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真夜中は別の顔
1話 東大生、藤林悠輔
 わが国最高峰の名門東都大学にこの日最後のチャイムが鳴り響く

 六限目の授業が終わると窓の外は闇の中。

 日は長くなったといってもこの時間になると真っ暗になるのは仕方がない

 藤林(ふじばやし)(ゆう)(すけ)は窓の外を見た後、大きなため息をつきGショックで時刻を確認した。

 時刻は午後八時半。いつもの木曜の帰宅時間。

 悠輔の木曜日はどういうわけか単位取得に関わる授業が畳み込むように入ってしまい、さらにこの時間に授業があるため開放されるのがとにかく夜遅くなってしまう。

 嫌だなあ──

 悠輔はそのことがとても憂鬱で思わず顔をしかめた。

 そこらへんに居る普通の学生はなんとも思わないだろう。

 これから家に直行するなりバイトするなり合コンするなり思い思いの時間がすごせるのだから。

 でも、自分は違う。そんな自由があるのならわけて欲しいほどなのに──

「よお、藤林。おっつー」

 そんな悠輔に声を掛けてきたのはひょろりと茶髪で背の高い同級生の石野(いしの)(まこと)であった。

 だか、その問いに悠輔は不機嫌そうに黙ったまま机に出してある教科書やルーズリーフを片付け始めた。

「おいおい、シカトかよー。まあいつものお前らしいっちゃお前らしいけど」

「用件があるなら早くしてくれる?」

「……ホントお前って愛想ないな~。まあいいや」

 そんな悠輔を見て石野は骨っぽい顔に苦笑いを浮かべ言葉を続けた

「今日さあ~、合コン入ってるんだ。」

「断る」

「おいおい。内容聞かなくていいのかよー。相手は美人ぞろいの日立川女子大っていうのに……」

「今日、僕は忙しいんだ」

「嘘つけ。ホントはこの前の合コンでゲットした彼女に示しがつかないからだろ」

「………」

 ──本当に能天気な奴だ。

 そんな彼を見て悠輔はもう一度かれをじろりと睨んだ。

 軟派者で不真面目そうに見える石野だが、こう見えても名門私立紅明高校出身で将来の夢は外務官僚とか言っている絵に描いたように典型的な東大生だ

 だが、悠輔はそんな同級生たちの見た目と野望のギャップを見るたびに心の中で生まれる苛つきをどうしても隠すことが出来なかった。

「でも、いいよなあ~。初めて合コンに行ったお前が合コンのプロである俺よりも早く女をゲットできるなんて……世の中って本当に理不尽にできてるよなあ」

 その一言が悠輔の中に決定的な亀裂を生んだ。

悠輔はドンと机をたたくようにして席から立ち上がると、黒縁の眼鏡をぎらりと光らせて石野を睨み付け一言言った。

「どいてくれる?」

 その一言だけでおしゃべりの石野はぴたっと黙り込んだ。

 いつも決して愛想のいい相手ではない藤林悠輔ではあるが、今の彼の眼鏡の奥の瞳は怒っているとかという次元を超えて恐ろしく冷たく不気味に光ったのだ。

 それを見た以上、石野は息を呑んで黙って道を譲るしか出来なかった。

 悠輔はそれを見て、悠輔は挨拶もせずに急いでリュックを背負い講義室を出た。

 ──少しやりすぎたかもしれない。

 会談を駆け下りながら先ほどの石野の表情を思い出して悠輔は少し反省の色を見せた。

 だがその反省は軽蔑している軟派者の石野に対してではなく、同級生にほんの少し本当の自分の顔を見せてしまった自分自身への反省だった。

 それを隠すかのように悠輔は平然とした顔をして第四講堂から出てきた。

 外はどっぷりと日が暮れ、小さな街灯が古臭い第一講堂をぼんやりと照らしていた。
挿絵(By みてみん)
 日本最高峰の学校として燦然と輝かしい歴史のある東都大学──

 藤林悠輔は出身地である三重県内のさほど有名でもない進学校から現役合格を果たした十九歳の二期生だった。

 見た目は暗い茶色に染めた髪に黒縁の眼鏡、背はさほど高いわけでもないが雰囲気はどこか大人びているように写るかもしれない。

 二期生だから大学にはまあ慣れた方。単位はギリギリの状態だけどとりあえず留年しない程度にがんばっている。

 だけど悠輔はそれほど大学生活に固執しているわけではなかった。

 ほかの同級生が口走る総理大臣や事務次官とか言う大きな野望なども自分にはあまり存在しない

 ──否、彼はそんな野望を持つことを極端に避けてきた。

 理由はただ一つ。それが彼の家の問題であった。

 藤林家は地元である伊賀上野ではかなりの名家であり、家長である悠輔の父親は地元選出の県議会議員もする地元の名士中の名士という存在だ。

 自分の家がただの地元の名士であるだけならまだ事は複雑ではない。

 自分の家は普通じゃない。そして自分自身も普通ではない──そのことは悠輔が生まれたときにはもう頭の中にすり込まれていた

 結論から言えば悠輔は忍者であった

 今の時代に忍者? 冗談を言うものではない──と言われそうだが、実際に今──この時代に忍者をしている者たちが本当に影で存在している。

 それを裏で取り仕切っている悠輔が育った藤林家──否、伊賀藤林流であった。

 そして、悠輔は一介のエリート大学生である前に、伊賀藤林流の奥義継承者である次期家元として現代の伊賀忍者を率いる若きリーダーであり、それこそが自分の本来あるべき姿だと思っていた。

 でも、だとしたら僕は何故東都大学を目指したのだろう?

 それを考えると小一時間理由を考えるのに苦慮してしまう。たいした夢も野望も抱かず自分試しに入った学校なのだから。

 ただ、今言えるのは軟派者の癖に野望だけはでかい同級生たちと自分は明らかに立場が違うということ。

 それ故に悠輔はアフターを好き好きに過ごしている同級生たちが恨めしく羨ましく思えた。

 僕は君たちとは違う。僕にはやるべき任務があるんだ──

 帰宅を急ぐ学生たちを横目に悠輔はすっと前を向いた。

 日本一有名な校門といわれる東都大学の赤門前には一台の黒い車が止まっていた

 それは決して目立つような外車ではなく、ごく普通のブルーバードシルフィであったが校門前で帰りを急ぐ学生たちはその様子に思わずはっとさせられた。

 それは悠輔が知らず知らず放つ気高い空気に一瞬だけ気づいたのだろうか。

 だが、悠輔は彼らを気にするそぶりも見せなかった。

 どうせあと十分もたったら僕のことなど当に忘れてしまうだろう。目の前には輝くほどの娯楽が彼らを待っているのだから──

 迎えの車に乗り込んだその瞬間、悠輔は昼間見せている平凡な学生の顔を一気に脱ぎ捨てる。

 この車に乗り込んだそのときには自分はもう別の顔──東京においての伊賀忍者を統べる若き頭目の顔に変わる。

 悠輔は眼鏡の奥に潜む威圧的な鋭い瞳で若い男の運転手に合図を送る

 それと同時に無言のまま車はゆっくりと校門を離れていった。

「お疲れ様です──家元」

 運転手の男は悠輔よりも一回り近く年が離れているのにかかわらず丁寧な言葉で彼に話しかけた。

 その一言を聞いて悠輔は後部座席にゆっくりもたれながらむっとした様子頭をかいた

「やれやれ……木曜日にこんな約束とはね」

「そんなこと言わないでくださいよ。家元」

「だってさ、横目で同級生どもがこの後遊ぶだの何だの聞かされてみてよ。こっちだって気持ち抑えられないじゃんか!」

「それはまあ……そうですが」

「僕だって伊賀藤林流の家元である前に一介の大学生なんだよ。もっと自由な時間が欲しい」

 後部座席でぶつぶつと文句を言う悠輔の顔は一瞬だけ天才忍者から我が侭な学生の顔に戻っていた。

 それを見て運転手の男は苦笑を浮かべた

「家元、忘れないでくださいよ。あなたは大学生である前に我々伊賀東京部隊を束ねるべき首領なのですよ。もっと自覚をもってください」

「──少し口が過ぎるんじゃないか? 望月(もちづき)

 悠輔は一言そう言い放つと、口元にひやりと冷たい笑みを浮かべた。

 バックミラー越しに悠輔のその笑顔と鋭い瞳を見たその瞬間、望月と呼ばれたその忍者はそれ以上何も言うことができなくなった

「僕は別に他の奴らみたいに好き勝手に遊びたいなんて思ってないよ。気持ちが抑えられないって言うのは奴らに対して苛々しているだけ。それだけさ?」

 運転手の望月にそういわれたのが相当心外だったのだろうか──悠輔はさらに不機嫌そうになりながら一息にそういって見せた。

「申し訳ありません。そういう意味でしたか……」

「でも、まあ君たちの言い分もわからないわけじゃないよ」

 そう言うと悠輔は深いため息をついて足組みした。

「東都大に入学する際も父さんにしつこく言われたからね。学業よりも忍者家業を優先しなさいって。
ま、おかげで単位はいつもギリギリでこんな時間まで授業出る羽目になってるけどね」

「はあ……」

「でも、僕ってすごいと思わない?」

 そう言うと悠輔は目を輝かせながら身を乗り出した

「伊賀──否、忍者の長い歴史を見てこれほどまでに忍術と学業を両立したのって僕だけじゃない? 東都大出身の忍者なんて後先考えても僕しかいないかも!」

「そうですね……」

「まあ、父さんに言われた東京に進学する条件が伊賀東京部隊の指揮なんだから、学業が忙しいなんて文句にもならないね。それに、僕はこう見えても今の状況を楽しんでいるんだから」

「はあ……」

 自信満々にそう言い放つ悠輔の表情を見て望月はそれ以上何も言うことができなかった。

 彼の表情には自分より年若き青年に対して深い畏怖の念があるようにさえも見えた。

「ところで、今日僕に会いたいって人は誰なんだい?」

「は……」

 そう言うと望月は前を見たまま落ち着いた口調で説明し始めた。

「その資料にも書いてあると思いますが……今日あなたにオファーを出したのは警視庁情報管理室の相馬(そうま)(やすし)警部。おそらくですが──」

「警察が僕の──否、伊賀の力を求めてるってことか……」

 悠輔はそう言うと深いため息をついて後部座席に深く座りなおし、手前の座席ポケットに入っていた資料にざっと目を通した。

 警視庁の相馬泰警部か──その名をつぶやきながら悠輔は資料に添付されていた顔写真を見た。

 歳は38歳、それにしては髪は灰色っぽく顔もやせこけていて悠輔の目には記載されてる歳の割りに老けて見えた。

「しかし38歳の警察幹部か……向こうも僕たちのこと少しは勉強してきてるのかな?」

「さあ……それは」

「どうも信じられないところがあるんだよね。こう言う関係の依頼って……警察が僕たちに協力を仰ぐのなんて今更って感じがあるし、裏でどこかと両天秤かけてんじゃないかなって思っちゃう」

「………」

 その問いに望月はそれ以上何も答えず黙ったまま車を進めた。

 悠輔を乗せた車はどんどん都心へと向かっていく。

 窓からは様々な街の光が絵の具のように混ざり合って窓から車内を煌々と照らした。

 悠輔はその光に照らされた資料をじっと睨みつけそのまま恐ろしいくらい押し黙った。

 その顔にはもはや今時の大学生の顔などひとかけらもない。鋭い眼光と静かな殺気をまとった彼は完璧に伊賀忍者を統べるべき若きリーダーの顔になっていた。

 その時だった。しんと静まり返った車内に携帯の着信音がけたたましく響いた。

 悠輔は表情を崩すことなくゆっくりと携帯電話を取り出しディスプレイを見た。

 (かのう)陽一郎(よういちろう)──悠輔にとって従兄であり彼が最も信頼する参謀であった。

「よう、悠輔。学校終わったか?」

 着信すると電話の向こうの声は思いのほか明るい声で悠輔に話しかけた

「今そっちに向かってるところ」

 悠輔は陽一郎のその声に笑いもせずに冷たく答えた。

「で……何かわかったの?」

「まあな、お前の言われたとおり時間が許せる限り今日の件を調べたぜ──まったくお前って人使い悪いよな。おかげでこっちは時間ギリギリで──」

「いいから、情報だけ教えてくれない」

「……わかったよ」

 呆れたような声で一言そうつぶやいた陽一郎は一息置いて今まで調べた限りの情報を悠輔に教えた。

 それを悠輔は黙ったまま聞き取った。その表情はやはり先ほどとさほど変わらない。

 むしろ先ほどより険しさと近寄りがたさが強くなったような──そんな感じが受け取れた。

「わかった……」

 悠輔はじっと目を閉じると一言そう言った。

「僕がそっちにいくのはあと十五分ほどだ。そういうことだから、後は任せたよ」
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