小話 とりあえずカシスオレンジひとつ
1,2ヶ月以上前に書いたはいいが、公開するか迷いました。
内容があれなので。
本編に影響ない話なので興味ない方はスルーを。
あったかもしれないし、なかったかもしれない。そんな過去のお話。
*作者は麻雀のルールをあまり知りません。
年に数回ネット麻雀を暇つぶしにする程度。そして、3人麻雀しかやりません。
「はぁ……ロンや、それ。リーチ一発、三暗刻ドラドラで18000や」
龍堂昇はため息をつきながら、自身の牌を倒した。
ため息をついたのは今の状況に納得してなかったからだ。龍堂は麻雀で生計をたてている男だ。しかし、表の世界に輝くような競技麻雀ではなく、お互い金をかけて勝負する真剣師と呼ばれる職業だ。金が掛かれば勝負をし、金が掛からなければ勝負をしない。龍堂はその中でもトップクラスの腕前だった。自身の名前をもじった『昇り龍』と呼ばれ、恐れられていた。場が進むごとに手は華やかに、役は高くなる。一度波に乗れば止めることは困難だと言われていた。
今回、お呼びがかかった勝負は依頼金が高かった。龍堂を呼んだ人物が財閥界の重鎮だったのだ。勝負の詳しい内容は当日まで伏せられていたのは気になったが、前払いで依頼金の半額をもらえ、財閥の重鎮にコネが出来るのは何よりも魅力的だった。
自分を呼んだ理由は、『昇り龍』と呼ばれた自分の力を見たいのか、倒してほしいほどの強敵がいるからだと思っていた。
その予想は半分当たり、半分外れていた。
龍堂は上を向き首をまわした。コキコキと良い音が鳴った。勝負開始から二時間。思いのほか凝り固まったようだ。そのまま首をゆっくりと回しながら対戦相手を再度確認する。
左隣には、今回の勝負の依頼人の九条幽玄。齢70歳を超えながらも、日本に多大な影響を持つ傑物。言葉には威厳が付属され、背筋は一本筋が入ってるようにしゃきっとし、動作は乱れも停滞も無い。龍堂はこの人物を老人とは思えなくなっていた。自身の祖父とは違う人種のように思えて仕方が無いのだ。
右隣には田中という真剣師がいた。年は30代半ばだろうか。オールバックで威圧感ある風貌だ。田中は龍堂と同じ真剣師だが、龍堂に比べると格が落ち二流の腕だった。世の基準で言えば強者なのだが、龍堂にとっては歯ごたえの無い相手。
そして正面の男。
今回の勝負で龍堂が勝ち続けないといけない対戦相手。
その男を見た。先程、自分に振り込んだ相手を。
年は10代半ばで、学生服を着ている男を。
どこにでもいるような平凡な男。それが龍堂の第一印象だった。美形と言えば美形だが、目が覚めるほどのかっこよさはなく、街中にいれば見かけるほどの二枚目度だった。なぜ、幽玄が執着するのか分からなかった。
麻雀の腕も素人に毛が生えた程度の腕前。自分が呼ばれる必要があったのか疑問に思うほどだ。
先ほどの和了で半荘が終了し、一息つけることとなった。
龍堂は用意された冷たいお茶を飲みながら、なぜこんなことになったのかを思い出す。
勝負の場所は九条幽玄が保有する高級マンションだった。そこは麻雀をするための部屋なのだろう。広いリビングの真ん中に自動麻雀卓と、麻雀卓に比べたら不釣合いな立派な椅子、それと荷物を置くための小さなテーブルしかなかった。
午後18時にマンションに着き、対戦相手が来るまで待機するよう指示された。その際に今日の勝負について聞いた。勝負の時間は半日で、対戦相手の一位を阻止することが依頼内容だ。対戦相手が一位でなければ何位でも良いらしい。実質三対一の戦いだ。勝負時間の長さは三対一のハンデだと。聞いたことがない勝負内容だが、これも権力者の我侭と受け止めた。三対一ということなので恐らく相手は実力者なのだろう。龍堂はまだ見ぬ相手を楽しみに待った。依頼とはいえ、強者と対戦できるのは血が滾るのだ。勝負の内容が変則的だとしても……。
1時間程経って、対戦相手が幽玄と共に到着した。対戦相手の顔にはアイマスクとヘッドフォンをし、腕には手錠をつけられた姿で。
その姿を見て、この依頼を受けたことを後悔した。この仕事を紹介した仲介屋は安全な仕事と言ったはずだ。まさか、こんなことになるとは思ってなかった。勝っても後味が悪い勝負になりそうだ。龍堂はそう感じた。
対戦相手のアイマスクやヘッドフォンが外され、対戦者の風貌があらわになる。
青年と呼ぶには若すぎて、少年と呼ぶにはちょっと成長し過ぎている。ちょうどその狭間にいるような年齢の男だった。中学生を超えたあたりだろうか。これが、対戦相手なのかと先程とは違う意味で驚愕した。あまりにも若すぎる。勝負に年は関係ないといえども限度がある。幽玄に問おうとした時、対戦相手の男が喋った。縛られていたはずなのに、落ち着いた声だった。
「じいさん、ここまでする必要あったの?」
「ふぉっふぉふぉ、特には無いな。言うなれば様式美よ。
それに、本気だと理解しただろう?」
幽玄はいかにも好々爺といった感じで答えた。まるで孫に対する気安さだ。
それに対戦相手も、幽玄と親交があるのだろう。会話には親しみの情が感じられる。
「ま、それはわかったんだが……。
どういうことだ、これ?」
あたりを見回しながら、対戦相手は発言した。
「なに、勝負をしようと思っての、響」
「勝負?」
半ば理解してるのだろう。響と呼ばれた男は麻雀卓を見ながら聞き返す。
「あぁ。お互いの意見が食い違ったら、平和的に解決しようと思っての」
「平和的って、拉致っといてその発言はないわ」
「じゃあ、やめるか?」
「……やる。これを断ったら後が怖そうだ」
一瞬の迷いがあったが、響は詳細なルールを聞かずに勝負を受けることに納得した。
その判断の早さ、適応スピードに龍堂は唖然とする。
「それでこそ、わしが見込んだ男だ。
勝負に勝てば何も言わん。
ただし、負ければ孫娘と付き合ってもらうぞ」
「はぁ……爺さん。恋愛は力ずくじゃないんだぞ。
昔はそうだったかもしれないが、今は自由恋愛が推奨されてるんだ」
「わかっとるわ。別に付き合ったから結婚しろとか契りを結べと言ってるんじゃない。
形だけでもいいから付き合えと言ってるのじゃ」
「それに何の意味があるんだよ?」
響は理解できないと顔をしかめ、首を振った。
「形から入るって言葉があるだろう。それだ。
それによって初めてわかることがある。
今のままじゃ、孫娘が可哀想で仕方がない」
「それを言われると返す言葉がないな。
悪いとは自覚してるが、それでも……」
「なに、嫌なら勝てばいい。
お主が勝てば何も言わん。自分のペースでやればいい」
「……了解」
龍堂は響と幽玄の会話で理解した。
己が呼ばれた理由を。
痴話喧嘩の代理戦争だと。
「ルールは明日の朝6時まで半荘を繰り返す。その中で一度でも1位を取ればお主の勝利じゃ」
「難しいような、難しくないような……」
今の時刻は19時を過ぎたところ。休憩時間を除くと10時間を超える長丁場だ。その中で一回でも勝てたら響の勝利である。これが普通の勝負なら、三対一でも長時間やれば勝てるだろう。勿論、これが普通の勝負だったらという話だが。
「ルールはアリアリで、誤ロンや誤ツモは和了放棄でトビなし。
質問はあるか?」
「……いや、ない」
他にもいくつかルールを取り決め、勝負が始まった。
龍堂は初期は警戒して、打っていたのだが、すぐにそれは無意味と悟った。
響は素人に毛が生えた程度。幽玄は並よりちょっと強い程度。この中では、同じ真剣師である田中が一番警戒すべき相手なのだが、場を乱すことを禁止されているのだろう。波風をたてずに無難な進行をしている。響を1位にしないようにする安全弁の役割なのだろう。だが、龍堂一人で事が足りる。麻雀は運がからむ勝負だが、百回やって百回勝つ自信が龍堂にはあるのだ。そうでなければ今までやってこれなかったのだ。
(しょうもない勝負やけど、金かかってるからな学生さん。容赦なくいくで)
勝負は序盤が決めてだと判断し、龍堂は響を狙い撃ちした。
響が出す牌を予想し、役を作ってアガる。
数局で点差は大差になった。
しかし『昇り龍』と称される龍堂はここからが本番だった。
回が進むごとに、役は高くなり。手牌は華やかになる。
最初の半荘が終わった時の点差は10万点になった。
「わりぃな、学生さん。これも勝負やからな」
「わかってます。というより、凄いですね。
こんな点差初めて見ました。勝てる自信ないんですけど」
「サマやるんなら、ばれんようになぁ。
やったらチョンボで終了やで」
「響よ、この男はイカサマを見つけるのが得意と聞いとる。
やらんほうがいい」
「はは……肝に銘じるよ」
響は笑いながら答えた。
(しかし、えらい他人事やな。
時間がたっぷりあるから大丈夫と思ってんのか。
それとも、負けても実害ないちゅう話やからな。本人も諦めとるんやろか)
龍堂はそう結論づけた。
次も半荘も龍堂の大勝だった。
しかし、響は自分の負けをたいして気にしている風ではなかった。むしろ、対戦相手との世間話のほうに力を入れてるほどに見えた。
半分程度の力でも勝てる勝負だったので、龍堂も積極的に会話に参加した。田中は寡黙な男なのか、ほとんど喋らなかった。幽玄は負けたら約束を守るよう響に釘をさした後、会話に加わった。
時間が経つにつれ響の勝ち目が無くなっていくだろうと龍堂は考えていた。時間が過ぎるにつれ疲労がかさみ、集中力が減り、焦りが増すだろう。麻雀は繊細なゲームだ。一度の打ち間違えで流れが変わることもある。長丁場の経験が無い響にとって、ペース配分なんて出来ないだろう。龍堂はこの勝負、余力がある序盤のうちに勝負を決めないと響に勝ち目はないとみている。
3時間が過ぎた頃には会話が止み、ただ牌を動かす音のみが場を支配するようになった。
(急に会話がやみよったわ。学生さんもヤバイと気がついたんかな)
それでも、勝負の趨勢は変わらない。たまに田中や幽玄が一位をとることはあっても、響が最下位から移動することはなかった。龍堂がそれを許さないのだ。龍堂は響に逆転の目すら与えず、冷徹に点棒をもぎ取っていく。
場の雰囲気が変わったのは、休憩時間が終わり半荘を2回ほど終えた時。時刻は草木も眠る丑三つ時だった。
(なんや、寒いな。冷房ききすぎたんか?)
用意されたお茶を飲みながら、龍堂は身震いする。
残り時間は4時間を切った。いまいちやる気がでない勝負も残り半分以下となった。
自分の手牌をみると、先ほどの流れを受け継ぎ、良い手牌だった。
跳満は最低いくであろう手だった。
さて、はじめようかとしたとき、制止の声が降りかかった。
「八種九牌です。流しでお願いします」
(なんや、流すんかいな。一発逆転で国士無双でも狙えばええのに)
八種九牌は手牌の中にヤオチュー牌 が八種類以上含まれていた場合、倒牌して手牌を公開し、流局とすることができるルールである。無論、流すかどうかは本人の自由なので申告せずそのまま手を進めても良い。
ヤオチュー牌を手牌に全種類そろえる役である国士無双は役満なので、あがることができれば強烈である。実力差のあるこの試合では無理にも狙うべきである。しかし、響はそれをしなかった。
また新たに牌が配られる。
龍堂の手は先程より良かった。『昇り龍』と呼ばれるほどの名前に偽りは無し。
手を一度乱されようが、返す刀で先程より良い手牌が来る。
それができるからこそ、二つ名で呼ばれるのだ。
だが、それも……。
「八種九牌です。また流しでお願いします」
流される。
自身の手牌が、上へ上へと昇っていく龍が。
龍堂は気づいた。
場の空気を。目の前の存在を。
最初の頃の柔和な顔はそこに無く、冷たく自己の世界に没頭してる対戦相手を。
表情に変化は無く、動作の表情から読み取ろうとしても、手つきに澱みは無かった。
(なんや、いままでの雰囲気と全然ちゃうやないか)
響が勝負を仕掛けて来たと龍堂は理解した。
幽玄は偶然が続いたと思っていたが、龍堂は違った。
己の手牌が二度も潰されたのだ。
好牌と成っていた自分の手牌が。
決まれば勝負の行方を決めていただろう、自分の手牌が。
三度目の配牌。
龍堂にこの勝負で最高の手牌が来た。
龍堂の手牌は字牌で占められていた。
字一色や大三元に手が届き、うまくいけば四暗刻。
全て決まればトリプル役満だ。
龍堂にしても、一生の中で数えるほどしかあがったことが無い役だ。
龍が昇り、天の支配者と化す。
「………………………」
だが、それでも。
最高の配牌が来ても。
龍堂は己の手牌に注視しなかった。
喜びも無かった。
あるのは幾ばくかの恐怖だった。
背中を伝う汗はなんなのか。
足は自身の制御を外れ振動し、何かを言おうとしても唇は乾いて、口が開かない。
ありえない。
胸中はその思いで一杯だ。
確率的にありえない。恐らく天文学的確率になるはずだ。
理性ではそう判断しても、自身の勘がそれを否定する。
今の流れ。自分の手牌。これが意味するところは。
まるで審判を待つ受刑者のように、龍堂は響を見た。
「八種九牌です。また流しでお願いします」
響は変わらぬ表情で、変わらぬ声音で宣言した。
龍堂にはその声が死神の死の宣告にしか聞こえなかった。
そして、幽玄も田中もその異常さに気がついた。
しかし、誰も声を発することが出来なかった。
龍堂はここに至り、認めることができた。
学生と侮った相手は、素人だが、この局に限り自分に劣らない相手だと。
偶然であろうとなかろうと、自分の好牌が崩されたのだ。いや、勝負させてもらえなかったのだ。
勝負させてもらえたらなら、勝つ自信はある。
だからだろうか、響は逃げた。
響に難癖をつけることは出来るかもしれない。脅しをかけて調子を崩すのだ。普通の学生相手なら難しいことではないといえる。
だが、三対一のこの状況で、素人相手にそれを行うのは龍堂のプライドが許さなかった。相手はルールの範囲内で戦っている。それを自分で汚すことは、自身の負けを認めることと同義なのだ。
自身の頬を叩き、喝を入れる。
勝負は三度の流局の後に再開した。
龍堂の手牌はズタボロだった。これまでの好牌が嘘のように酷い手牌だった。
祈るような気持ちで響を見るも、今度は八種九牌を宣言しなかった。
まるで、龍堂の手牌を知ってるかのように。
流れが変わった。
今までの半荘が嘘のように、響があがる。
龍堂は止めることができず、むしろ逆に狙いうちされた。
一度できた流れを変えることは難しい。
運は表裏一体。流された手牌が最高だったのだ。そこから先は落ちるのみしかない。
だが、龍堂はトップクラスの真剣師。今までにこの程度の修羅場はくぐっている。
しかし、それでもなお。
反撃の狼煙をあげようとしたとき、また八種九牌が宣言された。
次第に龍堂は自分の手牌よりも、響が八種九牌しないかどうかが気になるようになった。
迎えた最終局。
龍堂の順位は最下位、田中は3位、幽玄は2位、そして響が1位だった。
1位と2位との点差は17000点。
親は響。
幽玄が逆転するにはツモ直共に跳満以上が必要であり、龍堂が逆転するには直取りで役満を決める必要がある。
『昇り龍』の真価か、手牌は役満を狙えるほどだった。
だが、可能な役は四暗刻のみ。恐らく、成るとしても終盤。
自身の勘から、龍堂はそう判断した。
しかし、オーラスが始まって度肝を抜かれることになる。
(イカサマやとぉ!)
響は牌を取る時、自身の牌を交換していた。すり変えという技で、通常より一牌多くとり、代わりに自分の不要牌を次の人、この場合は幽玄に渡していた。
響の手つきは拙く。龍堂だけではなく、幽玄にもばれていた。
だが、誰もイカサマと言う事は出来なかった。
最初の時に、言ったことが彼らを縛っていた。
龍堂はこういったのだ。「サマやるんなら、ばれんようになぁ。やったらチョンボで終了」と。
その時他の人の制止は無かった。つまり、黙認されたということだ。
それを響は利用したのだ。
(ここで使うとは、肝がすわっとるやないか)
もし、イカサマを宣言すれば、チョンボとなり響は8000点を失う。
そして、たった8000点を失うことでこの勝負は終わる。
響の勝ちとして。
それが響の狙いだと三者はわかっていた。
(だが、それは間違いやでぇ、響)
龍堂は今までの勝負イカサマは使用してなかった。
ずっとヒラ場で戦っていた。
素人相手にイカサマを使う必要がなく、プライドが許さなかったからだ。
だが、相手が使ったら別だ。
(本物のサマみせたる)
響より多彩に、鮮やかにサマを龍堂が使おうとした時。
気がついた。
響の視線を。
自分の手を見ず、龍堂の手や場のみ注目してることに。
イカサマを使用しても、新しい牌を整理するときにも、ほとんど自分の手牌を見ていなかった。
(まさか、まさか、サマを見破る自信があるちゅーことかいな)
響にばれずにイカサマをする自信がある。
響は素人だ。わかるはずがない。
だが、今の状況はなんなのか。
素人と侮った相手に負けている状況は。
起こりえない状況が当然のように起こっている今の状況は。
今の響は神がかっている。
ならば、もしかして……。
警戒する必要があるのではないか。
そう思うと、動くことが出来ない。
それに、もしかしたら別の狙いがあるのかもしれない。
期を見て、待つべきか。
イカサマを使わなくても、逆転する手が残されている。
不安が、恐れが、楽な方へと思考を誘導する。
2巡ほどの迷いが後の運命を決定づけた。
「リーチ」
龍堂が決心をつけようとする直前に、幽玄のリーチという声があがった。
(たすかったわ)
龍堂は安堵した。
これで響は安易に動くことが出来ず、幽玄を警戒する必要がある。
そうして少しでも、隙が出来れば動けばいい。
そう龍堂は考えた。
だが、響の動きは変化しなかった。
いや、止まったと言えばリーチの声の一瞬だけ、龍堂が思考を停止した時、響もまた思考のために監視の手を止めたのだった。
運命の皮肉か、両者の集中が止まったのは同時。
それ以後は、響の動きは変わらずに今まで通り、自分の手より龍堂や場ばかり注目していた。
(なんでや、なにを狙っとんのや?)
龍堂もそれを受け、動くことが出来ない。
最悪の場合、勝負を龍堂が潰すことになりかねない。
幽玄が勝つ見込みがある時に迂闊なことは出来ない。
龍堂はそう自分に言い聞かせる。
それが逃げの思考だと勝負が終わるまで龍堂は気が付かなかった。
リーチから2巡したとき、幽玄の手が止まる。
(当たり牌か!?)
宣言しないということは、倍満より下ということになる。和了にはなるが、安い手ということだ。
麻雀は運のゲームである。そういうこともある。
だが、不可解なことは、幽玄がツモった牌が響の不要牌だったことだ。
そして、その不要牌は……。
(わざとか?それとも……)
「あがらないのか、爺さん?」
響は幽玄に問いかける。
幽玄が引いた牌が当たり牌で、安い手だと承知している声。
「響、どういうつもりだ……」
今まで沈黙していた幽玄が問い返す。
不要牌はイカサマで響が出した牌。
幽玄は響に真意を問いただす。
「どういうって、言われてもねぇ。
元々この勝負、俺と爺さんとの勝負。
なら決着は二人で決めるべきだって思いましてね」
「だが……」
「確かに、その役のままでは逆転不可能。
けれど裏ドラが乗れば逆転可能。
ドラは弄ってないので、結果は神のみぞ知る。
お互い運を天に任すとしましょうよ。天が俺と爺さんどちらが正しいか決めるんだ。恨みっこなしの勝負だ」
笑って響は答える。ギャンブルってそういうものだと。
幽玄は否定することが出来なかった。
響は自分と戦えと暗に言ってるのだ。
勝負を持ちかけた者として、逃げ出すことは出来なかった。
幽玄はツモを宣言した。
そして、裏ドラを確認すると、何もかかれていない真っ白の牌だった。
そうなると『發』がドラとなる。
幽玄の手牌に『發』は一枚も無かった。
勝利の女神は響に微笑み。
この勝負は終わりを迎えた。
「ふぅ、やっと終わった。
爺さん。約束は守ろうぜ」
「わかった。諦めるとしよう。
逃がした魚は大きいのぅ」
勝負が終わり、愚痴をこぼして幽玄は帰った。他の皆もそれに続く。
響はマンションを出る。夜風が勝負の熱で火照った体を冷やしていく。
ふぃー疲れたーと響は伸びをして帰ろうとした時。
龍堂が後ろから追っかけてきて、響に声をかけた。
龍堂には解せないことがあったのだ。
「まちぃな、響。最後の説明がまだや」
「説明?」
「せや、裏ドラが乗るかどうかは運や。
だけど、幽玄さんがツモったことは別や。
あれはあんさんの不要牌でツモったんや。
あんさんはツモるとわかって渡したんや。違うか?」
龍堂は質問しながらも内心確信は得ていた。
だが、本人の言葉を聞きたかったのだ。
「違いません」
響は頷いた。
その言葉に龍堂は胸を撫で下ろし、ニカッと笑った。
「なら、説明しよぉや。気になって眠れんわ」
聞くまで梃子でも動かないということが理解できた響は、諦めて説明することにした。
「はぁ……わかりました。
理由は簡単です。爺さんは癖がありましたので」
響は語る。
この勝負の前半は捨ててたと。会話することで、相手を観察し、癖を見極めようとしてたと。
「ま、田中さんや龍堂さんは無理でしたけどね。
分かったのは爺さんのみでした。牌の置き方とか視線の動きとか一緒でしたから」
それで幽玄の手牌が何であるか分かったと響は言った。
牌には種類がある。字牌、索子、萬子、筒子と、幽玄は字牌を左端に萬子を右端に置く癖があった。
「最初から、勝負しかけとったんかいな」
龍堂もそれには幽玄の癖には気がついていたが問題視してはいなかった。自分がカバーすれば良いと思っていたし、響がその癖に気がついた素振りもなければ、最後の最後まで幽玄の癖を利用しなかった。だからこそ、気づけなかった。
「ええ、勝つために一生懸命でしたよ」
勝負の前半は何気ない会話をするフリをしながら、幽玄の癖を見極めていた。それを龍堂にもバレないように慎重に。響は最初から最後まで全力で勝負をしていた。
「八種九牌は、どうして流したんや?
国士無双目指そうと思わなかったんや?」
最後の不要牌はわかった。
ならば、次の疑問だ。
何故、国士無双で勝負を決めなかったのか。
もし決まれば、勝負を決めるほどの手なのに。
実力で言えば龍堂の方が圧倒的に上なのだ。八種九牌の連続で龍堂のテンポが乱れたのは結果の話。流しても普通に勝負していたら響の勝ちは薄い。ならば一発逆転を狙い国士無双を目指す方が勝率が高いはずだ。
「ちょっとは思いましたけど、龍堂さんが怖かったから」
「わいがか?」
「ええ。八種九牌を得ても負けるって感じましたからね。
オーラが違います。びびっときました。だから逃げました」
爽やかな顔で笑う響に龍堂は感じるものがあった。
逃げたと言っても、恐怖から逃げたのではない。このままでは勝負出来ないという確信のもとの逃げ、戦略的撤退なのだと。
それを嗅ぎとる天性とも呼べる鼻の良さ、必要どころで八種九牌が来る天運。そして、自身の運命を決める戦いなのに欲望を抑え確率という論理的根拠を嗤って、自己の直感に殉じる魔性じみた意思。
知らず、龍堂は自分を抱きしめるように両肘あたりをさすった。
肌が粟立つとはこういうことなのか。
「恐ろしいわ、自分」
笑って言っているが、本人はどれほどのことを成したのかわかってはいない。
この自分が負けたのだ。
百回やれば百回勝つ勝負。
それを覆したのだ。
「それに、最後なんて特に怖かったです」
「最後?」
「俺が恐れていたのは龍堂さんだけでした。
この人はやばいと。流れに身を寄せたら負けると。
だから必死になって流れを変えることにしました。
八種九牌やイカサマしたりして」
「サマも幽玄の爺さんのためにじゃなく、わいのためか……。
そして、自分は最後わいが逆転すると思ってたんかいな?」
自分でも逆転できるかは五分五分と思っていたラストの局。
それを龍堂自身より響は信じていたのか。
いや、この場合龍堂がきっと上がると信じる自分を信じていた響が正しいのか。
「ええ。俺が読んでる麻雀漫画ではどんな点差があろうが、主人公が逆転するんです。実際、裏ドラより龍堂さんのほうが怖かったんです。このままでは絶対負けると思いましたから」
冗談めかして響は言った。
そして、龍堂はここで自分の負けを悟った。
思えば三度目の八種九牌の局、自分の手牌より響の手牌が気になった。
その時点で負けたのだ。
自分より相手の手牌について祈ったとき、つまり自分の天運を信じられなくなったときに勝敗が決したのだと。自分を信じて勝った響、自分を信じきれず他者に委ねた龍堂。勝利の女神は自分を信じたものに微笑んだ。それがこの勝負の結果なのだ。
「響、面白かったで、またやろや」
「いやですよ、もう勝負はこりごりです」
「別にわいと勝負することはあれへん。チームプレイで強敵倒そうやないか」
「そっちのほうが怖いですよ。どこに連れて行こうとするんですか。俺は平和に生きたいんです」
「ははは、その冗談ごっつ面白いわ。
よし、飲みに行こう。祝勝会しよ」
「学生なので無理です。てか、あんた敵側だったでしょ」
「昨日の敵は今日の友。一度戦ったら戦友や」
「昨日のって、一日も経ってないんですけど。
たすけて。また拉致られるー。
って、わかった。ついてくから手を握るのやめてください。男に手を握られても嬉しくないんで」
「なら、お姉ちゃんがいるところに行こうや! 酒池肉林を楽しもうや」
「そういう意味でもないですよ!というより、今日の勝負の意義なくなりますからね、それ」
「つまらんなぁ。なら、料理のおいしいとこにするか」
「はい、それでいいですよ。もう……」
こうして響は居酒屋に連れて行かれ、酒を飲まされた。本人にはわからないが、龍堂にかなり気に入られたのだ。勿論、夜が明けたら学校の授業があるため、酒の臭いがついてる姿では登校できずにずる休みをするしかなかった。
そして心配した幼馴染にずる休みがバレて、しこたま叱られた。
未成年の飲酒駄目、絶対。
八種九牌ではなく九種九牌の方が一般的みたいです。
八種の方はローカルルール扱いの模様(チョンボで終了も)
なぜ八種九牌なのかは読んでた麻雀漫画の影響です。
この話を思いついたのが麻雀漫画を読んでた時なので、それに敬意を表してそうしてます。
麻雀漫画は凄い。ルールわからなくても面白い。