バランス崩壊
お待たせしました。
約2万文字あります。長いです。
名称を変更。
気術→闘気術
リンの村、名をリゼット。
朝焼けが始まる少し前。夜と朝の境界線の時間。
黒一色だった空間は光に侵食され薄紫へと変化していた。冷気を運ぶ風は身を削る痛さというよりも肌を引き締めるような心地よさを感じさせるものだった。
ありふれた一日の始まり。
大半のエルフは眠っていた。村全部を巻き込んだ討論は夜遅くまで行われたが収拾がつかず、翌日に持ち越されたのだ。
眠らずにいたエルフの中にはリンの行動に気づく者もいた。見なかったことにする者もいれば、過去のやんちゃぶりを重ねあわせ笑う者もいた。
そして、魔物を警戒する者もいた。
リゼット周辺の魔物の動きがおかしいのだ。新種の魔物が突発的に発生し、魔物の生態系が変化している。その異常事態に気を抜かず村に魔物を寄せ付かないようにしていた。
だからこそ、彼らは幸か不幸か第一発見者になったのだ。
彼らが村に戻った直後。
振動が起こった。
「……なんだ?」
その揺れにエルフは戸惑う。
異常なのだ。
その振動は地面を伝わらず空気を伝わりエルフの体を揺らした。
波打つような音の揺れは徐々に激しさを増す。
そのまま揺れが続いた後、ふっと一瞬揺れが止まった。
そして、空間が割れた。
「……おい。なんだ、あれは……」
ナイフで切ったような小さな割れ目が上空に出来ていた。その割れ目からは薄紫色の空に薄気味悪い虹色が見えた。
ありえない現象。
その事実が目の前に起こりエルフ達は動くことが出来なかった。何をすべきかがわからなかったこともあるが、それより何より予兆がしたのだ。何かとてつもないことが起こると。その恐怖に襲われ身体が麻痺したのだ。
エルフ達の動揺をよそに事態は進行する。
虹色の空間から一本、緑色の物体がスルリと出てきた。それは植物の蔓に見えた。緑色の蔓は細長く先端が丸みを帯びていた。
蔓は何かを探すように動き、元の空間に戻っていった。
ほっとするのも一瞬。
「増えた……?」
再度同じ形をした緑色の蔓が2本出現し、空間の割れ目の部分に触れた。
そして、バキリッと音が鳴った。
「ありえないッ!」
誰かが叫んだ。
ガラスを割るかのように空間に放射線状の線が走る。
上空の亀裂は瞬く間に広がり、ボロボロと空間が剥がれ落ちていった。
剥がれた空間から出てきたのはやはり虹色の空間。蔓の出現した場所だ。
蔓は見る間に増加し、亀裂は増え、虹色の空間の領土が広がる。
もはや、割れ目とは言えず虹色の穴だった。家一軒ならゆうに入るほどの巨大な穴。
そして、虹色の穴から一体の巨大なモンスターが這いずり、そして落ちてきた。
「……に、逃げろッ!」
モンスターを見た瞬間、エルフは退却の声をあげる。
そのモンスターは体長はゆうに8mは超えるであろう植物モンスターだった。3つの赤い花が咲き、身体は蔓で出来ていた。植物の茎に概当する部分は蔓が絡みあい樹木のように堅かった。足元の蔓は蠢き、見る者の目を背けたくなるほどの不気味さを醸し出す。モンスターの出現後、虹色の空間は元の空の色に戻っていたが、誰もそれを気にする余裕はなかった。
「ガぁあさふぇdんふぇをふぇhw!」
言葉にならない声をあげるモンスター。
意味はわからずとも理解できる。その声は増悪の声。
全てを破壊する意思の声。
幸か不幸か洞窟内には聞こえなかったその声はリゼット村に存在するエルフ達に届いた。寝ている者は一瞬で覚醒し、起きている者は恐怖でおののいた。
「ガァァァァァァァァ!」
その植物モンスターの名前はアリエル。
アリエルは叫び声と共に種子を地面へと発射した。その速度はまるで弾丸のように。種子は地を抉り、すぐに芽を出した。
「ツラァァァ」
芽を生やし、生まれたのは植物モンスターのアリエルのツタ。
一度アポロ達が戦ったモンスターだ。
こうしてリゼットの村に地獄絵図が生まれた。
大本のアリエルは自身の蔓を暴風のように振るう。直撃を受けた建物は宙を飛び、地面に当たれば地面が抉れ、土埃が舞う。幸いなのは、怒りに身を任せ周囲に当たり散らすだけなのだ。誰と標的を決めずに暴れまわる。逃げるだけなら容易だ。
しかし、それを許さぬ存在がいた。
アリエルのツタ。細かく蠢き、エルフ達の進路を妨害する。
こうしてリゼットの村は混乱の渦中だった。逃げようとする者、戦おうとする者、逃がそうとしない者、暴れようとする者。
賢なるエルフの中には悟った者もいた。このままでは全滅すると。突然の襲撃でエルフ内での意志の統一が出来ていない。このままでは、全滅の危険があると。しかし、声を出し、意志の統一を図ろうとしたが事態の収拾はつかず、むしろ混乱を促すだけだった。さもあらん、彼には知恵があったが力がなかった。皆に示す希望がなかったのだ。
「た、助けてくれぇぇぇぇ!」
一人のエルフの青年がアリエルのツタに捕まり、ズルズルとアリエルの元に。
「オルガ!」
他のエルフが捕まった壮年の男を呼ぶ。助けに行こうとするが、間に合わない。
そして、アリエルが放った無造作な一撃。
オルガに当たる。誰もが思った。周りのエルフも捕まったオルガ自身も。
その時、一陣の風が吹いた。
オルガがビュウと風を切り裂く音と共に感じたのは熱。
オルガに当たると思われた蔓を一瞬で炭化させ、アリエル本体に迫るは巨大な火弾。
エルフが得意とする精霊魔法とは違う、火の魔法。
『イグニッション』。
「ガァァァァァァ」
暴れまわるアリエルの中心の幹に火弾が当たり、爆ぜる。
火柱が立ち、アリエルは苦痛からか蔓を地面に何度も打ち付ける。
「やった!」
苦痛で悶え苦しむアリエルを見て一人のエルフが歓喜の声を出す。
「まだだ!」
その声と共にエルフ達を尻目に駆け抜けるは一人の男。進行上の邪魔なアリエルのツタを苦もなく一刀するその男は、
「ダンピール!!?」
捕まったはずのダンピールだった。
その男がアリエル本体の目の前に降り立った。
ダンピールの男、アポロはエルフの声には反応せず、ただひたすらアリエルを凝視していた。追撃するには時間が足りない。
何故なら、あのモンスターは、
「来るッ!」
「オオオオオオォォォオオオ!」
咆哮が走り、3つの花が全てアポロへと向く。植物ゆえ目に当たる器官がないはずだが、花がアポロへと向いた瞬間、アポロにぞっとする重圧と寒気が走った。そのまま、アリエルは幹に立ち上る火柱を足元の蔓が蠢き、絡めさせあうことで幹を修復し始めた。アポロは動くことが出来なかった。もし、攻撃を加えようと動けば、修復をやめ戦闘が始まるとわかるのだ。そして、アポロは戦闘より、時間を取った。アリエルが停止する貴重な時間を。
「時間を稼ぐ!コイツは俺が相手にするから逃げろ!」
村中に響き渡るほどの大声量でアポロは叫ぶ。
アリエルの威圧に真っ向から対峙しながら、アポロは剣を持つ手に力を込める。
「は?何でダンピールが?」
事態が飲め込めず、戸惑うオルガ。
魔物に拿捕され死を覚悟した瞬間、自分達が捕らえられたはずのダンピールが脱出していて自分を助けたのだ。
「いいから、早く!俺が時間を稼ぐ!逃げろ!」
オルガの言葉を無視し、再度アポロは叫ぶ。
「お、おう」
オルガは訳がわからかったが、その場から逃げ出す。アポロは背でその気配を感じると次に大声で仲間に声をかけた。
「リンは周辺のアリエルのツタを、ベクトラは負傷者の手当、誘導を!早く皆を村の外へ逃がせ!」
「承知」
「……わかったわ」
ベクトラは無表情でその場を離れ、リンは己の唇を噛み、周辺のアリエルのツタの駆除へと向かおうとする。
「……………」
アリエル本体の修復も直に終わる。
アポロは音が鳴るほど強く柄を握りしめた。対照的に左手は力を込めず柄に添えた。
戦闘、開始。
「ガァァァァァァァ!」
アリエル本体の咆哮が開始の音となった。
アポロの胴体を狙い、蔓が飛ぶ。その速度は暴れまわっていた時より速く鋭い。
「くっ」
その速度差にアポロは苦悶の声を発する。体ごと押し潰さんと放たれた蔓の一撃に大地を蹴り、真横へと全力で回避する。しかし、それが精一杯だった。バランスは崩れ、ずれそうになる体の重心を立て直すために体は硬直し身動きが取れなくなる。その好機を逃さずアリエルは二撃目を放つ。頭を消し飛ばさんと打ち下ろされたそれはアポロの頭に当たり血が周囲に飛ぶ。
「アポロッ!」
その場を離れる間際、その光景を見たリンは叫び、近寄ろうとした。
「大丈夫です!かすっただけです!」
だが、アルがリンを止める。
リンが再度注意深くアポロを見ると、確かにこめかみから血が出ているがそれだけだった。こめかみに当たった一撃で身体がふらつくが、アポロはそのふらつきの勢いをそのままに体を回転させ、次に来た蔓の攻撃を避ける。
「ツッ」
アポロは左手でこめかみに出た血をぬぐう。
アリエルの攻撃は苛烈だ。力任せの乱暴な攻撃。命中なぞあまり考えてはいないのだろう。狙いが甘く、力任せ。実際、アポロに当たる攻撃の数は総数の半数以下。しかし、それでもアポロは絶体絶命だった。
「チッ」
アポロは右手に持った剣をアイテムボックスに投げ入れる。剣を使う暇がないと判断。回避するだけで精一杯。剣はむしろ重りとなり、回避する際の足かせにしかならない。攻撃を捨てなければ生き残れない。
「ここはアポロさんに任せて、リンさんは邪魔な蔓達を!このままでは全滅です。逃げられません!」
「でも!」
リンの心が揺れる。
彼我の実力差は絶大だ。
逃げまわるアポロと羽虫を潰すように相手をするアリエル。
均衡を保っているとは言えない、いつ殺されてもおかしくはない。その状況でアポロを見捨てることが出来るのか。
リンは迷う。
「持たせます!だから、だからこそ早く!」
アルは叫ぶ。
懇願するようなその顔をリンは見た。
「ッ…………わかったわ」
今にも泣きそうなアルの顔を見てリンは決めた。
下唇を噛み切り、リンは振り返りその場から離れた。
「早く、早く、早く」
アルは早口で祈る。
何も出来ない自身の身を嘆きながらアルは祈る。
「ガアアアアアアアアアアアア」
アリエル本体の咆哮がアポロの体を揺らす。
その咆哮で体がすくみそうになるのを、唇を強く噛むことで回避する。口の中に鉄の味が入る。だが、アポロはそれすら気がつかない。五感は全てアリエル本体に集中し、痛覚、味覚等の戦闘に邪魔になる要素が意識に入ってこないのだ。咆哮を回避したのも考えてではない。自然としたこと。考えるよりも先に体が動き完遂する。直感が命じるままにアポロは動いていた。
「ガアアアアアアアアアアアア」
「うわ………」
オルガは我を忘れて呟いた。
オルガはアリエルの攻撃の届かない場所へと移動しアポロとアリエル本体の戦いを観戦していた。無論、オルガのいる場所は絶対の安全圏ではない。アリエルのツタが村を徘徊しているのだ。村の外へ逃げた方がいい。オルガとてそれがわかっている。しかし、見惚れてしまったのだ。
アポロとアリエルの戦いに。オルガを助けたダンピールが大丈夫かと心配になり振り返っただけだった。その一瞬でオルガの目を奪ったのだ。気がつけば、木々に身を隠しアポロとアリエルの戦いを固唾を呑んで見ていたのだ。
アポロはアリエルの攻撃を避ける。時に尻もちをつき、時に地面を転がりながら。回避と言うには滑稽とも言える動きで避ける。すぐに倒されると思った。回避するにしても無駄が多い。生き残っているのは運が良かっただけ。そう思わせる戦いとも呼べぬワンサイドゲーム。だが、オルガの目を離さぬ何かがあった。アポロは生き残っているのだ。この激流とも言える攻撃の連打を。
食らったのは最初のこめかみの一撃だけ。血は出ているが、かすり傷。後の攻撃は全て回避している。アポロの周囲の地面は抉れ、多数の穴があき、住宅は半壊、木々は折れ曲がっている。五体無事と呼べるのはその場でアポロのみだった。
「ガアッ!」
何回目、いや何十回目の攻撃だろうか。アリエルの蔓が無駄打ちとなる。アポロが回避し蔓が地面を打ち付ける。斜めから放たれたそれは地面を抉り、砂埃を空中へと舞わせる。砂埃がアポロの視界を奪わんとするが、アポロの動きには影響が見られない。視界が奪われる寸前、己の瞼を閉じ勘の命じるまま動く。体を回転させ蔓を避けると同時に口を開く。
「風の精霊よ、力を」
出た言葉は精霊魔法の呪文。
その言葉によって空気の流れが変わりアポロの周囲の砂埃は飛ばされた。威力は弱く、目に砂が入らないだけの魔法。それだけだ。魔法としての質は低い。
だが、もしその光景を戦闘を生業にする者が見れば愕然としていただろう。
戦闘中、回避と両立させた魔法詠唱。
魔法の行使には多大な集中を要す。自己の世界に没頭し、事象を捻じ曲げ奇跡を発動する。それが魔法だ。前衛での戦闘と魔法の両立なぞもってのほかだ。右手で字を書きながら、左手で絵を描くようなものだ。本当に人類に不可能かと言われれば否と答えるだろう。しかし、人に可能かと言われれば無理と言われるもの。片方の動作なら容易い。それを同時に試行するからこそ難易度が格段にあがるのだ。
だからこそ、それは高等技術と称され、こう呼ばれる。
並行詠唱と。
アポロは今まで不可能だったはずのそれを当然の様に行いアリエルの攻撃を避ける。
「ラアァ!」
アリエルの蔓がアポロの体を潰さんと縦に振るわれる。アポロは体を半身にして回避。蔓が地面を抉る。そして、地面を抉った蔓は元に戻ろうとした瞬間、アポロはその蔓を踏みつける。
蔓の動きが止まる。
だが、それも一瞬だけ。
それもそうだ。蔓が細かろうともアリエルはモンスターだ。本気を出せば高々人一人の体重では抑えきれないのだ。
「ラッ!」
アリエルの声と共にアポロの体は宙へと飛ぶ。
「ああぁ!」
オルガが叫んだ。
アポロの体が宙を飛び、アリエルがその無防備となった体にトドメを刺そうと蔓を振るう。
もう駄目だ。オルガはそう思い、目を瞑った。
ヒュンとオルガの横を何かが横切った。鋭利な風切音に驚きながら目を開けるとそこには無傷のアポロが大地に立っていた。今まで持っていなかったはずの剣を右手に持ち、アリエルへと構えている。
オルガは何かに突き動かされ、後方へと向く。
風切り音の正体へと。
遠く離れた場所にあったそれは、アポロに振るわれていたはずのアリエルの蔓。
そこでオルガは悟った。トドメを刺そうとして振るわれた蔓をアポロが斬ったのだと。空中という足場のない場所で自分を狙った蔓を斬ったことにも驚きだが、それよりも驚いたことがあった。
「オイオイ………狙ったのか?」
再度アポロを見ると、そこは青々とした雑草茂る大地。
アリエルの攻撃が晒されていない場所だった。
蔓を踏んだのはこのため。アリエルに投げ飛ばされることを見越して踏んだのだ。投げ飛ばされる直前に自分からも飛び、思い通りの場所へと降り立つために。
戦闘、再開。
アリエルは斬られた蔓を復活させアポロへと襲いかかる。
仕切り直されても戦況は変わらず、アリエルは攻撃し、アポロは避けるのみ。
しかし、その質が変化していた。
最初アポロを攻撃する際、煩わしい羽虫を払いのけるかのようにしていたアリエル。当たればいいと繰り出される攻撃は大雑把。命中率は悪く、半数以上の攻撃はアポロから外れた場所にあたっていた。
しかし、攻撃が続けど一向にアポロを倒せぬ状況にアリエルも次第に本気となる。
羽虫から障害へと認識を改め、狙いを定める。
だが、それでもアリエルはアポロを殺せなかった。
「ッ!」
アリエルの繰り出す蔓をアポロは右に一歩進むことで回避。次いで繰り出された逆袈裟の一撃には首を曲げるだけで回避。アポロを両断しようと真横から放たれた蔓は剣で両断される。
戦闘開始直後、アポロは剣を持っての回避は不可能と判断しアイテムボックスにしまった。
しかし、今。
アポロは右手に剣を持ち、アリエルと向かい合っていた。
最初の回避はなんだったのか。動きに無駄があり、稚拙とも呼べたそれは、戦闘が進む度に洗礼され効率的になっていった。その動きは曲芸のように軽やかでダンスのように華麗。それが戦闘なのか演舞なのかわからなくなるほどだった。
「ハッ」
裂帛の気合と共にアポロは攻撃を繰り出した。
振るわれた剣の峰は蔓に当たる。
刃ではなく、峰。故に両断することは出来ない。しかし、剣を支点とし、蔓は回転する。アポロ目掛けて放たれたそれは軌道をずらされ、次いでアポロへと放たれるはずだった蔓へと当たる。そして、蔓が絡みあい、もつれ、終わる。
蔓を斬ってもやがて復活する。再生能力を持つモンスターの厄介な所だ。しかし、蔓が健在ならば再生は出来ない。
故に蔓を絡ませ、もつれされることによって攻撃を封じたのだ。
「ガアアアアアアアアアアッ!」
アリエルが吠える。
アポロはMP回復のためにアラキドの実をアイテムボックスから取り出し、口に含む。ガリッとした音が鳴る。
「まだか……」
アラキドの実を咀嚼しながら、アポロは呟く。
「ラアアア!」
封じられた蔓を諦め、アリエルは他の蔓で攻撃を再開する。
アポロの手前の地面に当たった蔓は跳ねてアポロの元へ。直線だった攻撃に変幻が加わる。
「ッツ!」
アポロの首を刈り取る軌道へと変化したそれをアポロは首を下に向けるだけで避ける。続け様に振るわれる蔓も体を半身にするといった最小の動きで躱す。その動きは神がかっていた。振るわれた蔓の速度を視認し最小限の動きで躱すこともそうだが、死角からの攻撃をも回避していたのだ。
観戦する者どころか動いている本人も気がついていない。
アポロの使う技法を。
魔力循環と呼ばれる技法がある。
戦士は肉体精度をあげるために己の闘気を体に巡らし強化する。闘気術と呼ばれる技法は前衛を務める冒険者に取って必需の技法だ。これが無くては下級の魔物を倒せても、中級以上を相手することは厳しい。人とは違う性能を持つ魔物を相手にするには肉体性能を上げなければ太刀打ち出来ないのだ。
魔術師も同じことが出来る。後衛とは言え、最低限の戦闘能力が必要とされる。安全地帯への移動。動く敵へと狙いを定める目の良さ、動きを先読みする頭脳、後衛と言えど肉体的性能を求められることが多い。故に魔術師は肉体に魔力を巡らし性能を強化する。
闘気と魔力は別種の存在。
目的は同じにしても使う材料は違う。
まるで水と油。
両者を混同して肉体性能強化に使うことは出来ない。
それが定説だ。
しかし、アポロは闘気と魔力を混ぜ使っていた。
闘魔一体。
本人はそんなことを気がついてはいないだろう。相手の早さに慣れただけ。そう思っている。
迫ってくる蔓、線にしか見えなかったそれがコマ送りで見え蔓として視認することを可能にする。感覚が過敏になり空気の流れから回避行動が取れるようになる。
「すげぇ……」
オルガはぽつりと言葉をこぼした。
アポロの動きが劇的に変化したのだ。
アリエルが振るう蔓は全てアポロへと。しかし、それでもアポロは避け続けた。
時に最小限の動きで回避し、時に蔓を踏み投げ飛ばされ回避し、時に剣を使い蔓を絡ませ蔓を封じる。
あの恐ろしいモンスターを一人で相手取っていたのだ。
最初見た時は、すぐに殺されると思った。
しかし、今はどうだ。
死にゆく気配はない。オルガは汗ばんだ手を握りしめる。
いける。
これなら、いけると思った時だった。
「オルガさん、早く逃げて」
肩を掴まれ、振り向けば、
「リンちゃんに皆?」
リンと戦闘を得意とするエルフが数人、そこにいた。
「オルガさん、逃げて。邪魔なツタ達は退治したわ」
「逃げてって、お前達は?」
逃げもせずアポロとアリエルとの戦いを観戦していたことに、恥ずかしさをおぼえ顔を赤らめながらオルガは聞く。
「私達はアポロの援護をするわ」
リンの後ろにいたエルフ達も頷いた。
アリエルはアポロに集中している。
あの図体のでかさだ。精霊魔法を当てることは容易い。
この均衡を崩し、アポロに加勢出来る。
「駄目です!」
だが、それを止める声が響いた。
「アル!?」
いつの間にかアルがそこにいた。
戸惑うリンを無視してアルは言葉を続ける。
「駄目です、それは悪手です!
私達は逃げるしかないのです!」
「おい、どういうことだ!?」
エルフの一人が食って掛かる。
アポロ一人にアリエルを任しているが、彼らは戦士だ。戦う能力がある。力を合わせればきっと。でないと、村はあのモンスターに潰されてしまう。
リン達が一斉に攻撃すれば、隙が出来る。そこをアポロが攻撃すればいいのだ。見てわからないのか、今は均衡が保たれているが、いつか疲弊してアポロの動きが悪くなる。そうなる前に反撃に出ないとならないのだ。
「見てわからないのですかッ!
私達は勝てないのですよ!」
エルフの言葉にアルは更に強い言葉で断言する。
「何を……」
言っている。
そう言おうとした。
「あのモンスターは規格外です!
勝てるわけありません!」
「しかし……」
現にあのダンピールは生き残っている。
勝機はある。
そうエルフ達は思っていた。
「アポロさんが言ったでしょう。時間を稼ぐと。倒せるとは一言も言っていません。勝てないんです、私達は!」
「勝てないって……村はどうなるッ!?」
エルフの言葉にアルは俯き首を横に振った。
「最初の魔法、あれがアポロさんの全力でした。
その魔法ですら致命傷を与えらなかったのです。あのモンスターは敵の目の前でさえ自分の傷を修復する余裕があった。私達なんて脅威に入ってないのです。今だってそうです。邪魔な存在と思っても敵とは認識されてません」
「…………」
「この村、いえこの森を灰燼にするつもりがあるならあるいは……いえ、それでも難しいでしょうね」
アルの直感が告げる。
勝てないと。
アポロが覚醒とも呼べるほど力を見せても、あのモンスターに攻撃出来ずにいるのだ。元々の実力差を考えて、今生きているだけで奇跡なのだ。ひとえにこれは、神がキャラクターメイキングで一二を争うほど良いスキルだと褒めた直感のおかげだ。自身の生存危機によって直感を十全に発揮させて、アポロは生き残っていた。
アルは顔をあげてエルフ達を見た。
「詰んでいるのですよ、この戦いは。今の戦力では勝てません。逃げるしかないです。リンさん、エルフさん達の主力はユエルの塔にいるのですよね?」
「ええ」
「ならば一度撤退して戦力を整えるしかないです。今のままでは全滅です」
「しかしッ!」
村を捨てるという意見に賛成出来ず、エルフは反論の言葉を述べようとした。
しかし、
「アルの意見に賛成よ」
誰よりも早くリンが賛同した。
「リンッ!」
思わず批難の声があがる。
エルフ達は激高した。いち早く村を捨てると賛同したリンに。だが、リンを見た瞬間、その感情は急速に薄れた。
「悔しいけど、アルの言う通りだわ。
もし私達が攻撃を仕掛けて殺せなかったら、あの攻撃が飛んでくるのよ?避けられる自信はないわ。貴方は避けられる自信があるの?」
リンは無表情で告げる。しかし、言葉の端々に、槍を持つ手、他のエルフに向ける目から怒りを押し殺しているのが感じられた。
「いや……でもっ」
エルフ達は自分達以上の感情を抱えているリンを目の前にして、二の句が継げない。
「アポロのあの動き、今まで見たこと無いわ。実力以上を出しているわ。それでも、回避しか出来ないの。一切攻撃をしてないわ」
畳み掛けるようにリンは言う。
「ええ。戦っているアポロさんが一番わかっているのでしょう。だから、最初から攻撃を捨てて時間を稼ぐことを第一に考えてます」
「……ッ」
エルフ達も頭ではわかっている。しかし、村を捨てるという選択が出来ないのだ。
「責任は私が持つわ。だから、今は耐えて」
「くそがっ!」
集まったエルフの中で一番若い男が吠えた。
胸に詰まった感情を空に向かって解き放ち、皆を見渡して一言。
「逃げるぞ」
「ラッセル!?」
逃亡に賛成したラッセルに他のエルフは戸惑いの声をあげる。
「悔しいが、リンやこのちっこい妖精の言うとおりだ。今モンスターを足止めしているのは誰だ!?エルフか?俺らの仲間か?違うだろ、あのダンピールだろ。正直、あのモンスターはヤバイってわかってるんだろ。普通のモンスターと桁違いだ。戦ったら死ぬんだよ。でも、俺達は生き残っている。あのダンピールのお陰でな。俺達より強い、あいつがあのモンスターを相手取るのは無理だと判断してんだ。ならば従うしかないだろッ!」
ラッセルの言い分に、エルフ達は顔を見合わせた。
そして、決断した。
「村を捨てて逃げるぞ。全員ユエルの塔へ急げ」
エルフ達は頷く。
だが、頷かないエルフが一人いた。
「私はここに残るわ」
「リン!?」
「私はアポロの仲間よ!
その私が残らないで誰が残るのよ!今戦っているアポロを逃すためにも私が残るわ」
「リンさん、リンさん。私を忘れていますよ」
アルに肩を叩かれ、リンは一瞬目を丸くする。
そして、アルと目を合わせ、笑った。
「そうね。アルを忘れちゃ駄目ね」
「ですです。アポロさんの第一の子分としてアポロさんを死なせません」
「だけど……」
「チッ……いくぞ」
「ラッセル!?」
止める声を無視して、ラッセルはリンに問いかける。
「おい、リン。死ぬつもりはないんだろ?」
「ええ。生きて帰るわ」
その言葉にリンは笑顔で答える。
リンの顔に悲壮感はなかった。
そのことがわかると、ラッセルは話を打ち切る。
「なら俺達は先に行くぞ」
「ラッセル、いいのか!?」
「死ぬつもりがなきゃいいだろ。それにいつまでも話し合っても無駄だ。今戦っているあいつのために早く逃げるぞ。後でな、リン」
「うん、後で」
そうして、ラッセル達は去っていった。
残ったのはリン、アル、そしてアポロ。
「アポロさん、全員退却しました。アポロさんも逃げてください」
戦闘場所から遠く離れた場所。
アルはそこでアポロに届くよう大声で叫ぶ。
「聞こえたのかしら?」
リンが尋ねる。
戦闘の場所から離れ、アポロとアリエルは未だ戦闘中。その戦闘音で打ち消されてしまったのではないか、もしくは戦闘に集中しており聞こえないのではないか。
「いえ、聞こえているみたいですよ。手信号です、アレ。左腕を見てください!」
アルに言われ、リンはアポロの左腕を注視する。
アポロは左腕は戦闘中の挙動とは思えぬ動きをする。
その動きは……。
「『わかった。俺も向かう』ですね」
迷える羊を再建する際に作ったハンドシグナル。
それが使われたのだ。
「リンさんも逃げる準備を」
「わかったわ」
その場から更に離れ、待機する。
しかし、いくら待ってもアポロはその場を動かない。
「動かないわね」
「というより、動けないのでしょうね」
アポロが全力以上の力を出してやっと均衡が釣り合っている状態。
もし回避の手を緩めればやられる。
「どうするの?」
リンはアルに尋ねる。
アルはウーと唸りながら考え、結論を出す。
「もう暫く待ちましょう。
エルフの皆さんが逃げる時間を稼ぐのにもいいですし。
そして、幾ばくか時間が過ぎてもアポロさんが動けない時は……」
「動けない時は?」
「リンさんが精霊魔法を使って攻撃して隙をつくるしかないですね」
「やっぱり、そうなるわね」
半ば予想していたのだろう。リンはアルの提案に頷く。
「その隙をついてアポロさんが逃げるのですが、問題はあのモンスターがどう動くかが問題です。アポロさんをそのまま追うのか、攻撃を仕掛けてきたリンさんを追うのか」
「どっちにしても最悪ね」
「だから二人共、皆さんとは違う方向へ逃げてください」
「……損な役回りね」
ラッセルとの会話とは違う道。
ユエルの塔に逃げては元の木阿弥だ。
だからこそ、皆のいない方向へ逃げなければいけない。
誰も助けには来てくれはしない逃避行。
それは死を意味するのかもしれない。
「嫌なら、今から戻りますか?」
今なら助かる。
アルはリンに尋ねる。
リンは首を振って答えた。
その言葉は笑顔と共に。
「戻るわけないでしょ。
それにアポロ一人で逃げるより生き残る確率があがるわ。なら、役立たずということはないわね」
「では、アポロさんに伝えましょう。
『アポロさん、一分後に隙を作ります。その間に逃げてください!』」
するとアポロからハンドシグナルで返事が来た。
「OKだそうです。
タイミングは私が取ります。リンさん、魔術の準備を」
「わかったわ。全力でいくわ」
精霊の槍を両手で水平で構え、リンは魔術の準備をする。
「火の精霊よ、力を」
リンは自分が制御出来る最大限の大きさの火球を作り出す。
「まだです、敵の攻撃が止むその瞬間まで待ってください」
アルはタイミングを図る。
そして、火球を放つ絶好のタイミング。
その時だった。
「いま……待って!」
「ミルファ!?」
視界の端、一瞬だけ見えた少女の姿。
木々に隠されすぐに見えなくなったが、確かに見えた。
「ミルファ!!」
準備していた魔法を解除し、移動する。
ちゃんと見える場所へ。
遮蔽物のないその場所でリンは見た。
アリエルのツタに引きずられるミルファの姿を。
「何で!?」
リンは叫ぶ。
誰もその問いに答えられない。
それは不幸な偶然だった。リン達が撃ち漏らしたアリエルのツタ。逃げ遅れたミルファがそれに捕まり連行されたのだ。
「ミルファ!?」
リンは助けに行こうと走る。
しかし、アリエル本体と距離を取っていたため間に合わない。アリエルのツタは本体の近くにミルファを差し出す。それは魔物ゆえの空気の読めない行動。
アリエル本体はアポロとの戦闘中。中々倒せないアポロへの戦闘に集中し、ミルファの存在なぞどうでもよかった。だから、戦闘の邪魔をするアリエルのツタ、ミルファを煩わしく思い、蔓で一掃しようとした。
それは殺意ではなかった。小さな癇癪のようなもの。
しかし、それはミルファにとっては致命傷になり得る攻撃だった。迫ってくる蔓がミルファの目にはコマ送りに感じられた。死を覚悟し、瞼を閉じる。
そして、衝撃が走った。
死を覚悟した。蔓が当たれば死ぬはずだった。死ぬとはいかずとも重症は確実だった。そのはずだった。
体に強い衝撃が走ったことは覚えている。地を転がる感触も。しかし、何故か体に強い痛みは感じなかった。
「え…………」
ミルファが恐る恐る瞼を開ける。
そこには一人の男が覆いかぶさって倒れていた。
「ア……ポロ………さ…ん?」
自分の目の前にある顔を見てミルファは呆然と呟く。
信じられなかった。
ミルファに覆いかぶさっていた人物がアポロだったことに。なんで、どうしてと疑問が頭を駆け巡る。アリエル本体と戦っている人物がいることは知っていた。だが、誰かはわからなかった。混乱と恐怖で認識する余裕がなかったのだ。捕らえられているはずのアポロが何故ここにいるのか、そして捕まる原因となった自分を助けるのか。思考が錯綜し、ミルファの体が硬直する。
「だ……い…じょう……ぶ…か?」
その声はミルファを心配する声音だった。顔は苦悶で歪み、声は震え、か細かった。だが、その問いにミルファは答えることが出来ない。錯綜した思考はついに停止する。理解不能という答えをもって。
ミルファからの返事はなかった。しかし、アポロもそれを気にしなかった。それどころではなかったからだ。
ミルファの体にまわした手を外し、地面につける。手を支えとして立ち上がろうとする。
ミルファに声をかけながらも意識はアリエルへと移行していたのだ。
「怪我!? 凄い怪我してる!!?」
アポロの立ち上がろうとする姿を見て、ミルファの硬直は終わった。それどころではなかったからだ。
アポロの服は血で染まっていた。特に酷いのは肩口から左腕にかけて。深紅の血が服に張り付き、今も尚流れ続けている。ボタリ、ボタリと血が折れた腕につたり、地面へと。地面へと落ちた血の水滴は水溜りと化していた。
「嘘!?私を助けたから!?」
見れば、自分の服も赤く染まっていた。しかし、自分に怪我がない。アポロが自分を助けた時に負った傷。それがわかると、後悔と罪悪感がミルファの胸を襲いかかる。
アポロはミルファを見ず、アリエルと対峙しようとしていた。足は震え、かろうじて立てているだけ。押せば倒れるようだった。左腕は折れ曲がり、無事なのは右腕のみ。そして、手には何も持っておらず、剣は遠く離れた場所に落ちていた。何を以って、戦おうとしているのか。殺される。このままでは確実に殺される。
ミルファは叫ぼうとした。逃げてと言おうとした。
だが、
「せんと……うちゅう……だ。ミル……ファは……逃げろ」
アポロに制された。
息も絶え絶えなのに、反論を許さぬ圧があった。
「あい…つがいる」
アポロに釣られアリエル本体を見る。
3つの花がアポロとミルファを見ていた。花に表情はない。しかし、ミルファには侮蔑の目で見られていると感じた。
アリエルにとって、アポロは障害だった。小さき者ながらも、自分の攻撃を捌き生き残っている相手。殺せぬ相手に苛立ちながらも、その技量に称賛に似た感情を抱いていた。しかし、今はどうだ。死に瀕している。
アポロを殺そうと思った攻撃ではない。邪魔者を排除するための攻撃だった。しかし、あろうことかアポロがその邪魔者を助けたのだ。自分の命をもって。
呆気無い幕切れ。
アリエルはつまらなそうに死に瀕した者を見つめ、トドメを刺そうとした。ゆっくりと蔓を動かし、アポロを殺そうと振りかぶる。
その時だった、アポロの後方から眩い光が発生したのは。
リンは憤っていた。
何度目かはわからない。数えたくなければ、数えきれないと言ってもいいからだ。
何度もアポロに助けて貰ったのに。捕まり、奴隷にされそうな所を救われ、人としての尊厳を取り戻すことが出来た。楽しい冒険生活が出来た。レストランを再建するという冒険者では考えられないことも体験した。楽しかった。楽しかったが、ずっと助けて貰ってばかりだった。
そして、やっと、やっと、恩を返すことが出来たと思っていた。
しかし、アリエルが出現し、自分は役立たずの後方支援だ。
自分の持つ槍は植物モンスターとの相性が悪い。刺突、薙ぎ払い、槍の持つ攻撃手段では蔓を断ち切るのは難しい。
リンは槍を握りしめる。ギシリと音が鳴った。
槍を捨てたい。
反射的に思ってしまった。
無力感と苛立ちのせいだ。
力が欲しいと思った。アポロを助ける力が。
なのに今手にする武器では助ける事が出来ない。使えば使うほど手に馴染む槍。精霊の力が宿り、普通の武器とは一線を画する物。
しかし、それを手に持っていても、ただ、アポロを殺されそうになるのを見ているだけだった。
子どもが癇癪を起こし物を投げ捨てるように、自分も槍を投げ捨てたい。その欲求が瞬間的に発生した。自暴自棄と言えばそうなのだろう。
しかし、それがキーワードだった。
槍を捨てたいという思いが。
精霊の槍、そう言われた槍が真実の姿を表わす。
リンの持つ槍が光り輝き姿を変える。
「な、なに………」
場が止まる。
槍を手に取ったリンも、アポロを殺そうと蔓を振りかぶったアリエルも。槍が強い光を放ったその瞬間、目を奪われたのだ。
その流れ出る力の奔流に。その力は包み込むような温かさではなく、体を芯から凍えさすような真冬の冷気だった。肌を刺すほどの痛々しい力。それが槍から発せられていた。
アリエルの意識はアポロから外れ、リンの持つ槍に注視する。いや、せざるを得ないのだ。それほどまでに危険。
対して、リンも槍の性能に気がついていた。
槍が本来の姿を表した時にこの槍が何であるかわかったのだ。それは、この槍を設計した神の嫌らしい配慮。いわば、仕様。
「これは……投げ槍」
普段使う刺突用の槍ではない遠距離武器。
投擲用の槍。
それが本来の姿なのだ。
真名を氷槍ターラレツア。限界以上の精霊の力が込められた槍。使えば壊れるその槍は一投しか使うことしか許されない。されど、その一撃は破格。敵を氷獄の檻に沈め、生命を刈り取る。
破格の性能なのに使い捨て。これの本来の持ち主の吉岡が知ったらどのように思うだろうか。キャラクターメイキングの際、自身の持ちうるポイントの五分の一を費やして手に入れた武器が使い捨てであろうとは。槍が本来の姿を表わすには条件がいる。槍を主武器とし、愛着を持つこと。それでいて、その槍を捨てたいと強く思うこと。相反する2つの思いを抱くことで槍は本来の姿を表わす。
神が作ったと納得して言える嫌らしい武器。
それが氷槍ターラレツア。しかし、この状況では最高の武器だった。
「うん」
リンは槍を肩に担ぐ。
この槍が何なのかわかった。
ならば、することは一つ。槍に力を吸われるのを感じながら、リンは決断する。
「ツララララアアアアアアアア」
アリエルが咆哮し、蔓を振るおうとする。
しかし、距離が遠い。そして、リンの方が速かった。
リンは膝を曲げ力を溜める。限界まで力を溜め、爆発させた。足から腰へ、腰から肩へ、そして指先へ。
氷槍ターラレツアが放たれる。
リンの手から離れた槍は使用者の魔力、闘気を糧に加速する。
放たれる蒼い軌跡はアリエルの本体中央に突き刺さる。
「------------------アアアアアア」
アリエルの悲鳴が響き渡る。
槍が当たった場所から凍り始める。花は元より、蔓は一本も残らず全て凍るのも一瞬の出来事だった。
逃げることが許されない氷獄の力。
それが氷槍ターラレツア。
「………凄い」
ミルファはその威力に戦慄した。
それはまるで氷の彫刻。
氷槍ターラレツアは標的以外は一切傷つけず、アリエルだけを凍らした。しかし、離れているミルファにも肌を刺す冷気が伝わってくる。上級魔法と同等かそれ以上の威力があろうか。
後ろでバサリと倒れる音がした。ミルファが振り返ると、リンが倒れていた。氷槍ターラレツアを使うのに全ての力を使いきったのだ。
「………まだ……だ」
ミルファはまた、振り返る。
声のする方、つまりアポロへと。
「…………え?」
何が?
ミルファには分からない、アポロが何を言っているか。あの魔物は氷漬けにされているのだ。死んだのだ。危機は去ったのだ。
そうミルファは思っていた。
「あいつは…生きて…いる」
アポロはミルファの体を押しのけ、前に出ようとする。
「待って!」
もうアポロは限界だ。戦わせるわけにはいかない。
反射的にミルファは後ろから腕を引き、その場からアポロを連れ去ろうとした。だが、怪我人の筈なのに、立っているのがやっとの筈なのに、動かすことが出来ない。
「アポ……」
ミルファは先に行ったアポロの横に立ち、今度こそ彼を引きずろうとした。その時ミルファはアポロの顔を見た。
悲痛の表情がそこにあった。痛みを我慢しているのだろうか、顔を歪め、口は大きく開き呼吸音が漏れている。血汗が両目を開くのを邪魔している。しかし、そこから覗く目には得も言われぬ力があった。
「どうやったら……殺せ…る。だ……め。しょう?…な……ひ……まほ……?無理。せ……ま?む……剣……スキ……」
ボソボソと小声で呟きながらも視線はアリエルに。
おかしくなった。
ミルファはそう思った。魔物は氷漬けにされて動かない。なのに、アポロはそれを知らずにいる。怪我をしているので頭が変になったのだ。
「見て!魔物はもう倒されて……」
ミルファがアポロに訴えかけた時だった。
ビシリと音が鳴った。
音の根源は氷槍ターラレツアから聞こえた。アリエルに刺さった氷槍ターラレツアが自壊する音。ビシリ、ビシリと音をたて武器は解離していく。そして、地面に落ちて砕け散った。
武器の消滅。
それだけのことだ。ミルファは安堵した。
しかし、音は止まなかった。
「ヒッ……」
ミルファは声にならない悲鳴をあげる。
音の発生源は氷漬けにされた筈のアリエルから。
ビシリと音が鳴ったのだ。
氷の上層には亀裂等の変化がない、しかし、音は散発的に鳴り響く。
ビシリ、ビシリと。
それはまるで中から氷を砕くような音だった。
音の間隔は、間が開いていた。最初は気のせいと錯覚するほど。しかし、その間隔が短くなっていった。
ミルファは恐怖に顔を引きつられながら、反射的にアポロを見た。
そして、愕然とした。
「…………」
死にかけていた筈だった。肩は外れ、腕は折れ曲がり外側に向いている。出血は酷く、このままでは失血死する危険性がある。
立っているだけで奇跡とも言える。無事なのは目の活力だけだった。
その筈だった。
しかし、ミルファが今見ているアポロは先程とは別人の様だった。
出血はそのままに、されど怪我なぞまるでなかったように足取りは確かに。折れた手を自然に動かし自身の正面に掲げていた。それはまるで今から魔法を詠唱するかのように。
そして、活力があった瞳にも色がなくなっていた。暗く沈んだ瞳は何も感情を感じられない。ただ無感情に自身の掲げた手の先を見つめるのみ。
「我焦がれ 誘うは原始の炎」
そして、ミルファの耳に詠唱の呪文が聞こえた。
発生源はアポロ。
詩を朗読するかのように滑らかに。しかし、意思を持たぬように淡々と。
アポロは紡ぐ。自己の世界に入るためか俯き集中している。掲げた手の先に小さな球体が生まれた。
そして、その詠唱の声に反応するように、氷漬けの中から聞こえる音の間隔が早まった。しかし、アポロはそれに反応せず呪文を詠唱する。詠唱のペースは変わらず一定。
「我、其の存在を許さぬ者なり。
打ち砕かれよ。打ち滅ぼされよ。
我は渇望し、願い、祈り、誓う。
赤では足りぬ。灼熱すら生温い」
大きな音が鳴った。
ミルファは音の正体を確かめる。
氷に小さな亀裂が入っていた。
それは一筋の傷。未だアリエルの体は氷漬けにされており大勢に影響は出ていない。だが、それで安心出来る者はいない。
いずれこの氷の牢獄は破られる。その予兆。
「我は森羅万象を捻じ曲げ、理を壊すことを厭わん。
三千世界、一天四海、天上天下。
欲するはこれらを作りし初とする熱。
『インフェルノ』」
「何でッ!?」
アポロの詠唱は止まった。
呪文は完成したはずだ。
何かの呪文かはわからない。
その詠唱の長さから強力な魔法だと嫌でもわかる。アポロの掲げた手の先でサッカーボール大の深紅の球体へと変化していた。しかし、大きさが変わっただけで深紅の球体は動かない。
ミルファは訳もわからずアポロを見た。
アポロは焦らず淡々としていた。まるで、予定調和であるかのように。
そして、また口を開いた。
「重ね詠、『終火』」
アポロの前に巨大な魔法陣が空中に描かれる。
この戦いを見ていた者は三者。
ミルファとアルと神だった。
ミルファは何もわからない。
何も識らないアルは主人公属性と言い、全てを識っている神は喜劇と悲劇と悪夢を混ぜたようだとぼやき、全てを識った後のアルは運命だったと結論づけた。
そして、アポロは何も覚えていない。
「それは世界を構築する六大元素の一つ。
全ての始まりにして、闇を払うもの。
希望、祝福にして破邪の力を持つもの。
その名は火。
されど、我は至高の火を穢す。
我は眩き火に狂乱を付加し圧縮する。
火は大火に、火は赫炎に、火は紅焔に。
火は滾り、迸る」
パリンと音が鳴った。氷が割れた音。一筋の傷はひび割れに。アリエルを凍らした氷は脆くも崩れ去ろうとした。
しかし、アポロは不変。変わらず一定のペースで詠唱する。
アポロが口を開くごとに、幾何学模様で描かれた魔法陣は内部の模様を変え、深紅の球体は赫灼たる光明を生じさせた。
ただ、深紅の球体の大きさは変わらず不変。
しかし、中に込められた魔力は際限なく上昇する。
「されど、物足りぬ。
我は猛き火に虚無を付加し圧縮する。
その火は、大地を干上がらせ、大海をも渇らす。
その火は、大火を塗り替えて、大気をも涸らす。
その火を、十重二十重に圧縮し、圧縮し、圧縮する。
繰り返す施行は千を超えて。
全ては其のため。
解き放とう。
全てを終わらす火を、其のためだけに」
バキリ、と一際大きな音が鳴った。
氷が潰れたのだ。
ガタン、ガタンと巨大な氷の破片が音を立て地面に落ちる。
「ーーーーーーーーーーーーーーーーーアアアア」
氷の牢獄から解き放たれ、怒りの咆哮をあげアポロに攻撃を加えようと蔓を振り上げる。
その時、アポロはやっとアリエルを見た。
そして、一言呟いた。
「消えろ」
アポロが声を発した瞬間、深紅の球体が動いた。
放たれるは深紅の球体。その速度は雷鳴の如く。
深紅の球体はアリエルの根本に当たる。そこから巨大な炎流が迸り、振りかぶる動作から動くことを許されず、火はアリエルの巨体をあまさず包み込み、蹂躙する。
燃え盛る火炎はアリエルの周囲を塗りつぶす。火は大気や地面にも伝わる。それは、火の奔流。幾つもの火がうねり、生き物のように迸る。炎の渦は暴れる。下は大地を波打ち、上は天まで登るほど高く舞い上がる。
「アアアアアアアアッアアアアアアアア!」
炎の中でアリエルの悲鳴が森へ響き渡る。
ミルファは呆気に取られその光景を見ていた。
だから気がつかない。火はアリエルだけを燃やし、周囲を一切傷つけていないことを。地面に当たる火も、舞い上がる火の粒子もアリエル以外干渉しない。
「………え」
この森を焼き払うかと思えた火は1分も続かなかった。
何もなかったかのように火は消え。
そして……。
「消えてる……」
塵をも残さず魔物だけを消し去っていた。
ドサリと音がした。
それはアポロが倒れた音だった。
「あ、アポロさーーーーん!?」
ミルファの声が村に木霊した。
そして、
「べ、ベクトラさーーーん!本日何も活躍していない、ベクトラさーーーーっん、助けてぇぇぇぇぇぇ!」
アルの声も木霊した。