エピローグ
リゼットの村に戻ってからが大変だった。
気分よく、仲間達と無事帰れてよかったねとか、いろいろ褒美貰えてよかったとか話している途中だった。
リゼットの村の住人総出で出迎えられたのは。
え……って後ずさりしたのは仕方がないと思う。
これがまだ和気あいあいな雰囲気なら大丈夫だった。だが、そこにいたエルフたちは真顔だった。真剣だった。弛緩した空気なんてそこには一切なかった。
なにか悪いことをしたのかと思った瞬間、エルフ達が一斉に頭を下げた。
「「申し訳ありませんでした!!」」
響く声、重なる声、唱和される言葉。
え……エルフ怖いって思ったのは仕方がないと思う。
逃げたい気持ちを押さえつけて聞いてみると、聖霊様の代理様、つまりトスカリー様が来て俺のことを説明したとのこと。
俺がダンピールであっても、害はないと。
そして、エルフの民に俺に謝罪するように伝えた。
……話を聞いて、そりゃこうなるよなぁと腑に落ちた。
トスカリー様がどういう理由でエルフに謝らせたのかはわからない。そりゃ、エルフ達は俺を気絶させて牢に監禁した。俺が危険人物の可能性がある以上、監禁させたことに間違いはなかったと思う。だが、今後の円滑な関係を築くためにも、謝罪の言葉の一つは欲しいのは本音だ。
だが、やり過ぎだと思う。
立場が立場だ。
トスカリー様は聖霊様だ。崇め奉る存在だ。それが、謝れと言えば、言葉以上の力がある。
呆然とする俺達に、村長、つまりリンの祖父のムラオルさんが出てきた。
で、彼に連れられて村長の家でいろいろと話した。
その結果……。
「飲んでますかーーー!?」
「おう!」
「酒うめーー!」
「英雄さん、最高!」
「ありがたやぁ、ありがたやぁ!」
目の前には宴会が行われている。
村の中心には大きな篝火が焚かれ、歌え踊れやの宴会が。
何でこうなったのやら。
「ねぇ、あそこにいるの英雄さんよね。あんた行きなさいよ」
「えー。でも、村長と話してるじゃない」
本人にとってはヒソヒソ話かもしれませんが、こちらに筒抜けな会話だ。
「若い者が失礼を。申し訳ありません」
俺の横にいるムラオルさんが眉間にシワを寄せながら言う。先程の声をムラオルさんは恥と感じているようだが、俺は気にしないと手を軽く振った。
「いえ、お気になさらず」
それより問題なのは、ムラオルさんの口調だ。
塔に帰ってきたら、ムラオルさんの口調が変化していた。
元に戻してと言ったのだが、聞き入れてくれない。態度は柔らかいのに、口調は断固として変えてくれない。俺は粘ったが、諦めるしかなかった。
俺は溜息をつきながら、酒ではなく子どもでも飲める果実酒をチビチビと飲む。
宴会を見ながら、村長と会話をする。
「改めて謝罪と礼をしましょう、アポロ殿、いえアポロ様。貴方はこの村の英雄です。そんな人物に私達はなんてことをした……」
「やめてください」
ムラオルさんの言葉を遮って、俺は強く言う。
「しかし!」
村長は俺の手を強く握り、俺の目を見る。
「あの時には、それが最善の行いでした。それに何度も謝罪とお礼の言葉は聞きました。十分です」
それよりも……。
そんな言葉よりも……。
「手を離してもらえませんか?」
「……チッ」
舌打ち!?
村長は何食わぬ顔で俺の手から自分の手を離す。
「ていうか、なんで事あるごとに俺の手を触ろうとするのです?」
何かにつけて、俺の手を執拗に握ろうとするんだよな、この人。
片方の手は杯を持っているのに、握るとは思いもよらなかった。
「トスカリー様がアポロ様の手を握ったと聞きました。アポロ様の手に触れることで、間接的にトスカリー様の手を触れようと」
「やめてください」
聖霊様信仰というより、アイドル信仰でも見ているようだ。トスカリー様は聖霊様と言っても代理的な役割だから、ムラオルさんが元々信仰していた聖霊様とは違う人物のはずだ。なのに、この惚れよう。
聖霊なら誰でもいいのか、この人。
これがなければ、この村長はまともなんだがなー。
リンも自分の祖父なのに、相手にするのが嫌になって逃げちゃったし。
村を見渡すと、いくつかの集団があることがわかる。
その集団の中心にいるのは、俺の仲間だ。
リンのグループは女性陣が集まってキャッキャっと騒いでいる。話の途中で、集団全体が俺の方を見るので心臓に悪い。一瞬こちらを見たかと思えば、また自分達の会話に戻り、黄色い声をだす。うん、恐ろしい。何を喋っているのだろう。
ベクトラのグループは、女性が三割、男性が七割だろうか。
こちらはベクトラを話の中心にして、何やら講釈みたいなことをしている。あと、回復魔法を使って治療をしているみたい。エルフ達のベクトラを見る目は畏敬を感じる。
アルは女性と男性が半々だ。そして、子どものエルフは全員集まっているのではないかと思う。
アルは機嫌良さそうに身振り手振りを使って武勇伝らしきものを語っている。
話を聞くエルフ達は目を輝かせてアルの話を聞いている。何を話しているのかはわからないが、着実とエルフの民の洗脳が進んでいるようだ。
「ムラオルさん?」
「はい、何でしょう?」
「カルネキの根ありがとうございます」
祭りの音は遠く、篝火の光が時折しかこない場所。
そこは祭りの楽しさと、祭りの後のような寂寥感が入り混じっていた。
だからこそ、明るい会話だけではなく、真面目な話をできる。
「いえいえ」
ここの村に来た目的。それはカルネキの根だった。
譲って欲しいと頼むと、二つ返事で貰えた。ここまで楽に貰えると、いいのですかと逆に問い返したぐらいだった。
そして、それだけじゃない。
「……しかし、いいんですか? カルネキの根だけじゃなく、いろいろ貰ってしまって」
俺は腰に下げている剣をポンと叩きながら、村長に聞く。
「ええ。村に置いていても、剣に相応しい使い手がおりませんし」
エルフの戦士は、弓や槍の使い手が多く、剣士は少ない。
でも、少ないと言っても皆無なわけではない。
貰った剣は、そこらにあるような剣ではなく業物と言えばいいだろうか。村の宝になりそうな価値があった。それを村を救ったとはいえ、俺にあげるのだ。村人から反感がでるだろう。
だが、村長は首を横に振った。
「それは元々、トスカリー様から迷惑をかけたからと謝罪にと貰ったものです。村を救った英雄に渡すのが筋かと思います」
「なら、尚更ではありませんか? 被害を受けたのは俺ではなく、このリゼットの村です。カルネキの根だけでも十分なはずです」
カルネキの根は貴重な品だ。それを無償で渡すばかりか、宝剣をも俺にプレゼントする。
リゼットの村に渡されたそれを横からかっさらうのはどうかと思う。
村にも被害がでている。それなのに……。
「トスカリー様も仰ってました。『使い道は自由だよ。剣に困っている旅人にあげるとか、ね』と」
「あの人は、もう……」
何が、褒美は終了だ。
俺に渡すように仕向けているじゃないか。
「あの茶目っ気溢れた笑顔を見ているだけで、パンがいくつも食えますぞ! 剣なんてあの笑顔に比べてたゴミですよ、ゴミ!」
……どうやら、俺はゴミを貰ったようだ。
「は、はぁ……。では、ありがたく貰っておきます。それに、武器だけではなく防具もいろいろとありがとうございます」
「いえいえ。これもトスカリー様からの品ですし」
「本当にあの人は……」
茶目っ気混じりにウインクするトスカリー様が脳裏に浮かんだ。
いろいろあったが、あの人は本当に真面目であり親切であり…………遊び心がある人だった。
それはまるで……。
「アポロ様」
村長が俺の目をしっかりと見つめる。
その雰囲気に押され、俺は姿勢を正す。
「ありがとうございます」
「いえ、そんな……それにお礼の言葉は何度も受け取りました。十分ですし、恐縮してしまいます」
「何度言っても言いたりないのです。あの魔物の部位を見ました」
部位というのはあの魔物の蔓の部分だ。全て燃やし尽くされてなくなったと思われていたが、斬った奴が残っていたそうだ。
村長はわずかに顔を伏せる。
「村の皆から聞いた魔物の姿。被害の様子。そして、あの魔物の端の部位、蔓の先とはいえ、膨大な魔力を放つそれを見て、あの魔物がどれほどの力を持った存在か嫌でもわかります。この私が腰が引けてしまったのです。心が折れていたと言い換えてもいい。村から離れていたことに内心、安堵していたぐらいですから。村長失格ですな」
村長の手は強く握りしめられていた。
悔恨か自身への怒りかわからなかった。
安易な慰めはできなかった。それはムラオルさんの誇りを傷つけるものだから。
ムラオルさんの言葉は続く。
「それなのに、貴方はあの魔物に立ち向かった。自身を牢に閉じ込めたエルフのために、我が身をかえりみずに助けた。そして、魔物を倒してくれた。村を救ったと言えば、簡単なのですが、それがどれほどのことなのか貴方は理解していないでしょう。貴方がいなければ、遠い昔のように、この村どころか近隣全てがあの魔物に蹂躙されていたでしょう」
「……………………」
「この村は、規模こそ小さいですが歴史があります。ユエルの塔の管理、聖霊様の使者として役割、そして王都との繋がりも……」
ムラオルさんだけではなく、村の人は俺に多大な感謝と罪の意識を持っていた。
村を救ったからなのか、聖霊様の御威光なのか、ユエルと同じ瞳の効果なのかもわからない。思い返せば、あのモンスターを倒した後、すぐにユエルの塔に向かわされた。村人が俺をどう思っていたかは村長から聞かされただけで、実際には見ていない。
なぜ、ここまでの感情を持たれるのか。
ただ、わかることはただ一つ。
言葉だけで、ありがとうございます、いえいえと済む話ではなくなっていたことだけである。
「貴方は村の英雄です。リゼットの村は貴方が困った時の力になりましょう」
「それがどういう意味なのかわかってて言ってますか?」
俺はムラオルさんの目をしっかりと見つめて聞く。
ダンピールの俺は危険性がないとは言え、問題はある。風評被害を受けるかもしれない。
だが、ムラオルさんは怯まなかった。
ムラオルさんの翠色の瞳は俺を力強く映していた。
「わかっております」
「迷惑をかけるかもしれませんよ」
「承知の上です」
その言葉と共にムラオルさんは相好を崩す。
悪戯じみたその笑いにつられて、俺も口の端が歪む。
「はぁ…………エルフの民は義理堅すぎます」
「ふふっ。貴方がミシェロの町で何をするか、今から楽しみでありません」
俺はムラオルさんにほとんど全てのことを話した。
俺が異世界人であり、目的があってミシェロの町にいること。
今まで何をしたのか。そして、これから何をするのかを。
ムラオルさんは驚いてはいたが、俺を信じてくれた。そして、全てを話した後、トスカリー様が目をかける理由が少しわかったと、フフッと笑った。
「行っちゃったね。英雄さん……アポロさん」
「そうだな。寂しいか、ミルファ」
次第に小さくなっていく三人の影。
それを見つめながら、孫と祖父は会話をする。
「……うん。お姉ちゃんにまた会えなくなるのもだけど、アポロさんも……」
早朝のひんやりとした空気が肌に触れるのか、孫は自身の腕をさする。
「なぁに。手紙はすぐに出すとのことだ。それまでの辛抱だ」
「うん……」
もう豆粒ほどの大きさにしか見えなくなった三人の影。
その影は揺らぐように揺れる。せわしなく位置を入れ替えて進んでいるようだ。
せわしないけれど仲良さげな姿に、クスリと孫娘は笑う。
「ねぇ、おじいちゃん」
「ん?」
「アポロさんは本当にエルフの英雄さんなのかな?」
「さぁな」
祖父は優しく孫娘を撫でながら、三人を姿を見る。
「本人は異世界から来たと言うとるが、実際はどうだかわからん。エルフの先祖返りが本当か、本人が言うように全然関係ないのか。もし、本人が言うことが真実であっても、ミルファ、お前が見た物は変わらない」
もうあの部位は回収されて残ってはいない。だから復興が進めば、あの魔物は記憶にしかないものになるだろう。
だが……。
「うん……」
孫娘は思い出す。
あの魔物を倒した炎を。
山火事かと思わせる炎はあのモンスターだけを焼き滅ぼし、それ以外の木や土、動物に一切の影響を与えなかった。
この世界にはもう存在しない魔法。
夢物語として聞いた魔法。
かつてエルフを救ったと言われる炎にそれは酷似していた。
「大事なことは、アポロ様がどんな存在であれ、恩人だということだ。エルフはそのことに感謝し、恩を返す。リンもそのつもりでいるのだろう。だからこそ、アポロ様に何も言わずにおるのだ」
「そだね……お姉ちゃんは自然体だった。ダンピールだとしても、英雄さんだったとしても、アポロさんとして接してたね」
かつて、エルフが精霊魔法を使えなかった頃の話。
エルフは危機に瀕していた。
原因はある一匹の魔物の存在だった。
どこからともなくやってきた魔物。誰もその魔物を姿を今まで見たことがなかった。突然変異と呼べばいいのかもしれない。
ただ絶望という言葉を体現するかのようにその醜悪な魔物は存在していた。
皮膚は爛れ、肉は腐り、血はとめどなく流れていた。
異臭を放ち、その臭いは毒だった。吸えば体が麻痺し、口から泡を吹き、やがて死に絶える。
近づくことも出来ず、放っておけばその腐った肉が土に落ち、そこからモンスターが生まれた。
下手に攻撃しても肉が落ち、被害は拡大するばかり。
ただ、黙って見ているしかなかった。肉は腐り、血は流れている。放っておけば死に絶えるだろうと誰もが思った。だが、いくら待ってもその魔物は死ぬことはなかった。腐り落ちる同等のスピードで肉体が再生していった。
その魔物をは生きとし生けるものを憎み、食らい、蹂躙していった。
その魔物が通った後は、汚染されて近づくこともままならかった。その地に住む精霊は汚染された大地では生きていけなくなった。
エルフや精霊は神に願うしかなかった。
神は応えた。
神炎と呼ばれる、浄化の炎を放ち、魔物だけを焼き滅ぼした。森や人、土を一切燃やさずに魔物だけを。
「あの話とこのリゼットの村に起きたことには類似点がある」
エルフの危機。
魔物の種類は差があれど、今まで見たことがない魔物。そして魔物はモンスターを生む、肉体が再生する。
そして、神炎とも呼べるあの炎。
エルフの寝物語に語られる話とそれは似ていた。
「だがアポロ様はダンピールだった」
だからこそ、村の意見が割れた。
これが、エルフだったら問題はなかったのだろう。だが、世界の敵とも言えるダンピールでは素直に喜ぶことができない。
聖霊様の代理、トスカリー様がこの件を預かってくれたのは願ってもないことだった。村長という立場では解決できなかったから。
そして、かのダンピールが帰って来た時、彼はユエルの瞳を得ていた。その瞳の変化と共に、耳も長くなる。
「……………」
上の者が何を考えているかはわからない。
ダンピールであっても、害はないとの証明だという。
だが、リゼットの村の民はあのおとぎ話のような炎を見て、ユエルと同じ瞳を見て、畏敬を払わずにはいられない。
ダンピールが世界の敵ならば、神炎を放ち、かつて世界を救った者と同じ瞳を持つ者は世界の敵なのか。
リゼットの村を救った者。ダンピールであって、ダンピールでない者。そして、エルフの力を持ち、聖霊様に認められた者。
彼を呼ぶ名は沢山ある。
だが、彼はその名を得ても驕り高ぶらなかった。自身をどこにでもいる平凡な男だと言い、笑っていた。
そして、妖精は村の人と打ち解け、リンと共に英雄という壁を身近な存在に変えた。
彼と一緒にいる時間は少なかった。だが、長い時間を生きるエルフにとっても、それは忘れられない時間だった。
「さぁて、やることはいっぱいあるし、戻るぞ」
「うん!」
三人の姿が見えなくなり、祖父と孫は踵を返し、村へと戻る。
「…………」
「……おじいちゃん?」
途中、祖父はくるりと振り返った。
三人が去った方をずっと見ていた。
孫娘は祖父の挙動に首を捻り、声をかける。
「……いや、なんでもない」
祖父は孫娘の声に首を振った。
そして、また村へと歩きだす。
思い出すのは代理ではない聖霊様のこと。
なぜ、あのモンスターが出ても現れなかったのか。
なぜ、代理をたてられたのか。
わからないが、見捨てられたとも裏切られたとも思わない。
何か自分には及びつかない理由があったのだろう。
だが、引き込もがちなあの人は心優しい。自分が出れないても、救いの者を遣わせてもおかしくはない。
あの三人がその役目だったのか。それとも本当に偶然だったのか。
嵐のようにやってきて、モンスターを倒して去っていった。
わからない。
わからないが、
「よし! これからユエルの塔に登るか!」
「おじいちゃん!」
とりあえず復興は村の皆に任せて、自分はトスカリー様の顔を拝んで英気を養おう。
そう、リゼットの村長は決めたのだった。