普通のファンタジー
ブラッディオーガを倒し終わった後、何をすればいいか困った。
本音を言えば、何もしたくない。
疲れが体を支配して、このまま寝てしまいたいという欲求が膨らんでいく。
だが、そういうわけにもいかないのが現実だ。
「アポロさん、どうします?」
「ああ。どうしようか。疲れたので何もしたくない」
「戦い、戦いの連続でしたからねぇ……」
初めての本格的な討伐クエスト、そして帰ろうかと思った時にボス戦である。ゲームならよくある展開な気もするが、現実には起きてはならないことだ。こっちは消耗しているのに、何故今まで出会ったことがないような強い敵と戦わないといけないのだ。
「でも、このままじっとするのもヤバイよな」
「ええ。もうすぐ夜になりますし、このままここに居るのは危険かもしれません」
今は夕方。夜になれば何も見えなくなる。
地球にいたころは道路のいたるところに街灯があったので、夜でも明かりを持たずに外出できたが、この世界では違う。数メートル先すら見えないのだ。
夜中に動くのは危険を伴う。
それに魔物を倒したせいで、死体がいたるところに散乱している。もしかしたらその死体の匂いにつられて、新しい魔物が寄ってくる可能性がある。死体を焼却処分するかこの場を離れるかしないといけない。
だが、それをするには……。
「リンさん、起きませんねぇ」
「倒れてからあまり時間はたってないからな」
そう、それがネックなのだ。
リンはブラッディオーガの一撃を受けて意識を失って倒れた。
まぁ、気絶しているだけのようなのでそのまま寝かしている。
「でも、このままではまずいですよね」
「ああ。魔物が来たら、守りながら戦う自信ないぞ」
正直、ゴブリンが複数来たらちゃんと戦えるか怪しい。
「と、なると起こす必要がありますね」
「そうだな」
「よし、大義名分は得ました!ぶちゅっとキスしましょう!」
「なんでそうなるんだ……」
アルの言葉に呆れ果てる。
だが、アルは馬鹿にしたようにこちらを見る。
「アポロさん、知らないのですか?お姫様は王子のキスによって目覚めるのです!偉人が残した文書によって、その有効性が記録されています」
「実体験ではなく創作だからな、それ。それに、絵本を例に出されても」
白雪姫やいばら姫だろうか。眠っていた女性にキスをすると、女性が目を覚ますという話は。
現実に考えたら、寝てたと思ったらキスされるとか訴訟物の話だと思う。イケメン&王子だから許された話だ。だからこれらの話は、親は子どもに格差社会というのはこういうものだよと教える教材だと言えよう。
絵本って児童文学なようで奥が深い。
「アポロさん、何か変なこと考えてませんか?」
「いや、全然」
アルが何やら疑るが、胸を張って答えよう。
変なことは考えてないと。
「ま、いいですけど。それに絵本と言っても、元になったお話があるんです。文学ですよ、文学。どうです?その気になったでしょう?」
「いや、そっちのほうがヤバイからな。原典になった話では、美女が目覚めないことをいいことにやりたい放題する話だったりするし、キスしても目覚めないといった内容だぞ。夢も希望も無い。あるのは肉欲だけだ」
「それでいいじゃないですか!そこから始まる恋だってありますよ!
故意から始まる恋ってやつですよ!」
「全然うまくないからな、それ」
ドヤ顔で力説するアルに辟易する。もう目的と手段がごっちゃになっている。それでも、アルはさらに力説する。
「大丈夫です!リンさんならたとえ意識が戻らなくても、白目をむいて跳ね起きるはずです!!私はリンさんを信じます。だから、さぁ、やるのです!」
「大丈夫じゃねぇ!そっちのほうが怖いわ!」
そんな状態で起き上がったらゾンビだ。
そして、本来の趣旨からどんどん離れていく気がする。
「……仕方ない。水でもかけるか」
「寝ている女性に水をかけるとか。アポロさん、鬼畜ですね」
「さっきのアルの提案の方が鬼畜だからな」
アルを軽く睨むが、目をそらし口笛をふいてごまかし始めた。
ため息をつき、リンの方を見る。
リンは穏やかな表情で眠っていた。
いや、この場合気を失っていたという方が正しいのかな。
どちらにしても、その寝顔はかわいかった。目を閉じている姿は普段の凛としている姿とは違い、あどけなさを残した顔だ。思わず、
「とりあえずイタズラすべきだと思います」
リンのほうに手が伸びた時、アルが神妙な顔をして意見を述べた。
先程と同じ冗談だと思ったが、アルの表情が真剣味を帯びていたのでちゃんと聞いてみることにする。
「さっきのとは何が違うんだ?」
「キス云々は冗談にしても、いきなり水をかけるのは酷いと思います。強く呼びかけることから始めましょう」
「それは……一理あるな。やってみるか」
平和的に目が覚めるならそれが一番良い。
「起きろ、リン! 起きろ!」
大きな声をあげるが反応は無い。
何度か繰り返し呼びかけるが、反応は無かった。
「次は、体を揺すりましょう」
「え、それはどうなんだ?」
女性の体に無断で触れるのはいいのだろうか。
「アポロさん、これはリンさんを起こすために必要なことです。それとも、よこしまな気持ちでリンさんの体に触れるのですか?」
「いや、そんなことない」
「なら、問題ないはずです。違いますか?」
「そ、そうだな」
俺は何を考えていたのだ。恥ずかしい。
そう、リンを起こすために必要な行為だ。
リンの肩に触れる。槍を振り回す力があるはずなのに、その肩は、体つきは華奢だ。力を込めたら折れてしまいそうな印象だ。壊れ物を扱うように肩をつかみ、揺する。
「起きろ!リン、起きろ!」
いくらか続けても、目立った反応はなかった。
「駄目ですね。では次のステップに移りましょう。顔に触れるのです!」
「え?」
「顔をペシペシと叩くのです。起こす手段としてよくあることです。何かおかしいですか?」
「いや、おかしくないな……」
漫画か何かで見たことある気がする。ならば問題はない。普通に起こす手段だ。
リンの白い肌に触れてみる。
まず感じるのが肌の冷たさ。リンの体温が低いのだろうか、それとも俺の体温が高いのだろうか。すこしひんやりとした温度が気持ちいい。
次に感じるのが肌の感触。
指が肌に沈むと同時に俺の指を跳ね除けようと押し返す。
その弾力は俺の指をからめとろうとしているようだ。手が顔から離れない。その白い肌はクッションのように俺を癒す。絹のように滑らかなその肌はずっと触っていたくなる。
その肌を叩かなければいけないのか?
「アポロさん?」
「あ、ああ……やるとしよう」
「そんな決意に満ちた表情をしなくても」
この綺麗な肌を傷つけるのだ。仕方あるまい。
気は進まないが、これもリンを起こすため。
心を鬼にしよう。
肌から手を離し、距離をつけて再度リンの肌に。
「リン、起きろ。リン…………よし、無理だな。諦めよう」
「はやっ!というより、全然力入れて叩いてませんでしたよね?」
「この手段では無理なことが判明した。よし、次の手段を頼む」
無抵抗な女性を叩くというのはなぁ。
それに、叩いて赤くなったらどう責任取ればいいんだ。
「……いいですけど。次は耳を触りましょう」
「耳?」
「ええ。エルフといえば、その尖った耳です。違いますか?」
「……そうだな。何もおかしくない」
何か釈然としない感じもするが、これもリンを起こすために必要な行為だ。致し方ない。後から思えば、このときの俺は顔を叩けない気まずさからアルの言うことに唯々諾々と従っていた。それに、アルは最初からイタズラすると言っていたのではないか。
エルフの特徴である長く尖った耳にふれてみる。
「ど、どうですか?」
「うん……凄いわ」
「凄いのですか?」
「ああ。尖ってるから硬いのだろうと思ったら、柔らかい。やばいちょっと癖になりそうだ」
耳の外側は少し硬めで、内側にいくほど柔らかい。硬いといっても骨が入ってないのでゴツゴツしていない。耳の形を維持するために必要な硬度。内側にいけば焼く前のパンの生地のような柔らかさと弾力。
触るという行為から揉むという動作へ成り代わるのは当然のことだった。俺は耳の魅力にとりつかれたようだ。だが、これはリンを起こすため仕方が無い行為だ。リンのためにひたすら揉み続ける。
「う……ううん」
「リンさんに反応がありました!効果があるようです。もっとやっちゃってください!」
「お。おう!今度は両耳でやってみる」
今度は片方だけではなく、両方の耳をいじくる。
だが、少しばかりの声をあげるが起きる様子はない。
「ぁ……んっっ………ん」
「足りないです。アポロさん、もっとです!」
この時の俺達はどうにかしていた。
だが、この時はそれに気がつかなかった。
「お、おう。でも、何かいけないことしてるみたいだぞ」
リンの顔が少しだが赤くなっていき、
声もなにやらおかしくなっているような……。
「恥ずかしさを捨ててください!これは、リンさんを起こす大切な作業なんです。ネバーーギブアーーップ!」
「イエス、マム!」
俺は鬼教官にしごかれる三等兵の如く、アルの指示に従い耳をこねくりまわした。
「んっ……ぁ……っ…んんっ……」
「もっと、もっとです!」
「んっ……ぁ……っ…んんっ……」
「もっと激しく!」
「うぉぉぉおぉおぉぉぉ!」
結果、五分間くらい耳を触り続けた。
五分後。
「無理ですね。声は艶やかですが、起きる様子はないですね」
肌ははっきりと赤みを帯び、リンの体は自身をこするようにもじもじとしだした。だが、意識が戻る様子は無い。
「耳が駄目となると、次の手段ですね。キスをしましょう」
「わかっ……ってそれはおかしいだろう!」
「ちっ、騙されませんでしたか」
気がつけば、何かいいように動かされた気がする。
だが、やってしまったことは仕方が無い。
耳に罪はないのだから。
今度触りたくなったらリンに頼むとしよう。
「他に手段はあるか?」
「特に思いつきませんね。ちゃっちゃと水をかけちゃいましょう」
即答である。
あっけらかんとアルは言う。
「……なんか釈然としないなぁ」
アイテムボックスから水筒を取り出し、リンの顔目掛けて水筒の栓をあける。
上空にあった水が重力に引っ張られ、リンの顔に注がれる。どぼどぼと水がリンの顔にかかり。水筒の水がなくなりかけた時、反応があった。
「………きゃぁ、なに!え?何?」
効果は抜群だ!
跳ね上がるようにリンは起き上がった。
起き上がったリンを見てアルは厳かに告げた。
「おおリンさんよ、しんでしまうとはなさけない」
「え、死んで?でも、あれ?生き返ったの?でも?」
リンはアルのネタを真面目に受けて混乱してしまったみたいだ。必死になってあたりの景色や俺達に視線を動かしている。首を振る動きが髪にかかった水をはじき飛ばす。
「リンにはそのネタ通じないからな。それに気絶していただけだ」
「おぉっと、そうでした。リンさん、体に異常はありませんか?頭を打ってたかもしれませんし。ほら、指は何本に見えますか?」
「ごめん、わからないわ」
アルは両手の指を複雑にからませて、奇怪なオブジェとも呼べる物をリンに見せていた。俺にも何本指を出しているのかわからない。普通、指を数本立てればいいはずなのに。なぜ、アルはひねるのだろうか。
「とりあえず無事みたいだな。ポーション飲ましただけだから、異常があるなら言ってくれ」
「そうなんだ……思い出してきた。私、オーガの一撃を受けてたのね」
そのときを思い出したのが、若干苦い顔をしながらリンは自分に言い聞かせるように小さな声でポツリと呟いた。
「はい、そうです。傷を受けて弾き飛ばされたリンさんを私、アルテミスことアルが助けました」
「あう……ありがとうございます」
冒険者の先輩として、真っ先のリタイヤに面目がなかったのだろう。バツが悪そうにアルに頭を下げる。
「なんで、そう上から目線なんだ」
「や、活躍しとかないと穀潰しと思われては嫌ですからね。役立たずは魔物のエサにしてやるぜぇみたいな」
「誰も思っていないぞ、そんなこと。それに、アルには助けられているからな。それを苦に思って気まずくなるとか嫌だぞ、俺は」
「この人はたまに会話に直球を投げ入れますね。受け取る準備していないときにそういうこと言うのは反則ですよぉ。あ、でもデッドボールになるのですかね、こういう場合?」
アルは顔を背け、何事かをぼそぼそ呟いたが、声が小さすぎて聞き取れなかった。だから、聞きなおそうした時、リンが大声をあげ自身の膝を叩いた。パチンという音が辺りに響いた。
「そう!オーガは!オーガはどうしたの!?」
今更な話だが、リンは俺がブラッディオーガを倒したとは夢にも思わないようだ。確かに、俺とブラッディオーガの力量には天と地の差があったと思う。何で倒れたのか今でも不思議だ。火事場の馬鹿力と言うやつだろうか。
「オーガなら、あれだ」
少し離れた先にあるブラッディオーガの死体を指差す。夕焼けなのでわかりにくいが、死骸があるというのは理解できたのだろう。リンは少し声を震わせて尋ねた。
「アポロが倒したの!?」
「いえ、私です。傷を受けて怒り狂ったオーガをアルテミスことアルが殺りました」
「アルは戦闘に関与してなかっただろうが。リンを助けてただろうが。なぜ、俺の功績を奪うのだ」
「や、活躍しとかないと、戦闘が出来ないと思われては嫌ですからね。役立たずは肉の盾になれぇみたいな?」
再度アルは同じ言葉を言う。
しかし、二度聞いてみるとなるほどなと思う。
「それ、いいな。今度アルを盾にしてみるか」
「えぇぇぇぇ?そっっちの意味で取るのぉ!?
優しい言葉をプリーズです。私も命をかけてポーション受け止めたんですよ!」
「話を脱線させて嘘をつくからだ。ブラッディオーガは俺が倒したんだから」
「そうなんだ…………凄いわね」
賞賛してくれると思ったが、リンの顔は晴れやかではなかった。どんよりとした雨雲を思わせるような表情だった。
「どうしたんです、リンさん?」
「私全然役に立たなかったなぁと」
「いや、そんなことないぞ」
「でも、リンさん全然ダメージ与えてませんでしたよね」
「ぐっ……」
「いや、その、リンがいたから魔法を放てたわけで」
「でも、リンさんはダメージをほとんど与えてないですね」
「うぐっ……」
「けど、リンがいたから魔法を放てたわけで、功績の半分が妥当だと思うぞ。魔法があったから仕留めることが出来たし」
「その魔法のせいで、リンさんは意気込みむなしく戦線離脱しちゃいましたよね」
「もぅ殺してぇぇぇ。そうよ、そうよ。私の判断ミスのせいでパーティーを危険な目にあわせたのよ。先輩づらして結局はこうなるのよ。恥ずかしくて気まずくて申し訳なくて」
「リンさんの目が死んでしまってます。誰が彼女をこんな風にしたんですかっ!」
「1から10までアルのせいだからな」
俺のフォローを悉く粉砕したのはアルだ。
「おのれ、オーガめぇ!死して尚リンさんを傷つけるとは!」
アルは俺のツッコミをまるで無かったかのように、ブラッディオーガに責任をなすりつけて地団駄を踏む。
リンは最初首を振って悶えていたが、セリフの最後になるとピクリとも動かなくなり、目の焦点はぼやけ、口元だけが動くという見ていて怖い状態になった。
どうすればいいんだ、これ……。
余談:この話の各メンバーの心情。
主人公→アルに汚染されている。
リン→自分が怪我したことより、主人公を危険にさらしたことにショックを受けている。
アル→微妙に怒っている。そのためリンに少しキツ目に対応しちゃってる。態度には出てないので主人公達は気が付かない。