同時刻──銀座
彼は早めの昼食を軽くとりながら事務所にある小さなブラウン管テレビを見ていた
新東京テレビのニュースショー、人気アナウンサーの中島雪季絵が淡々と読むニュースに彼はおにぎりをもつ手を止めていた。
「五月十五日、渋谷で起きた男女五人を殺傷した通り魔事件の解決にかかわったとされる大学生に昨日渋谷署から感謝状が贈られました」
「……ほう」
そのニュースを聞きながら彼は手元のリモコンをつかって音量を上げた。
ずっと注目はしていたニュースであった。
凶器を持った通り魔を大学生ごときが簡単に制圧するなど普通ありえない。ありえるとしたらその大学生が普通じゃないという可能性しかない。
それを思うと彼はその大学生の正体が気になって気になってしょうがなかった。
だが、その大学生の名前と表情がブラウン管に映し出されたそのとき、事務所のドアが開き一人の同僚が彼を呼んだのだ。
「応野君、食事終わったかな? 終わったんなら手伝って欲しいんだけど……」
それを聞いて彼は持っていたおにぎりを一口で食べ、ペットボトルのお茶を胃に急いで流し込んだ。
そして、席を立ち上がるとにっこりとやさしげな笑顔を浮かべた
「ええ、今すぐいきますよ」
同僚の男は思わず応野邦彦の姿を呆然と見上げた。
彼はまるで聳え立つ壁のように身体が大きくそして頑丈そうだった。
毎日彼を見ていて慣れているからとはいえ、立ち上がるとどうしてもその身体に見入ってしまうのであった
「応野君っていつからこんなに身体が大きくなったの?」
同僚の男のその問いに、邦彦は嫌な顔一つせず淡々と答えた
「そうですね……大きくなり始めたのは小学生の高学年あたりかな?」
「え!? そのころから……」
「仕方ないですよ。うちの家系は身体が大きな家系ですから──」
そういうと邦彦はふふっと笑った。威圧感のある体型ではあるが彼の笑顔はとても柔和で親しみがもてるものであった。
「それで、何か問題でもあったのですか?」
「いや……ね、ちょっとお店の方が忙しいらしいからさ」
「ははあ……わかりました」
邦彦はそう答えると、椅子にかけてあった法被を大きな身体に羽織った
そこには『JAあおもり』とでかでかと書かれていた。
「じゃあ、そっちにいきます」
そう言うと応野は巨体を揺らしながらゆっくりと事務所の外へ出た
銀座の路地にある青森物産館。そこは昼時の買い物客で盛況で満ち溢れるような活気に沸いていた。
応野邦彦は本来ならば青森の農協職員なのだが、半年前に転勤になり東京のアンテナショップに派遣されてきた。
主な仕事は各企業への青森の特産品の売り込みであるが、時々だが頼まれて店の手伝いも買ってでていた。
「お客さん! 青森りんごのタイムセールス中ですよー! これ3つで198円! 東京では考えられない安さでしょー! 買うなら今!ここで!ですよー!」
応野の先輩のJA職員安嶋がそう声を掛けたそのとたん、店内の買い物客がどっと押し寄せてくるような感覚に邦彦はおそわれた。
そう今のご時勢、誰しもが値段に敏感になっている。もともと物価の高い東京だとそれは尚更だった。
タイムセールが始まったとたんビニール袋に入ったりんごの詰め合わせは飛ぶように売れ始めた。
まるで、デパートのバーゲンセールだ……邦彦はそう思い顔を引きつらせそうになったがすぐに考えを入れ替えにこやかに笑いながらりんごの入ったビニール袋を客に渡していた。
しばらくして、タイムセールス用のりんごの袋も少なくなり、客もそろそろまばらになってきたかと思ったとき、邦彦の前にワゴンよりも小さなお客さんが百円玉2つを握り締めた手を差し出していた。
それに気づいた邦彦はその手の持ち主をチラッと見た。
まだ5歳ほどの小さな女の子だ──それを見た邦彦は少し微笑ましい気分になった。
そして安嶋に気づかれないように袋の中にもう一つおまけのりんごを入れて彼女の前に出て身体をかがめた
その瞬間、女の子は顔を硬直させた。
いくら身体をかがめても190センチは超える偉丈夫の身体だ。子供が威圧感を感じないわけがなかった。
「はい、どうぞ……」
なんともにこやかな笑顔でりんごの袋を渡そうとしたとき、応野の前で女の子は堰を切ったように泣き始めた。
それはどんどん大きくなり誰もが収集がつかなくなるほどだった
「応野君……君が子供の相手しちゃだめだろう」
それを見ておろおろしている邦彦を見上げながら安嶋はあきれた声を出した。
まるで、自分の身体が大きすぎるのが原因だと言わんばかりに。
「すいません……うちの子が」
騒ぎを聞きつけてか女の子の母親と思われる女性が彼女の前に駆けつけた。
しかし、彼女は泣き止むことはなくさらにいっそう何声を大きく上げた
「この娘なにかしましたか?困らせてしまってすいません」
「いえいえ、いいんですよ。こちらこそ対応不足で……」
女の子の母親と先輩の安嶋が会話に気を取られている間、邦彦ははっと何かを察した。
ついさっきまでそばで泣きべそをかいていたあの娘の声がまったく聞こえなくなっていたのだ。
邦彦は込み合う店内をくまなく目で探した。そして一瞬だけアンテナショップの出入り口から出ていく彼女の靴を見つけたのだ。
その瞬間、邦彦はすばやく売り場から離れて彼女の後を追っていた。
「ちょっと、応野君──」
急に動き出した邦彦の巨体に驚いた安嶋は彼を制止しようとした。
だがその直後、母親はおろおろした様子で一言言った
「あれ、由美ちゃん──どこ?」
「え──?」
女の子の母親と先輩の安嶋が置いてけぼりにされているその時、邦彦はアンテナショップの外へと飛び出した。
彼の目の前の道路には女の子がりんごの袋を重たそうに持ってたどたどしく歩いていた。
邦彦はそれを見て声を掛けようか一瞬戸惑った。
先ほどみたいに自分の姿におびえ泣かれてしまっても困る話。だが、放っておくわけにはいかない──
そう思った瞬間、邦彦は何かの気配をすばやく感じ取り女の子の遥か前方を見張った。
そこには猛進してくる大型トラックの姿が見る見るうちに近づいてきたのだ。
その瞬間、邦彦の表情はガラッと変わった。細くて柔和だった瞳を鋭く見開いた瞬間、彼はアスファルトを強く蹴り、トラックの目の前の女の子めがけて走り出した。
けたたましく鳴り響くトラックのクラクション、それを見て呆然と立ち尽くす女の子──
駆け寄った邦彦が彼女を抱き寄せたそのときにはトラックはすぐ眼前にせまっていた。
それでも邦彦はまったく焦ることなく彼女を抱き寄せるとトラックに背を向け身体をかがめた。
次の瞬間、事態は最悪の結果を生んだ。
けたたましい急ブレーキ音とともに響く鈍い音。トラックは女の子がいた場所から少し流れてからゆっくりと停止した。
「由美ちゃん──!」
女の子の母親はそれを目撃して声にならない声を叫び駆け寄った。
ざわざわとただ回りのギャラリーの潜み声だけが大きく響く現場。
誰しもが少女とそれを守ろうと飛び込んだ青年の安否を絶望視したそのときであった。
「ママ……」
駆け寄った母親の耳に細い声大きく響いた。
母親ははっとトラックの足元を見た。そこにはまるで大きな岩のように立ちはだかった男に守られるように女の子がきょとんとした表情で周りを見回していた。
「由美ちゃん!」
それを見て母親は安堵の表情を浮かべ彼女に駆け寄った。
しかし、その次に襲われたのは娘の身を挺して守ったアンテナショップの店員への罪悪感だった。
トラックと激突したのだ。彼はきっと助かってはないだろう──
そう思ったその時だった。
彼はぱちっと目を開けると何事もなかったかのようにゆっくりと立ち上がった。
そして、ゆっくりと肩を回しながら一つため息をついた。
その様子を見て、周りのギャラリーは驚嘆のざわめきを強めた
──当たり前だ。大型トラックともろに激突したというのにけろっとしている男が目の前にいるのだから……
「──応野君?」
そこに焦った表情で駆けつけた安嶋が声を掛けた
「君、無事なのかい? 怪我はないのかい?」
「え──?」
それを聞いて邦彦は不思議そうな顔をした。
ちょこちょこ肌の表面からは血が滲んでいたが、ただのかすり傷だとはわかっていた。
「別にどこも痛くありませんけど……」
「そういう問題じゃないでしょうが!」
そう言うと安嶋は少し怒った様子で言い放った
「君はトラックに撥ねられたんだよ。それでどこも痛くないなんてありえないでしょ」
「はあ……」
その問いに邦彦は返答に困った。
まさか言えるはずがない。自分は状況に応じて身体を鋼化できる特異体質だなんて──
「とにかく、今すぐ病院に行きなさい!」
「でも──」
「でももクソもないよ! 君は車に轢かれた怪我人なんだから!」
「はあ……」
その言葉に邦彦は困ったように頭をかいた。
──少し問題があったかもしれないな。
邦彦は自分が激突したトラックのヘッドバンパーが大きくへこんでいるのを見て、事の重大さを痛感し始めた。
きっと渋谷で通り魔を鎮圧したあの大学生も同じような気持ちだったのだろう。
自分たちの力はこんな大勢の人の前で露にするにはあまりにも危険すぎる。彼らの前で自分の存在を世間に誇示するのは忍者としてあってはならないことだ──
だが彼も自分も同じ言い訳をするであろう。こうするしか他なかった──と。
救急車のサイレンが遠くから急激にこちらへ近づいてくる。
多分どこを診ても異常は見つからないとは思うけど、あれに乗るほか残った手段はなさそうだ。
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