彼女は少女の夢を見る
「あっ……エクトルテさん……! そっ……」
広いソファの上で横たわる、エクトルテさんに抱きしめられて、ぼくは動転していた。
ごろごろと、ぬいぐるみのようにぼくを抱きこんでソファの上を転がるエクトルテさんの身体や手にもみくちゃにされて、ぼくも彼女もとんでもない格好になっている。
「うぅん……にげちゃやぁ……いっしょにねるのぉ……」
幼い子どものように甘えるエクトルテさんは、完全に酔っ払って寝ぼけていた。
はだけた寝間着の下のふくらみが、ぼくの頬を左右から挟みこんでいる。
寝相が悪いなんてもんじゃない! 早く起きてもらわないと……
そう思い身体を離そうともがいていると、ふと、隣のソファでこちらを見ていたエルミナさんと目が合った。
ばっちりと。
起きている。というか、寝たフリしてたな!?
エルミナさんは、にやにやと満足そうにぼくを抱いて乱れる騎士の寝姿を見ていた。
「エルミナさん! 見てないでエクトルテさんを起こしてください!」
「あ、ありゃ。見つかっちゃった? やだなぁ、もう少しエクトルテに息抜きさせたかったんだけどなぁ」
「エクトルテさんがお嫁に行けなくなるでしょ!」
「ま、そうだね。潮時か」
エルミナさんはいたずらっぽくニシシと笑い、ソファから起き上がって、ぼくを抱きしめるエクトルテさんの腕に手をかけた。
「はーい。そこまでねー、エクトルテちゃん。ツナグくんが困ってるからねー」
「やぁ……やぁん……! ねるのぉ……いっしょにぃ……んぅ……」
エクトルテさんはぐずっていたけれど、さすがはエルミナさんの腕力だ。
あっという間にぼくは解放され、乱れたガウンも整えられた。
完全に酔いつぶれて夢の中に沈んでいるエクトルテさんを寝室に運び、一息ついたところで、ぼくは今でエルミナさんに向き直った。
「エルミナさん。ちょっとそこ座って」
「あ、はい。……つ、ツナグくん、顔が怖いよ?」
おずおずと正座するエルミナさん。ぼくは頭痛をこらえながら、問いただす。
「これ、どういうことなんです? エルミナさん、知っててぼくを一緒に泊めましたね?」
エルミナさんは後ろ頭をかきながら、あはは、と悪びれもせず真相を話した。
「やー、何てーか。エクトルテってさ、普段はあんなだけど、実は少女趣味というか、可愛いものや小さいものが大好きでね? 自分の屋敷の寝室なんて、ぬいぐるみやお人形で溢れてるんだよ。周りには隠してるんだけどね?」
「だからって、何でぼくがぬいぐるみの役をさせられるんですか!」
「エクトルテって、寝ぼけるとあんな風に、すごく子どもになっちゃうんだよ。――本当の子どもをあんな風にしたら大問題だけど、ツナグくんなら分別があるし、他に恋人もいるから上手くあしらってくれるかなって」
エルミナさんの話によると、エクトルテさんの家系は武家の名門で、幼少の頃はずっと剣を持たされ、騎士の訓練に費やすことを強制させられたとか。
その反動で、可愛いものや子どもに憧れを持ち、好むようになったそうな。
失われた少女期の代償、ということか。
その埋め合わせのように、寝起きに弱いエクトルテさんは、寝ぼけると今でもあんな風に幼児退行してしまうらしい。
可愛いものや小さいものに囲まれた少女時代をやり直したい、潜在願望があるのかも。
「あんな性格だし、趣味が趣味だからお相手もいなくてねぇ。なのに国主代理の側近なんかに抜擢されるもんだから、男の騎士からはやっかまれるわ、本人は気負っちゃうわで、どんどん色気のない方に孤立してたんだよ。見てて、しのびなくてさ」
「……上級貴族なんだから、良い出会いもあるんじゃないですか?」
「うーん。あたしも良く知らないけど、貴族の笑顔って結構打算的だからね。エクトルテの地位や権力、爵位が目的の奴もいるだろうし。恋愛じゃなくて、家を背負ってる人がほとんどだからね。まして、エクトルテは素直で欲目の無い、純粋な相手が理想だから」
ツナグくんみたいなさ! と笑顔で言われてしまった。
清廉さを望む騎士の性格と、純粋さを望む少女の潜在願望とが、どちらも欲や打算に対して拒否感を示した結果、エクトルテさんは窮屈な思いをしていたんだろう。
で、その解消にぼくがあてがわれた、と。
「……ぼくがエクトルテさんを襲っちゃったら、どうする気だったんです」
「途中までは止めようと思ってたんだけどね? 一夫多妻って聞いちゃったからさ。あ、こりゃ襲っちゃっても出会いになるかなー、とか! そしたらちょうどエクトルテが酔いつぶれたもんだからさ! こりゃ、良い機会……だ、と……その……」
エルミナさんの語気がだんだんしぼんでいく。
どうやら、ぼくの無言の怒りが伝わったらしい。
「……ごめんなさい、調子に乗りました。反省してます」
「よろしい」
幸い、エクトルテさんは個室で熟睡している。
ぼくはエルミナさんに二度とこんなことはしないように、と念を押して、今夜のことは忘れることにした。
エルミナさんのことだから、またしれっと何かしでかすかもしれないけどね。
疲れが出ていたのか、寝具が豪華だったのか。
自分の個室でベッドに就いたぼくは、すぐに眠りに落ちた。
*******
翌朝の朝食は、レストランでモーニングメニューを食べることにした。
種々様々な料理が並んだ、バイキング形式の朝食だ。
食べ放題だと伝えると、エルミナさんがパンを山盛りにしていた。
紅茶を傾けるエクトルテさんが、毅然とぼくに尋ねてくる。
「少年。昨夜は先に眠ってしまって済まなかったな。目が覚めたら寝室にいたんだが、運んだのはエルミナか?」
「はい、エルミナさんにお願いしました」
嘘はついてない。
ぼくの力じゃエクトルテさんを運ぶのは難しかったからね。
「そうか。その……私は、何か、きみに失礼な姿を見せなかっただろうか?」
一瞬、朝食を口に運ぶぼくの手が止まる。
……どうしようか。
昨夜のポンコツなやり取りを正直に話すと、この人のことだから、また『くっ……殺せ!』なんて自罰的になるかもしれない。
それに、別に暴行を受けたわけじゃなし、企んだ犯人だってエルミナさんだ。
エクトルテさんは、別に悪気のあることは何もしていない。
だから、ぼくはにっこりと笑って言った。
「いえ、失礼なことなんて、何もありませんでしたよ」
「そ、そうか。……それなら良かった」
彼女は安心したように、ほっと胸を撫で下ろしていた。
エルミナさんは、余計なことをわざわざ蒸し返したりはしないはずだ。
昨夜のことはぼくの胸のうちに秘めておこう。
この凛々しい女性騎士の、無邪気で愛らしい寝姿は――
きっと、一夜の幼い夢なんだと思うことにした。