魔法と奇跡
「椅子にかけて、楽にしててください」
連れてこられた部屋は、まるで病院の診察室のようだった。
建物自体は来る途中に見かけたどの建物よりも巨大で、ここが街の重要な施設なのだということが一目でわかった。
中を行き交う人の数も多く、クルトさんと同じ白衣の人の姿もたくさん見かけた。
クルトさんは、ぼくとアルマを椅子に座らせたあと、これでも摘んでいてください、とゼリー状のものをお皿に乗せてぼくらに差し出してくれた。
お菓子だろうか?
遠慮なくスプーンで口に運ぶアルマにつられ、ぼくも例を述べて口をつけてみる。
甘く、くどさの無い上品な味だった。柔らかいけど、食感は葛餅みたいに固めだ。
食べていくうちに、疲れた心に不思議と活力が満ちてくる気がする。
疲れも少し吹き飛んだみたいだ。
「クルトさん。この食べ物、何ですか? ゼリーみたいで美味しいですけど」
「『ぷるぷる』を知らない……二人とも、ずいぶん遠い場所から来たんですね」
「あ、はい。何でわかるんです? 有名な食べ物なんですか、これ?」
「まぁ、そうですね。このギルド本部がある街で、共通品の『道具』を知らないなんて、公認探索士のいない郊外の村から来た人くらいですから」
探索士――ダイバー。
その単語に、ぼくは表情を引き締めた。
「その、クルトさんのご職業なんですけど――」
「クルト! ごめんよ、間に合わなかったよ!」
突然、診察室に飛び込んできた人がいた。
クルトさんより、少し年上の女性だ。亜麻色の長い髪をポニーテールに結んだ、快活な人だった。すごく背が高い。白衣は着ておらず、タンクトップにホットパンツという露出の多い格好で、豊かな胸を張り出させている。
ラテン系というか、さっぱりしてて陽気な印象だけど、目のやり場に困る感じの人だ。
「エルミナ。お客さんがいるんだから、静かにしなよ」
「あうぅー、ごめんよぉ、クルト。昼食も放り出して急いで駆けつけたんだけどさぁ! 着いたときには、もうみんな片付いて解散してたんだよぉ」
呆れた様子のクルトさんに睨まれ、入ってきた女性は平謝りに頭を下げた。
「ああ、二人とも。紹介しますね、僕と同じくA級探索士のエルミナです。彼女とは二人でパーティを組んでるので……僕の相棒ですね」
「エルミナ・クインテッドだよ、よろしく! 可愛いお客さんたちだね!」
ひざに手をついてかがみ、エルミナさんはにっこりとぼくらに笑いかけた。
「で、クルト。今からやるのは、この子達の事件後のケア?」
「あの、クルトさん。エルミナさん。お二人に聞いて欲しい話があるんです! どうか、ぼくの話を聞いていただけませんか!?」
ぼくは二人の話をさえぎり、思い切って話を切り出した。
信じてもらえるかはわからない。力を貸してもらえるか、すらも。
けれども、クルトさんの説明を信じるなら。
この人たちは、超常的な力で物理的に人の心を、精神を癒す心理療法士と言える。
精神を捕えられたミスティの呪縛を、何とかしてくれるかもしれない。
「ぼくと、この子。アルマは――ここではない、他の世界から来たんです」
ぼくは自分の身の上を打ち明けた。
クルトさんとエルミナさんの二人は目を丸めて、ぼくらの話に驚いていた。信じてもらえるのか、信じてもらえたのか。表情からは判別がつかない。
けれども、ぼくは他に差し出せるものも無く、すがるように話を続けた。
やがて、ぼくの話を聞き終えたクルトさんは、ぽつりとつぶやいた。
「魔法……ですか。すぐには信じられない話です。良ければ、実演してもらえますか?」
ぼくはうなずき、いつか角田社長にして見せたように、簡単な魔術をいくつか使った。
やっぱり、この世界に魔術は無いみたいだ。
けれども、二人は驚いた様子を見せなかった。代わりに、机から翡翠らしき宝石のついたペンダントを取り出して身に着けただけだ。
今まで言葉を失っていたエルミナさんが、神妙な顔でクルトさんに尋ねた。
「クルト。『希少種』の反応は?」
「無い。記憶石の探知は絶対だ。この子たちは、『道具』を持ってない」
クルトさんは、身に着けたペンダントを握りながら淡々と告げた。
その言葉に、エルミナさんが困惑したようにがしがしと頭をかき乱す。
クルトさんはぼくに向き直り、にこりと微笑んだ。
「きみたち二人が、他の世界からの来訪者だとしましょう。でしたら、『迷宮』のことを知らないことにも納得がいきますね」
「クルトさん。その、迷宮というのは、何なんですか?」
「迷宮というのは、人の心の具象化です。かつて『迷宮王』と呼ばれた一人の探索者が、この世のどこかにあるという古き大神殿を見つけた折、忘れられし大神に願ったことで、この世界は二つの大きな変革を迎えました」
人は、人の心の中に入れる。
人は、心の中から生まれた物質を現実に持ち帰れる。
神殿を見つけた探検家の偉業を讃え、古き神は二つの奇跡を世界に顕現させた。
クルトさんは、そう語った。
「『人の心の深奥を探りたい』――迷宮王のその願いに応え、人は人の精神を具象化した場所を探索できるようになりました。第二次大探索時代と呼ばれる、今の時代です」
迷宮の形を取る、複雑な人の心。
そこにはびこる、負の感情から生まれる化け物たち。
そこに現れる、感情や精神の結実した不思議な道具の数々。
そうしたものを、退治したり、採取したり。
そうして得られた物資で、この世界の生活は成り立っているという。
「この世界では、魔法は使えませんが、奇跡はあります。きみの言う魔法じみた不思議な現象を起こす『道具』も数多くあるので、受け入れられない話ではありません」
クルトさんは机の上から、透明度のある赤い石を持ち出して見せた。
「たとえば、これは『火硝石』という道具です。人の『情熱』の結晶と言われていますが、燃料も無く発熱し、砕けば火を起こせます。この世界では一般的な暖房器具ですね」
「それも、人の心の中から採れるんですか」
ぼくの質問に、クルトさんはにこりとうなずいた。
「世の中には、『道具』を無限の資源だと言う人もいます。この『道具』があるから、この世からは餓えも寒さも無くなりました。探索士の中には、戦闘を避け、この『道具』を採集して売り払うことで生計を立てる者も多くいます」
何気なく言っていることのように思えるけれど、ぼくにはにわかに信じられなかった。
心の中から、何も無いところから燃料や食料が生まれる。
そんな法則、通常の物理法則を完全に逸脱している。
異形の法則――それこそ、『魔法』だ。
地球には無い物理法則だと考えると、この世界は違う宇宙にあるのかもしれない。
「それは、誰でも使えるし、誰でも人の心の中に入れるんですか?」
「そうです。探索士を名乗るのは資格が要りますが、それは人の社会の決め事です。心の中に潜ること自体は、法則として誰にでも出来ます。たぶん、この世界に来たのなら、きみたちにもできるんじゃないでしょうか。だから――」
だから、とクルトさんは前置きして、こともなげに言った。
「――とりあえず、きみの心の中に潜ってみましょうか」