第1章 再会
第4話 こんなの、まるで……みたいじゃないか
一人きりの帰り道、生理中の条件も手伝ってふわふわ浮かぶ金魚を見ていたあさぎ。同時に久々に清矢郎と会った十日前の法事でのことまで思い出してしまい、益々心の中で風が吹き荒ぶ。
『そっかあ、あさちゃんは東高かあ』
あの食事の席で言われた、どことなくがっかりしたような一人の伯父の言葉。その伯父は特に何の悪気もなくそう言ったのだろう。だが、今の捻くれた心境のあさぎはそのようにしか聞こなかった。その後、清矢郎の大学受験の話になり、
『あいつは北高だから、大学なんてどこでも選べるだろう』
と伯父や伯母にあさぎの母親までも混じって、全国的にも有名な国立大学の名前を挙げては勝手な想像をして笑っていた。
どのみち酔っ払いの戯言なのだが、得てして大人は子供の未来について勝手な予想をしてくれる。子供の頃から、あさぎはそれが気に入らなかった。何故なら凡庸なあさぎは期待されることもなければ、逆に時折勝手に期待されてはそのとおりにならずに、「ダメだったのか」という顔で見られている――ような気がするからだった。
そのうえ比較される相手が清矢郎であったため、尚更悔しさが増す。
「北高」と「東高」。あさぎと清矢郎は同じ県に住んでおり、住んでいる市は離れているが大きく分ければ同じ地区に属する。その二校は、地区内でもトップレベルの進学校だが、合格している大学の偏差値や地元での知名度には幾分隔たりがある。地区で一番と言われているのが「北」の方。つまりあさぎはそちらに行く学力がなく、一ランク下の「東」を受験したというわけである。
そうは言っても北高に入学していれば清矢郎と同じ学校になってしまうのだが、学年も違い大きな高校であること、何よりも「北」ブランドへの憧れが強かったことから、あさぎは彼への苦手意識以上に入学への憧れを抱いていた。しかし結局このような結果となり、褒められている清矢郎、がっかりされている自分、という図をこうして目の前に突きつけられてしまうのであった。
子供の頃から清矢郎は学校の成績にしろ、習っていた剣道の大会の成績にしろ、親戚からは褒められてばかりであった――彼の父親はそれでもそれ以上を求める厳しい人であったが。あさぎの母親も男の子供が居ないからか清矢郎をとても贔屓にしており、「せいちゃんを見習いなさい」とあさぎに言い続けてきた。
昔も今も、何故自分にあんなことをした清矢郎だけが褒められているのか、あさぎには許せなくて仕方がない。「被害者」だからということだけでなく年の近い従兄へのライバル心も加わって、あさぎの清矢郎への醜い感情は水風船のように膨れ上がっていく。
高校受験の失敗もあさぎの自信のなさに拍車をかけ、第一志望の高校に合格した友人など、身近な他人と自分を比べてはいじけた気持ちになっている。こんな気持ちの時は、可愛らしい金魚も腹立たしく見えてくる。
――ばっかみたい。
こんな幻覚が見えていても何にもならない。確かに他の人には見えないものだが、だからと言ってあさぎが人より優れている証明になったり、メリットになることも見つからない。ただ清矢郎に心を壊された、その名残なだけなのだ。
あさぎはふわふわと宙を飛ぶ金魚から眼を逸らして俯く。黒いローファーの爪先が見えた。傘の先端を蹴り飛ばす。こつりと音がしたけれどまた足りず、そのまま傘で小さな水たまりの水をばしゃりと払う。こんな小さな抵抗をしたところで心が晴れることはないと知りながら空を見上げれば、灰色の雲が重く圧し掛かり、金魚が未だに数匹浮遊している。
「せいしろーの……ばっかやろう……」
思わず何年かぶりに彼の名前を呟いた。妙に心が高揚した。だから慎重に、小さな声で呼んだのだ。誰も聞いていないのに、何故かとても勇気が必要なのが不思議だった。
あさぎはやけにドキドキとする胸を、セーラー服のリボンの前できゅっと押さえた。
そんなことを考えながら歩いていたあさぎだが、やがて通学に使っている駅へと辿り着いた。
進学校以外にもいくつかの高校が建っている、人口二十万人ほどの都市の駅。観光地というほどではないがそれなりに企業もあり政令指定都市が近くにあるため、利用する人々は少なくない。
――結局、せい……しろーは、どこの大学、行くんだろう……。
彼のことをまた思い出してしまったのは、改札口で北高の制服を着ている生徒を眼にしたからだろう。入学して二ヶ月間、友人を作り高校生活や授業に慣れるため必死だったが、最近はこうして周囲に目を向ける余裕も出てきたようだ。
あさぎは中学生時代の思い出によくないことがあったことから、やや遠くの駅から通学している。あさぎの住んでいる市にも、東高レベルの高校はあったのだが、あえて同じ中学出身の生徒が少ない学校を選んだ。もちろんそれだけでなく少しでも都会の学校に行きたいという願望や、もうひとつの候補が元工業高校だったからなどの理由もある。
いずれにせよ、電車に乗るだけでも二十分以上は要する。駅から家や学校までの徒歩分を足すと、片道一時間を超える通学時間。更に門限まで早めに決められている以上、やはりアルバイトや忙しい運動部に参加することはためらわれる。
だがそれもこれも、全て「自分」で選んだ結果なのだ。だからこそあさぎは苛立ちを抱えたまま、知らない人ばかりが行き交う改札を通り、最も遠くの番線を目指して一番線ホームの端にある階段へと歩く。――と、そこへ梅雨のむっとした空気を縫って、後ろから金魚の集団がざわざわと飛んできたではないか。
そこであさぎは、ぴんときた。――まさか!? と思い振り向く。
彼女が今歩いているのは一番線のホーム。改札前にあり、大都市に向かう電車が何本も到着するため人の行き来が多く、男性に女性、若い人から年寄りまで大勢の人々が歩いている。その人、人の波の中、あさぎに向けて目印のように赤い金魚の群れが整列しているではないか。
――ああ。
金魚の示す先にいたのは、白いシャツを着た北高の男子生徒の集団が話しながら歩いてくる様。その中にいたのは、他の少年よりも少し背の高い、がっしりとした体格と対照的にフレームの細い眼鏡を掛けたあまり笑わない少年。
あさぎは呆然と立ち尽くしていた。
確かに、こういった偶然もあるのだろう。やはり同じ高校でなくてよかったのかもしれない。「家」ではない「外」での「男の子」としての清矢郎を見て、こんなにも簡単に心が乱されてしまうなら。しかしこのタイミングでは金魚が彼のことを引き寄せたのだろうか、とすら思ってしまう。
人の流れの中で棒のように突っ立っている彼女に、通り過ぎる人々の傘や鞄が時折ぶつかる。それでもあさぎは動けなかった。金魚の列もふよふよと背びれや尾びれを動かしながら、同じ位置に静止していた。
彼――清矢郎が友人と共にあさぎが立っている方へと近づいてくる。清矢郎が顔を上げてちら、とこちらを見たような気がした……が、彼らはあさぎよりも十メートルほど手前で立ち止まると、そこがいつもの定位置なのか電車を待つことにしたようだった。
清矢郎は二度とこちらを振り向かなかった。友人らしい少年たちとそのまま話をしている。
がっかりしたように金魚が一匹ずつ減っていく。彼とのつながりは一方的な幻影でしかないと、あさぎの心に哀しい強調だけをして。
――ばっかみたい。
もう一度心の中で繰り返す。何やら泣きたいほどに悔しく、あさぎは清矢郎の姿に背を向けた。その後ろから、残った金魚たちが慰めるようについてきた。
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