旅立ちの宴
移住に際して、ぼくには大きな仕事が残っていた。
移住する四百人以上のエルフたちに対しての、恩恵の複写だ。
普段は数人程度だから気にしていなかったけれど、大人数への複写は結構な負担がかかるようだ。
すべてを終えた頃には、ぼくは意識が朦朧としてふらふらになっていた。
「大丈夫かい、ツナグ?」
「無理しすぎじゃ。師でなければとっくに倒れておる」
「ご主人様、横にならなくていいんですか?」
村長さんの家で休むぼくに、みんなが口々に声をかけてくる。
シャクナさん。オルタ。アルマ。――そして、ミスティ。
「ツナグ、顔色悪いわよ。今日は一日、家で休ませてもらった方が良いんじゃない?」
「大丈夫だよ、ミスティ。今日だけは、休むわけにはいかないだろ」
ぼくは無理やりに笑顔を作って、そう答えた。
今日は、旅立つエルフたちとの、別れの宴なのだから。
*******
エルフの里の分化に際して、里では盛大な宴が催された。
その手伝いに、仕事を早めに切り上げたミスティたちも参加していた。
アーケンハイドからは、引き続きエクトルテさんも参加している。
宴の準備では、エルフのみならず、獣人族も料理や会場の支度を手伝っていた。
たぶん、同じ時間を過ごして慣れ親しんだ、里の仲間たちへの手向けの気持ちがあったんだろう。
傍にいると気づかないけれど、いざ別れとなると胸に去来するものがある。
「新たな地へと向かう、我らが仲間に! 乾杯!」
夜を迎え、村長さんの音頭とともに、宴が始まった。
ぼくは飲み食いを交わすエルフたちに紛れ、目立たないように果汁水を傾けていた。
そんなぼくを、目ざとく見つけてきた人たちがいた。
「ツナグ様! そんなとこにおられたのですか!」
移住組のリーダー、カネルさんだ。
大森林の里の代表として、若手ながら、全体のまとめ役に任命されたのだ。
移住が完了した際には、アーケンハイド側の村長になるだろうと言われている。
カネルさんは果実酒の杯を片手に、獣人たちを引き連れていた。
「このたびは、ありがとうございます! もはや我々が、我らを受け入れてくれる別世界へ移り住めるとは思ってもいませんでした!」
「日本に住めれば、もっと話が早かったんですが……時間が経ってしまってすみません。この里の他の参加者にも、よろしく伝えてください」
「何を言っているんですか、ツナグ様! 貴方がどれだけ我々エルフのために苦心なされてきたか、この里のものは皆存じております! 新たな地に根を下ろす、先駆けとなる機会をいただけただけでも得がたい幸せです!」
お酒が入っているせいもあるんだろう、カネルさんはとても上機嫌だった。
「カネルさんの言うとおりですよ、ツナグ様!」
まくし立てるカネルさんに続くように、たくさんの声が押し寄せてくる。
移住組の、他の里のエルフたちだった。
「我々は――ようやく、化け物ではなくエルフという一つの種族になれるのです!」
彼らの表情には、皆、希望が満ち溢れていた。
大きな喜びと、解放の悦びと。奪われ続けてきた尊厳を得られる、誇りへの期待と。
「だから、悲しまないでください。この旅は、我らエルフが真に救われるための開拓なのです。我らは決してこの地を去るのではなく、彼方と此方を結びに行くのです。――今まで、貴方が我々のためにそうしてくれたように」
カネルさんは、そう言った。
その表情には寸分の陰りも無く、てらいの無い堂々たる笑顔だった。
「今度は、我々が仲間や貴方のために橋渡しをしにいくのです。これほど誇らしく、喜ばしいことがありましょうか」
そう言ってカネルさんは杯を隣人に渡し、両手でぼくの手を取った。
「ツナグ様。どうか、我らの行く先を訪れてください。私たちは、きっと、貴方を迎えられるように新たな村を造ります。あちらの世界に根付いて、貴方を迎えます」
ぼくはただ、両手を握り返してうなずくことしかできない。
エルフたちもまた、世界をまたいで先に進もうとしているのだから。
安らかな場所に留まって安穏を貪ることをせず、新たな場所を得ようと前を向くカネルさんたちの心に、ぼくは安心と、微かな寂寥を抱きながら答えた。
「……お元気で。向こうでも、また会えますから」
「そうですよ! それに、後のことは心配しないでください! なぁ、みんな!」
カネルさんが、引き連れていた獣人たちを振り返る。
獣人種の男性たちは、ばつの悪そうな顔をして前に歩み出た。
「獣人族の代表、オドンだ。大魔術士殿、人族に捕らわれ故郷を失った我々を奴隷から解放し、この里に留め置いてくださったこと、今更ながらに感謝している」
「高町繋句です。獣人族を取りまとめている方の一人ですよね。何度か、話し合いでお会いしてますね」
「我ら獣人族は、新しいエルフの住民たちと歩み寄ってみようと思う」
獣人族の代表、オドンさんの言葉に、ぼくは目を見開いた。
オドンさんは照れくさそうにカネルさんの方を見やり、続けた。
「カネルたちが心配していた。我らが新しいエルフたちに怯え、距離が縮まっていないと。こいつらが、いつかこの里に帰ってきたときに、里が不仲でいるのは何とも寂しい」
オドンさんは宴の様子に目を向ける。
ともに過ごした仲間と別れを惜しむ獣人族とエルフの姿が、あちこちに見受けられた。それは、今はまだ、里の元の民との間に限った友情なのかもしれないけれど。
「こいつらが別の土地へ旅立つと聞いたとき、何とも言えない名残惜しさを感じた。友人との別れだ。……なら、旅立つ者の憂いを無くすのは、見送る者の務めだと思う。我々もいつか、新しくやってきたエルフたちのことも、同じように友人と思えるだろう」
それは、近い未来のことではないかもしれない。
けれど、遠い未来のことではない。
やがてやってくる「いつか」のために、獣人たちは笑って言った。
「我々も、この里の民だ。この里の絆を守るために、我々も努力していくことにする。旅立つ者たちの、帰ってくる場所を失わないために」
別れがある。でも、永遠の別れじゃない。
別れを迎える前に、思い出が作られた。
それはいつかの再会を待ち望む、約束を生む。
「どうか、我々が道を違えないよう、導いてくれ。大魔術士殿」
「……はい! 寂しくはなりませんよ、ほんの少しの別れです。またすぐに会えますよ」
日本や王国とのつながりを続けるため、この土地に残ることを選んだエルフがいる。
仲間たちが迎え入れられるために、新しい世界を切り開こうとするエルフがいる。
彼らは別れ、そしてまた、いつしか混じり合うだろう。
獣人たちと友誼を結んだように、二つの世界を渡り、彼らは生きていく。
彼らが離れ離れにならないように、ぼくもがんばっていこう。
いつか、この里に、違う世界の二つの価値観が入り混じり――
種族の隔てなく、彼らが肩を組み合える日まで。