彼の者、探索士なり
異世界の平和な街中に、事件が起こった。
暴漢――通り魔のようだ。
人通りの多い広場で、短剣を振り回しながら、人族の男が暴れわめいていた。
「ちくしょう、ちくしょう! 認めねぇぞ、俺との契約を一方的に切った商人連中も、俺を見下してる客どもも!」
男の目は焦点が合っていない。
口の端に泡を吹き、ろれつも回っておらず、正気を失っているように見えた。
暴漢にどんな事情があったのか。そんなことを考えている余裕は無い。
ふらつきながら、短剣をめちゃくちゃに振り回す暴漢に対して、被害が出る前に魔術で制圧しようかと考える。
けれども、ここは常識も知らない異世界で、ぼくは異邦人だ。
人前で迂闊に魔術を見せることで、どんな騒ぎが起こるかわからない。
もし、ここが魔術の無い世界だったら?
その一瞬の逡巡が、仇になった。
逃げ惑う市民たちに業を煮やした暴漢が、ぼくの後ろに隠れるアルマに目をつけたのだ。
凶刃を振りかぶり、こちらに突進してくる。
四の五の言ってる場合じゃない!
「アルマ、ぼくの後ろに隠れて! クイックスペ――」
その瞬間だった。
人混みの中から、滑るように白い陰がぼくらと暴漢の間に割り込んだ。
「――子どもに手をかけるのは、感心しませんよ」
ばさり、と裾の長い白衣を翻らせ、飛び出た人影は暴漢に組み付いた。
あっという間の出来事だった。
瞬く間に、白衣を着た闖入者は、短剣をものともせず暴漢を地面に組み敷いていた。
「クルト先生! ありがとうございます!」
「クルトさん! ……良かった、A級探索士が来てくれたぞ!」
街の人たちの間から、歓声が上がる。
撃退しようとしたぼくらを置き去りにして、暴漢を制圧した白衣の人は、安堵した街の人たちに取り囲まれていた。
どうやら、この世界の有名人みたいだ。
あ、ぼんやりしてる場合じゃない。助けてもらったお礼を言わないと。
「アルマ、大丈夫? お礼を言いに行こう」
「はいです、ご主人様!」
人垣を分け入ると、白衣を着た人が暴漢に当身を打ち、意識を刈り取っていた。
ぼくはその人の姿に、息を呑む。
黒い髪に、黒い瞳。
顔立ちは整っているけど、まるで日本人みたいだ。周囲の中でも浮いている。
年は先生と呼ばれるには若く、まだ二十代前半くらいに見えた。
クルトと呼ばれた白衣の人は、意識を失った暴漢を押さえつけながら、周囲の市民たちに指示を飛ばしていた。
「早く衛兵隊に連絡を。それと、誰か『エルミナ』を探して呼んできてくれませんか?」
「あ、あの! 助けていただいて、ありがとうございました!」
クルトさんは、ぼくら二人を見ると目を瞬かせ、にこりと優しく微笑んだ。
「無事だったんですね。良かったです。――すみませんが、ちょっと待っててください。応急手当ですけど、この暴れてた人を治療しないといけないので」
治療? この人は、お医者さんなのかな? 格好も白衣だし。
そう思っていると、クルトさんはおもむろに、まとっていた白衣を脱ぎ去った。
その身体は、医者と言うにはあまりに鍛えられていた。
薄手の黒いノースリーブのシャツには、細身ながら引き締まった筋肉が浮かんでいる。腕も肩回りも胸元も、無駄な肉の一切ついていない研ぎ澄まされた身体だった。
そして、異様なのは、腰のベルトに着けた左右併せて六本の、細身の片手剣だ。
「クルト先生。一人で『潜る』気ですかい? エルミナさんを待った方が良いんじゃ?」
「表層階だけでも片付けてきます。これだけ『悪鬼』が多いと、目覚めたらまた暴れるでしょうから。エルミナが来たら、後を追ってくるように伝えてください」
街の人たちの心配する声に、クルトさんは静かな自信に満ちた声で答えた。
潜る? 悪鬼?
まったく意味のわからない言葉が当たり前のように交わされている。
ぼくが理解できていないのは、ここが異世界だからか?
何もわからず戸惑うぼくらにも気づかず、クルトさんは気を失った暴漢の身体に手を当てて、目を閉じた。
そのまま、時間ばかりが過ぎていく。
「……何が起きてるんですか、ご主人様?」
「さぁ……」
小声で首をかしげるぼくらに、傍にいた街の人たちが笑いかけてくる。
「心配いらないよ、クルト先生は腕の良い探索士なんだから。滅多なことは無いさ」
その言葉に、ぼくは余計に困惑を深めながら事態を見守った。
やがて、時が過ぎ、クルトさんが薄く目を開けた。
「終わりました」
つられるように、暴漢も続いて目を覚ます。
「あ、あれ……すみません、クルトさん。俺、何やってたんでしょう……?」
「ずいぶん辛いことがあったみたいですね。表層階まで、『悪鬼』がひしめいてました。まだ下層まで駆逐し終わってないので、組合に依頼した方が良いと思いますよ」
目を覚ました暴漢は、まるで毒気を抜かれて、落ち着いた素振りを見せていた。
改心した? この一瞬で? いや――
このクルトという人は、今、何をしたんだ?
内心で驚愕するぼくをよそに、街の人たちが喝采を上げる。
じきに衛兵もやってきて、すっかり大人しくなった暴漢を連行していった。
広場に集まっていた人たちが安心した笑顔を浮かべて散っていく中、白衣を着込んだクルトさんがぼくたちに目を留めた。
「ああ。きみたちも、被害に遭って心に傷を受けているかもしれませんね。念のために、今からギルドで診ましょうか? 大丈夫、診療費は採取した『道具』で賄えますから」
「あ、あの……クルトさん。貴方はいったい、何者なんですか……?」
ぼくは呆気に取られながら、思わず尋ねた。
クルトさんは意外そうな表情を浮かべて、思い直したようににこりと微笑んだ。
「僕の名はクルト・ランヴァース。ギルド認定の、A級探索士をしています」
「そ、その、ダイバー? というのは……?」
まるで、何でもないことのように。
クルトさんは微笑んだまま、とんでもない説明をぼくらに告げた。
「心の中の『迷宮』に潜って、負の感情から生まれる『悪鬼』を退治するお仕事です」