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第1章 再会
第5話 電車の君
 しかし運命が廻り出す時というのは、望むと望まずに関わらず放っておいてはくれないらしい。
 子供と大人の境界を踏んでしまった出来事。二人が生まれた時から訪れていた祖母の家。可愛がってくれていた祖母が亡くなり、二年。因縁を抱えたまま身体だけは大人になろうとしているあさぎと清矢郎。――先日のあの家での再会から、何かが動き出していた。
 四年経ちあさぎが改めて自覚した、あの出来事が忘れられないという事実。金魚の存在が、嫌と言うほどそれを証明している。不毛に苛々としている日々が苦しく、悔しくて、元々負けず嫌いの彼女はそんな過去から決別したいと思い始めていた。
 トラウマへの決着は、いつかつけなくては自分を変えられない。これは赤ん坊の時に出会った瞬間から、二人に科せられた運命だったのかもしれない――。
 大人の姿になった清矢郎と久々に目を合わせたあの瞬間、言葉はなくともあさぎの中で何かが確実に動き出し、ゆっくりと歯車が回り始めていた。

 でなければ、こんな「偶然」が頻繁に起こる理由が、説明出来ない。

 あさぎは通学に使う駅構内の一番線ホームを歩きながら、呆然としていた。歩く速度をやや緩め、視線は一点を見つめている。
 そこにはまた北高の生徒の集団がいた。男子生徒だけでなく、女子生徒もいることがブレザーの制服で分かる。当然、あさぎの通う東高や別の高校の生徒も居る。
 その光景を何故彼女が凝視しているかと言えば、やはり他の生徒よりも少しだけ背の高い眼鏡の少年、彼女の従兄、昔は「せいちゃん」と読んでいた男――つまりは清矢郎が今日もそこに立っているからであった。
 清矢郎と一緒に居るのはもちろん、彼と同じ学年の三年生だろう。あさぎが意識し過ぎなだけかもしれないが、三年生ともなると男子も女子も随分大人びた雰囲気に見える。二歳の歳の差はないようでしっかりとあり、中学を卒業してまだ三ヶ月のあさぎには男子生徒は少々おじさん臭く見え、女子生徒からは匂い立つような女の色気を感じる。
 そんな青年と少年の境の清矢郎をあさぎの視線が見つけるのが先か、金魚が映るのが先か。今も電車のホームを金魚たちは飛び交い、実体などないのに電車がホームに入ってくれば、ごう、という埃臭い熱風で吹き飛ばされ、健気にまた戻ってくる。
 あさぎの視界の中でそのような生きた反応を見せる金魚は、最早ペットか何かのように愛着を持って見えてしまう。しかし彼女の方がそれほど強く彼のことを考えているというのに、今この瞬間、清矢郎があさぎを見ることはないのだ。
 腹が立って眼を逸らす。ふと視線を感じた気がして再び彼を見るが、やはり清矢郎はこちらを見ておらず友達と話しながら電車へと乗ってしまった。
「やっぱ、北高の方が行く人多いよね」
「え? 何が?」
 今日は隣を友人の夕映が歩いていた。自分の世界に浸っていたあさぎは、はっと我に返り、清矢郎ばかり見ていたことを知られてしまったかと心の中で焦る。
「予備校。それでこっち方面行く三年生が、この時間多いんでしょ。春の大会で部活引退した人もいるし」
 夕映にはあさぎが、一番線の電車に乗る生徒の数の多さだけを疑問に思っているように見えただろうか。そういうことにしておきたい、と従兄との秘密を誰にも言いたくないあさぎはそう思い、「ふ、ふーん」と生返事をしておいた。
 ――ならばこの偶然もそういうことだろう。あさぎはそう結論付けた。あれだけ小中学校と剣道を頑張っていた清矢郎だ。高校生でもきっと部活に入っただろうし、そうなれば帰りは夜になっていたはずだ。受験のため部活を引退し予備校に通い始めた、だからあさぎのような帰宅部同然の生徒と同じ電車になるのだろう、と少しばかり納得がいった。
 だが眼の前をしぶとく金魚が飛んでいるのを見れば、この魚たち――言わばあさぎの彼への想いが、清矢郎を呼び寄せているのではないかと、つい考えてはぞっとする。

 こうして会う機会が増えたことで彼のことを以前よりも考えてしまい、そのことが余計に会う確率を増やしているような気がするのだ。
 昔、「怖い話をしていると本当に幽霊が出る」という話をあさぎは聞いたことがある。中学生の時に怪談話で盛り上がっていたところ、『この年齢の子って、本当にそういうのを見ちゃうんだよな。いるかもしれないって思う、心が幻覚を見せているのかもしれないね』と若い教師に言われたのだ。
 そう思うと思春期の子供が幽霊を呼び寄せてしまうように、あさぎが金魚の幻覚を見るように、強い思念が超常現象を起こすこともあるだろうか。
 あさぎはそこで、ぶるりと身震いした。あの過去が、自分にそこまでの思い込みを抱かせていることが恐ろしくなってきたのだ。しかしそれ以上考えないようにしようと、彼女は夕映と何か他愛無い話題をするべく口を開いた。しかし夕映はピンク色の携帯電話を閉じながら、耳に痛いことを指摘してきたのだった。
「てゆうかさあ、最近、よく一番線にいる上級生の方、気にしてない? 誰かかっこいい人でもいるの?」
 手を下ろすと同時に揺れる、重そうなストラップ。にやりと笑う表情。染めた長い髪が、次にホームに入ってきた特急電車の風に煽られ、短いスカートがきわどい所まで捲れあがる。さすが中学時代から何人かの男子と付き合ったことがある、と豪語するだけある、とあさぎは驚く以上に感服してしまった。
 先日ホームで清矢郎を見かけた時から、あさぎはいつも挙動不審にきょろきょろとしてしまい、彼を見つければ動揺していた。それは誰かと一緒の時は態度に出さないよう隠していたが、どうやら夕映は気付いていたらしい。
「そ、そんなことないよっ」
 ばればれの返事だな、と思いながら、あさぎはホームの階段を急いで上がり首を振る。セミロングの黒髪で顔を隠そうと俯きながら。
「ふーん。面白そうな話なのになあ。いいや、また話したくなったら、話してね」
 このあたりが、あさぎが少々大人びた夕映の傍を居心地よく思う理由である。深入りしすぎず、冷たく突き放したような言い方でもない。いつでも相談に乗ってくれる気遣いは残した言い方に、あさぎはやっぱり夕映はすごいなあと思いながら、こくんと頷いた。対する自分は、もやもやとした汚い気持が消化出来ずにいることを恥ずかしく思いながら。

 その後、二人で電車を待ち期末テストの話などをして、やってきた七番線の電車に乗る。夕映は一区間のみを乗ると、高校と同じ市内にある駅で降りていった。一人きりの世界に戻ったあさぎは、まだ夕暮れのオレンジ色に包まれている見慣れた川や畑を目にしながら、既に癖になってしまっているため息をついた。金魚はまだ一匹、あさぎの顔と窓の間に残っていた。
『最近、よく一番線にいる上級生の方、気にしてない? 誰かかっこいい人でもいるの?』
 ――その言い方だと、まるで電車でしか会えない先輩に憧れているみたいじゃないか――。
 しかもこちらばかりが胸を焦がし、向こうはこちらを見てくれないという、切ない片想いの如く。
 そんな少女漫画のような仮定をした瞬間、何故か金魚が二匹三匹と増え出し、あさぎは慌てて頭を振ってその像を消した。
 ――なんで、そうなるのよ! 悪いことしたのは、向こうなのに!
 悔しい。悔しい――。あさぎは唇を噛んだ。
 自分にとってこれだけの引っかき傷を残した出来事を、相手になかったことにされていることが悔しい。それなのに、まるで恋愛感情のような態度で相手を気にしてしまっていることが、更に悔しい。
 確かに容姿はあの集団の中でも悪くはない……かもしれない、と認めたくないがあさぎは思う。だから余計に嫌悪感よりも、気になる方が先に立ってしまうのだろうか。
 夕映は今頃、どうしているのか。先ほどメールをやり取りしていたアルバイト先の彼氏と電話でもしているのか。それをうらやましく思うにつれ、逢魔ヶ時の美しい色合いの中、あさぎは一人ぼっちで虚しい想いを持て余していることが、やけに寂しく感じられた。
 
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