お伽の世界の月下氷人
やがて宴の夜も更け、空には青く流れるような月が出ていた。
お酒を飲みすぎた婚約者たちを村長さんの家で介抱させてもらい、ぼくは熱冷ましに夜の里を歩くことにした。
広場からは宴の熱が引き、小さくなったかがり火の中でエルフの女性たちが料理を片付けている。
酔い潰れた獣人やエルフたちが、尻餅をついた地面から腰を上げることもできないまま、ぼくを見つけて陽気に手を振っていた。
ぼくも手を振り返し、夜道を歩いていく。
里のはずれに差し掛かるころ、人気の無い森の傍で、ぼくは草むらに腰を下ろした。
いつだったか、ここで、彼女の話を聞いた。
魔法を授かり、見知らぬ世界に、興味本位で足を踏み入れた。
そこで美しく、優しい彼女と出会った。
この里はもう長くないだろうと、塞いだ表情で彼女の語ったあの日。
ぼくは、この世界と他の世界を結びつける仲人になると、決意した。
今では、ずっと遠い昔の出来事のように感じる。
「やっぱり、ここにいた」
声をかけられ、振り向くと、ミスティが立っていた。
「……酔い潰れてたんじゃなかったの?」
「そんなに飲んでなかったわよ。あんまり強くないって、自分でわかってるもの」
彼女はにっこりと微笑み、ぼくの隣に腰を下ろした。
胸元に、月光と星の光を受けて輝く銀の鎖が覗いている。
「そんな首飾り、つけてたっけ」
「やっと気づいてくれたのね。里の細工師に頼んで、鎖をつけてもらったのよ」
ほら、と彼女は鎖の先を上着の胸元から引っ張り出した。
その先についているのは、白銀の小さな笛――
「『呼び声の笛』? 首飾りにしたの?」
「うん。こうしたら、いつでも身につけていられるでしょ?」
「里で使えば、便利だったろうに」
ぼくがそう言うと、ミスティが、ふふ、と相好を崩した。
「お父様にわがまま言ってね、私に持たせてもらったの。……思い出の品だから」
道具『呼び声の笛』。
ミスティの心の迷宮で見つけた『希少種』だ。
「ツナグ。あのね、私を助けに来てくれて、ありがとう」
「何を置いても、助けに行くよ。当たり前じゃないか」
「嬉しかった。……でも、不安じゃなかったよ」
「そう?」
「ツナグが助けに来てくれるって、信じられた。ツナグならきっと何とかしてくれるって心から思えた」
「うん。無我夢中だったよ。たくさんの人の助けを借りたんだ」
ふふっ、とお互いに笑い合う。
彼女は不意に、ねぇ、ツナグ。とつぶやいた。
振り返ると、立てた両ひざの上に顔を乗せて、彼女がこちらを見て微笑んでいた。
ふわり、と。
「愛してる」
自分の顔が赤く、熱くなったのが分かった。月光の中で微笑む彼女が綺麗すぎて。
ぼくは「ぼくもだよ」と言い返すこともできず、彼女の笑顔を見つめていた。
「ツナグは凄いね。本当に、私たちエルフを救って世界をつなげちゃった!」
「そのために、里の中じゃ別れが起こっちゃった」
「別れじゃないわ! これからは、お互いに行き交うこともあるでしょ。皆が帰ってくることもあるし、こっちから新しいエルフが向こうに行くこともあると思うわ」
彼女は興奮を隠さず、言った。
「人が減るんじゃないわ、ツナグ。世界が広がったのよ」
彼女の中には、いつか日本で見た海が広がっているのだろうか。
遠く遠く、どこまでもつながり、どこまでも行ける広い世界が。
「皆、きっと幸せになるわ! ――だから、お礼に私がツナグを幸せにするね!」
彼女はそう言って、ぼくを押し倒し、抱きしめて、キスをしてきた。
親愛の軽いキスではなく、何度も唇を押し付ける、情熱的なキスだ。
それはお礼というよりも、ぼくに甘えかかるような愛しさがこもっていた。
「ミスティ、もしかして酔ってる?」
「お酒は抜けたよ。でも、ツナグに酔ってる。もっとぎゅっとして、ツナグ!」
乞われるままに、ぼくは草原の上に寝そべりながら、彼女の身体を抱きしめる。
言葉通り、お酒の香りはしなかった。柔らかく、花のような香りがして、それは草の香る夜風の匂いと交じり合っていた。
夢心地の彼女の唇が、幸せそうにそっと開く。
「……たくさん、子どもつくろうね? ツナグ……」
「うん、ミスティ」
草原の上で抱きしめ合い、身体と唇を重ね合う。気持ちも重なりあった気がした。
「そ、それ以上は――と、止めるな、シャクナ!」
「わたしも! わたしもご奉仕したいです、お姉さま!」
と、そんな抑えた騒ぎ声が聞こえた。
きょとん、とぼくらは至近距離で顔を見合わせ、身を起こして周囲を見回した。
近くの木の陰に、暴れるオルタとアルマと、二人を止めるシャクナさんが隠れていた。
「あ……あら、見つかっちゃったかい? ごめんねぇ、二人とも。良い雰囲気だから、二人きりにさせたげようって止めたんだけどねぇ。めでたい夜だし」
「良い雰囲気と言っても、限度というものがあろう、シャクナ! 妾も黙って見ていられるものか、むしろ奪い取ってでも師に抱かれるわ!」
「わたしはお邪魔はしないです! むしろ、ご主人様とお姉さまのお手伝いを!」
ぎゃあぎゃあとわめく、オルタとアルマ。
シャクナさんが、頬を染めながら苦虫を噛み潰したような表情で二人を止めていた。
ぼくはミスティと顔を見合わせ、うなずき合う。
「みんな、こっちにおいでよ。シャクナさんも、止めるばかりじゃ大変でしょ」
「い、良いのかい? その……」
「大丈夫です、変なことはしませんから」
と言っちゃうと、まるで変質者だよな。
でもいいや、シャクナさんの言うとおり、おめでたい夜なんだ。
皆で騒ごう。話したいことは、いっぱいあるんだから。
ぼくは今さら宴の空気に浸るように、何だか楽しい気持ちになりながら皆を呼んだ。
「 みんな、一緒にいようよ 」
幸せって、こういうことなんだろうな。
皆にも、エルフの里にも、近しい人たちにも、こんな気持ちが満ち溢れたら良い。
そう願うばかりだ。
皆と、大好きな人たちと、ずっと一緒にいられたら良いなと思う。
――もうすぐ、ぼくは十八歳になる。