未来が聞こえる
「ここがエルフの里ですか……世間のうわさとは違い、平和ですな」
「あはは。化け物の住む、もっと陰惨で殺伐とした場所だと思ってました?」
「いえ、あくまでうわさはうわさ。亜人の気性が世間の印象とは違うということは、某はよく存じ上げております」
エルフの里の光景を目にした侯爵は、里の人たちの顔ぶれに怯むことは無かった。
お付の護衛二人もだ。これが他の貴族だったらば過剰な拒絶反応に、すぐ取って返しただろう。
ぼくは侯爵のその反応に感嘆すると同時に、なお試さねばならないと心を引き締めた。
「ここで待っていてもらって良いですか? 村長さんに事情を話して、迎えに来てもらいますので」
「かしこまりました。――二人とも、その場に待機せよ」
侯爵の指示に、お付の二人がその場に姿勢を正す。
銀の甲冑と長剣で武装した、若い男性二人だ。一人は毛深いので、兜に隠れて見えないけれど獣人なのかもしれない。
特に感情を表すでもなく、淡々と指示に従っている。領地で鍛えられているんだろう。
侯爵をオルタに任せ、ぼくは村長さんを呼びに行った。
村長さんは家で休憩しており、ぼくの話を聞くや一も二も無く歓待を了承してくれた。
ぼくは村長さんを侯爵に引き合わせるに当たり、村長さんに一つお願いをした。
それは、素顔で会ってほしい、ということだ。
「ようこそおいでくださりました、王国の侯爵様。このエルフ族の里で村長を務めております。エッケルト・サルンと申します」
「お初にお目にかかる。王国の北方、グルタール領の領主ボルヘス・バロル・グルタールである。このたびの突然の訪問、まずはお詫びいたす」
ボルヘス侯爵は高位貴族らしく、武張った口調で慇懃に礼をした。
王国の大領主たるもの、交渉で下手に出ると部下に示しが付かないため、威厳を見せる態度は一種の社交辞令である。
それを承知していた村長さんは機嫌を損ねず温和に応対する。
「お目にかかれて光栄に存じます。粗末な家ですが、我が家にて歓待の準備が出来ております。従者の方もご一緒にお招きしたく存じますが、いかがでしょうか」
「世話になる。異邦の我らへの配慮、深謝いたす」
短くうなずき、侯爵は村長さんの先導の下、里の中を歩いていった。
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「何も無い家ですが、どうぞおくつろぎください。甘味は嗜まれますか?」
「かたじけない。――人目はありませんので、どうか楽にされてください、村長殿。当方としても公爵閣下と大魔術士殿のご紹介に預かる身、異邦である王国での権威を振りかざす気はありませんので」
「ははは。それは私たちも同じですよ、お二人の紹介なされるお客人となれば、私どもとしても可能な限りもてなさせていただかねばなりません。さ、どうぞ。日本より購入している焼き菓子です」
村長さんは紅茶のお茶請けにクッキーを出した。
さくさく、ほろりとした食感が特徴のラングドシャだ。王国でも上流階級では砂糖を使った小麦菓子が嗜まれているようだけど、ラングドシャの作り方はコツがいる。
溶け去るような初めての食感に、毒見をしたお付の人が驚いていた。
湯気を立てる香り豊かな紅茶と、ガラス製のポットを見ながら公爵が唸る。
「この里では、異界の文化が大きく影響しているようですな」
「そうですな。幸いにしてここにおられるツナグ殿のおかげで、日本の有力な方々と懇意にさせていただいております。あちらの文化はこの大陸より進んでいるものが多いので、この里もその恩恵に預かって発展しております」
村長さんの説明に、ボルヘス侯爵は居住まいを正した。
「先ほど村の中を案内される際に、村人の使う日用品に鉄を多く使用されているのを拝見いたしました。あれらの鉄器は、この里で生産されておられるのでしょうか?」
「はい。日本の歴史から学び、里に製鉄用の高炉を設置しております。初めは村の鍛冶職が技法を学んで担当しておりましたが、里に多数の獣人族が移住してまいりましたので。獣人の中で器用さに長ける者に技術を教え、職人を増やしている最中です」
うむむ、と侯爵は短い唸り声を上げた。獣人が製鉄を学ぶということで、お付の二人も言葉には出さないが表情は驚嘆しているようだ。
やがて侯爵は、ひざに手を付き、がばりと大きく頭を下げた。
「村長殿! どうか、我が領の獣人たちにもこの里の技術を伝授していただけまいか!」
村長さんはしばし目を細め、ゆっくりと口を開いた。
「頭をお上げください、侯爵閣下。……一つ、質問をしてもよろしいでしょうか?」
「何でしょう。なんなりと」
「閣下は、私が素顔を晒しても、里の者たちの素顔を見ても、嫌悪を表に出されませんでした。それは、なぜでしょうか?」
侯爵は、ぽかん、と何を問われているのかわからないと言った顔をした。
やがて得心が行ったように表情を引き締め、答える。
「我が領は鉱山地帯です。領民には、容姿に秀でぬ者も数多くおります。しかし、領主が見るべきは鉱山夫や職人としての働きぶりであり、容姿など添え物に過ぎません。エルフの皆様におかれましても、見るべきはその行いであり、心根のみだと思っております」
「誰もが怖じけるこの容姿を、添え物に過ぎないと?」
「鉱山の落盤や地下水の氾濫に比べれば、命を奪わず、美味な茶菓子を差し出し歓待してくれる種族の容姿に、どうして怖じ気ていられましょうか」
参った。
侯爵は筋金入りの人物だ。質実剛健、この人は見てくれではなく、人柄を見ている。
このやり取りには村長さんも返す言葉は無く、ただにこりと微笑んで、
「エルフの里の村長、エッケルト・サルンの名において貴領の職人を受け入れることを、ここに確約させていただきます、侯爵閣下」
厳かに頭を下げた。
侯爵もまた胸を撫で下ろし、改めて一礼する。
「……ありがとう、オルタ」
「何、これも師の力じゃよ。誇りやれ」
ぼくは小声で言った。彼女が尽力して結んでくれた人の縁が、エルフの里と結ばれた。
ぼくの胸に、感慨が満ちる。
エルフの里が心から望んでいた、この世界の外部との交流が、ここに結ばれたのだ。
エルフを見下さず、蔑まず、対等に見る相手が、ここにいる。
ボルヘス侯爵領との結びつきは、エルフたちがこの世界の外部からの評価を変えていく第一歩になるだろう。
かつて孤立していた種族の里は、ここに一歩目を踏み出した。
小さな、けれども未来に繋がる第一歩を。
いつか、優しいエルフたちがこの世界に受け入れられる日が来るだろうか。
来て欲しいと願う。きっと、そうなるだろう。
この交流は、ぼくに是非も無くそんな期待を抱かせた。
ぼくは手を結ぶ二人の姿を見ながら、そっと祈った。
――どうか、ぼくらの友人の未来に、幸あれかしと。