恋人の下への帰還
エクトルテさんを名代に指名したクロワーゼさんは、公務に戻る前にぽん、と手を叩いた。何かを思い出したようだ。
「そうそう、エクトルテ。貴女に渡しておくものがあったわ」
「何ですか、クロワーゼ様?」
「ちょっと待ってね。……っと」
「クロワーゼ様!?」
突然、クロワーゼさんはプリンセスドレスの長いスカートをたくし上げた。
白いストッキングに包まれた長い脚があらわになり、ぼくは慌てて目を背ける。
クルトさんの目は、エルミナさんが背後から両手で覆い隠していた。
どうやらクロワーゼさんは、護身用だろう、短剣を脚にベルトで着けていたらしく、鞘ごと取り外してそれをエクトルテさんに渡した。
「はい、エクトルテ。これ持ってってね」
「く、クロワーゼ様!? 『宝剣』をそんなに気軽に渡して良いのですか!?」
「名代の証よ。拵えに紋章も入ってるから、ちょうど良いでしょ。無くさないでよ?」
「無くしませんよ!? 大公家の家宝じゃないですか! 国宝ですよ!?」
な、何だかどえらい短剣みたいだ。
エクトルテさんは宝物を扱うように両手で恭しく抱えている。
けれどもクロワーゼさんは、平然と軽い調子で言い放った。
「別世界の『探索』なんて何が起こるかわからないんだから。それで身を守りなさい。三人とも無事に戻ってこないと承知しないわよ?」
クロワーゼさんはそう言って片目を閉じ、部屋を出て行った。
貴重品をぽんと渡されて呆然とするエクトルテさんの肩を、エルミナさんが叩く。
「……諦めなよ、エクトルテ。相手はクロアだからさ」
「とんでもないものを渡されてしまった……いや、これほど心強い装備も無いのだが」
い、今、国宝って言ってたよね?
そんなものを気軽に渡されたエクトルテさんの胸中は、察して余りある。
……エクトルテさんの負担が減るよう、ぼくも全力を尽くそう。
その後、三人に言語と健康の恩恵を渡し、準備をする。
言語の恩恵だけを説明したけど、他に疑問に思われなかったのは病原菌の移動という概念が無かったのかもしれない。
クルトさん、エルミナさん、エクトルテさんの三人は自分の愛用の武器の他に、『傷薬』や『白石灯』などの道具を鞄に詰め込んでいった。
すべての準備が終わったのは、日が落ちて夜闇が空を覆いかけた頃だ。
診察を明日に回そうかというぼくの提案に、三人は笑って首を振った。
ぼくの話から、一刻も早く容態を診た方が良いと判断したそうだ。
門をくぐり、里の村長さんの家に向かう。
*******
アルマを連れて門をくぐったところで、ぼくは待ち構えていたオルタとシャクナさんに出迎えられた。
「師よ! やっと帰ってきたか!」
「ツナグ! いきなり飛び出して、心配させるんじゃないよ! どれだけ、あんたが帰ってくるのを待ってたか……無事で良かった……」
「……ごめん。心配かけたね、二人とも」
二人の顔を見て、ぼくの中に帰ってきたんだという実感が湧く。
ぼくの胸に飛び込む二人を見て、クルトさんたち三人が目を丸くしていた。
固まる三人の、しかも武装した姿を見て、シャクナさんとオルタが怪訝そうに尋ねる。
「ツナグ。その人たちは、いったい?」
「ずいぶん物騒な格好をしておるようじゃな?」
「二人とも、落ち着いて。この人たちは、ミスティを助けに来てくれた人たちだよ」
ぼくが取り成すと、クルトさんはにこやかに会釈した。
「クルト・ランヴァースです。僕ら三人は医者のようなものだと思ってください。――自己紹介は後回しにしましょう。患者はどこですか?」
シャクナさんとオルタは、医者という言葉に我に返ったように頭を下げ、ミスティの眠る寝室に案内した。
干し草のベッドの上には、出かける前と変わらない様子のミスティが横たわり、その脇で村長さんが容態を見守っていた。
「村長、お医者さんだよ。ミスティを見てくれるそうだ」
「おお! ツナグ殿、ありがとうございます。本当に探せたのですか! 皆様、ご足労をおかけして申し訳ありません」
シャクナさんの説明に、村長さんが喜色を弾ませる。
飛び上がるように立ち上がり、深く頭を下げる村長さんに対して、三人も会釈して答礼した。
「シャクナさん。社長は? もう帰ったんですか」
「ああ、ミスティとツナグのことをずいぶん心配してたけどね。仕事があるからって、心苦しそうにさっき帰られたよ」
状況を確認するぼくらの横を抜け、クルトさんがベッドに歩み寄った。
「この女性が、ツナグさんの大事な人ですね」
ベッドの上で眠りに就くミスティを見て、クルトさんが確認する。
ぼくは、不安に思っていたことを口に出した。
「クルトさん。ミスティは、ぼくら人間とは種族が違うエルフ族なんです。エルフ族でも、もっと言うなら、この世界でも『迷宮』に潜れるんでしょうか?」
「種族的な問題はないと思います。世界の違いばかりは、実際に試してみないとわかりませんね」
はっきりと告げるクルトさんの言葉を継ぐように、エルミナさんが身を乗り出す。
「じゃあ、さっそく潜ってみるかい? こっちの準備は万端だよ!」
「そうだな。早く、少年の憂いを取り除いてやらねば」
「えっ? で、でも、エクトルテさん。クルトさんもエルミナさんも、昼間に探索したばっかりで、疲れが残ってるんじゃ……?」
三人の行動の早さにふためくぼくに、クルトさんは軽く笑った。
「疲労は『ぷるぷる』を食べているので大丈夫です。『傷薬』は外傷を癒すんですが、『ぷるぷる』は体力とスタミナを回復させるんです。どちらも長丁場の探索に必須の、回復用の道具ですね」
あのゼリー状の食べ物、そんなに便利なものだったのか。
体力はともかく、スタミナだなんて、治療魔術でも回復させられないのに。
準備を始める三人に、ぼくは自分が治療魔術を使えることを説明し、同行を申し出た。
その話を聞いたクルトさんたち三人は、喜んで了承してくれた。
「攻撃と回復ができるなら、ツナグさんが一緒だと心強いですね!」
「すごいね! こりゃ、思ったより楽な探索になっちゃうかな!?」
その反応があまりにも和やかで、ぼくは安心した。
もしもこの世界で探索ができなければ、ミスティをアーケンハイドに運んででも探索を行う。
それを確認して、ぼくら四人は互いにうなずき合った。