぁ、残念だ!
その代わり、前回の謎掛けの答えをお教えしますので、ご容赦ください。
『稲実る 草花繁る 歌の葉に 水汲みし場と 思いけるかな』
これは、四つの文字を隠しています。
稲実るは、田。
草花繁るは、野。
歌の葉は、詩。
水汲みし場は、井。
『田野詩井』つまり、『たのしい』
意味は、楽しいと思います。
分かった方は才能アリです。
分からなかった方は私の才能がナシです。
気の合う仲間同士で返歌のやり取りをしたりすると物凄く知的に見えます。
是非、お試しを!