ベクトラ・レイラインはかく語りき
「スゥー…………ーハァー」
他の人に気づかれないように深呼吸する。
自分の直感が警鐘を鳴らしている。理由は分からないが、エマージェンシーコールが出ているのだ。ヤバイ感じはしないが、これを見逃すわけにはいかない。
さり気なく、自然にこの場を撤退するのだ。
抜き足で音を立てないように後ろに去りながら、リンの方へ向く。
「知り合いっぽいな。俺はお邪魔のようなので、二人で久闊を叙してくれ」
「ええ!?」
アルとリンは驚きの声をあげた。
「俺は買わねばいけないものがあるからな。ちょっと行ってくる」
アルにアイコンタクトをする。アルと俺は以心伝心なはずだ。
言わなくても俺がしたいことが伝わるだろう。
アルがコクンと頷いて、大きな声で言った。
「アポロさん、あの露出度の高い方が何か御用があるらしいですよ」
アルぅぅぅぅぅぅぅ!
ニヤニヤとこちらを見ながら言ってくるその姿はわざとやっていると自供しているようなものだ。
くそぅ。後で粛清せねば。
「動かざること山の如しこのアポロ。この場から逃げも隠れもせぬわ!ただ、買い物に行きたいだけだ」
「いや、めっちゃ逃げようとしてたじゃないですか?」
「証拠あるのか、おい?出るとこ出て戦うよ、俺は。
金に物言わせて戦うよ、俺。ヒャッハー!」
「何かアポロさんキャラ崩壊してません?」
「……体調不良だ。というわけで、リンに任せて買い物行こうぜ」
「会話がループし始めました!」
ベクトラと呼ばれた女性そっちのけでアルと馬鹿な会話をしてしまった。失礼なことも言ったので怒っているのかと思ったが、特にその気配は感じず、むしろ快活に笑っていた。
「会話中、失礼。拙者はお主に用があってな。エルフと妖精を引き連れたお主にな」
ベクトラさんは真っ直ぐ俺を見た。
表面的には笑ってはいるが、その瞳は真剣だった。
ならば、こちらも真面目に対応するしかない。
「込み入った用件ですか?」
「そうじゃ」
「なら落ち着ける場所で話をしましょうか」
道端でダラダラと話をするわけにはいかない。
さっきのカフェへと移動する。
また来たのという店員の視線をはねのけ、先程座った席へと。
注文を一通り終え、会話に入る。
「自己紹介がまだでしたよね。俺はアポロと言います。冒険者です」
「アポロさんの部下のアルテミスです。アルって呼んでください」
「私はリン・エスタードよ」
「おぉ!エスタードの家の者か。拙者はベクトラ・レイライン。見ての通り、ダークエルフじゃ」
自己紹介をして、色々情報が追加された。
色々聞きたいことがあるが、まずは。
「リンの知り合いではないのか?」
「直接の面識はないわ。ベクトラは変わり者で有名なのよ」
「変わり者?」
「ええ。ダークエルフなのに侍に憧れて、のめり込んだの」
「侍ですか?」
日本独自のものが出てきた。
アルは驚きのためにオウム返しに繰り返しただけだが、リンは侍が何かを知らないため聞いたと思ったようだ。
「侍はね、東の大陸にある戦いを生業にした人々のことよ。東の大陸は陸続きではないから、独自の文化が色々あるの」
「さよう。彼の人達は誠に素晴らしい人物じゃ。この服も彼の国のものじゃ」
ひらひらと袖を振る。
その和服は動き易いように改良された着物だった。着物について知識はほとんどないので、この世界独自のものなのかはわからない。
「ベクトラさんはダークエルフなんですよね?」
「ああ、そうじゃ。
それとアポロ殿、リン殿に話すように砕けた言い方で頼む。
そっちのほうが気楽での」
「なら、お言葉に甘えて。
ダークエルフというのはどういう種族なんだ?普通のエルフとは違うのか?」
ファンタジーの世界でダークエルフは登場するが、悪い種族で描かれている場合がある。エルフが闇堕ちしたとか、エロいことに目覚めて黒化したとかいった具合に。
だが、ベクトラには負の面が無さそうだ。そういう風には見えない。
「勿論、エロいことに目覚めたエルフのことぐふぁぁ」
テーブルにアルを押し付けて黙らせる。
「失礼。アルは戯言を言う癖があるんだ」
初めての人にもこの対応をするのはどうかと思うのだが。
「なに、構わぬさ。日常のことなのじゃろ?」
「ええ。困ったことにね。二人共はしゃぐのが好きなの」
リンは溜息をつきながら、ベクトラに説明する。
ちょっと待ってほしい。
アルと同一視されてないか。
しらずアルを押し付ける手に力がこもる。
「ア、アポロさんも初見の方に暴力的な行為を見せるのはどうかと……」
「躾って言っとけば大抵大丈夫らしいぞ」
「現代社会怖すぎです!」
アルがジタバタと動くが、構わず手のひらで押しつぶしていく。
「で、話が逸れたがダークエルフは通常のエルフと違うのか?」
「そうじゃのう……」
ベクトラが腕を組む。すると、胸が押し付けられ、たわわに実った果実が強調される。
チラッとリンを見る。
そして、
「ダークエルフのほうが発育がいい者が多いのう」
ガンと音がした。
リンがテーブルに頭を打った音だ。
「ベクトラァァァァ!」
がばりと起き上がり、ベクトラを睨む。
その際、右手で自分の胸を隠すように左手を抱きよせている。どうやら、気にしているようだ。
「カカッ、けど事実じゃろう」
「ぐっ…………」
口惜しそうにリンは言い淀む。
押し付けた手から脱出して、アルがリンを慰める。
「なに、貧乳はステータスですよ、希少価値とも言いますしね。ね、アポロさん?」
「俺に振るな」
「そうなのか、アポロ殿。お主は貧乳が好きなのか?」
「さっき俺に振るなって言葉聞いてた?」
「アポロさんをなめちゃいけません!貧乳だろうが巨乳だろうが差別しませんよ。ね、アポロさん?」
「おまえら、何で俺に言わせようとするの?」
「だが、両方好きでも同着というわけではあるまい。拙者が見たところアポロ殿は巨乳の方が好きに思えるが、アポロ殿いかがだろうか?」
「いかがじゃねぇよ。答える気はないぞ」
「ほら、アポロさんも言ってます。胸に貴賎は無いと」
「いつ言ったの、俺?」
「だが、世には大は小を兼ねるという言葉があるのじゃ」
「それ、意味を取り違えてるからな」
もう嫌だ。
なんで好みを暴露しないといけないのか。
どっちが好きと言っても、禍根が残りそうだ。
いっそ逃げ出そうかと思ったその時に、ドンという衝撃音が聞こえた。
音の発生地はテーブル。
リンの方向。
拳でテーブルを叩いた音だ。
リンはうつむいているために表情はわからない。
リンは静かに、それでいて重厚な圧力で言葉を放った。
「ねぇ、今ってそんな話するために来たの?」
「……………」
あれだけ騒がしかったのに、一遍に静かになった。
「ごめんなさい」
「すまん」
「すまぬ」
口々に謝罪の言葉を述べる。
謝罪の後、店員が注文の品を持ってきた。
そのおかげで空気が変わった。
「で、話を最初に戻すがダークエルフというのは?」
大事なことなので話を戻す。お話の世界と現実の世界の差異が何を生み出すかわからない。なるべく齟齬が起きないようにしたい。
ベクトラは咳をして、真面目に説明しだした。
「エルフの亜種の認識でいいじゃろう。人間にも皮膚や髪の色が違う者がおるじゃろ。それと同じじゃ」
「能力や思想とかの差はないのか?」
「ダークエルフの方がエルフに比べ活動的かもしれんが、凄い差があるというわけでもない」
「ふむ。ならベクトラも精霊魔術を使えるのか?」
「使えることは使えるのじゃが……そっちは得意じゃなくてのぅ」
「そっち?」
俺の疑問に答えたのはベクトラではなく、リンだった。
「ベクトラは神聖魔法の使い手なの」
「そうじゃ」
ベクトラは腰にある物を叩いた。
それは剣ではなく杖だった。
「神聖魔法って言うと……」
回復魔法のことだ。
回復魔法と言われてゲーマーが思いつくのは光属性の魔法だろう。それが普通だ。
だが、この世界の回復手段は光魔法ではなくポーションと神聖魔法だ。
光魔法の効果は各種能力向上魔法だとか。
キャラメイクの際に神聖魔法というのは無かった。
あの神のことだ。
回復魔法と思って取ったら、違う魔法だったと知って口惜しそうにしている転生者を笑っているのだろう。性格が悪いわ。
この世界では神聖魔法を使える人はエリートと見なされる。需要が高いのに、供給が低いからだ。必然的に地位が高くなる。
そして、神聖魔法が使える者は……。
「先に言っとくと、ベクトラは教会のものではないわ」
「違うのか?」
回復して欲しければ教会に行けというのがこの世界の常識だ。
教会=神聖魔法=ヒーラーという等号が成り立つ。
教会は財布の中身に応じて治療してくる組織だ。
富める者は高く、貧する者は安く。
容赦も情けもなく万人から金を奪い取る。
「あそこは駄目じゃ」
ベクトラは嘆息をもらす。その言葉の端には何かの不満が帯びていた。
教会という権力機構。
富も名声も集まる場所だ。その2つが権力を生み、権威と化す。
そして、権力に取り憑かれた者はその場を退こうとしない。
水が雲となり、雨となり、海に還るように世の中は循環している。
停滞はしていない。形を変えて、新鮮なままで動くのだ。
停滞は腐敗を生み出すから。
ベクトラの教会は駄目という言葉。
つまり、この世界の教会は腐っているということか。上層部が権力の欲望に負ける。歴史ではよくある話だ。
ベクトラは真剣な口調のままで喋り出した。
「きゃつらは……きゃつらは……」
その声は重く。一抹の寂しさをも含んでいた。
他にも色々なものがその声には詰まっていた。
パンパンに詰まった風船のように、何かの衝撃で割れそうだった。
いや、割れてしまった。
押し込められた感情を爆発させるかのように、ベクトラは叫んだ。
「きゃつらはつまらぬのじゃ!」
「え?」
「きゃつらは規則正しく、平和のために活動しておるのじゃ!」
「え?」
「せっかく生きておるのじゃ。好きなように生きて、酒を飲んで、眠りたいときに眠りたいのじゃ。なのに、きゃつらはそれを良しとしないのじゃ」
聞く限り、品行方正な組織のようだ。
「教会組織が腐敗してるとかはないのか?」
「それはない。きゃつらの組織のモットーは『退かぬ!媚びぬ!省みぬ!』じゃからな。良心の赴くままに行動するのじゃ。誰であろうと治療を施す」
「そのモットー、どっかの世紀末の人が言いそうな言葉ですよね」
なんかがっくりきた。
もう、お前。きゃつらが言いたいだけじゃないのかと、思ってしまう。
「ね、ベクトラって変わり者でしょう?」
リンは労るような優しい瞳でこちらを微笑んだ。
「普通神聖魔法が使えるとわかったら、教会にスカウトされるの。
感謝される仕事だし、給金も良く。色々な便宜があるから、普通の人は教会に属するわ」
一拍置いて。
リンはかく語りき。
「ベクトラはそんな生活を嫌って、自由に生きているの」
リンは額に手を置き、沈痛そうな表情で。
ベクトラは誇らしげな表情で。
どこか対照的なエルフ二人だった。
ベクトラは女性でも殿で呼びます。