メイドと執事は特殊な訓練を受けています
本日2話連続更新!
長くなったので2話に分けました。
扉を開けると、カランと鐘の音が鳴った。
馴染みのない音だ。
マイリヒはその音に驚いたが、来客を告げる音とわかり納得した。
だが、来客を告げる鐘の音に続く音には冷静になることが出来なかった。
「「いらっしゃいませ」」
複数の男女の唱和の声。
歓迎を示すように、頭を下げる動作。
主に黒と白で統一された衣装を着た男女が一糸乱れず、同じテンポ、同じ動作で行われたのだ。
マイリヒは面食らった。
ここは一体どこなのか。この歓迎は一体何なのか。飲食店に入ったと思ったら、違う場所に招待されたみたいだ。
あまりの出来事に思わず自分を見失ってしまう。
呆然とし、上手く現実に戻れずにいたマイリヒに一人の若い男が近づいた。
「ギルドの代表、マイリヒ様ですね。お待ちしておりました」
そう言って、男は軽く一礼する。
黒いズボンに白いシャツ、赤いウェストコートに紺の燕尾服。
黒を基調としているが、白いシャツと赤いウェストコートが良いアクセントになっている。黒という単色で野暮ったい印象が赤色を加えることで引き立ち、まるでありふれた黒色から漆黒に輝く宝石のような黒に変化させている。
マイリヒはこんな服装を見たことがない。一目見ればわかる。そのユニークさが。その服装の質が。間違っても庶民の着るものではないということが。
一体なぜ。
貴族と思っても間違いはない服装を着た人物がなぜ自分たちを歓迎するのだろうか。
「マイリヒ様?」
「…………はっ、失礼しましたわ。
本日はお招き頂きありがとうございます。ギルド職員を代表してお礼を申し上げますわ」
マイリヒはギルドの代表者。部下も見ている前で情けない姿を見せてはいけない。素早く自分を取り戻し、淑女然として礼を述べる。
マイリヒの言葉に男は笑みを浮かべた。
それは緊張を緩和させるような優しい笑い方だった。
「いえ、それはこちらのセリフです。
迷える羊のプレオープンに協力して頂き、何とお礼を言えばいいのか感謝の言葉もありません。私共はまだ未熟で見苦しい部分もあるでしょうが、迷える羊に来て良かったと思えるよう精一杯おもてなしさせて頂きます」
では、どうぞと席に促される。
テーブルの関係上4、5人ずつに分けられた。
この店に来たのは20名と少し。ほとんどがギルド関係者だがギルドの者と仲の良い人物や業者の人もいた。
招待を受ける際に人数を分けることは知らされていたので、混乱は無かった。各グループに分けられ、この店の従業員によって席に案内される。
男達は従業員の女性に目を奪われ、女性陣は男性に案内され快哉を叫んだ。
この店の従業員は何なのか。
ただ飲食店をリニューアルオープンするから試食に来てほしいと頼まれただけだった。最初はギルドの受付をやっているリサに話がいき、タダでご飯が食べられると他のギルド職員が食いついた。そして、あれよあれよという間に自分を含めたギルド全体の食事会に変貌していた。
迷える羊は料理だけは美味しいが、店主が怖くて料理を楽しめない店と一部のマニアには有名な場所だった。一度は食べてみたいと思った人物も多い。だからこそ、料理は期待しても他の要素は期待していなかった。
だが蓋を開けてみたらこれだ。
まるで自分が王や貴族になったかのような扱いだ。
周りを見回しても、料理を食べてないのに喜悦の表情を浮かべている者が多い。
黒いテーブルに案内される。
テーブルには淡いベージュのクロスがかかっており、中央には一輪の花が飾ってあった。
豪華さはないが、落ち着ける雰囲気がもてる。
「このテーブルを担当させていただくアポロと申します。本日はよろしくおねがいします。
では、メニューですが、本日はこちらが用意したコースをご提供いたします。
もし苦手な食材や気に入った料理があれば私におっしゃってください。替えの品や追加を持ってまいりますので」
「はいっ!質問です。
本当に無料で食べていいのですか?」
職員の一人がテンション高く声をあげる。
「ええ。本格的なオープンはまだ先ですので。
今回は接客の練習や料理の試食を兼ねて皆さんを招待しました。
もし、未熟な点があったらあとでこっそり教えてくださいね」
アポロは冗談交じりの口調でそう答えた。シワがなく、ピシっとした姿で愛嬌を出され、女性陣に衝撃が走った。ギャップ萌えというやつである。
そして、アポロはコースの書かれたメニューを皆に渡す。
無料ということで、そこまでの期待はしていなかったが、料理は品数も多く、見たことがない料理名もあった。
期待するなというのがおかしい。
ホールスタッフですらこれなのだ。肝心の料理がお粗末なわけがない。
つい期待してしまう。
アポロと名乗った男を見ると、自分の考えてることがわかったのだろう。にっこりと笑い、頷かれた。
「ねぇ、リサ。アポロさんって本当に冒険者なの?
……リサ?聞いてるの?」
ついリサに聞いてしまう。
ここに来る発端になったギルド職員の女性に。
「ひゃ、ひゃい!な、何ですか、ギルド長!?」
アポロに目を奪われてたらしく、話を聞いてなかったようだ。
マイリヒはその反応に笑い、再度尋ねる。
「アポロさんって本当に冒険者なの?」
「え………あ、はい。そうです。そのはずです。私が受付しましたっ!」
リサは緊張しているらしい。
無理もない。この町のギルドの長である自分と看板娘となりつつあると言っても新人のリサ、経歴に天と地の差がある。
マイリヒはリサの初々しさを好ましく思うが、この場は職場ではない。落ち着くように言い、詳しく聞く。
「ええ、知っているわ。報告書を読んだもの。
記録ではギルドに登録して一ヶ月ぐらいしか経ってないと……。冒険者の前は料理店にでも勤めてたのかしら?」
冒険者を長く務めていても、ホールスタッフに役立つかわからないが。マイリヒは自分の考えについ笑ってしまう。ならば、考えられるのは冒険者になる前の経歴である。
「休みの日にお手伝い程度ならしてたってアルちゃんから聞きました。職業にする程度はないって言ってました。あと、アポロさんのパーティのリンさんやベクトラさんは未経験って言ってました。驚きです」
「どの人がそうなの?」
「あ、あれです。リンさんはエルフでベクトラさんはダークエルフです」
リサが示す方向には、白と黒の衣装、メイド服と呼ばれる物らしい。
その衣装に身を包んだエルフがいた。
彼女らもホールのスタッフらしい。こことは別のテーブルを担当していて、職員達に捕まって質問攻めを受けている。というより、アポロを含めテーブル担当者は全員お客に捕まっている。
衣装のこと、お店のこと、果てはスタッフのプライベートのことまで質問されていた。
不快な質問をされても笑顔で波風立てずに処理する様は誰が冒険者と思うのか。
「ねぇ、冒険者って基本的に礼儀がなってないわよね」
「ええ……そうですね」
こればかりは仕方がないのかもしれない。
命を懸ける仕事なのだ。生きるため、他人になめられないために礼儀や教養より力が求められる。
力を持てば、人は驕るものだ。冒険者は高給取り。金も力もあれば勘違いしてしまう者も多い。野卑にならなくても、一癖も二癖もある人物しかいなくなってしまう。
ギルドランクがBランク以上ともなれば教養や礼儀も必要とされるので、最低限は矯正されるのだが、それが無いCランク以下の者は……。
「もし、彼女達がギルド職員の試験を受けるなら採用するわよ、私は」
「え?」
「ほんと、あのメイド服に負けてないわ。衣装だけで中身が伴ってないとか間違っても言えないもの」
「ギルド長、あの服装を知っているのですか?」
「いえ、知らないわよ。今日はじめて見たわ」
「じゃあ、なんで名前を……」
知っているのか。
その質問に、マイリヒは答える。
リサに諭すように。
「彼女達が話しているからよ。それを聞いたの」
なんでもないように言うが、リサには当然出来ないことだ。
マイリヒはリサと会話中だったのだ。ということは、リサと会話をしながら別のテーブルの話を聞いてたということだ。
「驚いてるようだけど、これは訓練すれば誰でも出来ることよ」
なんともなしにマイリヒは言うが、リサには到底出来ないことだ。
「リサもこの技術を習得するべきだわ。何か特別なクエストが出たら、冒険者達に一斉に話しかけられることもあるわ。そこで、あたふたしてるようじゃ冒険者になめられるわよ。
それに、ギルドには様々な情報が集まるわ。報告書だったり、冒険者が話す噂話だったりね。それを逃さずいち早く掴み、職務に生かしなさい」
「はい」
「それに彼女達を見なさい。練度に差があるようだけど、どの女性も複数から話しかけられても上手く対処してるわ」
マイリヒに言われ、離れたテーブルを見る。
そのテーブルの担当者の女性は同僚から質問攻めされていた。皆、競うように話を投げかける。
濁流のような質問を彼女は嫌な顔をせず軽やかに捌いていた。四方八方から飛んでくる質問に全く焦る様子はない。会話を上手く留め、流し、主導権を握って冷静に会話を走らせる。嫌味にならず、高圧的にならず、優雅に華麗で見惚れるような。
同じ女性として憧れてしまう光景がそこにはあった。
「ねぇ、アポロさん。ここの従業員は素晴らしいわね。あの衣装のおかげなのかしら?」
「お褒めいただきありがとうございます。
衣装のおかげと言われればそうなのかもしれません」
マイリヒはアポロに話を振る。言外にあの衣装には何かしらの魔法効果がかかってるのと聞いているのだ。
アポロは突然会話を振られたのに、まるで最初から会話に加わってたように答えた。
リサは驚き、アポロの方をまじまじ見つめる。
アポロは顎に手を当て、少し考えるように眉を寄せる。
「女性達が着ている衣装はメイド服といいますが、それを着ることが出来るのは一人前の証なのです。迷える羊でホールを司ることの証明。技量、心構えが足りない者は着ることが出来ません。それを彼女達はわかっているから、メイドとしてメイドたる働きが出来るのです」
「それは貴方にも言えるの?」
「ええ。この衣装は執事服というものです。これを着るものは執事と呼ばれます。執事として、衣装に見合うよう精一杯頑張っています」
そう言って、アポロは茶目っ気混じりに微笑む。
「ふふ、似合ってるわよ。ねぇ、リサ」
「えっ……は、はい。
か、かっっこいいと思い……ます」
リサはアポロを一瞬見上げ、恥ずかしそうに頬を染める。声は後半に進むにつれ小さくなっていった。
「ありがとうございます。マイリヒさんやリサさんのような美人の方に言われると照れますね」
「あらお上手ね。お世辞でも嬉しいわ」
「とんでもない、本心ですよ。
では、料理が出来たようなので失礼します」
一礼し、厨房の方へアポロは去っていく。
この店の意思伝達は言葉以外にもあるらしい。目配せの他にも、何やら手信号が使われ、従業員はそれにより動き出す。歩く、会話、といった日常動作に織り交ぜながら手信号が行われているので不自然さは無く、動作の一要素として使われている。何か間違ってる気がするが、ああも自然にやられてたら変というほうが野暮なのかもしれない。
「ねぇ、リサ。あの子と付き合っちゃいなさい」
「ええっ!?」
「なに驚いてるのよ。貴方彼氏いないでしょ?」
「え、その……いませんですけど」
「アポロさんはいずれ大物になるわ。競争相手が少ないうちに唾をつけちゃいなさい」
「いや、その私は……」
「まんざらじゃないってギルド内で話題になってるわよ」
「それはアルちゃんが言ってるだけですっ」
「アル?ああ、あの妖精ね」
マイリヒは町で噂になっているアルという妖精のことを思い出す。
アポロが飼い慣らした妖精ということだが、その特異性は際立っている。
普通の妖精なら喋らず、動物程度の賢さを持ち、飼い主の言うとおりに行動するだけのものだ。
だが、このアルと呼ばれる妖精は人間とほとんど同じ知恵を持つどころか、何かと口がまわり、冒険者や町の人の相談を請け負っている。可愛らしい妖精の姿のおかげなのか、それとも本人の人徳なのか理不尽なことを言われても不快な気持ちにさせず、逆にそれもそうなのかと思ってしまう。
特異すぎるのだが、自然と町の人達に受け入れられている存在。ギルド長であるマイリヒもなぜか受け入れてしまっている。
「そういえば、ここに妖精はいないわね」
「あ、ほんとだ。どこにいるんでしょうね」
マイリヒとリサが辺りを見回すが、妖精の姿はない。
「もしかしたら、また町の人と遊んでいるのかしらね」
あの妖精は自由奔放だ。
普通ならありえないことだが、飼い主を無視して自分の思うまま行動してもおかしくはない。元来、妖精というのは自由気ままなものだから。アルと呼ばれる妖精は普通の妖精を魔改造したような存在なので驚くことではないだろう。
「いえ、そんなことはないと思います」
だが、リサは首を振ってマイリヒの言葉を否定した。
「アルちゃんはアポロさんのこと大好きですから、アポロさんが頑張ってるのにアルちゃんが遊んでいるということはありえません」
「でも、この場にいるようには見えないわよ」
茶化すように、マイリヒは言う。
だが、リサは確信を持っているかのように力強く答える。
「多分ですけど、今もどこかでアポロさんのために頑張ってると思います」
「へぇ。噂で聞いてるより主人思いなのね」
「はい。少し突飛な行動をしちゃうから誤解されがちですけど、アルちゃんはアポロさんのことが大好きなんです。町の相談やギルドによく来るのも、もしかしたらアポロさんのためなのかもしれません」
「そうなの?」
「なんとなくそう思うだけですけど……」
歯切れ悪く、リサは言う。
それでもいいから続けてとマイリヒは言葉を促す。
リサは躊躇いがちに言葉を続ける。
「アポロさんは目的があってこの町にいるってアルちゃんに聞きました。とても大切なことらしいです。
アルちゃんはそれを手伝いたいって言ってました。そのアルちゃんが自分が楽しみたいだけに動くのはおかしいかなって。勿論、町の人の相談はアルちゃんが楽しんでる部分もあると思うのですけど、根底にはアポロさんのためという思いがあると思うのです」
「へぇ、そこまでつくされるなら主人冥利に尽きるわね。羨ましいくらいだわ」
「ふふっ、そうですね」
「そこまでつくされるということはその妖精が素晴らしいのか、飼い主のアポロさんの器が凄いのか。
ねぇ、リサどっちだと思う?」
「どちらも……」
「どちらも凄いってのは駄目よ。どっちかと聞いてるのだから、どちらかを選びなさい」
「えぇ!? えっ、その?
アルちゃんも凄いと思いますし、アポロさんもその……」
答えにくい質問を振られ、リサは言葉が上手く出てこない。
アポロが凄いと言えばマイリヒはリサがアポロに慕情を抱いてると取るかもしれない。しかし、アルが凄いと言えばアポロが大したことがないという意味で受け取るかもしれない。
どちらともいう答えは封じられたのだ。
「お話し中失礼します。
前菜の盛り合わせが出来ました。どうぞ、ご賞味ください」
「あら、ほんといつの間に。会話に夢中になってて気が付かなかったわ」
「うわぁ、綺麗です」
白い円状の一枚の皿に、所狭しと様々な種類の前菜が置かれていた。
それはまるで一枚の絵画のように、白いキャンパスに鮮やかな色が描かれていた。
「左からサラダ、キノコのマリネ、カプレーゼ、なつき豚とブロッサルのオムレツ………」
まるで呪文を言うように料理の名前を説明する。
聞いたことのある料理もあれば、初見の料理もある。目は皿に釘付けなのだ。どれがどんな名前なのか馬耳東風だ。
それもアポロは承知なのだろう。
料理の名前を全て説明すると、茶目っ気混じりに笑い、
「もし、気に入った料理があれば言ってください。
色や食材の名前、配置場所、そのいずれかをおっしゃっていただければわかりますので、追加をお持ちします。
ただ、メインの料理がありますので食べ過ぎにはご注意を。勿論、メインを食べた後の注文でも構いません」
最後にウインクを残し、去っていった。
「おいしーー!」
「うわっ、種類が多いけど、量が少ない。全部おかわりしたいっ」
「でも、メインがくるよねぇ。メインの品が来た後注文する?」
「迷う。なんで私はもっとお腹をすかして来なかったのだろう。オープンしたら、通い詰めるわよ、私」
「私もー。それに、デートに使っても良さそうね」
食卓には会話の華が咲き乱れ、一層賑やかな場になった。
職員たちは料理に賛辞の声をあげ、人間の胃袋の悲しさを語る。
マイリヒも料理に舌鼓を打ちながら、思った。
絶妙なタイミングだったと。
リサが答えを窮した時に、助け舟を出したのだ。そのせいで会話が流れ、再び話題を出すには場の雰囲気がそぐわなすぎる。
執事というものはここまでの心配りが出来るのか、それとも困っているのがリサだからなのだろうか。
どちらにせよ飄々とした顔で味な真似をするものだ。
しかし、この店に来てアポロのパーティーを見直すことばかりだ。再建、つまり迷える羊の料理や雰囲気を体験するために呼ばれたはずが、実際に見惚れるのは人物面だ。無論、迷える羊の料理の味や雰囲気に不満はない。ないが、ギルドという職業柄つい、人を冒険者を評価してしまう。
迷える羊が最初どんな店だったのかわからないが、潰れかけるほどの店を来てもいい、むしろ来たいと思わせる店にしたのだ。その手腕は推して知るべし。
もし、ギルド職員だからこそ招待したと仮定すると、恐ろしくもある。自分達は町に影響力がある立場なのだ。それがこの店を宣伝するとどうなるか。富裕層や高ランクの冒険者達に伝播するのだ。流行るに決まっている。
自分の店に自信を持っているなら最高の方法だろう。
何が接客の練習なのだろうか。何が料理の試食なのか。
この接客、この料理の味を味わわされて建前でしかないとわかってしまう。
この店はプレオープンと言っておきながら、勝負を決めにきたのだ。
開店する前にお店を体験させる、プレオープンという手法はマイリヒにとっても初めての体験だった。失敗しても関係者だから大目に見てもらえる。関係者だからこそ無料で招待することが出来る。お店は実戦訓練が出来、呼ばれる関係者は無料で料理の味を楽しめる。
利害関係はあったとしてもそれだけ。
それだけだと思っていた。
だが、この店の宣伝に使ったのだ。接客、味に自信があるからこそ、次回無料じゃなくても来てもらうために、今回無料でマイリヒ達を招待したのだ。自分達は喜んでお客として来るだろう。現に、コースの途中である今でさえ、また来ると言う職員がいるのだ。
問題があるとすれば、この接客と味を維持できるかという点だが、これについては考えるだけ無駄だろう。
悩むのは迷える羊の関係者だけだ。お客である自分が悩んでいても関係ないし、店には何ら影響を及ぼさないだろう。
それにここまでやって、品質を維持できないとは思わない。
何かしらの考えがあるのだろう。
問題は、質を保つためにはアポロ達のパーティーが必要になることだが、彼らは冒険者をやめてしまうのだろうかという点だ。
いつ命を散らすかわからない職業だ。適性があっても、辞めてしまうのは仕方がない。
冒険者としても前途有望と聞いているのでそれだけが残念だ。
「お待たせしました。
メインの白身魚のフライタルタルソース添えです」
考え事をしていたら、メインが届いたようだ。
マイリヒは改めて自分の目の前にある皿を見る。
大きな皿の上には黄金色に輝いている大きな塊が中央に3つあった。これが白身魚なのだろう。そして、その白身魚を引き立てるようにサラダが飾られていた。
「ねぇ、このタルタルソースって何かしら?」
白身魚のフライに掛けられたソースを見ながら、アポロに問いかける。
そのソースは、雪原のように白かった。まるで雪のようだが、雪とは違い、白さのなかに緑色のつぶつぶと黄色の小さな塊が混じっていた。
恐らく、緑は野菜、黄色は卵の黄身を刻んだ物だと予想できる。
だが、この白いソースだけは何なのかわからない。
「それはかの吉岡という人が伝えたソース。タルタルソースです。淡白さがある白身魚によくあう味つけです。ぜひご賞味ください」
アポロの言葉に促され、マイリヒはタルタルソースのかかった白身魚のフライを口に入れる。
「んんっ!」
衝撃的な味だった。
何と形容すればいいのだろうか。
マイリヒは驚きで目を見開き、自分が食べた部分を凝視し、今度は白いソースがかかってない部分を頬張った。
「美味しい……けど」
肉厚の白い身を守るように覆っている衣の鎧は香ばしく歯ごたえがあり、油とパン粉の風味が口と鼻を楽しませる。
そして、衣の鎧を破れば、じわっと白身から肉汁が溢れだす。
火傷しそうな熱さだが、やめられない。その熱さが美味しいのだ。脳が口がもっとその汁を寄越せと要求してくる。
だが……。
だが、それだけだ。
美味しいが、今までに体験したことのある味だ。一流と呼ばれる店で食べたことのある味だ。この白身魚のフライは。
もう一度、タルタルソースのかかっている部分を口に入れる。
「比べ物にならないわ……」
アポロの言ったように白身魚は淡白だ。悪く言えば味気ない。
だが、このソースをかけるとどうだろう。
粘度のある白いソースはまろやか、緑色の部分は少し酸味があり、黄色の部分は緑の酸味を柔らかに包み込む。ソースだけで食べても美味しいのだが、白身魚と一緒に食べるとなんと素晴らしいことか。
「美味しいでしょう?」
アポロがイタズラが成功した少年のように笑いかけてくる。
「え……え、ええ、とても美味しいわ。今まで食べたことのない味で驚きましたわ」
マイリヒは自分がこの白身魚に我を忘れて貪りついてたことを思い出し、恥ずかしげに頬を染める。
「このソースを伝えたのは吉岡さんと仰ってましたが、誰です?」
自分の醜態をごまかすように、マイリヒはアポロに話を振る。
ごまかすための話題だが、気になる話だ。
吉岡という特徴的な名前だが、聞いたことがない。
これほどのソースを伝えたのだ。
さぞ、有名な料理人だろう。
「彼は私がミシェロの町に来る前に出会った冒険者でした」
「冒険者なの!?」
「ええ。彼はそう言っていましたし、装備も冒険者のつけるそれでした」
「信じられないわね。このソースを作るほどの人が冒険者なんて」
「タルタルソースは彼自身が作ったわけじゃないとのこと。彼の故郷に伝わる伝統のソースと言っていました。私は彼が困っているところを助けたお礼にこのソースを教えてもらいました」
「そうなの……。
ぜひ、会ってみたいわね。会えるかしら?」
だが、アポロは首を横に振って否定する。
「わかりません。私には彼がどこに行ったのか」
寂しげにそう言った。
何かしら事情があるらしいが、彼の固い表情から聞くのはためらわれた。
「そういえば、アポロさんには大切な目標があるらしいわね?」
暗い話題を払拭するように、マイリヒは明るい調子で話を入れ替えた。 アポロは一瞬驚いた顔をするが、素早く普段通りの表情に戻った。
「ええ。私には……生き別れの妹がいます。
いえ、正確には妹のようなものですね。血は繋がっていないのですから。私は彼女に会いたい、会わなければなりません。そのために冒険者になりました」
「そうなの……」
落ち着いた声だったが、揺るがぬ力強さを感じさせる声だった。
その力強さに押され、マイリヒは言葉が詰まった。ギルドとしては冒険者を続けるか聞くべきなのだろう。
だが、強い思いを押し殺した声を聞かされ、自分のことだけを考えた質問をすることをためらわされたのだ。そして、全くするつもりのない言葉が出てきた。
「もし、よければ手伝いましょうか?」
「手伝うとは……妹を探すことですか?」
アポロはマイリヒの言葉に驚いた。
だが、一番驚愕したのはその言葉を出したマイリヒ自身だった。出会って1時間もみたない男に協力を持ちかけたのだ。それも、ランクもまだ低い冒険者相手に、ギルド長である自分が。
しかし、考えてみればこちらにも旨味があるかもしれない。このアポロという人物はここ、迷える羊に影響力がある立場だ。もし、彼に協力すれば次もギルドの食事会でここを使わせてもらうことが出来るかもしれない。そして、彼が何を思って、何をするために再建に協力したのか深く聞くことが出来る。アポロという人物をよく知る機会にもなる。興味が出るほどの人物とマイリヒは認めているのだ。
素早く考えをまとめ、マイリヒはアポロに返事をする。
「ええ。と言っても私が無理なく出来る範囲ですけど」
「助かります。手も足も出ない状況でしたので」
「手がかりはないの?」
マイリヒは生き別れという妹について、詳しい情報をアポロから聞いた。
わかったのは年と、九条楓という名前。そして、冒険者になっている可能性が高いということだけだった。
種族も容姿も不明だった。この大陸にいるかすらわからない。
手がかりという手がかりがほとんどない。特に手がかりとなる場所がわからないのが致命的だ。どこまで捜索範囲を広げればいいのかわからないのだ。
アポロ自身至極真面目な表情をしてるので、嘘ではないらしい。海に投げた小石を探すような作業だ。マイリヒの想定したより難易度が高い。
「無理かもしれないわよ。出来たとしてもとても時間がかかるかもしれないわ。その上で私に頼むの?」
食事の際に交わすにはあまりに重い内容。
それをギルド長であるマイリヒに無償で頼むのか、背負わせるのか。
マイリヒはその思いを込めて、アポロに問う。
「ええ。私はそれでもマイリヒさんに頼みたいのです」
その思いに応えるように、真っ直ぐマイリヒの目を見ながらアポロは答える。
マイリヒはくすりと笑って告げる。
「なら手伝いましょう。カエデさんがミシェロの町に入ってきたら知らせるわ。ミシェロの町は私の町、あらゆる情報がギルドに入ってくるわ。だから、もしカエデさんがミシェロの町に来ればわかるはずよ。
でも、それ以上のことは一切しない。ミシェロの町以外は知らないし、ミシェロの町でも特別な労力を割いてカエデさんを探したり喧伝したりしないわ。情報が私の耳に届けば伝えるだけ。
それでもいいのかしら?」
。
アポロはこの提案をどう捉えるのか。
マイリヒは見定める。
意地の悪い問いかけなのかもしれない。
欲望とは恐ろしい。それはまるで喉が渇いた時に甘い果実のジュースを飲むようなものだ。
飲めば一時は乾きがなくなるが、すぐにまた乾きを覚える。
それと同じだ。
欲望を叶えるごとにまた違う欲望が出てくるのだ。
自分が持てる人脈、立場、手段を行使すれば捜索範囲は大いに広がる。アポロはこの誘惑に勝てるだろうか。
マイリヒはなぜか試したくなったのだ。
ギルド長である自分の立場から見て、この提案の内容は妥当だ。むしろ、いち冒険者にする援助としては破格かもしれない。助ける義理はあっても義務ではない。ほんの気まぐれで援助をするようなものだ。初めて味わう料理で気分が良くなったのかもしれない。ただ、それだけのこと。
ギルド長として自分を律してきたのだ。生半可なことではこれ以上の贔屓はしたくない。
それを伝えたらいいのかもしれない。
過度の援助は出来ないと。
だが、伝えた言葉は高圧的で、挑発的な内容だった。
このアポロと言う執事は失敗もせず、すました顔で接客する。その彼を歳相応の姿にさせてみたかっただけかもしれない。
アポロはどのような態度で文句を言うのだろうか。
それとも、反発はせずとも落胆するのだろうか。
「…………うん、そのほうがいいか」
アポロは自分の考えをまとめるように、視線をマイリヒから外し、小さな声で呟いた。
その呟きは自分に言い聞かせるようであり、あまりに声が小さくマイリヒの耳に全ては入ってこなかった。
アポロは強くマイリヒを見つめ、深く頭を下げた。
「では、マイリヒさんご協力お願いします」
「…………ええ。そ、それでいいの?」
戸惑うのはマイリヒの方だった。
反発を食らうかそれに近いものをアポロが態度に出すと思ったら、拍子抜けする態度が返ってきたのだ。
その姿に落胆や怒りといった負の感情は無し。
まるでそのほうが都合がいいと言わんばかりの態度にマイリヒ側から本当にそれでいいか聞き返してしまった。
「ええ。
慌てる乞食は貰いが少ないと言いますし、少しでも協力してくれるだけで十分です」
邪気のない満面の笑みを浮かべ返されてしまったら、マイリヒには何も言い返す言葉はない。
「私の話のせいで食事が冷めたようです。新しいのを持ってきますね」
「え?」
「出来立てが一番美味しいですし、私のせいで最高の味が楽しめないとなってはシェフに申し訳がたちません。しばし、お待ちください」
アポロはそれで話は終わりだとばかりに、軽快な足取りで厨房へ戻っていった。
「思っているより、大物なのかもしれないわね。
ねぇ、リサ」
「…………ほえ?」
怒るべきか、美味しい料理はここまで人を惑わすのか。
口元にタルタルソースをつけて食事に夢中になっているリサを見て、マイリヒはため息をついた。