閑話 運命の悪戯というやつさ!
目覚めると、そこは白い世界だった。
地面も、空も、地平線さえもなにもかもが白かった。
その白い世界に俺はいた。
「あ………あぁ! ああっ……!!」
この世界を俺は知っている。
三度目なのだから。
この世界に来て、俺は今まで忘れていたことを思い出した。
ガクンと力が抜ける。
四肢を地面につけて、この世の無情を嘆く。
「このセカイハ……」
「ピンポーン! 大正解」
俺の呟きが終わる前に、応える声があった。
陽気で憎らしげなその声に、俺は立ち上がり、声のする方に向く。
「やぁ、響くん。元気?」
そこにいたのは神だった。
西の島国の民のように、優雅なアフタヌーンティーをこしらえ椅子に座っていた。
「いるよなぁ、そりゃいるもんなぁ……」
溜息をつきながら、俺は神の対面まで歩く。
そして、席に座っていいかと神に目線で問う。
神のにこやかに頷き(心臓がドクンとなった)、俺は愛想笑いを浮かべ、椅子に座る。
「響くんも紅茶でいいかな?」
「ああ」
応えた瞬間、目の前には神と同じティーセットがそこに。
湯気が立ちのぼる琥珀色の液体。
ふんわりと甘い林檎の香りがする。
アップルティーか。
「飲んでみて」
「ん」
神に促されて、俺はティーカップを手に取る。
そのティーセットは白を基調としながらも、カップや皿の随所に花が描かれていた。碧く描かれたバラの花。
主張しすぎないほど謙虚でありながらも、目を奪う気品がある。
このティーセット高級品だな。それも神が出したのだ。
「どうしたの?」
「いや……なんでもない。いただきます」
壊したらどうなるのだろうと脳裏にふとよぎったが、小さく首を振ってその考えを脳外へと飛ばす。
アルのせいだ。
アルが妖精になった原因の一つに、食器を割ったというのがあった。
それを重ねてしまった。
このティーセットは高級品とは思うが、秘蔵の品というわけではないだろう。
ましては、俺程度の人物に出したのだ。
あ、でも神は俺と同じ品を使っているような……。
「あ、美味しい」
思わず声が出る。
「だろう?」
神はニヤリと、悪戯が成功した子どものように笑った。
喉元に過ぎる清涼感、舌に残る林檎の優しい甘み。渋みは勿論のこと雑味なんかは、そこにはなかった。
「さぁこれも食べて」
神は機嫌良さそうに、口元を緩ませる。
言葉と共に目線で示されたのは皿が三つ載ったスタンド。
まず一段目の皿にはサンドイッチが。ハムやトマト、チーズに卵と色とりどりの具材が目を楽しませる。
二段目、真ん中の皿にはマカロンやマドレーヌ等の焼き菓子が。ちょこんと置かれた姿はマカロンのピンク色と相まって男の俺でも可愛らしいと言いたくなる。
三段目、頂上の皿には小ぶりのケーキ。一般のケーキより一回りか二回りか小さいが、豪勢だ。生クリームの土台からはみ出んばかりに盛られたフルーツの飾り付け。そのフルーツはゼリーみたいなもので固められており、陽光に照らされた水面のように美しく光り輝いている。
「………ゴクリ」
思わず唾を飲み込む。
「ふふっ、どうぞ」
俺は頷いて、マカロンに手を伸ばす。
正直、ケーキを食べたかったが、がっついていると見なされたくない。だから、食べやすい軽いものを選んでしまった。
神は俺の心境を理解しているのだろう。ニンマリと笑いながらこちらを見ている。
「……で、何か話があるんじゃないか?」
見透かされているのを誤魔化すように、ぶっきらぼうな言い方で神に尋ねる。
反撃にもなっていないはずの反撃。
だが、神は言いづらそうに頬を掻き、言葉を濁す。
「えーとね。ま、なんていうか、ね……」
神は新しい皿にフルーツケーキを載せて、俺の目の前に置きながら言葉を探す。
何か言いづらいことなのだろうか。
「事件の経緯をね、話しておこうかと思ってね」
「事件? 何かあったか?」
神が言う事件に思い浮かぶものは何もない。
神がわざわざ話すことだ。何か神に関係あることだろう。
……しいて言えばユエルの塔か。
アルと引き離されそうになったことだが、実際は引き離されていないし、事件とは違う気がする。
わからないと首を捻る。
「リゼットの村のモンスター、アリエルのことだよ」
「ああ……」
あの凶悪なモンスターのことか。
俺が倒したということだが、記憶にない。もしかして、神が助けてくれたのだろうか。なら、俺に記憶がないことも理解できる。
しかし、なぜ今頃なのか。アリエルというモンスターは過去のことだ。
「まずは謝罪を。アリエルは本来君達、いやこの世界に住む人が戦うモンスターではなかった。対処が遅れて迷惑をかけたことを神の名において謝罪をしよう」
そう言って、神は頭を下げた。
「お、おい……」
「…………」
神は黙って頭を下げたままだ。
その紳士的な態度に俺は戸惑う。
「いや、そのいいんだが……いいのですが、頭を上げてもらえないですか?」
神は俺の言葉にゆっくりと頭を上げた。
「……………」
「何か言って欲しいのですが」
無言でこっちを凝視しないで欲しい。
いつも通りにして欲しい。
俺の心の願いが通じたのだろう。神は相好を崩す。
ニヤッといつも通りの憎たらしい笑顔を見せる。
……この笑みを見てほっとする瞬間が来ようとは。
「ごめんごめん。謝罪したい気持ちと、何、神に謝罪させとんねん。いてこましたろうか、ワレ、という気持ちが入り混じってね」
「怖い怖い」
勝手に謝って、逆恨みするって押し売りよりも恐ろしいよ。
「いや、ね。誰を恨めばいいかわからなくてね。愚痴も吐きたくって、吐きたくって……」
はぁと疲れたような溜息を吐いて、神は自身の眉間を揉む。
本当にお疲れみたいだ。
「それで俺を呼んだのか?」
「うん。ま……半分くらいはそうだね。ここに来た記憶はいつものように消すし、あれだけど」
歯切れ悪く神は言う。
それに、なんだ、あれって。
「ちゃんと謝罪をしとかないとね。下にはしめしがつかないし、君に恨み言を言えないし」
「思ってても黙っておこうな、それ」
本音言い過ぎ。もうちょっとオブラートに包んで欲しい。
口に入れたケーキは甘いはずなのに、どうして苦味を感じるのか。
「さてと、どこから話せばいいか迷うけど……あの魔物が何故発生したかを説明しようか」
「…………」
「あれは、とある引きこもりの研究から生まれた魔物だったんだ。
研究内容は『ぼくのかんがえた、さいきょうのもんすたあ。』」
「…………シリアスなのかギャグなのかわからないのだけど、事実の話だよな?」
眉間に皺を寄せて話す態度から、嘘がないことがわかるがつい聞きたくなる。
神は俺の言葉に軽く頷いて、頭が痛いと首を振った。
「厄介なことにその引きこもりは能力的には目を見張るものがあってね。僕も察知出来ないほどに巧妙に隠れて実験をしていたんだ。で、その結果、引きこもりは何十体も強いモンスターを生み出した。本当に面倒で面倒で面倒なモンスターを何十体も、ね」
過去を思い出しているのか、はぁっと深い溜め息を神が吐く。
苦労の滲んだその顔には実際に対処したことが窺われる。
「作り出されたモンスターはいろんなタイプがいたんだ。力が強いモンスターだったり、魔法が得意なモンスターや怨霊タイプ、隠れるのが上手いモンスターだったりってね。沢山作ったはいいけど、引きこもりの目的は『さいきょうのもんすたあ』。最も強いモンスターを作りたかったんだ。作ったモンスターの中でどれが一番強いのだろうか。引きこもりは考えた……で、争わせた」
「争わせた?」
神の言葉に薄ら寒いものを感じた。
神が語ったことに大げさに驚くべき点はない。むしろ順当な話だ。よくある展開だと思う。
だけど、何故か不安なものが背中に伝わった。ビリリと電流が走ったかのような感触に俺の顔が硬くなる。
こわばった俺の顔を見て、神はニンマリと目を細める。
「響くんは蠱毒って言葉知ってる?」
「ああ……」
蠱毒の壺というのが有名だろう。
一匹の壺に蜘蛛やムカデ、蛆虫、カマキリ等の虫や昆虫を入れ共食いさせる。最後に残った一匹を術の要として利用するという呪術的なものだ。
「知っているなら話は早いね。その引きこもりは虫ではなく、モンスターでやろうとしたんだ。生き残った奴が最強だって」
「子どものような発想だな」
「だね。それを能力がある奴がやるから困るよ」
憎まれ口を叩くわりに、その引きこもりに対する愛情が見えた。
なんだろうと思う間もなく、話は続く。
「で、流石に凶悪なモンスターが一斉に争いだしたら僕も気がついてね。部下を連れて対処しに行ったんだ」
「……つまり、それで解決しなかったんだな?」
めでたし、めでたしで終わる話ではないのは明らかだ。
俺があのアリエルと戦うことになったのだから。
「恥を承知で言い訳させてもらうとね。理由は三つある。まず一つは、敵の数が多すぎたこと。一体、二体なら楽だったんだけど、数十体を超える強力なモンスターだからね。乱戦になって撃ち漏らした。二つ目は僕らが敵のタイプを見誤っていたこと。これが一番の理由かもね」
「敵のタイプ?」
「うん、響くんは最強のモンスターってどういうものだと思う?」
「そりゃ、攻撃が強いタイプじゃないか?」
ゲームにしても、そのタイプがラスボスだと思う。
防御力や体力だけが高くて、攻撃がイマイチなボスキャラなんていないだろう。いても圧倒的少数のはずだ。
神はうんと頷く。
「僕も研究内容が書いてたあったレポートを流し読みしてそう判断したんだけど……さっきも言った通り、いろんなタイプがいたんだ。とある個性に特化したモンスターが、ね。
そして、僕の落ち度なんだけど、索敵は部下に任せっきりで僕は殲滅に勤しんだ。そりゃ、頑張ったさ。君達を異世界に送ってから、全然休んでないのに、働き詰めの体で頑張ったんだ」
「いや、そんな頑張ったアピールいらないから」
「で、部下を信頼してやまないと定評がある僕は敵の殲滅を完了したという報告を聞いて、信じたんだ。ほら、有能な部下だからね。間違ってはないだろうと、もしやっても二度手間になるだろと効率を第一に考えたんだ」
「さっきから、言い訳というか責任転嫁してないか?」
だが、俺の言葉は神に届かない。
「それが間違っていた。隠れているモンスターが一匹いたんだ。隠密に特化したモンスターが。レポートにも書かれていなかったやつが」
「それがさっき言ったアリエルか……」
「うん。僕が索敵すれば見つけられたと思うけど、なんの運命の因果かやり忘れちゃってね。いや、部下を信じすぎたせいか……」
「人災って言うと思うぞ。あと、最終的な責任は神にあると思う」
わかっているよと、ぶすっとした顔で神は口を尖らす。
その少年じみた反応が外見とマッチしていたため、俺はプッと吹き出した。
吹き出した俺に神は目を細くするが、諦めたように首を振る。
「グッ……まぁ、どうあがいても響くんに迷惑をかけたからね。汚名は甘んじて受け止めるよ」
「ま、理由はわかった。それであんな強いモンスターが出てきたのか」
むしろ隠密に特化しているやつさえ、あの戦闘力だったんだ。本当に戦闘に特化しているやつが出てきたら俺達は即死していたのではないだろうか。
話に一区切りがついたと思って、ケーキに手を伸ばす。見た目とは裏腹に柔らかな感触のするタルト生地を切り分け、食べやすい大きさに。
さて、口に運ぼうとした時、神は口を開いた。
その口調は重苦しく、苦々しかった。
「……理由の一つが、かな」
「一つ?」
手を止めて、神を見る。
神はああ、と頷いた。
「さっき言った理由の三番目、引きこもりが関係しているんだ」
「はぁ……その引きこもりがどうしたんだ?」
突き立てたフォークを口に運ぶわけにはいかず、手持ち無沙汰のままそのままに、神に聞く。
「もともと引きこもりがちゃんと管理していれば、この出来事は僕の気がつかないうちに終わっていたんだろうね。だけど、そうなることはなかった。とある事情でこの蠱毒の実験の最中に管理をほっぽらかさなきゃならなくなったんだ」
「その事情とは……」
聞くな、聞いてはいけないと脳のどこかで警報がなるが、俺の意思に反して口が自然と動いてしまった。
ガチャリと、誰も触れていないはずのドアノブがひとりでに動く。真実という名の扉が開かれる。
「引きこもりはとある神様の命令で、異世界転生する男子生徒のお供を命じられたんだ」
「その引きこもりの名は、つまり……」
「アルテミス。アルって言われる女性さ」
カランと音が鳴る。
フォークが皿を叩いた音。
「…………そうか」
「うん……」
「………………」
「………………」
神と俺は止まる。
もうケーキを食べる気分ではない。喉の奥がカラカラに乾いた。
ズズズと紅茶を飲み、心を落ち着ける。温かい琥珀の液体が喉を通り、胃に体内に温かみを伝える。渋さを感じなかったはずなのに、口内が枯れるような感触がする。
神はおかわりを注いでくれた。
コポコポとコップにまた琥珀色の液体が戻ってくる。
「俺のせいになるのか……?」
「いや、僕だろうね。前々から準備はしていたけど、思いつきで行動したからね。相手の了承もなしにね。かといって、事前に言ってたら何か対策されるから言うわけにいかないし。しかし……まさか、裏であんな実験しているとは思わなかった」
確かに、アルは神の思いつきで俺と行動することになった。妖精に姿を変えられて……。
しかし、何かの罰でとそうなったのかと思ったのだが、神の口ぶりから察するに、どうやら違うようだ。
聞きたいが、今聞く雰囲気ではない。
「アリエルもアルテミスのことを覚えているのだろうね。姿が違っても、魂は変わらない。自身を閉じ込めたやつの気配を忘れない。アルが引きこもり先のユエルの塔近くに来たから、反射的に出てきたんだろうね。出てきた後は我を忘れて暴れてたみたいだけど」
「そうだったのか……」
幸い人的被害はなかったが、リゼットの村には被害をかけた。
それがアルのせいだったとなると、やりきれない気持ちがでてくる。
「一応フォローすると、君達があの村に行かなくてもアリエルはいずれ出現していただろうね。斥候のモンスターを放っていたからね。むしろ、響くんが来たからこそ被害は最小限に抑えられたと思うよ」
神が言うには俺の異世界の転送先はランダムだったらしい。わざとユエルの塔に行ける範囲に飛ばしたというわけではないとのこと。
「蠱毒の実験をしていたのはアルのせい。そして、僕がその記憶を奪って君のお供にした。そして、転送先の近くにはアルとのゆかりがあるユエルの塔。そして、君はたまたまカルネキの根が欲しくてリゼットの村へいった。それを知ったのも、たまたまリンくん、君が助けたエルフが村長の孫だったから」
全ては運命の悪戯さと神は愚痴るように言葉を吐き出した。
「誰を恨めばいいのだろうね。アルのせいでもあるし、僕のせいでもある。発見が遅れたのも僕のせいだ。そして、君は死にそうになりながらも、独力でアリエルを倒した……僕の力も借りずに、ね」
最後、付け加えられた言葉に含みがあった。
神は薄く笑う。
「ねぇ、響くん。君はアリエルをどうやって倒したんだ」
「記憶はない……。呪文で倒したらしいが、俺には一切その記憶がないんだ」
「らしいね。心を読ませてもらったけど、本当に覚えてないってのがわかるよ。だからこそ困っている部分もあるけどね」
神が指を鳴らすと、空中に四角い画面が出てきた。テレビのような黒い画面だった。そこにはあのアリエルが暴れる姿が映っている。そして、登場する主役はもう一人。
「これは……」
「そう、あの戦いの映像だ。僕が気づいた時点からだけどね」
画面に映る俺はアリエルの攻撃を軽快に捌いていた。自分でやったことなのに、映画でも見ているような気分だった。現実感がないと言おうか、映像に映る俺は死角から来る攻撃もまるで見えているように躱し、剣を使っては蔓を巻きつかせて敵の攻撃を利用する。動きには淀みがなく、安定感がある。傍から見れば、拮抗しているとも言える戦いだ。
「あ……」
だが、それもすぐに終わった。
一人の少女が蔦のモンスターに引きずられてその場にやってきた。
俺はその少女、ミルファをかばい瀕死に。
「ここだね。ここまでは覚えているかな」
「ああ。俺はミルファをかばって重症をおった。そこまでは覚えている」
だが、そこから先は覚えていない。
映像は進む。
俺の後方から眩い光が発し、リンが持つ槍が姿を変える。
それはユエルの塔で見たことがある槍、氷槍ターラツレア。
リンはその槍を投げ、アリエルは氷漬けとなった。
画面の中の俺は氷漬けになったアリエルをじっと見ていた。
生気のない顔で、取り憑かれたかのように真っ直ぐにアリエルを見ていた。俺の体を心配するミルファにも気にかけないその姿には、映像からでも何か感じ入るものがある。
「……………」
「この時、響くんはアリエルがまだ生きていると思ったのだろうね。そして、それは正解だ。氷槍ターラツレアといえども、足止め程度しか効果がない」
ビシリ、ビシリと氷の彫像から音が鳴る。アリエルがまだ生きていて、氷の中から出ようとしている。
そして、俺も動き出した。
体のいたるところが流血し、腕も折れている。だが、俺は怪我なぞ感じさせないような軽やかな動きで両手を掲げる。泣きそうになっているミルファが止めるが、まったく聞いてない。
ただ生気がない顔で淡々と呪文を紡ぐ。
「我焦がれ 誘うは原始の炎。
我、其の存在を許さぬ者なり。
打ち砕かれよ。打ち滅ぼされよ。
我は渇望し、願い、祈り、誓う。
赤では足りぬ。灼熱すら生温い」
ビシリ、ビシリと氷が砕ける音が聞こえる中、映像の中の俺は滑らかに呪文を唱えている。
自分の世界に没頭しているように、周囲の音は聞こえていないようだ。
ただ、淡々と、淡々と……。
「これは火の上級魔法だね」
まるでこの呪文を会得しているかのように映像の中の俺は自在に扱っている。
俺の火の魔法のスキルは6で上級魔法を扱えない。唱える呪文の言葉すら知らないはず。
だが、映像の中の俺は迷うことなく言葉を紡いでいく。
「我は森羅万象を捻じ曲げ、理を壊すことを厭わん。
三千世界、一天四海、天上天下。
欲するはこれらを作りし初とする熱。
『インフェルノ』」
「問題はここからだ」
「……ここから?」
インフェルノというのがこの魔法の名前らしい。
唱え終わったように見えるが、映像の中の俺は魔法を散開させず、そのままに留めている。サッカーボール大の真紅の玉に込められた魔力は否が応でも大きいことがわかる。
なぜあの魔法をアリエルにぶつけないのか。
氷漬けになったアリエルは亀裂ができており、今にも氷の中から飛び出してきそうだ。だが、俺は一顧だにせず、自己の世界に没頭している。
そして、動いた。
「重ね詠、終火」
映像の中の俺の目の前に、大きな魔法陣が描かれる。
「それは世界を構築する六大元素の一つ。
全ての始まりにして、闇を払うもの。
希望、祝福にして破邪の力を持つもの。
その名は火。
されど、我は至高の火を穢す。
我は眩き火に狂乱を付加し圧縮する。
火は大火に、火は赫炎に、火は紅焔に。
火は滾り、迸る」
氷が今にも割れるその最中、まるで未来を知っているかのように慌てずに魔法を紡いでいく。
そして、紡いでいるものはさっきまでの上級魔法が霞むようなものだった。
言葉が足されるにつれ、幾何学模様で描かれた魔法陣は内部の模様を変え、真紅の球体はバチバチと音をたてる。張り詰めた風船なんて生ぬるい、それは爆弾に圧力を重ねに重ねながらも爆発しないように閉じ込めているようだった。
真紅の球体の大きさは変わらないのに、中に込められた魔力は際限なく上昇していく。
「されど、物足りぬ。
我は猛き火に虚無を付加し圧縮する。
その火は、大地を干上がらせ、大海をも渇らす。
その火は、大火を塗り替えて、大気をも涸らす」
「響くんが今しているのは同時詠唱という技なんだ。最初発動した魔法をそのままにもう一個の魔法を展開する。難易度は使用する魔法によって異なるけど、最初の魔法も維持しないといけないから普通に魔法を唱えるより桁違いに難しい」
神が解説するが、それが耳から耳へ突き抜ける。
俺は画面に見入っていた。
これが自分なのか、自分でやったことか信じられない。それほどまでに異質な光景だった。
『その火を、十重二十重に圧縮し、圧縮し、圧縮する。
繰り返す施行は千を超えて。
全ては其のため。
解き放とう。
全てを終わらす火を、其のためだけに』
バキンと一際大きな音が鳴った。
氷の砕ける音と共にあがるアリエルの咆哮。
アリエルは怒りのまま、大きく蔓を振りあげた。
それでも俺の動きに淀みはない。つまらなさそうに、アリエルを見あげ、口を小さく開く。
「消えろ」
言葉と共に、真紅の球体が手元から消える。
「アアアアアアアアッアアアアアアアア!」
アリエルの根本から炎が燃え盛る。炎は生き物のように蠢き、アリエルの巨体をあまさず包み込んで蹂躙する。
その勢いは驚異的で、蔓を振りあげたアリエルは悲鳴をあげるだけで、動けない。いや、悶えるように苦しむだけだった。
火の狂宴。大地を波打つ炎もあれば、蛇のようにアリエルに絡みつき、滾る炎もある。天まで届かんと舞いあがる火の粉は真っ赤に燃える。
どこか幻想的な雰囲気にも思える炎はただアリエルだけを燃やしていた。火が周囲の木や建物に届いても、まるで炎がなかったかのように火が通り過ぎると、スス一つない青々しい姿を見せた。
「対象だけを燃やし尽くす魔法だね。あの魔物は再生能力も桁外れな上に、核を地中に隠していた。だから普通の方法では倒すのが難しい。だけど、ご覧の通り。全てを消滅させた。アリエルは完全にいなくなったんだ」
「…………これを俺が?」
証拠となる映像を見せられても信じられない。
そっくりさんか、姿だけ俺で神が俺の体に乗り移って倒したと言われた方が納得する。
だが、神は俺がやったと断定する。
「勿論、なぜアリエルを倒せたか説明することができるよ」
「ッ!?」
目を見開く。
だが、説明できると言った神は苦々しい顔をしていた。
何故、そんな顔をするのか。
「君のスキルの直感。これのせい……いや、お陰だろうね」
「そんな効果があるのか? 知らない魔法を使いこなせるような……」
「普通なら無理だね。普通なら、ね……」
普通を強調して神は言う。
目を伏せて言う姿は何か思案しているように見える。俺と話しているこの今でさえ迷っているのだろうか。
「このスキルは端的に言うと『本人にとって有利な展開を感じ取る能力』なんだ。かなり有用なスキルだよ」
そうなのか。
初めてちゃんとこのスキルの説明をしてもらった気がする。
最初キャラクターメイキングで見たスキルの解説は『直感。考えるな、感じろ』だった。
そして、アリエルを倒した後、直感のスキルの解説は変わっていた。
神にいいかと聞き、頷いたのを確認すると、俺はステータス画面を開いた。
============================
・直感
感性的知覚。
推理を用いず直接的に全体及び本質を掴む認識能力。
*このスキルはレベル上昇をしない。
============================
「……さっき言った神の説明とは微妙に違うな」
初期の解説よりは、近くなっているが、微妙に神が言ったのとは違う気がする。
俺の言葉に神は肩をすくめる。
「レベルによって発揮する効果が違うからね。あとは……いや、なんでもない」
「俺のレベルは7だよな。神のお陰だと思ってるのだが」
レベル的には上級に分類されるはずだ。そもそも、この数値は俺がキャラクターメイキングで決めたレベルより上昇している。神が上げたのだ。
「うん。僕が上げた。7と言ってもまだ常識内の範囲だけどね。このスキルはきみも知っている通りに、上昇しない。だから、上げても大丈夫だと思ったんだ。勘がすごく良い人ってだけでまだ人の範囲だ」
思いつくのは、初期になくなった熟練度システムと今さっき見た直感の解説。
すぐなくなったのだが、あの熟練度システム、他のスキルは数値があり熟練度がその数値に達するとスキルレベルが上昇するようになっていた。だが、直感は数値が設定されていなかった。
「だけど、スキルレベルが8になると、このスキルの効果は未来予知とも呼べるものになる。直感もここまでいくと凶悪だね。未来の事象が先にわかるんだ。だから、スキルレベルが上がらないようにしたし、そのはずだった」
神の口ぶりではまるで俺が直感のスキルが上がったかのような言い方だ。
「まさか……8になったのか?」
アリエルを倒した後、ステータスを見てもレベルが7のままだった。
何かが違う。噛み合わない歯車のよう。ざらつきが心を支配する。
「なら良かったけどね。未来予知と言っても、運命の先取り、決まった未来を感じるだけだから、運命という名のレールを走っているだけに思える。だけどレベル9いやレベル10になると、未来予知とはまた別物になる。そう、それは……」
何になるのか思いつかない。
ガチリ、ガチリと噛み合わない歯車が俺の中で無理矢理回る。背中には嫌な冷や汗が走り、心臓が鼓動を打ち、血脈が音をたてるように流れる。
「未来改変になる」
「…………」
「自分の望む未来を感じ取れないなら、自身が希望する未来を作り出す。ちょっと反則みたいなものだね。まぁ、実際はそこまで都合の良いものではないけれど」
神は今の雰囲気を払拭するように冗談を言うように最後、軽く言った。
だが、それでも空気は重かった。
「それを俺がしたのか?」
「みたいだね。そうとしか説明できない。だって響くんが唱えた魔法はこの世界の魔法じゃないんだから」
「え?」
「終火。あの魔法は火の魔法スキルをどれほどあげようとも覚えられない魔法なんだ。どこから持ってきたんだと、逆に聞きたいくらいだ」
「…………」
神は、マカロンを手に取る。
「響くんは最初、ケーキを取りたかったのにマカロンを選んだよね。僕に遠慮したんだろう。でも、もしだよ、響くんの気分次第ではマカロンを取らずにケーキを取ったかもしれない。そんな選択もあったかもしれない。そういう風に運命とは過去、未来にわたり分岐している」
手に取ったマカロンを口に含み、咀嚼する。
「その分岐を読み取るのが未来予知。その分岐の先に自身の望みうる展開を嗅ぎ取る。だけど……もし、その分岐の先に希望する物がなかったら――」
神は指をパチリと鳴らす。
すると皿の上にあったマカロンがクッキーへと変化した。
「もう変えるしかない。君はアリエルを倒す魔法がこの世界にはないとわかったんだろうね。あの異常な再生能力を持つ魔物を滅する方法を探した。あったかもしれない世界。例えば、僕が火の魔法に終火を入れた世界、僕じゃない違う神が介入した世界、地球に魔法が存在した世界……可能性で言えば膨大な数のifの世界。君はそこから終火を取ってきた。凄いよね、自分の都合を世界に合わすことを求めるんだから。未来も過去も関係ない。膨大な数の平行世界の自分を重ね合わせ、望みうる展開を作りだしたんだ」
出したクッキー、フランス語で猫の舌を意味するものを神は指でつまむ。
つまむ力が強いのか、それとも薄い生地のせいかグシャッとクッキーが壊れる。
「スキルも無視、パラメーターも無視。やりたい放題だね。これをただの未来改変と呼んでいいのかわからないよ」
「…………」
俺は何も言えない。
責める雰囲気ではあるが、神は怒っているわけでもない。吐き出させた言葉は、やりどころのないイラつきなのだろう。
……神は一際大きい溜息を吐いた。
「でも、そうでもしなきゃアリエルを倒せなかったのだろうね。ギリギリまで傍観していた僕にも責任がないわけではない」
神は壊れたクッキーを一片取り直し、口に放り込んで笑顔を作る。
「さて、本題にいこうか。ちょっと頭を差し出してくれないかい?」
「怖いのだが……」
何をされるのだろうか。
今までの会話で、はい喜んでと頭を差し出す奴がいるのだろうか。
神はやだなぁとパタパタと手を振る。
その笑顔が怖いだけど。
「ちょっと確かめごとをするだけでよ。直に診断しないとわからないこともあるからね」
「ま、それなら……」
黙って頭を差し出す。
本来教えなくても良いことをいろいろ教えてくれたのだ。その気遣いに報いないといけない。
神の両手が俺のこめかみに触れる。包み込むような優しさと指の温かい感触に体がビクリと震える。
「そんな震えないで、痛いことはしないから」
「いや……べつに……」
たんに、驚いただけだと言いたかった。だが、それを口にするのは恥ずかしく言えなかった。
誰が言えるのだろう。触れられた途端、心が落ち着いたなんて。それはまるで泣いていた赤ん坊が母親に抱っこされるだけで泣き止むような安心感。それに近いような安らぎを感じてしまった。
神という存在を文字通り実感させられた。
こんな性格ではなければ、神の信者になりそうだ。性別と性格をチェンジと言いたい。
「…………よし。よし、だけど……」
神は俺の心を知ってか知らずか、俺の頭から手を離さない。
それに、何か不安になるようなことを言っている。
「ど、どうした?」
「いや、予想通りのバグを見つけたんだけどね……少ない?」
「んんっ?」
あ、手が離れた。
少し残念だと思ってしまったことを恥じたい。
「ありがと………」
神はしきりに首をひねる。
目を瞬かせ、落ち着かない様子を見せる。
「いや、ちょっと不安になるのだが。……俺の体は変だったの?」
「いや、健康で問題ない感じ。スキルもパラメーターもステータスの表示通りの数値なんだけどね。アリエルを倒せた原因も見つかった」
それは俺の問いに答えているようで、自分の考えをまとめているようであった。
「腑に落ちないのはなんでだろう。うん……が働くとしても、こうなる?」
目を伏せたまま口元に手を当ててブツブツと神は呟く。
声の小ささのせいで何を言っているかわからない。
「もう一回……頭だして……」
有無を言わさぬ要請。
俺はわけのわかぬまま、また頭を差し出す。
「ハイ」
くるとわかっていたから耐えられた。
指先に感じる温かさに負けまいと下唇を噛む。
相手は男だ。安らぎを感じたとは認めたくない。
「んー、直感のレベルに鍵をかけてと……まぁ、これだけでいいかなっと」
言葉の最後に頭を手から離された。
軽く突き飛ばすように頭を放り投げる。ぞんざいなと文句を言いたかったが、神は俺の顔を見ておらず、視線を斜めにして何かを考えていた。
そのまま、
「グッバイ」
「ええええええっ!!???」
俺はこの世界から消え去った。
「お疲れ様です」
神の後方から声がかかる。
「ん……レナスか」
神は振り返ることなく、返事をする。
驚きも戸惑いもそこにはない。
流れるような動作で新たにカップを空間から取り出し、琥珀の液体を注ぐ。
「はい、座ったら」
「失礼します」
声をかけた人物はそのまま神の対面に座る。
「浮かない顔をされていますが、どうしたのです?」
「いや、ね。あっさりというか、予想通りにことが運びすぎてちょっとね……」
「予想通りというのは、良いことのように思えますが?」
それなのに眉を寄せて悩むような姿を見せる神にレナスは小さく首をかしげた。
「響くんの直感のスキルレベルの門が予想通りに外れていた。運命干渉力が働いたせいなんだけど……」
「それ以外の要素もあったのですが?」
まるであったかのようか神の口ぶりなのだが、神はいやと首を横に振る。
「むしろ、それだけだから問題かな。誰か違う……例えば、神や精霊とかの後押しがあったとかなら話が楽だったんだけどね。一切それらしき痕跡が見つからなかった」
未来改変だけではアリエルを倒しきれない。
それが神の考えだ。
終火を別の世界から取ってこられたとしても、倒し切る力が響にはない。パラメーターの絶対値が圧倒的に不足しているのだ。
そもそも、運命干渉力が働いた時、響を強制的に移転させると神は考えていた。響がアリエルを倒すより、突発的な空間転移が起こる方がまだ自然なのだ。水が高き所から低き所へ流れるように、そうなるはずだった。
だが、現実は違った。
運命干渉力はアリエルを倒す方へと導いた。直感の門を開け、終火を取ってきた。
ならば、それなりの理由があってもよさそうだと神は見当をつけた。だが、それが見つからなかった。
「ふぅ……」
可能性で言えば高くはないが、期待をしていなかったと言えば嘘になる。
落胆や失望が神の胸の内をすくう。
なぜ、運命干渉力はアリエルを倒す方へ選んだのか。
「確かにあの時観測した数値は異常だった。だからなのかな……?」
全てはそれで片付けることができるはずである。
だが、魚の骨が喉にあるような不快感が神につきまとう。
「まだ私達にも運命干渉力はわかっていないことが多いですからね。その可能性はあるかもしれません」
だからこそ、運命干渉力がどう働くのか、それを観測しなければならない。
「けれど、数値が異常だったと言え、それはあの時だけだったし。試練の途中でも変化はなかった……響くんが死ぬ可能性があっても」
「響さんのポイントを使わせたのは無駄でしたか?」
「……かもね」
なぜ、ポイントを使わせる必要があったのか。それはアリエルを倒したせいで、響が急激にレベルアップをしたからだ。レベル上昇で生まれたポイントは多く、保持したままでは運命干渉力に影響を与える恐れがあると懸念されたため。運命干渉力は転生者にはステータスには見えず、こちらでも観測するだけで関与することはできない。アリエルとの戦いで起こったような、運命干渉力の急激な上昇。これにもし保持ポイントが大量に使われたらどうなるか。運命干渉力はアリエルを倒すためだけに、倒すために必要な事象を操るために、その力を増幅させた。もし、響の中に余っているポイント、エネルギーがあれば惜しみなく使うだろう…………神の予想もしない方向で。
その影響をできるだけ小さく、そして、もし運命干渉力が働いても神の目の前で起こるなら十分対処できるとのぞんだ今回の試練。だが、運命干渉力については何も収穫はなかった。
「もう愛や主人公に秘められた力の覚醒とかだけで、片付けられる話なら楽なのにっ!」
どこか投げやりになった神はああっーーと虚空を見上げる。
運命干渉力を観測したいが、想定の範囲外の事象を起こされても困る。響の命がトリガーかと思えば、それも違う。運命、いや世界は何を求めているのかわからない。
「はぁ……わけがわからないよ」
神が運命の悪戯と呼んだ出来事を、彼が本当に理解していなかったとわかるのはもう少し後だった。