そしてまた春がやってきた。旅立ちの春。何かが起こりそうだと誰もが一度は思う希望の春。桜咲く、の言葉どおりあさぎたちにも小さな幸せが訪れた。清矢郎から第一志望の大学に合格したと電話があった時は、あさぎまで泣いて喜んでしまった。大学受験の結果を、まるで自分のもののように待ったことなどなかった。
また会えるようになったという安堵もあったが、それだけではない。好きな人が頑張っていた。ストレスの溜まった胸の内も打ち明けてくれた。清矢郎がひとつの壁を乗り越えられたことが、あさぎも嬉しかったのだ。
それだけではない。この受験に失敗していれば、きっとあの日身体を重ねたからだ、自分が受験生の彼に我侭を言って恋愛にうつつを抜かさせ、勉強の邪魔をしていたからだと自分を責めただろう。結局、自分のための喜びだった。
更にはこの受験が成功したことで、両親の説得にまた一歩近付けた気がする。本当に将来結婚でもするならば、その前に交際していることが明るみになれば、従兄妹同士結婚はできても両親は戸惑うことだろう。それでも自分たちが信じてもらえるような行動をしていれば、あっさり認めてもらえるかもしれない。清矢郎が、あさぎが行けるわけもないレベルの大学に合格したことは意味が大きく、後日伯父と電話をして知った母親もこれまで以上に彼を褒め、あさぎにも頑張りなさいと発破を掛けてきた。――そうなのだ。これからあさぎの受験が待っている。今度は自分が頑張らなければいけない。
ともかく、また少し未来へと近付いた二人。あさぎのテスト終了後すぐに春休みが訪れ、早速清矢郎と会うことになった。
最後に会った日から三ヶ月近く経った。ようやく顔が見られる。あの冬の日の情交を思い出すと、あさぎも照れ臭くなってしまうが、一体この冬、何度思い返していたことか。何度も何度も記憶を最初から再生しては、胸と身体を熱くさせていた。初めてのバレンタインデーもチョコレートを渡したいのをぐっと堪え、受験が全て終わるまで会わないという決意を互いに守った。その禁欲の分、余計に踊る金魚の色も濃く。
残像に想いを馳せる。痩せた身体を這った、清矢郎の指や舌。柔らかな布団の上で心置きなく悶えたこと。清矢郎の肩越しに見ていた、金魚たちの泳ぐ彼の部屋の天井。うつ伏せになった時の布団の匂い。シーツに突っ伏していたら、髪の毛を引っ張るように顔を持ち上げられたこと。
何よりも、自分の身体の変化。女性は精神的なものが感じ方に作用すると――男性の方はよく分からないが、あさぎは十六歳にして知ってしまった。環境が違うだけで、あれだけ違うものかと。
また部屋で、布団の上で、あのように転げ回って感じてみたい。もっと自分の身体を知り、清矢郎にもできれば知ってもらって、楽しい性生活を送りたい――などとこの年齢で考えてしまう自分に、あさぎは恥ずかしくなる。母親に知られたら嘆かれるどころか、発狂されてしまいそうだ。だから気付かれないよう顔にも態度にも出さず空々しく振舞う自分に、居たたまれなさを通り越して恐怖すら感じる。
それでも早く清矢郎に会いたい。特に成績が落ちることもなく進級が決まり、母親にもさほどうるさく言われなかった。あさぎはその日一日、清矢郎との逢瀬を楽しんだ。
最初は前回の自分や清矢郎の痴態が脳裏に過ぎり、少し気まずかったがすぐにこの状況が楽しくなってきた。途中、公共の場所であるのに人目を忍んでまた触れ合ってしまった。あの日ほどではないが、やっと会えた安心感から十分悦楽に浸れた。
・・・・・・・・・・
それから一ヶ月。清矢郎は大学に通うようになり、あさぎは二年生に進級した。大学生は授業やアルバイト、サークル活動で忙しいようだ。だが高校時代とは違い、平日もあさぎに合わせて時間の融通をきかせられるとのことで、それについてはほっとした。ただ剣道のサークルに入ったらしく、全国大会などに出るようなレベルではない同好会だが、休みの日も練習や交流戦があるという話を聞けばやはりこれまでと変わらないようだ。それこそあさぎにも受験勉強があるし、模試の予定も入っている。高校生らしく節度を守るべきで、遊んでばかりもいられない。
四月に会った時にそんな話をしたが、受験という大きなハードルを越え、大学で日本中からやってきた人々と話をしているからか、あさぎには清矢郎が一回り大きくなったように感じていた。「外」の空気を吸い、私服が当たり前になったことも手伝って、まるで大人の男のように見えてくる。
学生服の彼にはもう会えないと思うと、「卒業おめでとう」とメールを送った卒業式の日のように切なくなるが、これはこれでまた素敵だった。そう自覚し、あさぎの胸がとくとくと高鳴り出す。幼い頃から知っているのに、この従兄の成長ぶりには何度でも惚れ直させられてしまう。
だがそうなると、今度は新しい心配が生まれる。帰宅後、あさぎは鏡に映る自分と睨めっこをする。いくら大人びた格好をしようとしても似合わず、滑稽になるばかり。自分に似合う格好をするとひどく子供っぽい。
清矢郎は成人していると言ってもおかしくないような顔立ちだ。様々なことが自由になる大学では価値観も多様になり、落ち着いて真面目な清矢郎のことを好ましく思う大人の女性がきっと現れるだろう。高校時代までは女子にあまり話し掛けられなかったという清矢郎だが、大人になればなるほど彼のような男は認められるようになるのではないか。清矢郎を狙う、彼にもっと似合う女性がいることを思うとあさぎの胸がもやもやとしてくる。昨年も三年生の女子に妬いていたが、大学は未知の世界である分、まだ見ぬライバルが物恐ろしく思える。
そんな考えに陥ると、楽しそうに泳いでいた金魚の住む水が急激に濁り出す。黒い金魚も背後からわさわさと増えてくる。
「大学とかバイト先で、浮気しないでね」
新学期になってから二度目に会った時のこと。あさぎが真面目な顔でそう言うと、清矢郎は驚いたように彼女を見た後、心底嫌そうに顔を顰めた。
「それはねえ。つうか、俺ってそう見えてんのかよ」
怒らせてしまった、と思ったあさぎは謝ろうかとも思ったが、
「だって私、まだ高校生だし、大学って綺麗な女の人いっぱいいるし、清矢郎もかっこよくなっちゃったんだもん」
自分も「大人びた」風を装いたいため、わざと彼を呼び捨てにすると、ふてくされながらも正直に話してみた。
「んなことねえけど」
彼には怒った顔のままそう言われたが、頭を優しく小突かれたので、疑ってしまった罪はこれで許されたと思いたい。
実直な清矢郎にしてみれば、信じられていない方が不愉快だろうということは理解できる。あさぎだって逆の立場になれば怒るだろう。こんなことを聞いてばかりいては、それこそ愛想を尽かされてしまうかもしれない。年上で、あさぎよりも先に社会に出た彼に、惚れ続けていてもらうためには何をすればいいんだろう。あさぎはそんなことを悩み始めていた。
・・・・・・・・・・
「むずかしいねえ」
久しぶりに学校帰りに夕映とファーストフード店に寄り、その件について相談すると彼女も鼻の上に皺を寄せた。夕映とは同じ文系を専攻したが、残念ながらクラスが別れてしまったので、久しぶりにこんな話をする。メールでのやりとりは続けており、クラスが変わっても未だに誘ってくれる友人の存在はありがたい。
夕映は相変わらず、あさぎとは口も聞かないような派手な女子や男子が周りにいて、新しいクラスでもすぐに友達が出来たようなのに。結局夕映の場合、こうした人との繋がりを大切にし、色々なタイプの人間と付き合うことを恐れず、面倒臭がらないような子だから、皆に好かれるのかもしれない。
だがあさぎとて自分の世界に篭るばかりでもなく、友達と話をして何かを得たいと思っている。大概はそれこそ夕映の時のように、同じように友人と別れて一人でいる女子に声を掛けてもらうパターンだが。
二年生の新しいクラスでもそういった女子がいて、まだよそよそしさはあるものの話も合うので、彼女とも仲良くなれそうだとあさぎは予感していた。夕映とはまた違い男性的な一面を持ち、剣道と日本舞踊を個人的に習っているという独特の雰囲気のある女子だ。そのためその彼女は部活には入っておらず、あさぎの周囲では部活の繋がりがそのまま友人関係に繋がっていることが多いため、半分帰宅部のようなあさぎと一緒にいるようになったわけだ。
同様に文芸部という共通点のあるあさぎと夕映は、一年生の頃からの習慣のように、今でも時々一緒に放課後の時間を過ごしていた。
ファーストフード店のガラス窓に映る自分たちの姿に、あさぎはふと眼を遣る。対照的な白い鳥と赤い金魚。空を自由に羽ばたく美しい夕映と、清矢郎という小さな水槽の中であっぷあっぷと溺れているあさぎ。それなのに女性としての悩みは、ある時を境に共有するようになった。
言ってしまえば、二人とも性行為が好きなのだ。外見など関係なく嗜好の問題だ。それに対する価値観が合うから仲良くしていられるのだろうか。子供なのに、と周囲の大人に断固反対されることをしていても、好きな人に触れたいと願う情熱的な女子二人。それゆえに悩み、誰にも話せないことをこうして密談する。
「そうねえ、バイト先の社員さんが言うには、男は若い子が好きらしいよ。『高校生』ってだけでいいんだって。肌もやっぱり違うって。犯罪になっちゃうから余計に憧れがとかなんとか。でもあさぎのところは二つしか違わないし、あの彼はそんなこと考えてなさそうだよねえ。あ、だから若いって言っても、武器になるわけでもないのか」
難しい顔をしながらも大きな口でハンバーガーを頬張る夕映の言葉に、あさぎは複雑な気持ちになる。
中学生の時に初経験を済ませたという夕映は、性に対しあさぎとは更に異なる価値観、考え方を持っている。まだ十六歳なのにこれだけ「社会」に接し、危険な眼に遭わないかとあさぎの方が心配になるほどだが、そこは彼女や彼女の家族を信じて、時々ちくりと釘を刺すだけにとどめている。あさぎのそういった距離感が、夕映にとっては話しやすいのかもしれないが。
それにしても言われたとおり清矢郎とあさぎとの関係では、やはりあさぎが若いことは有利にはならないらしい。解決の糸口が見付からず、あさぎは深いため息をついた。男性は若い子が好き、というのはあさぎのような容姿に自信のない女子でも、図書館などで見知らぬ青年に声を掛けられて驚き、その場から逃げ出したことがある。もしかしたら、あれはそう意味だったのかもしれない。
だが清矢郎は、彼らとは断じて違う。色々と問い詰めるうちにあさぎの小動物みたいなところがどうこうとは言っていたが、年齢だけで付き合う相手を選ぶほど単純であったり、「あさぎ」を見ていないわけではないだろう。そんな人ではない。だからこそ一度あさぎ以上に信頼できる人に出会えば、「浮気」などではなくなってしまいそうで案じているのだ。
「そうだよね。綺麗でしっかりした人、いっぱいいるもんね、大学って」
あさぎはそう嘆息すると、ぬるいシェイクを啜った。残り少なくなったそれは、空気も一緒に飲み込んでしまい益々美味しくない。
高校生にとっての「大学」は辛い受験を越えた先にあるからか、光り輝く御殿のように見える。実際あさぎの姉は大学時代、勉強もサークルもアルバイトも、様々なことを楽しそうにしており、子供心に羨ましくなるほど青春を謳歌していた。
もう清矢郎とは住んでいる世界が違うのだ。高校の時も学年の違いから、話が噛み合わないこともあった。それでも昨年までは受験という同じ目標を目指していた。同じように制服に身を包み、大人の下で管理されていた。
だが彼は今、自由だ。自分の意思で働く場所も、勉強する場所も選んでいる。来年になり成人すれば、更に自分の力だけで何でもできるようになる。女性関係だけでなく、そちらの世界への魅力が「子供」の世界に留まっているあさぎよりも勝っていれば、自分は清矢郎にとって要らないものになってしまうのではないか。
「そうねえ。そりゃ高校生はぴちぴちだとは私も思うけど、包容力とか知識とか色気も大学生にはあるだろうし、恋愛以上に夢中になるものを見付けちゃうかもしれないし、逆に順序なんかつけないかもしれないし。でもいくら年上に好かれても、『高校生だから』とか幼いから可愛いとか言われるのもむかつくけどさ」
夕映も珍しく上手いフォローが思いつかないようで、あさぎの方を申し訳なさそうに見ながらぶつぶつと言っている。だがあさぎの表情がずうんと沈んでしまったため、慌てて言葉を付け足した。
「でもそれは二人の問題なんだって。あさぎの彼氏が、あさぎのことすっごく大切にしてるのは私だって聞いて知ってるもん。そんな人が大学生になったからって、簡単に見捨てたりするかなあ。二つ違うくらいなら価値観とか、そんなに差はないような気もするし」
「見捨てられる」という表現になるのは、既に身体の関係にあるからだろう。これがまだ子供の立場のくせに、子供の関係ではないという厄介なところだ。肌を重ねた分だけ相手に深く依存し、心まで預けてしまっている。今別れようと言われれば、あさぎは困るどころの騒ぎではない。想像するだけでぞっとする。どうやって生きていけばいいのか、息の仕方すら分からなくなりそうだ。
清矢郎に、嫌われたくない。好きでいて欲しい。そのためにはどうすればいいのだろう。若さを武器に誘惑すればいいという問題ではない。彼ほど頭のよい青年なら尚更、話をしていて得るものがなければあさぎと一緒に居てもつまらなくなるのではないか。「癒し」として求められているなら、まだどうにかなるかもしれないが。いずれにせよ清矢郎を満足させられなければ、いつかその心は離れてしまうだろう。
次に清矢郎に会えるのは、五月。まだ一週間以上ある。あさぎの年齢から、これ以上頻繁には会えない。この間に誰かに言い寄られてしまったりしないだろうか。確かに大人になる彼が、高校生などに頼っているようでは困る。清矢郎が立派な大人になればなるほどあさぎもときめき、将来への希望も見えてくるが、自分だけが取り残されているような気にもなる。
夕映の言う一部の青年男性の例と同様、大学生と付き合っているというあさぎ側の醜い優越感以上に、不安の方が大きくなっている。どうやら人の心は、ひとつの不安が解決すれば次の不安が湧いてくる仕組みのようだ。今はそんな瑣末なプライドよりも、大好きな清矢郎にこれからも自分が必要とされるかどうかの方が重要だった。
――どうしたら、せいちゃんにもっと好きになってもらえるのかな。
凛々しいあの立ち姿を思い出す。先日以上に成長しているだろう清矢郎との再会を思うと胸が踊る。だが同時に自分だけが狭い水槽の中へと置き去りにされているように感じ、あさぎは戯れてくる小さな金魚たちと震える身を寄せ合うのであった。
◇拍手&簡易メッセ◇
個人サイト>碧落の砂時計TOP
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。