第30話 「埒が明かない」
薄暗い病室内で僕達はベッドを椅子に談笑していた。
なかなか楽しく話していたと思っていたのだが……
「駄目だ。埒が明かない」
「どうした、坂本」
それは、痺れを切らしたらしい坂本の提案だった。
「二人っきりで話がしたい。三人じゃ出来ない話だってあるでしょ?」
「嫌だ」
僕は即答した。そんな危険なことは出来ない。
この場合、坂本云々ではない。僕自身の理性が問題なんだ。
間違いは起こらないとは思うが、いまいち自分を信用できない。
しかし、武内は音を立てて手を合わせながら、僕へ笑いかけた。
「あっ、私は坂本さんに賛成」
「おい、武内まで何言い出すんだ」
「いいじゃない、楽しそうだし。それに待ってる間、夜の病院を散歩するのも悪くない」
まったく、真夜中の病院が気にならないなんて、どうかしてるぞ。
でも、武内は本気らしく、ニコニコしている。
「怖くないのか?」
「何回も入院しているから慣れてるもん」
「ああ、お前は病院生活のベテランだからな」
すると武内は口を尖らせて、軽く僕を上目遣いで睨みつける。
「それどういう意味? まるで私が入退院ばかり繰り返してるみたいじゃない!」
「いや、そういうわけじゃ……」
「まっ、否定しないけどね」
「お前なぁ……」
「むっ。ちょっと、二人だけで喋らないでよ」
それを見ていた坂本が僕と武内の間に割り込んで口を出す。
「じゃあ、多数決で決めよ。民主主義的な良い決定方法だと思わない?」
「うんうん、賛成!」
全然思わない。だって、結果はすでに決まっているじゃないか。
しかも、すでに僕の意見など無視して、勝手に二人でどちらが先に話をするか決めていた。
「じゃあ、私は外に出てるから。15分ぐらいで帰ってくるね」
そう言うと坂本は病室から出て行こうとする。
僕は真っ先に一番を取るのかと思っていたので意外だった。
「今日はえらく謙虚だな」
すると坂本は何が疑問なの? と言いたげに首をかしげながら答える。
黒髪がわずかに揺れて、少しだけ可愛く見えた。
「だって、後の方がじっくりいけるでしょ?」
何がじっくりいけるんだ……
僕が実際に突っ込む暇も無く、坂本は病室を出て行った。
「行っちゃったね……」
「ああ……」
坂本が出て行った後、武内と僕は当たり前だが、二人っきりになる。
つーか、やけに室内が静かだ。一人いなくなるだけで、ここまでとは。
僕達は並んでベッドに腰掛けた。
武内は窓の外を見つめながら話し始めた。
「なんか、二人で話をするなんて照れるよね」
「ああ……」
「『ああ』ばっかりだね」
「ああ……じゃない。うん」
「それ、全然変わらないから……」
確かに武内とは最近になって、よく話をしたりするようになった。
でも、こうやって何気なく話をするという機会は意外に少ない。
こんなに間近で武内の顔を見つめるのもめったに無い。
隣に座っている横顔は月明かりに照らされて、なんかミステリアスに見えていい感じだ。
僕が武内の横顔に見とれていると、彼女は急にこちらへ顔を向けた。
一気に武内の大きな瞳へ視線を奪われる。
「そういえばね、南さんは結婚するらしいよ」
「あ……」
「ん? どうしたの?」
覗き込む武内に気づき、僕は思わず顔を引っ込めて、正面を向いた。
やばい。心臓がバクバクいってる。
僕は慌てて取り繕った。
「ま、マジで? っていうか何でそれを知ってるんだよ」
しかし、武内は別段気にする様子も無く、ニコニコと話を続けた。
「うん、ナースステーションで看護師さんに聞いたんだ」
「なんで、お前がナースステーションの看護師さんと話を?」
「えっと……広野君に追い出された後、坂本さんが『敵を調査する』っていったから。面白そうで付いていったの」
「お前等暇か?」
「暇じゃなかったら、こんなところに居ないよ」
「お前なぁ……」
武内と坂本が二人で聞き込みと称して無駄話をしていたと思うと、なんだかおかしくなった。
そんな僕を見て武内はジト目で突っ込みを入れる。
「でも、坂本さんは広野君に夢中だから暇じゃないけどね」
「うっ……」
なんだろう、この胸に突き刺さるような言葉遣いは……
にしても、ここの病院の個人情報は守られそうに無いな。
「それに私も南さんのことが気になってたから……」
「ああ、そういえば、さっき何か言いかけてたよな?」
「うん。ちょっと私が知っている言葉を南さんが知ってたの」
「言葉?」
「うん。『本当の解決方法』って言葉」
「なんだそれは?」
すると武内は顎に手を当てて天井を見上げ、何かを考えているような仕草を見せる。
しばらく、その格好でいたが、やがて俯き、さっきまでとは違う小さな声で言った。
「うーんとね。……話すと長くなるからもういや」
「はぁ!? 中途半端で止めるなよ!」
「今は思い出したくないことも考えなきゃいけないし」
「――えっ!?」
普段は察しが良い訳でない僕が、直感的に土屋のことだなと分かった。
それなのに武内は明らかな作り笑いを浮かべながらも、ちゃんと説明してくれた。
「振られた時に起こったことだから……」
「じゃあ、いいよ。言わなくて」
「うん、ありがとう。でもね……」
「どうした?」
「あの言葉を聞くと無性に我慢できなくなるの」
武内は話しながら、自分の腕をぎゅっと掴んだ。
裾にシワができ、わずかに切り傷が見え隠れする。
瞬間的に僕は武内の血まみれになった手首を思い出した。
「自分を傷つけずにはいられなくな――」
「やめろっ!」
僕は思わず、武内の掴んでいる手に自分の手を重ねた。
「そんなことはもう……絶対にさせないぞ」
武内は掴んでいた腕を放して、僕の手の上に重ねた。
暖かくて柔らかい彼女の手の感触が伝わってくる。
「しないよ、もう」
「え?」
「この前のアレは励ましてくれたんでしょ? 広野君なりに」
多分、この前のアレとはまさしく空中散歩のことを言っているのだろう。
「え? ま、まぁなぁ……」
「さっきはあんなこと言ったけど、ちゃんと届いたよ。広野君の気持ち」
僕は自分で分かるぐらい顔が赤くなった。
そして武内は、さっきまでの作り笑いと違い、晴れ晴れした笑顔だった。
「一度、ちゃんと言っておこうと思って」
「……そうなのか」
「これからは何とか一人で解決できるようにする。誰かに頼ってばかりいられない……そう思う」
「お前……」
武内は今、独り立ちをしようとしていた。
それは、明らかに武内の成長の証だった。
だから僕は思い切って聞いてみることにした。
「土屋はどうするんだ」
すると武内はうつむいて、苦笑した様に見えた。
「……言ったでしょ? 一人で何とかするって」
それ以上、僕は追求できなかった。
でも、今回はなんとなく不安にならない。
見守ればいいんだ。倒れそうになったら助ければいい。
「でも、あんまり無理すんなよ。どうしても駄目だったら僕を呼べ。魔法で何とかしてやるから」
「……ありがと」
武内はそのままベッドに寝転ぶ。
音を立てて掛け布団へ沈んでいく武内の体に、僕は何となく目をそらしてしまった。
「でも、いいよね。広野君は」
「何で?」
「だって、あんな感じで好きな子を空中散歩に連れて行けばいいもん。あっ……坂本さんを今度誘ったら? 彼女ならきっと喜ぶと思うけど」
そう言いながら武内は軽く笑う。
僕もつられて笑った。
「お前なぁ、そんなに簡単に魔法使えるわけないだろ。命が幾つあっても足らない」
武内が自殺した時は、こんな風に笑い合える時が来るとは思わなかった。
たったこれだけの事実が素直に嬉しい。
僕は数日前まで無力感を感じていた。
武内と仲良くなったと思っていたのに、彼女が何も言わず黙って自殺したからだ。
でも、色々あって僕は武内の自殺騒ぎのときに思った「他人と親しくするのはやめる」考え方を変えることにした。
僕の中の結界は彼女達二人のお陰で、少しずつ小さくなっているのかもしれない。
「でもよかった。武内が笑ってくれて」
武内は寝転びながら、僕を見た。
柔らかく微笑んでいる武内に僕は引き込まれた。
「……いつまでもふさぎ込んでは、いられないから」
そして僕と武内の視線がぶつかって、結ばれる。
気づけばもう動けなくなっていた。
もう、武内の瞳しか見えない。
「あのさ……お前も喜んでくれたか?」
「何が」
「空中散歩」
僕は何も考えることなく、武内の隣へ寝そべる。
すると武内は静かに瞳をとじた。
「……うん」
「よかった」
自然に僕は武内に近づいていく。
視線の先には月明かりでわずかに光沢を放つ武内の唇が見えた。
あともう少しで――
その瞬間、ドアが乱暴に開いた。
「ちょっと、武内さん! 何やってるの!」
病室の入り口で仁王立ちで立っていたのは坂本だった!
武内は反射的にベッドから起き上がり、無意味に体操を始めた。
僕はベッドをものすごい勢いで端まで転がって、柵にぶつかった。
坂本、ちょっとお約束すぎるぞっ!
「はい、はい。武内さん、あなたの時間は終わり。まったく、油断も隙もあったモンじゃない」
この子はどうして言葉遣いが古いんだろう。
と心の中で突っ込んでいると、坂本は僕へと顔を向けた。
「広野君も女狐には気をつけてね」
「は、はい!」
僕はなぜかベッドから飛び起きて、直立不動になっていた。
その隣で体操しながら武内が呟く。
「へぇ、女狐ね……」
なに、この状況……助けて。 |