駆り立てるのは殺意と憤怒 荒れ狂う赤鬼
「そこまでやばい敵なのか……」
リンの表情に余裕は無い。
ゴブリンやウォードッグが何体出ようとも焦らなかったリンが、頬に伝う一筋の汗を拭うこともせずブラッディオーガを見つめ続けている。
確かに、あの魔物はやばい。
人間の身長をゆうに超える巨体。まるで重厚な全身鎧を纏っているかのような体躯。黒味がかった赤い皮膚は他者を威圧する。手に持った剣を振るえば、凶悪なまでの膂力の力で俺の体は切断されるだろう。金色の目は爛々と光り、時折自分の存在を誇示するように唸り声を上げる。音が質感となって襲いかかってくるようだ。肌がピリピリと振動する。
この魔物を目の当たりにすると、俺が今まで戦闘と思った戦いは児戯ではないかと思ってしまう。ゴブリンの貧相な体躯は病人患者のように思える。そして、今から相手にするのはボディービルダーすら逃げ出すと思える、筋肉の化身。
「ええ。2人では危険すぎるわ。正直逃げたほうがいいわね。でも……」
視線は固定したまま、俺に応える。
「ああ、あちらさんは逃がす気はないようだ」
ブラッディオーガはこちらを逃がすまいと、威嚇の咆哮を時折上げるのに、その足取りは軽快だった。全力で走るわけでもなく、ゆっくりと近づいてくる。
「馬鹿に、してるな」
「ええ……」
走らないのは余裕から。
俺達にはこれで十分だと、もし逃げても追いつける自信があるのだろう。
そして、そのブラッディオーガの後方には、ウォードッグの郡れが俺達を狙っている。共闘しようとしているのか、ブラッディオーガのおこぼれを貰おうとしているのかはわからないが、俺達にとってはどちらも大差が無いだろう。どちらにしても、友好的な関係を築けないのだから。
「どうする?」
恐怖も度を過ぎれば、麻痺するらしい。
俺はリンに問いかける。
生き残る手段はあるのかと。
ブラッディオーガが近付くにつれ、その迫力は増し、死の未来がやってこようとしているのに、立ち向かおうとする意思が俺にあった。
隣に立っているリンに無様な姿を見せたくないという見栄、男心のお陰だろう。実際、意識していないと下顎は俺の制御から外れ、カチカチと音を立てる。口を閉じ、歯肉を噛むことで自己の意地を保ち続ける。
「……私がブラッディオーガを相手にするわ。アポロはその間にウォードッグをお願い」
「……わかった」
強敵をリンに任すのは、男としての矜持に傷がつくが、その言葉を撤回する力量や自信がまだ俺には備わっていない。ステータスの数値は高いはずなのだが、扱えないのだ。
経験を積んだ冒険者であるリンの判断が正しいのだろう。
反論したい気持ちをぐっと胸に抑える。
「じゃあ、いくわよ」
「む、無理はするなよ。しゃ、借金はまだ残っているんだ。
きりきり返して貰わ、わないとなぁ」
俺に出来ることは軽口を言って、少しでもリンをリラックスさせることだ。声が震えてなければ、格好良かったのだが。最後、声が裏返っていたし。
「ふふっ、そうね。返す相手が居なくなったら悲しいから、そっちも無理しないでね」
結果的にはリンは少し落ち着いたようだ。
俺の言葉に薄くだが笑ってくれた。
槍を手に持つリンの姿は腰の引け気味の俺とは大違いだった。
俺とは違い気負った様子のない自然体の姿、リンの戦士としての経験と実力が
表れている。
「いくわよ!……火の精霊よ、力を!」
リンは精霊魔法を使い、ブラッディオーガを相手取る。
火の矢が数本空中に現れ、ブラッディオーガに飛んでいく。
ブラッディオーガは自身の大きな剣を振るい、煩わしそうに火の矢を消すが、全てを消滅させることはできずに、胸に火の矢が刺さる。
だが、大きなダメージを与えたとは言いがたい。当たった場所、その赤い皮膚を少し焦がしただけだった。傷は表層部分しか残らず、足取りにも狂いはない。つまり、ダメージを与えたとは言い難った。
「よし」
リンは満足そうに呟く。
その言葉で理解する。
魔法を使ったのは、恐らく自分にブラッディオーガの注目を集めるためだろう。ダメージの有無なんて関係ない。ヘイトさえ集めればいいのだ。
「ヴオオオオオオオオオオオオッッ!」
その作戦は成功した。ブラッディオーガはリンを障害と認めたのだろう。
雄叫びをあげ、リンへ突進していく。
リンもそれに合わせ、ブラッディオーガに向かって走る。
「自分が嫌になるな」
リンがブラッディオーガを相手取っている間に、俺はブラッディオーガを迂回するために走る。
少しでもリンの邪魔をしないためにはこうするしかない。自身の無力さが嫌になる。
ブラッディオーガの威圧を前に、俺は犬より劣る相手しか対等に戦えないのだから。
だが、それも大事な役割。一匹でもリンにウォードッグが接近すれば勝負の天秤はブラッディオーガの方へ傾いてしまう。
俺は十分距離を取ったと判断して、立ち止まる。
そして、ウォードッグに狙いをつける。
「火の力を願い。我は乞う。
『ファイアーアロー』」
詠唱破棄で呪文の一部を省略する。代わりに魔力がごそっと体から抜け落ちる。普通に唱えるより消費量が激しい。
俺が放った火の矢はウォードッグに当たり、一匹戦闘から脱落させた。
再度、魔法を放とうと意識を集中させるが、
「ッツ……」
ウォードッグの群れは完全に俺に照準を合わせてくれた。それは喜ばしいことだが、ウォードッグは速度を上げて、俺に向かってくる。
予想以上のスピードに唱えようとした魔法を止める。
意識を切り替え、剣を握り締める。
ウォードッグ達は俺の目前で停止して、半円状に俺を囲むように散開した。
野生の本能なのか、魔物の知恵なのかはわからないがやっかいな展開だ。
ウォードッグはじりじりとプレッシャーをかけながら近づいてくる。
こちらが進み出れば距離を取られ、退がれば距離を詰めてくる。一歩後ずされば近づいてくる。
恐らく、根気勝負になるだろう。こちらが集中力を切らした瞬間にこいつらは襲ってくる。
「だがな……そんな暇はないんだよ!」
リンがどれほどの間ブラッディオーガを抑えてられるかはわからない。
一刻も早くウォードッグを倒して、助成に行かねばならないのだ。
懐から、投げナイフを取り出して、一匹に狙いをつけて投げつける。
そして、その一投が俺とウォードッグの勝負の均衡を崩した。
俺を取り囲んでいたウォードッグ達は様々な反応を見せた。
ナイフの射線上にいた相手は避けようと横に飛び。俺が攻撃を放った隙が出来たのに、警戒して動かない個体もいた。
そして、ナイフを投げて出来た隙を狙い一番左端のウォードッグが俺に飛び掛ってきた。
連携は脆くも崩れ去った。
飛び掛ってきたウォードックに対して左に半歩進みだし、半身になってかわしながら、相手の足が通り過ぎる場所目掛けてに剣を振るう。
予想通りに相手の足に当たった。力を入れずに斬ったため足を切断するには至らなかった。致命傷を与えたとは言えない。だが、相手の機動力に大きなダメージを与えたのは確かだった。これで先程のような軽快な跳躍は出来ないだろう。
飛び掛かってきた最初の個体から一歩遅れて、他のウォードッグ達も動こうとした。だが、俺は視線でそこに縛り付ける。
ウォードッグは機先を制され、動くタイミングを逸した。
後ろで足を斬られた奴が立ち上がろうとしては失敗してバタバタと音を立てるのを聞きながら、俺は視線を前にして残りのウォードッグ達を見続けた。
一匹減らすことが出来た。
息を吐いて、新鮮な空気を取り入れる。
「残り四匹」
剣を持つ手に力が入る。
数の多さは戦力に直結する。如何に犬より弱い魔物だろうと、数が増えれば脅威だ。犬は愛玩動物として人間のペットとして飼われているが、本来弱い動物ではない。訓練された犬は生身の人間では勝てないと言う人もいる。強靭な脚力は自身の背をゆうに超える高さを跳び、走れば時速50キロを超える。スタミナもあり根気も高く、一度狙った獲物を中々諦めない。一度噛み付けば、鋭い牙が皮膚を貫き、相手を絶命させるまで離さない。それでいて、集団戦闘を得意とし、ボスの指示に従い相手を追い詰める知恵とチームワークすら持っている。山で野犬に会えば死の危険すらある動物だ。
犬より弱いと言われるウォードッグでも油断すれば、殺される。
「行くぞ」
だが、待っていても始まらない。
根気比べをして勝てる要素もなければ、時間が惜しいのだ。
俺が動き出すとウォードッグ達も動き出す。四匹が緩急をつけてこちらに向かってくる。
俺の胴体目掛けて飛びかかってきた最初の一匹に全力で蹴りを入れる。ダンピールという身体能力の高さを生かし、相手の牙ごと粉砕する。ぐしゃっと骨と肉を砕く音と感触が靴から足へ伝わる。足を下げると大幅に裂けた口が目に映った。
それと同時に、飛びかかってくる個体も視界に入った。それには剣を振り落として対処する。
「キャン!」
剣の刃でなく、腹で叩きつけるような一撃に、ウォードッグは悲鳴とともに地面に叩きつけられた。
間髪入れずに地面に叩きつけた個体を蹴り上げ、更に襲いかかってきた個体へとぶつける。その狙いは当たり、二体纏めて吹き飛んだ。地面に叩きつけた個体は絶命かそれに近いだろう。
よし、と思ったその時だった。
体に悪寒が走ったのは。
「ッツ」
直感に突き動かされるように反射的に体を捻る。
すると、元の体があった場所に何かが大きな物体が通り過ぎた。
ウォードッグだ。
死角からの攻撃。
一瞬でも判断が遅れていたら、噛みつかれていただろう。それが腕であっても胴体であっても致命傷だろう。無事なもう一体がいるのだから。吹き飛ばした個体は吹き飛ばされただけで健在だ。
二匹は緩やかな曲線を描き、俺に向かってきた。
左右からの同時に息を揃えて飛びかかる。
「チッ」
躱すことは難しい。
そう判断した俺は腰を落とし、足の親指を地面に掴むように力を入れて腰を回す。
腕に力を入れるのではなく、腰を振りぬくようにイメージして、体を動かす。筋肉と関節が連動し動きを阻害することなく剣を横に振るうことが出来た。
「ハッ!」
スパッとした音とともにウォードッグは二匹とも真っ二つになる。
「終わっ……た……」
気がつけばぜぇぜぇと呼吸が荒かった。
緊張が解ける。解ければ、疲れが一気に押し寄せてくる。手に持つ剣は戦闘前より重く感じ、流れ落ちる汗は尋常な量ではない。肉体的疲労と精神的疲労は限界近くに達していた。
だが、これでウォードッグは全滅した。
息があるのもいるが、戦闘には復帰できないようだ。
ならば放っておく。
「リン、今助ける」
疲れた体に鞭を打ち、息を浅く整えて次の戦いの準備をする。
リンの方を見ると、苦戦しているが戦えているようだ。
リンが槍の間合いの広さを利用して牽制し、ブラッディオーガは持ち前の膂力を生かして槍を吹き飛ばそうとするが、リンが素早く察知して槍を引き戻す。
素早い槍の突きを払いのけようとするのも驚きだが、それを察知してかわすリンの力量にも驚きだ。
豊富な運動量で敵を翻弄するリンと、体力と力で決めようとするブラッディオーガ。
今のままでは互いに決め手にかけ、膠着状態だが、このままいくとリンは疲れで動きが鈍くなりブラッディオーガの勝ちになるだろう。それをブラッディオーガは理解しているのか、焦る様子も見せずにリンと戦っている。
「アル、来い!」
俺は上空にいるアルを手招きして呼び寄せる。すると、俺とウォードッグの戦いを邪魔にならないよう高く飛んでいたアルが気づきこちらに来る。
「なんですか、アポロさん?」
「大技を放つから、準備が出来たらリンに離れるよう伝えてくれ」
「わかりました」
阿吽の呼吸。
無駄な言葉を挟まずとも俺の意志はアルに伝わった。
アルがリンの方へ向かう。
幸いなことに、ブラッディオーガはリンとの戦闘に集中し、こちらには注意をしていない。
俺は自己の世界に埋没する。
水の中に潜るように、深く深く集中していく。丹田に魔力を感じ、血液にそって魔力を外に出す。魔力を魔法にするために。周囲の雑音が聞こえなくなっていく。
「火の力を願い。我は乞う。
求めるは、紅蓮の炎」
一音ずつゆっくりと。
言葉が呪文と為り、現象へと変化するように。
イメージを言葉に落とし、言葉を名前で縛り、現象にする。
「逃れえぬ業火がその身を焦す。
我は其を焼打し、煉獄の宴を望まん」
求めるのは、相手を燃やし尽くす炎。
砲台は自分。弾は火弾。
その弾の早さは風神の如く、その威力は雷鳴の如く。
相手を焼滅させん。
「『イグニッション!』」
中級火魔法イグニッション。
手の先から、大きな火弾が現れる。
そして、狙う先はブラッディオーガ。
火弾は唸りをあげ、空気を切り裂いて標的に向かっていく。
「リンさん、離れて下さい!アポロさんの呪文が来ます」
アルが阿吽の呼吸で、ベストタイミングでリンに退避を促す。
リンがそれに合わせて横へと跳ぶ。
そして、それに合わせるようにブラッディオーガは隙の出来たリンの跳躍に追撃しようしたのだが、急に動きを止めた。
ブラッディオーガが魔法を認識する一瞬前の出来事だった。魔法を見る前に魔法を察知したのだ。
リンとの戦闘で俺の存在なぞ頭から消え去っていっただろう。だからこの一撃は理外の攻撃、リンを目隠しにした一撃は避けることは不可能だった筈。それなのに、ブラッディオーガは急停止し、俺の攻撃を察知した。
イグニッションを避けることは不可能だったのは確かだ。
だが、その動作が、運命を変えたことは事実だった。
胴体を狙った火弾が、胴体をかばうようにブラッディオーガの回した左腕に当たる。爆音を周囲に響かせ、ブラッディオーガの左腕を中心に焼き尽くさんばかりに火が立ち上る。魔法で作られた火はすぐに消え、残ったのは左腕が黒く焼け焦げたブラッディオーガ。
「ウガァァァッァァァ!」
ブラッディオーガが絶叫した。
憤怒の表情で俺を見る。金色の目は大きく見開き、口が大きく開けられる。その様はまるで俺を食い殺そうとするかのように。
十分に離れているのに、身が竦む。
「ハァァァァァ!」
意識が俺に向いてる時にチャンスだと思ったのか、リンがブラッディオーガの背中目掛けて突進する。
リンの槍が突き刺さると思った瞬間、ブラッディオーガは体を反転させ、剣をリンに振るった。
「きゃぁぁあぁぁぁ」
ブラッディオーガの剣がリンの体にあたり、その衝撃でリンは吹き飛ばされる。何度かバウンドした後に静かになった。それをブラッディオーガは一瞥した後に俺のほうへ向き、唸り声をあげて突撃してきた。
「リン!」
距離があるため、剣で切られたのかどうかいまいちわからない。それに、うつ伏せで倒れており血が出てるのかさえわからない。だが、危険な状態であるのは確かだ。
こちらも走りながら、アイテムボックスを呼び出し、手を突っ込む。
虎の子の六級ポーションを取り出し、アルのほうへ。
「アル!受け取れぇぇぇ!」
アルのほうへ、ポーションを投げつける。
「わかりましたぁってはや……ぃぐえぇぇ」
カエルの潰れたような音がアルの口から発せられるが、何とか無事にポーションをキャッチしたらしい。これでリンのほうは何とかなる可能性が高い。
だが、それを悠長に見ている暇は無い。視線をアルから、こちらへ走ってくる奴に合わせる。
もうあと数秒でブラッディオーガはこちらへやってくる。
剣を強く握る。
ブラッディオーガの金色の目は血走っており、怒りが見て取れる。
果たして俺はこいつに勝てるだろうか。
魔法を使う余裕はもう無いだろう。
接近戦となり、剣で倒さないといけない。
リンが手こずる相手だ。
俺には荷が重いだろう。
だけど、
「俺もはらわた煮えくりかえってんだよ!」
怒りが全ての肉体的、精神的疲れを霧散させる。
ダンピールの性能を十分に発揮すれば勝てないはずはない。
仲間を、リンを傷つけられて何も思わないわけがない。自分を鼓舞する意味でも大声を出し、敵を迎え撃つ。
「ウウウウウウウウウッオ!」
ブラッディオーガは力任せに剣を俺に振るう。
その剣の速度は凄まじかった。
片手なのに、片腕は傷を負っているのに。
想定外の速度で振るわれた剣を回避するために地を蹴って後ろへ飛ぶ。その刹那、剣の残像が俺の元いた場所を切り裂く。地面が音を立ててえぐれる。
辛うじて逃れた。
だが、代償も大きかった。
咄嗟に回避したため、着地後にバランスが取れず尻餅をついて倒れる。
体勢が崩された。
ブラッディオーガは俺が体勢を崩したのをいいことに追撃の構えをとる。
剣を上空に構え、一刀で俺を切断しようと。
「クッ」
恥も外聞もなく、辺りを転がることによって攻撃を回避する。
剣は回避に邪魔になるので手放すしかなかった。
剣での攻撃をやめ、転がる俺を踏み潰そうとブラッディオーガは攻め続ける。
耳に聞こえるのはドスンとドスンと地面を踏み潰す音。背に感じるのは大地が振動する揺れ。目に迫るのは、徐々に大きくなる赤い五本の指の足。
「ツァア!」
右も左も分からない。ただ、体が動くままに転がって迫り来る死の気配から逃れる。
その攻防を数度繰り返し、何度も躱し続ける。踏み潰す攻撃は横に転がって避け、蹴り飛ばすものは後転や前転で難を逃れる。
しかし、立ち上がる隙もなければ余裕もない。辛うじて直撃は避けているが、怒涛の攻撃に皮膚は傷を負い、無茶な跳ね転がりに骨は軋みを上げていた。
転がる最中、俺とブラッディオーガが一瞬目が合った。
眉を立て俺を睨む姿は憤怒の化身のよう。体を丸めながら転がる俺はイモムシのよう。
一重に生き残っているのは、ブラッディオーガが怒りで我を忘れているから。これが冷静なら俺は死んでいたはずだ。
なかなか俺を殺せないことにブラッディオーガはイラつき、
「ガアアアア!」
踏み潰す攻撃から、蹴り飛ばす攻撃へとシフトする。自身の怒りを吹き飛ばすかのように力を込めた一撃。
上下に動いた足が、振り子のように動き出す。
力をためるために足を後ろへ動かす動作を見て、俺も動き出す。
「ハァァァァァァァ!」
ブラッディオーガが蹴り飛ばすその足を狙い、蹴りを放つ。
俺の足とブラッディオーガの足がぶつかる。
質量と速度。
そのどちらも、俺は劣っていた。
だが、その動きこそが俺の狙いでもある。
俺を吹き飛ばすように蹴られた攻撃と、オーガーから離れるように蹴られた俺の攻撃が、同じ方向性を持つ。
強い衝撃が足に走り、空中へと吹き飛ばされる。
地面に何度か当たるが、それでも止まらず。ボールのように縦回転で地面を転がる。
頭や、腕に痛みが走る。
だが、それでも勢いを殺さず、むしろ加速させるように地面を跳ねる。
衝撃や速度が弱まってきたころを見計らい、両手で強く地面を押す。
足が上空に伸び、地面と体が垂直となる。そして、腹筋を使い体を起こす。
それはバク転の要領と同じようなもの。
「いつつ……」
無事に着地を決められた。
前をみると10mくらい先にブラッディオーガがいた。
かなり飛ばされたらしい。
体のほうは痛みがあるが、折れてはない。つまり、戦闘に支障は無い。
憎々しげにこちらを見るブラッディオーガ。
アイテムボックスから予備の剣を取り出す。
戦いは仕切り直された。
「ガアアアアアアアアアッ!」
ブラッディオーガは再度剣を振るい、俺を殺そうとする。
その速度と威力は予想の範囲内。
自分の剣を相手の剣に当て軌道をずらす。威力がかなわなくても、逸らすことが出来た。
頭上に振るわれた剣を、斜め下に剣を構えて滑らすように攻撃を流す。横に振るわれる剣は、一歩後ろに下がり回避する。
その剣撃の速度は相変わらず鋭く、激しい。
だが、それでも対抗はできる。
攻撃を流せるなら流し、逸らすことが出来ないならかわす。
大気を切り裂くように振るわれた横薙ぎの一撃をかがんで回避する。びゅうと嫌な音が頭上から聞こえてきた。
何故俺が急にブラッディオーガの攻撃に対応出来るようになったのかわからない。満身創痍の体で頭も働かない。ただひらめきだけで動いている。何度も踏み殺されそうになった死戦を乗り越えたからか。
理由はわからない。火事場の馬鹿力かもしれない。
だが、対抗出来るという事実が大事だった。
「チッ……」
「ウガァァァァァァ!」
両者から苛立ちの声が出る。
攻撃が決まらないブラッディオーガ。
躱すことが出来ても、攻撃に転じることができない俺。
怒りを燃料とし、より攻撃を加熱させるブラッディオーガ。
その攻撃をいなすことは薄氷の橋を踏み渡ることと同じ難易度だろう。
相手の剣を受けるだけで、剣がきしむ音がする。
相手の剣を躱すだけで、寿命が縮みそうになる。
俺とブラッディオーガの戦いは10分も経ってないだろう。
戦っている俺としては、1時間以上の戦いにも思えてくる。
「はぁ……はぁ…どうした、勢いがなくなってきているぞ」
俺はブラッディオーガに笑いかける。
あれほど苛烈だった攻撃が弱くなっている。中級火魔法イグニッションで焼かれた左腕のせいだ。最初は怒りで痛みを忘れていたのだろうが、戦闘が長引くほど、その効果はなくなっていく。それに、左腕を怪我すれば、左腕だけが使えないというものではない。体というのは単純なものではないのだ。各部分が連動することによって、体を動かしているのだ。ブラッディオーガは動けば動くほど弱っていく。俺をしとめようと力を入れれば、より消耗する。
俺の笑みが馬鹿にしたものだとわかったのだろう。ブラッディオーガーは雄叫びをあげて、剣を頭上に掲げる。そのまま一気に振り落とした。
一刀両断。
剣を頭上に構え、盾にしてもその攻撃は剣もろとも両断していただろう。
しかし、俺は一歩右斜めに進むことでその攻撃を回避する。ブラッディオーガの一撃は大地を大きくえぐった。それほどの威力だった。
大地が砕ける音と同時に、ブラッディオーガの懐にもぐりこみ、そのがら空きになった胸元に体ごと突進させて剣を突き立てる。確かな、手ごたえが剣から伝わった。
「ガッ!」
勝敗はここに決した。
ブラッディオーガの体がゆっくりとこちらに倒れてくる。
支えられるわけがないので、急ぎ離れる。
離れると同時にブラッディオーガは地面へと近づいたが、剣が刺さっているため、そこで一旦止まった。だが、自重のせいで段々と地面に隣接していく。そして、終には地面との邂逅を果たした。剣が深々とブラッディオーガの体に突き刺さる。まるでブラッディオーガに剣が生えているみたいだ。
あの剣はもうだめだろうなぁ……。
戦闘でかなり傷んだし、あそこまで突き刺さったものを引き抜くのは大変そうだ。というより、無理だ。
「終わった………」
ブラッディオーガが倒れるのを見て、やっと戦闘が終わったと実感した。
実感すると同時に、それまで忘れていた痛みと疲労が戻ってきた。
勝負が長引けば不利になるのはこちらも同じだった。だが、その負の加速度が違っただけだった。
俺も地面に倒れ伏して寝たい。
疲労で崩れそうだ。
寝るわけにもいかないので、かわりに座ろうと、
「ってリンは大丈夫なのか?」
とても大事なことを思い出した。
戦闘に夢中になりすぎてリンの存在を忘れていた。
疲労困憊の体に鞭打ってリンのもとへ駆け出す。走ることが出来ずに、剣を杖にし、こけかけながら歩き出す。
「アル!リンは大丈夫なのか?」
「リンさんは意識を失っているだけで、命に別状はないと思います。だけど……」
見ると安らかな顔でリンは眠っていた。
アルの視線のほうを見る。
そこには一本の槍があった。折れ曲がった槍が。
ブラッディオーガの一撃の大部分は槍が受け止めたらしい。それでも、胸元に一筋の傷跡を残している。防具が破れ、白い肌が顔を覗かしている。
傷跡は六級ポーションで完治してはいるので大丈夫なのだろう。ポーションは一級から十級まである。数字が小さいほど効果が高い。十級では軽い切り傷程度、三級になると人体の破損すら治すらしい。六級でも出血や打撲の傷を一瞬で治せるらしい。
現在市場で手に入るのは五級までだ。四級より上は見ることが出来ないらしい。製法すら残っているかわからないと聞いたことがある。
四級でさえそれなので、六級ポーションは中々のお値段だ。命に関わることなのでケチってはいけないので手に入れたのだが、
「命あっての物種なんだが、失った金額はでかいな……」
俺の剣とポーションとリンの防具と槍。
「ですね。リンさんの借金がより膨らみますね」
「え?」
「ん?」
俺とアルは顔を見合わせる。
俺はアルの言っている意味がわからない。
「戦いで無くなったり、破損したものは、六級ポーションとリンさんの槍と防具、それとあの鬼に生えてる剣もですよね?」
「ああ……」
まさか、まさか。
それらのお金をリンに請求しようとしているのか。
「不謹慎ですが、おらわくわくしてきぞ!
リンさんの借金はどこまで増加するんでしょうか!」
ぎょっとしてアルの方を向くが、アルはいたって真剣だ。
いや、おかしくはないのか?
六級ポーションは俺の物だしなぁ。けどパーティー組んでるので、そこらへんはどうなるのだろう。折半?俺持ち?
「まぁ、難しいことを考えるのは後にしよう。リンが起きるまでゆっくりとするか」
もう限界だ。
頭を働かすのが億劫だ。
今は休みたい
「ええ。私達の戦いは終焉を迎えました。一時の安らぎを得ましょう」
夕焼けが俺達を祝福するように輝いていた。
もうすこしで夜になろうとしていた。
そうなると、リンが自然に目を覚ますまで待つわけにもいかず、水をぶっかけることになった。一時の安らぎって比喩でも何でもないな。
水をかけられた時、リンの悲鳴が辺りに木霊した。
うん、なんかごめん。
戦闘、つまり生き残るって大変なんだ。それがわかった一日だった。そういうことにしておこう。
初めての討伐クエストはこうして本当に終わりを迎えたのだった。