空はまさに暗雲。
ネズミが這いずり回っているような憂鬱さが窺える。その暗雲に隙間はなく、陽の光が射してくる気配はない。雲がないところを探そうとすればするほど、世界の果てまで続いているような錯覚すら沸き上がる。
そんな灰色の空を、白い輝きを放つ羽が一つ。
風に遊ばれる姿は、優雅に踊っているかのような気品すら漂わせる。
だが、羽の持ち主は気品どころの話ではなかった。
畏怖すら覚える美しさ。その美貌が美しいあまりに、だれもが彼女を手に入れたいと狂気に走った。
その身が動く度に白金の髪からは色気が零れ出していくのか、だれもかれもが彼女から目がはなせずにいる。
また、魅了の力を秘めているのだと疑われるほどに、彼女の瞳に見つめられると彼女以外は目に入らなくなってしまうほどだ。
「いい天気ねぇ」
彼女の口から出た感想は、あまりに検討外れだ。だが結果がどうあれ、彼女を心酔している者たちは迷わずはい、と答えるだろう。
「うんそうだねー。いい天気だねー。――あんたがあたしを地上に下ろしてくれたらもっといい天気に感じられるんだけど、そこんとこ検討してくんない?」
――あたしみたいな一部の者以外は。
「そうねぇ…」
「寒すぎて二度目の死を迎えそう」
もはやそれはお願いというより身の危険からの訴えであることに気づいてほしい。
「それなら…あ、――あの火山なんかどうかしら。きっと骨の髄まであなたを温めてくれるわ」
「わーほんとだー。白い煙が吹き出てるー。まるで夢にまで見た温泉みたいだねー。――って、死ぬわッ! 骨の髄まであたしを融かすわ!」
「…ふぅ…。ツッコミがなってないわねぇ。私が教えたツッコミ技術はどこへいったというの。これまでの修行の日々は!」
「何も教えられた覚えはねェしそんな日々おくるくらいなら鶏の世話してるほうがよっぽど効率的だわッ!」
「祖父母のお世話を? 最近あなたみたいにボケが激しいのに大丈夫なの?」
「色々言いたいことはあるけどまずあたしの祖父母はどうやって人を生んだの?!」
鶏が人を生むって、どんな遺伝子革命が起きたんだよっ!
「ん~、まぁまぁねぇ。次はもっと精進なさい」
「あんたは一体あたしをどうしたいの?!」
芸人?! 芸人になれと?!
「そうねぇ…。――生と死を繰り返す無限地獄でも…」
その言葉が耳から脳へ届いた瞬間、危険を感じ取った。
「は―――なぁ――せぇ――!!」
そりゃあもう、とことんというぐらい暴れましたよ。
「こ、こらっ。冗談だから暴れないでちょうだいっ!」
「嘘だっ!!!」
「あーもうどうしろって…――あ」
死んでから短い間に、私は様々なことを知った。
この世は理不尽で溢れていると。
この女神は考え事をするとき、ご自慢の大きな胸を見せつけるかのように腕を組むのだと。
――ついでに補足しておくと、私はこの巨乳女の脇に抱えられた形でいた。
ということは、必然的に腕を組むために私は放されなくてはならないわけで。
人類はまだ個人で飛べるわけではないわけで。
――つーことは、当然落ちちゃうわけで。
「ぃ――」
「えー…っと、――頑張って!」
「テメエ絶対覚えてろよぃぎゃあぁぁああぁあぁあああ――――!!!!」
まっ逆さまに落ちていくあたしに手を振る女神を本気で恨みたくなった。
てか、手ぇ振ってねーで助けろや。
そこは古びた城だった。
まるでおとぎ話からでてきた洋風の城といった風だが、それにしては随分と人気が少ない。
しかし、作られてからずっと時が止まっているのか、人の気配がないにしてはきちんと手入れが行き届いている。
一見からして幽霊屋敷に見えなくもない。亡霊の一人や二人、いたとしても不思議ではないくらいの雰囲気を持った城だった。
だが、あまりに広いせいでその亡霊は見つけることも困難だろう。人の気配がないにしては迷宮のように広いのが厄介なところだ。
そんな城の一室。
唯一の城の住人が起き上がる。
無防備に背中まで伸ばした艶やかな黒髪。黒い目はつり上がっていて、何を考えいるのかわからない。
目覚めたばかりなのか、それにしては眠りを邪魔されたような不機嫌そうな空気が漂っていた。
「…――うっせえ」
不機嫌そうではなく、まさに不機嫌であった。
小さく毒づくと、怒りを叩きつけるように布団を大きく捲り上げた。
「くそが、なんだっつーんだよ」
イライラと頭を掻く。
また精霊が宴でもやっているのだろうか、それにしてはずいぶんとはしゃぎ過ぎだ。
どこからともなく聞こえてくる喜びの声に、煩いと叫びたくてしかたがない。
「――…ん」
ふと、頭を掻く手を下ろす。
「…なにか…――くる…?」
女神に落とされてからあたしは――。
「あ、もうだめだこれ」
二度目の生を諦めていた。
諦めと共に降りかかってきたのは――意識の暗転/衝撃。
地面に落ちた衝撃だろうか、と冷静に捉える。
やはり運が悪い。
命を与えられたと思った途端にまた貰ったのは――また死だ。
まだ生きているうちにと、瞼を開く。
最初に視界に入ったのは、床にぶちまけられたかのような赤いペンキだった。
黒にも近い赤いペンキは、何を描くためのものだったのだろうか。それはきっと、人間の最後を映えさせるために用意された物。
――ああ、やっぱり死ぬのか。
達観した自分が、まるで他人事のように思えた。
「――…ぉぃ」
やはり瀕死だからか、痛覚を感じない。それに、――今回は珍しく走馬灯を見なかった。
「――…おぃ…」
というか、何時になったらあたしは死ぬのだろうか。あまりに意識を長く保ち過ぎではないだろうか。
「――おい…!」
真下から声が聞こえる。これはまさしく地獄からの声…! そんな…天からの声も早く来い…!
………。
あれ? 来ない?!
「おい…、さっさと…退けッ!」
唸るような声が真後ろから聞こえた。
――人がいる。
あたしが、人に乗って――てことは、この血はこの人の。
脳にその考えが行き渡った瞬間、すーっと脳髄から背骨を冷たい何かが伝った。
「――す、すみません大丈っ――ッ?!!」
咄嗟にあたしが下敷きにしているその人から体を退け、その身を案じるも、あまりの血の多さに背筋に寒気が走った。
まだ温かなその血には、あたしの震えによって波紋ができた。
「く…っそが…」
血飛沫が、小さく上がる。逆再生でもしているのかのように、血液が元あった場所に戻ろうとしていた。気を抜けば自身までも流されそうな勢いだ。飛び散った血は、一滴一滴が意識を持っているかのように床を走る。
あたしは、その光景に茫然となっていた。神聖な、それとも悪魔でも呼び出すような儀式に立ち会っているかのような。
茫然としている私の心にあったのは――高揚。
恐怖と同時に存在していたソレが、異常であることは理解していた。
だがあたしは――その化け物に、憧れたのだ。
この光景は異常だ。考えるのも馬鹿らしいくらいに。
これを、人は化け物だと罵るだろう。
これを、人は化け物だと脅えるだろう。
だけど、私はその化け物という存在に憧れて、――惚れ込んだのだ。
「――っはー。あっぶねぇー! あとちょい遅かったら死ぬところだった」
化け物とは思えないほどに能天気な言葉が洩れる。
もはや、先程まであった大量の血は夢のようにも思えるほど、床には一滴の血すらない。それどころか、あたしが落ちた衝撃でできた床のひび割れすらない。
――まるで、時が遡ったかのようだ。
「ったく。で、サンタクロースみたいに煙突からこんばんは…あれ、違うか? おはようかな? うん、おはようでいこう。おはようにしては随分と派手だけど。まぁ、この城煙突ねえから仕方ないか」
そう言ってマントを翻すのは少女。いや、少女というより女性といったほうがいいだろう。
あの目付きの悪さで少女というのはないはずだから。例え、体が貧相だからと子ども扱いされるのは傷つくのだし。てか、随分とマイペースな女性だな。
「でさ、人ん家に不法侵入してきたあんたはだれ…――」
女性の瞳が困惑と驚愕で染まった。少し大きく開かれた黒い目が呆然とあたしを見つめ続ける。
何かを言おうと、小さく開かれた唇は震えていた。
よく見なければわからないほどに僅かだが、息が乱れていた。そのせいで喉が乾いているのか、その声はあまりに掠れていて、小さくて。
「――セレナ…?」
――今にも泣きそうで、嬉しそうだった。
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