心の中の冒険
第二層に降りてきた。
二層の風景は第一層とはまるで違って、石壁で隔てられた暗いダンジョンという趣の階だった。ここからは、一層で採取した光る石を使って先を進むことになる。
町中に見えたガス灯は、ガスではなくこの光る石を光源に使っているらしい。
クルトさんの説明によれば、この『迷宮』の深さには個人差があるけど、ほとんどの人が五層から十層の間に納まるそうだ。
今回は最深部までは行かず、三層辺りまでで様子見したいということらしい。
第二層に降りるなり、クルトさんがぼくに向けて言った。
「ちょっとの間、静かにしててください。それと、耳を塞いでおいた方が良いかも知れません」
不思議に思いながらも、言われるままに耳を塞ぐ。
エルミナさんも、心得ているようですでに耳を塞いでいた。
クルトさんは、指を口に当てて、指笛を吹いた。
甲高く強烈な音がフロアに響き渡る。
クルトさんは目を閉じて耳を済ませていたようだけど、一分もしないうちにぼくらに向き直った。
「だいたい、このフロアの広さと構造は把握しました。行きましょう」
「把握しました……って、もしかして音波ソナー? クルトさん、まさか、今の一瞬で反響音を聞き取ったんですか!? ぼくには何も聞こえませんでしたけど……」
「そなー? そういうものがあるんですか。実際に音として聞こえているわけではないんですけど……耳に届く空気の震えで、何となく感じるんですよ。長年、これで迷宮を攻略してるもので」
驚いた。コウモリみたいな聴力の人だな。
実際には、聴覚と触覚で空気の振動を無意識に分析してる、とかそんな感じだろうけど。
地球でも、目の見えない人が周囲の足音や反響音で状況を認識することがあるらしい。
「クルトは探索と道具使用のA+評定を持ってるからね。戦闘、探索、道具の三つのうち、二つ以上でA評定以上が認められないと、A級は名乗れないんだ」
あたしは戦闘と道具だけで探索はC評定だけどね、とエルミナさんは悪びれもせず言い切った。何気なく言ってるけど、二人とも凄い実力の持ち主なんじゃないだろうか。
ちなみに、エルミナさんが空中に書いた記号は見たこともない形だったので、A・B・Cという表記は言語の恩恵による翻訳の成果だと思われる。
「それにしても、きちんと空気が振動するんですね」
「そうですね。空気だけでなく、足元もきちんと石の感触がするでしょう? 基本的に、この迷宮は現実の延長だと考えてもらって構いません。だから、怪我をすれば痛みも感じます。気をつけてください」
つまり、これから行う戦闘は現実と同じものだと考えるべきだ。
予行演習として、単純な魔術を使用した。問題なく魔術が発動したので、ぼくも戦闘に参加できそうだ。
念のため、あらかじめ『デック』を起動しておく。
迷宮の造りは、通路といくつもの小部屋から成り立っていた。
道端に『道具』が落ちていることはなく、すべて小部屋に転がっていたので、そういう法則なんだろう。
反対に、『悪鬼』と呼ばれるモンスターは通路も小部屋も関係なく出現した。
「エルミナ! ツナグさんの護衛を!」
戦闘に入るや否や、クルトさんはエルミナさんに指示を出し、敵に向かって駆け出した。
最初に遭遇した『悪鬼』は、黒い影でできたガゼルのようなモンスターだった。
部屋の中を縦横無尽に駆ける黒ガゼルに、しかしクルトさんはまったく引けをとらない速度で追いつき、両手に持った二本の片手剣で斬りつけた。
片刃の、刀に似た片手剣だ。
長さは日本刀よりかなり短く、小太刀のようだ。日本刀と違って反りが無いので、昔、一度だけ博物館で見た忍者刀が一番近いかもしれない。
クルトさんは俊敏な動作で、曲芸師のように身体を操ってガゼルの角を回避し、一瞬のうちに何度も忍者刀で斬りかかっていた。
流れるような動きの連撃を受け、黒いガゼルは息絶えたのか、霧のように姿を消す。
「僕はエルミナと違って、攻撃の威力が低いんですよ。なので、力よりも動きで翻弄して戦う形になりますね。戦闘評定もB+止まりですし」
「強い相手はあたしの出番だね! クルトが地形を把握して、あたしが途中の敵を片付けながら進んでいくのが、あたしたち二人の攻略スタイルだよ!」
そう言いながら、エルミナさんが力こぶを作る。
よくよく見てみると、エルミナさんの武器は巨大な大剣だ。女性ながら、ゲームで言うパワーファイターに当たるのかもしれない。
頼もしい二人の姿に、ぼくの胸に思わず期待が湧く。
この二人の力を借りれたなら。
ミスティを、呪縛から救えるだろうか――
次に現れたのは、数体のゼブラ型の『悪鬼』だった。これも黒い影のような茫洋とした輪郭をしていたので、『悪鬼』に共通する性質なのかもしれない。
蹄を鳴らして突進してくるゼブラに、クルトさんが向かおうとする。
ぼくはクルトさんを押し留め、魔術を起動した。
手の内を見せてもらったのなら、今度はぼくがお返しする番だ。
「――『炎の投槍』!」
制御魔術で相手の動きに追従して狙いをつけ、即時起動と炎の魔術で撃ち抜く。
炎は悪鬼に対しても有効だったようで、黒い影のシマウマたちは、燃え盛る炎に包まれながら霧散した。
二人は、感嘆したように目を見開いていた。
「いや、とても強力ですね。道具無しでできることとは思えません。ぼくらの護衛が無くても、ツナグさんなら一人で迷宮を攻略できるかもしれませんね」
「はは。ぼくはクルトさんたちみたいな体術は使えないので、近づかれたらどうしようもないですよ。こういうとき、魔法使いは後衛だと相場が決まってるんです」
クルトさんたちは褒めてくれたけど、ぼくは格闘に関してはからっきしだ。
距離を詰められたらどうしようもないので、クルトさんたちみたいに相手を引きつけてくれる前衛は必須だと思う。
この『迷宮』のような近距離で敵に遭遇しやすい閉鎖環境だと、特にそうだろう。
万全を期すためには、二人の協力が必要だ。
その後も、大量の草食動物型の『悪鬼』を倒しながら第二層を進んでいった。
そのうち、クルトさんがぼくに向けて、ぽつりと尋ねた。
「ツナグさん。何かを、焦ってますか?」
「……えっ?」
突然、胸の内を言い当てられ、ぼくは思わず動揺した。
クルトさんは、冷静に続ける。
「さっきから草食動物系しか出てきてません。草食動物系の『悪鬼』は、『焦燥』の象徴なんです。何かを焦って、追い立てられたり思い詰めたりしている人に多く見られます」
ぼくは返す言葉に詰まり、黙りこくることしかできなかった。
『迷宮』が心を映す、とはこういうことか。
幾千、幾万の言葉や態度で取り繕っても、迷宮の有り様がすべてを語る。
ぼくは勇気を振り絞って、二人に頭を下げた。
「クルトさん。エルミナさん。この迷宮の探索が終わって、二人がぼくのことを信じてくれたなら――二人にお願いしたいことがあります。どうか、ぼくの話を聞いてください」