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蒼刃

作者: 夏夜やもり

 慶応三年の夜は深く、何も無しでは一寸先も見えない。


 京の夜もご多分に漏れず暗く深いのだが、今日の様な妙月の蒼夜である場合は話が違い、随分と見通しが立つ様であった。


 この鮮やかな闇を、男が三人歩いている。


 先を歩く者は身なりも豪奢ごうしゃであるが、随分と酒を食べたらしく、足取りがやや危うい。派手な朱鞘しゅざや金象嵌きんぞうがんつばこしらえをした、華やかな差料さしりょうから洒落た武士に見える。


 後ろ二人は自然体の者と少し緊張した様子の者で、最後尾についた緊張している者は提灯を携え、ひたひたと歩く。二人は浅葱色あさぎいろにだんだら模様の羽織りを着ていた。



 男達は銭取橋ぜにとりばしたもとまで来た。ここを越えると、機を逸してしまう。自然体の男が声を掛けた。


「武田君、そろそろどうかね?」


 彼は新選組三番隊組長、斎藤一さいとうはじめである。


 武田と呼ばれた男は、先程まで新選組五番隊組長()()()武田観柳斎たけだかんりゅうさいである。斎藤の呼び掛けに、武田は少し気だるそうに振り向き、言った。


「そうだな。始めるか」


 しかし、軽く首をひねり、更に言葉を続ける。


「ああ、私は今着込みを付けている。普段の用心でな。心得てくれ」


 斎藤は少し笑った。


「そうかね」


 近年流行りの舌刀ぜっとうという奴かな?と思い、少しだけ笑みに別のものが混じる。


 相手より優位に立ち、自ら体を崩させてしまう目的で、口舌を刃として扱うわざ。具体的には会話に嘘や情報を織り交ぜて相手を戸惑わせ、普段の技量を出しにくくする。たしかそういう術だった筈だ。


 有効なわざだとは思う。特に力量が拮抗した闘争では効果があるだろう。ただし口数の少ない斎藤好みの技法ではなく、また、その類の術は虚剣であり、実剣を磨く武を自らの本分としている彼には合わないと思っていた。


 彼は笑うだけで相手にしない。実はこれが斎藤の舌刀でもある。しかし、相方である新撰組監察、篠原泰之進しのはらたいのしんがからかった。


「恥だと思うなら脱ぎますか?」


 その言葉を斎藤は手を振って制する。


「いや、いいさ」


 呑気そうに言って鯉口こいぐちを切り、備前びぜんは無銘の古刀、深反り二尺六寸を抜いた。常寸よりも長い得物を、余りにも自然に、音も無く抜いた業に、武田は当然、篠原でさえも虚を突かれ、後じさる。


「貴様!?」

「ご託宣たくは結構。始めましょうや」


 穏やかに言った斎藤に遅れ、武田は山城やましろらしき、品の良い古刀二尺三寸五分を引き抜く。しかし、慌てて抜いた為か、豪華な朱鞘が悲鳴を上げた。


「...っ」


 沖田ならばこの鞘音だけで相手に興味を無くすかもな...などと斎藤は心内こころうちで思い、苦笑が零れる。


「何を笑っているのだ、斎藤!?」


 問いには答えず、笑みを消した斎藤は片手正眼で切っ先(きっさき)を向ける。


「まあ良い、貴様はここまでだからな!」


 武田は、大上段に構えて斎藤を睨む。


 武田が構えた瞬間、斎藤は左肩を向けた半身に変化し刀を引いて、下段に構える。刀身は見せない。


 その肩含め、体全体が少し沈む。


 機を取ったと見た武田、大上段に構えた瞬間から、激しく切り下ろした!


 これが誘い、刀法にある後の先だと、武田が気づけたかどうか?


 斎藤一は出していた足を軸足まで引き、体を戻す動作、左半身(はんみ)から右半身(はんみ)に変えるだけの動作。それだけで武田が狙っていた体は消え、豪奢ごうしゃな刃は闇だけを斬って、体制が崩れる。


「っ!?」


 目を見張る武田へ、無銘の刃が弧を描き、月光を受けた蒼刃が、無防備なくびを捕らえ、斬り裂いた。


 同時に斎藤は飛び下がり、切っ先(きっさき)を向けて武田の最後を待つ。


 頸動脈けいどうみゃくを裂かれた武田、二歩よろめいて倒れ、暫く痙攣けいれんし、そのまま動かなくなる。


 銭取橋には一歩足らぬ最後の場であった。斎藤は、今生を終えようとしている相手に一言掛ける。


「武田さん、近藤さんからの伝言だ。『今までの働き、ご苦労だった』」


 そして、刀を懐紙かいしでぬぐいながら斎藤は、篠原に向いて自らの袖を見せた。


さらのを出したのに、汚してしまった。こういう所は総司に及ばんなぁ」


 羽織りの袖には小さな赤い斑点が幾つか付いている。篠原は軽く唇を噛みながら斎藤を見、何事か言葉を探すが出てこない。仕方なく、質問で返す。


「沖田さんなら、どのように捌くんで?」


 聞かれて斎藤も首をひねる。


「あいつは剣の申し子だからなぁ」


 少し笑った。


「おそらく、武田の抜きに合わせて突き捕らえているだろう」


 篠原は少し考える。


「着込みは、やはり?」


 問われて、斎藤は再び考える。


「おそらく嘘だろう。ま、後は君の仕事だ。ついでにでも、確かめてくれ」

「はい」


 仕事の後は呑気な斎藤に、篠原も苦笑を浮かべながら頷いて、倒れた武田を検分しにいく。


 斎藤は、少し手持ちぶたさな面持ちで遠くからその様子をみる。


 暫くして、篠原は戻って来た。


「武田観柳斎の最後を確認しました。見事なお手並みです」


 斎藤が軽く頷くと、篠原はにやりと笑う。


「ついでに、着込みはありませんでした」

「そうか。まあ歩く時に音もしてなかったからなあ」


 つられて笑った斎藤に、見抜いのはどのあたりだろう?と篠原は聞き出そうと機を伺うが、斎藤はむっつりと黙り歩き出した。




 月は高く、しらしらと輝きを落としている。


 人斬りの後は、特に仲間であった者を斬った後は、色々と思う事がある。


 いつの日からか彼は、それも仕事と割り切る事を心掛け、自らが一振りの刀であると徹すると決め、今を生き残っている。鉄の組織を作るべく、多くの悪意を一手に引き受け、それでも進もうとする人が居た。その姿を見て、彼こそが自分の担い手(にないて)と決めて、わざを高める事を課題に生きる。


 それが、彼の士道であった。

 

 今、彼の思考は今日の闘争の反省になっている。

 例えば舌刀での仕合しあい。着込みにしても初めの言葉で八割の虚言、抜刀の荒さで九割五分。大上段の構えで確信となった。


 武田は自分の嘘を信じさせよう、惑わせようと、あえて隙の大きい大上段に構える事となり、結果倒れた。武田は自分自身の舌刀に勝てなかったのだと、斎藤は分析している。それに対して、後の先の技法を用いたのは良い。反省としては沖田を引き合いに出した部分である。


「やはり、慎重過ぎたかな?」


 思考が呟きで出てしまった。篠原が怪訝な表情で聞いてきた。


「は?何がです?」


 素の表情に愛嬌があって、斎藤は思わず笑ってしまう。


「いや、何でも無いさ」

「はあ」


 そのまま月を見上げて斎藤は言った。


「しかし、綺麗な月だな」


 唐突に言われたが、篠原も思う所があるらしく、嘆息と共に言った。


「確かに...」


 月は確かにそこにあり、闇を照らしている。蒼々と輝く月の欠片は、一つの刃を思わせる。蒼月の刀、担い手を明日へと導く冷たい刃。


「...我々が刀であるなら、あのような蒼い刃でありたいものだな」


 篠原は無言で月を見ている。彼は彼で、斎藤と同様の事を誓って居ると零した事があった。おそらく担い手は別であるのは間違いないが、似たような心掛けを感じている。息を吐いた篠原は頷き、声を掛けた。


「斎藤さん」

「何かね?」

「また、ご一緒したいものです」


 少し考え、斎藤は頷く。


「そうだな」


 こうして、今回の斎藤一と篠原泰之進の仕事は終わった。彼らの縁は、先々も続いて行くのだが、今宵は此処まで。蒼刃達は月の光が届く中、ひたひたと去って行った。



                                了

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