第9話 「走る男」
僕は走り出していた。あまり考えたくない結論だったが、アイツはおそらく……手遅れだけにはならないでくれ。
武内の住所はクラス名簿で調べた。幸い僕の家から近いと判明。といっても5,6キロ離れているが……
この寒空に汗だくで走る。時折ふらつきながら走り続ける自分が情けなかった。もっと体力を鍛えておけばよかった。考えてみれば自転車も無い、タクシー使うお金も無い。
まぁ、魔法を使えばすぐに到着できるだろうが、その後に何らかの不幸が待っているのだ。どんな不幸が待っているのか、僕はそれが怖くて嫌で走っている。
でも、これじゃあ、走ったって、走らなくたって不幸じゃないか?
そして走ること三十分後――
名簿の住所通り、行き着いた先には豪邸が建っていた。
「こんな所に住んでいたのか……」
辺りは深夜ということもあって人通りもなく静かだった。
ふと冷静になった頭で考える。うぅ、明らかに怪しいな、不法侵入になるよなぁ、やっぱり。家の人もいるかもしれないし(そりゃいるだろ)。
第一、武内に何かあったという保証はない。かといって何かあってからじゃあ遅い。
「……行くか」
僕は意を決し、でかい門をよじ登り、玄関へと近づき、魔法で鍵を開けようとした。(こればっかりは、魔法を使わなければ開けることが出来ない)
しかし、玄関のドアは鍵がかかっていなかった。恐る恐るドアを開ける。家の中は静かだ。というより、誰もいないかのようだった。玄関には靴が一組しかない。しかもこれは武内が普段履いているものだ。
ますます、自殺しやすい条件が揃っている。僕はためらいをなんとか押しのけ急いで武内を探す。そして電気をつけずに手探りで家の中を進む。本当に気分は犯罪者。いざとなれば魔法で逃亡だ。あぁ、父さんごめんなさい。でも決して悪い事はしていません……多分。
なんせ初めて入ったところなので勝手が分からず何度も迷う。だが不思議なことに、何度も間違って部屋に入ったにもかかわらず、武内の家には誰もいなかった。やっぱり誰もいないのか。
そして、一番奥のキッチンにたどり着いた。とりあえず一階はここが最後のようだ。ゆっくり室内を覗き込む。
すると薄暗いキッチンの奥でイスに座っている人影を見つけた。慌てて僕は顔を引っ込める。誰だ? 泥棒か? なんにしても怪しすぎる。少し怖かったが、「今の自分より怪しい人物はいない」と再確認した事で思い切ってキッチンをうかがう。
覗き込んだ僕から見えた人影は小柄でまるで武内のよう……って武内じゃないか!! こんな暗闇でなにやってるんだよ! 加えて武内は動く様子も無い。僕はただならぬ雰囲気に彼女へ近づいた。
「おい、武内」
彼女は机にうつぶせになっていた。僕は顔を覗き込もうとして机に手をつく。
と同時に液体のようなものが手につく感覚がした。
「ん、なんだ?」
ゆっくりと手を上げ、顔を近づけると――僕の手が真っ赤に染まっていた。
一瞬のうちに背筋が凍りつき、僕は腰が抜け尻餅をついてしまった。すると、その衝撃で武内の腕が机から落ちた。
だらりと垂れ下がった指の先からは何かが雫のようなものが床へと落下する。間違いなく血液だ! 僕は尻餅をついたまま血液が流れる元を探した。そして武内の手首にたどり着くと無数の傷跡から多くの血が流れているのを見てしまった。
「うわああああっ!」
僕は変な大声をあげてしまった。これぐらいでビビってしまうとはなさけない……
しかし、そのことが幸いしたのか、さっきまで動かなかった武内からわずかに声が聞こえた。
「ううん……」
なんと武内の意識はしっかりしていて僕を見つめていたのだ。
「あれ……どうして……?」
僕は武内の声を聞いて少しホッとすると、何とか気持ちを振り絞る事ができて声を上げた。
「お前、何やってるんだよ!!」
「……」
僕の問いかけに武内は答えない。
「黙ってんじゃねえよ! こんなことして何になるんだっ!」
しばらく空ろな表情の武内とにらみ合ったが、そんな事をしている場合ではないと判断して、とりあえず今は救急車を呼ぶ事にした。
さらに簡単な手当てをしようと武内の手首をタオルで傷口をきつく押さえた。しかし、押さえているタオルがどんどん赤に染まっていくと僕はどんどん気持ちに焦りが生じる。
「くそっ、なんで止まらないんだよ!」
「……のくん」
「タオルがこんなに赤いけど大丈夫なのか……」
「…ろの君」
「くそっ、くそっ」
「広野君」
ようやく武内が小さな声で僕を呼んでいたのに気づいた。彼女の手が僕のタオルを押さえていた手と重なる。
「もう……いいから」
僕がその言葉に反応して顔を上げると、武内は笑顔とも泣き顔ともつかない表情を向けていた。
なんでそんな微妙な顔するんだよ。
そう思うと僕は一気に頭へ血が上って大声を出してしまった。
「はぁ!? 良くねぇだろうが! お前は死ぬ気かもしれないけど、そうはいくか!」
すると今度は明らかに苦笑と見て取れる表情でつぶやいた。
「そうじゃないもん……私が押さえるって言う意味。これ一度目じゃないし、慣れてるから……」
「あっ、そうか……」
僕は思わず手を離してしまう。その隙に武内はタオルをもう一方の手で掴むと傷口を押さえ始める。時折苦痛で顔をしかめながら、武内は僕に話しかけた。
「『そうか』って言うことは知ってたんだね。自傷しちゃうこと」
「ま、まあな。当たり前だろ」
僕の返答に武内は「そうなんだ」と呟くと黙ってしまった。
さっき知ったくせに僕は見栄を張ってしまう。なんだか自分がすごく器の小さい人間に思えた。
救急車を待つ間、明かりのついた室内での血液の赤と手にこびり付いた血なまぐさい臭いに僕は気分が悪くなった。
武内は応急処置を終え、黙ったまま俯いて椅子に座っていた。
次第にこの場にいられないような気持ちになり、家の人を探す事にした。しかし、これだけの騒ぎを起こしているのに何の反応も無い事から、やはり家には誰も居なかった。
このまま独りにしておけるわけもなく、なんとか帰りたい気持ちを抑えて救急車の到着を待ち、しかたなく、救急車へ僕が付き添いで乗った。
病院へ搬送される間、武内は黙ったまま天井をぼんやり見つめ、されるがままに運ばれた。
僕もそれをただ見つめる事しかできなかった。 |