平穏の口づけ
クルトさんたちをアーケンハイドへ送った翌日。
ぼくたちは、日本に戻って朝を迎えた。
ミスティは精神的にも体調的にも異変は無く、復調したようだ。
「心配かけたわね、ツナグ。もう大丈夫っ!」
ばっちり! と腰に手を当てて、Vサインをするミスティ。
明るく振舞っている感はあるけれど、空元気や無理はしてなさそうなので安心した。
「とりあえず、社長に報告して安心させないとだね」
「アルマもご苦労だったね。知らない世界に行くなんて、緊張しただろ?」
シャクナさんがアルマを労う。
アルマは朝からはつらつとした笑顔で手を挙げた。
「ご主人様が一緒だったので、怖くなんかなかったです! お姉さまに言われたとおり、お話の邪魔にならないよう大人しくしてました!」
アルマはにこにことぼくを見た。
ぼくがその熊耳のついた頭を撫でると、えへへー、と嬉しそうに顔を蕩けさせる。
アーケンハイドではアルマはずっと大人しくしていた。
でも、役に立たなかったわけじゃない。アルマが一緒に来てくれなかったら、ぼくはもっと取り乱していただろう。
クルトさんたちにはどうやら兄妹だと見られていたようだけど、向こうも小さな女の子がいたから警戒を解いてくれた面もあったはずだ。
「うまくツナグのストッパーになったみたいだね。大きな力を持った奴ってのは、何か守るものが一緒の方が上手くいくんだよ」
シャクナさんがにっこりと微笑む。
その言葉にぼくは気恥ずかしくなり、ごまかすように、またアルマの頭を撫でた。
ちなみに、アルマには、絶対に『迷宮』に入る能力を使わないよう厳命してある。
ぼくら素人が迂闊に飛び込むと『悪鬼』という危険がある場所だからね。
「ありがとうね、アルマ。何かお礼をしなきゃね」
「なんでもいいんですか、ご主人様?」
「うん。ぼくにできることならね」
アルマは表情を輝かせると、ぼくの胸元に飛び込んできた。
「ぎゅーってしてください、ご主人様!」
一瞬慌てたけど、リクエストどおりにアルマの小さな身体を抱きしめる。
これでいい? とアルマの顔を覗き込むと、アルマはにっと笑って、顔を上げた。
アルマの唇が、ぼくの唇に押し付けられる。
突然の不意打ちに、ぼくの頭が真っ白になる。
「えへへ。わたしはまだお役に立てないけど、いつかお姉さま方のようにご主人様のお近くにいられるようになって見せますから! これは、その予約です!」
照れくさそうにはにかみながら、アルマは小さな舌をちろりと覗かせる。
ミスティもシャクナさんもオルタも、苦笑しながらその様子を見ていた。
「あらら、油断も隙も無いねぇ。まぁ、褒美だと思って襲われちゃいなよ、ツナグ」
「わーい、お許しが出ました! ご主人様、もっとちゅうー!」
「ちょっと、みんな!? 見てないで止めてよ!? むぐっ?」
アルマがぼくを押し倒し、のしかかってくる。
振り払おうとしたけど、力が強くて振り払えなかった。これ、熊人族の腕力が発現してきてるんじゃないかな。
ぼくの身体はアルマの下敷きになり、顔中についばむようなキスの雨が降ってくる。
ぼくの唇を自由にできて満足したのか、アルマは満面の笑顔で言った。
「えへへー。ファーストキスもセカンドキスも、ご主人様にしてもらえました!」
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「ご心配とご迷惑をおかけしました!」
出社するなり、ぼくは社長の机の前で大きく頭を下げた。
社長はむすっと気難しい顔をしていたけど、ため息を一つつくと、椅子を回してぼくに向き直った。
「まぁ、勤務時間中の職場放棄と翌日の無断欠勤はこの際、ミスティちゃんの回復に免じて大目に見てやる。だが、もう二度とあんな無鉄砲なことはしてくれるなよ?」
「はい、肝に銘じます」
「まずは相談してくれ。俺たちには何もできないかもしれないが、それでも準備を手伝うことくらいはできる。今までそうしてきただろう? 周りを頼ることを忘れるな」
お前に何かあったら、会社も里も王国も、みんな関係が崩れる。
社長は困ったような顔で、そうつぶやいた。
それは確かに。ぼくに何かあって門が使えなくなったら、皆の交流が途切れてしまう。
そう思っていたことを、口に出してしまっていたのだろうか。
社長が不機嫌そうな顔で机から立ち上がり、無言でぼくの頭に拳骨を落とした。
頭を押さえるぼくに、ミスティとシャクナさんも、仕方ないなぁ、と言いたげに苦笑していた。
「お前はミスティちゃんたちのことになると、周りも自分も見えなくなるみたいだな。誰でも、そんなもんかもしれんが。だが、早く元の調子に戻ってくれないと困るぞ?」
「あたた……気をつけます。報告は今からで大丈夫ですか?」
「いや、後でゆっくり聞こう。その前に、燭台の回収と納品を済ませてくれ」
おっと、そう言えばそうだった。
結婚式場で使う銀の燭台。
遺跡探索の目的で、今回の事件の発端になった案件だ。
燭台は、ゴーレムに襲われる前に一ヶ所に集めてあるので、回収も納品もすぐに済む。エルフの里の男衆に手伝ってもらえば、すぐに運び出せるはずだ。
「わかりました。運搬は車になるので、会社の倉庫に運び込めば良いですか?」
「そうだな。車は俺が出そう。里に伝えて、梱包だけ済ませておいてくれ。ミスティちゃんの体調はどうだ?」
「大丈夫です!」
意気込んで腕を曲げるミスティ。元気に満ちたその仕草に、社長も安心したようだ。
「なら、ツナグの手伝いでもしててくれ。無理はしないように。これが終わったら、二人とも休暇を取っていいぞ。――その間の店番は、シャクナさんに頼めるかな? 暇なときは、バックヤードでアルマちゃんに勉強教えてていいから」
「任せな、社長」
シャクナさんが快活に頷き、これからの予定が立つ。
営業の方はロアルドさんが回ってくれるということで、ぼくは回収と納品を優先する。社長と、店舗開店の準備を終えた里中さんは事務整理の準備をしている。
やっと日常に帰ってきた。
今日からまた、平常運転だ。
さぁ、仕事するぞ!