別世界の夜
その空間は、ぼくにとって初めての場所だった。
黒や濃紺を基調とした色彩の店内を、薄い明かりが照らしている。ガラスのテーブルが光を反射して、夜空の中を泳ぐような光景だった。
ぼくらは、アーケイディア二十二階にある、ラウンジバーに来ていた。
店内は広く天井の高い開放的な空間になっている。だと言うのに、そこでまばらに酒杯を傾ける客は誰も騒がず、密やかで洒脱な世界を作り上げていた。
ぼくは緊張を胸の中に押し隠し、ぼくよりよほど不慣れであろう、異世界の二人をエスコートする。
「酒場、ってもっとにぎやかで大雑把なところだと思ってたよ」
「静謐な空間だな。空気も静かで整えられている。私の世界にも、こんな酒場があれば貴族たちが押しかけるだろうな」
エルミナさんとエクトルテさんが、ぎくしゃくと萎縮した表情で店内を進む。
向こうの世界の一般的な酒場は、こちらの居酒屋をもっとにぎわしくしたような、猥雑な場所なんだろうな。
そういう居酒屋にも、食事目当てで何度か連れてってもらったことはあるけど。
カウンターの傍から給仕服の男性が歩み出て、ぼくらを迎えてくれる。
「いらっしゃいませ。ご新規のお客様ですね? ようこそおいでくださいました」
「三人です。夜景の見える席へ案内してもらっていいですか?」
ギャルソンはうなずき、毅然とした姿勢でぼくらを先導した。
用意されたのは、窓際の四人席。自然な動作で引かれた椅子に腰を下ろす。
ぼくと二人が向かい合う形で座り、二人は窓の外に広がる、暗闇を彩る街の明かりに目を奪われていた。
陶然と窓を眺める二人をそっとして置き、ぼくは注文を伝える。
「ぼくは未成年なので、お酒以外のものをお願いします。二人には軽くて飲みやすいお酒を。日本のお酒に詳しくないので、お任せしてもいいですか?」
「かしこまりました」
一礼して、カウンターに注文を伝えに行くギャルソンの男性。
姿勢がプロの仕事を物語っていた。
店員の姿がなくなると、エクトルテさんが不思議そうに尋ねてきた。
「……少年は、成人しているのではなかったのか?」
「日本の成人年齢は二十歳なんです。未成年の飲酒は禁止されているので、ぼくはお酒を飲めませんけど、お二人はどうか気になさらず楽しまれてください」
「うーん。あたしはこう、エールをぐい、って感じの方が気楽なんだけどなぁ」
「大丈夫、ビールも置いてますよ。エクトルテさんは、リンゴを蒸留したお酒とかどうですか? 強いお酒ですけど、水や炭酸水で割ったり、氷を入れて溶かしながらゆっくり飲むのが良いそうです」
「ジョウリュウ、とはどういう意味だろう?」
「蒸留はですね、水とアルコール――酒精の蒸発する温度の差を利用した方法で……」
蒸留技術の説明をしているうちに、飲み物がやってくる。
ぼくはジンジャーエール。エクトルテさんとエルミナさんはリキュールを使ったカクテルだった。ジンジャーエールは有名なメーカーのスイートタイプということだったけど、甘くなく、逆にショウガの辛味が鮮烈で美味しかった。
その後は、エルミナさんは店のお勧めにしたがって、ビールをベースにシャンパン割りやトマトジュース割りなどのカクテルを楽しみ、エクトルテさんは色々な蒸留酒を少しずつ傾けていた。
夜も更けて、寝酒を口にした二人は緊張が解けたのか、部屋で休むことにした。
やがて、エルミナさんがあくびをしながらぼくに尋ねてきた。
「ツナグくん。この宿って、お湯はもらえるのかな? 身体拭きたいんだけど」
「ああ、それなら浴室の説明をします」
大浴場にはすでに湯が張られていた。湯気を立てる浴槽やジャグジーを見せ、これまた無駄に広い洗い場で、ボディシャンプーやトリートメントなど各種の道具の使い方を教えた。
せっかくだから、エルミナさんとエクトルテさんは二人で入ることにしたようだ。
「ツナグくんも一緒に入る? 今なら、おねーさんの身体洗わせたげるよ!」
「結構です!」
にしし、と笑いながら浴室に入っていくエルミナさん。エクトルテさんが無言でその頭をはたいたりしていた。
二人の入浴は長く、慣れない湯船で倒れてないかと心配になったけど、程なくして二人とも湯上りのガウンを着こんで戻ってきた。
「いやぁ、極楽極楽! お風呂って良いねぇ! ニホンの暮らしが快適すぎて、帰れなくなっちゃいそうだ!」
「うむ、堪能した。しかし……エルミナ。背中を流すのは良いが、人の身体をあまり触ってくれるな」
「いいじゃん、減るもんじゃなし! マッサージだよ。温まったでしょ!」
あけすけの無い会話が届いて、ぼくは思わずうつむいた。
リビングに戻ってきた二人は、何だか少し足取りがおぼつかなかった。
「大丈夫ですか、二人とも? ふらついてますよ?」
「うむ。……身体が温まって、酔いが回ったようだ。椅子で休ませてもらおう」
「じゃあ、冷たい飲み物を持ってきますね」
エクトルテさんは強い蒸留酒を結構頼んでたもんな。夕食の席でも呑んでたし。
酔い覚ましに、備え付けの冷蔵庫から氷と瓶詰めのミネラルウォーターを取り出した。
ソファで一息ついた二人に勧められて、ぼくも入浴を済ませに行く。
ぼくが風呂から上がると、二人はすっかり酔いつぶれていた。
だらりとソファに横たわり、エルミナさんにいたってはすでに寝息を立てている。
エクトルテさんがもぞりと動いたので、ぼくは肩を揺すって寝室に移そうとした。
「エクトルテさん。ここで寝ると、風邪引きますよ」
「ん……うう……ん……」
身じろぎするエクトルテさんの、ガウンの胸元がはらり、とめくれる。
下着を着けていない。寝間着だからかもしれないけど。
ぼくは頬が熱くなるのを感じながら、なるべく直視しないように胸元を直そうとする。
と、衣服を正そうとしたぼくを、エクトルテさんが突然、がばりと抱き寄せた。
「うぅん……少年……」
「え、エクトルテさん!?」
悩ましげな吐息が耳元に触れる。ちょっと!?
エクトルテさんは明らかに寝ぼけていた。
振りほどこうとするも、逃げられない。さすが騎士の腕力。鍛えていないぼくの力じゃ、とてもじゃないけど及ばない。
けれども、エクトルテさんはぼくの身体を締め付けることなく、胸元に抱き寄せる。しなやかな身体の白いふくらみが直接ぼくの顔に押し付けられ、ぼくは慌てた。
「んぅ……かわいーよぉ……だいすきぃ……!」
子どもみたいにあどけない声が、凛々しい女騎士の口から漏れる。
エクトルテさんはぼくの頭に頬ずりし、まるで小さな子が人形やぬいぐるみを抱きしめるように身体を丸める。
長い足がぼくの身体に絡められ、ぼくは全身でエクトルテさんに捕らえられていた。
ぼくの身体に擦り寄り、帯の解けたガウンはあられもなくはだけ、もはや裸も同然の格好になっている。
ぼくは服を着ているけど、寝間着越しに、エクトルテさんの素肌が全身密着していた。
「んゅうぅ……えくとるてと……あそんでね……?」
とろけた声とともに、エクトルテさんの柔らかな双丘が押し付けられる。
遊ぶって何をするつもり!?
え、エクトルテさん! お願いですから、正気に返って!