開発しましょう
「そう。で、周りを土で埋めて――」
たくさんのエルフが覗き込む中、作業が行われる。
角田社長の指揮の下、エルフの里ではある工芸品が作られていた。
「後は、土に水をたっぷり注げば出来上がり」
「出来た! 簡単ですね、これ」
作っているものの仕組みは単純。二重になった甕の間に土をいれ、水を注ぐだけだ。
土に水を注いでいるが、園芸用品ではない。
実はこれ、れっきとした冷蔵庫なのだ。
「アフリカ辺りの、電気の無い地域で作られてる冷蔵庫でな。甕の間の土に含まれた水が蒸発する際に、中に入れたものの熱を奪うんだ」
「気化熱ですね。なるほど、こんな仕組みがあったのか」
海外を回った経験の豊富な、角田社長ならではの知識だ。
なお、イギリスではこれを発展させた発明も行われたらしい。中の甕を金属に代え、外の甕に穴を多くあけることで、熱交換と水の蒸発を促進させる仕組みだそうだ。
甕に穴を開けるのは大変なので、今回はとりあえず中の甕を銀製のものに代えて試してみた。
「これは手軽で良いのぅ。晴れているときにしか使えぬのが不便じゃが、魔道具無しで市井でも手軽に作れるのが良い」
オルタが興味深そうにうなずく。気化熱を利用しているので、空気が乾燥しているか、太陽熱が使える間で無いと有効に働かないと言う問題点はある。
けれど、それを差し引いても材料はどこにでもある甕と土と、そして水だ。
市民に広める簡易版冷蔵庫としては充分すぎるだろう。
「業務用や貴族用は魔法の道具を使うとして、市民が使うならこれで充分だろ」
「そうですな。これから夏場に入りますし、ぜひ里でも使わせていただきましょう」
社長の言葉に村長さんが嬉しそうに答える。魔道具なんてろくにないエルフの里では、夏場の保存という点でとても実用性の高い道具だ。
「本当は日光が入らないように麻布で中の甕の口を覆うんだが、麻布はあるかな?」
「目の粗い植物性の布なら、里でも作っております。問題ありません」
単純な仕組みながら、甕の中は十度から六度ほどまでに冷えるそうで、冷凍は出来ないけど冷蔵は出来る。
今年の夏は塩漬けに燻製に干物、果ては冷蔵庫と、昨年までとは比べ物にならないほど食糧の備蓄が捗っているので、収穫の秋まで餓えることは無いだろうと村の人たちはご機嫌だった。
*******
「カガクって便利ですね、ご主人様! 物を冷やすことも出来るなんて!」
「そうじゃのぅ、アルマ。水が風に溶け込むというのも驚きじゃが、その際に濡らしたものを冷やすという。確かに、水浴びや湯浴みの後に身体が冷えることはあったが、理屈としては認識しておらんじゃった」
「アルマもオルタも、興味があるなら教科書を貸してあげるよ。昔の教科書も、確か実家に置いてたはずだから。……先に日本語を覚えないといけないけどね」
ぼくがそう言うと、アルマの耳がふにゃりとしおれた。
どうも、勉強がうまく行ってないようだ。話を聞くと、森暮らしの奴隷生活だったためにカトラシアの文字も覚えていないらしく、日本語の習熟に難航しているそうな。
学校に通っているわけじゃなし、自分のペースで覚えてくれたら良いと思うけど。
反対にオルタの方は、仕事が忙しく日本語の勉強をする時間自体が取れていない。
けれども今回のことを含め、科学を学ぶために日本語を覚えることは有効だと実感したようで、真剣な顔で悩んでいた。
「日本語を学びたかったら、ミスティとシャクナさんにじっくり教えてもらうと良いと思うよ。二人とも、もうかなり日本語を覚えたみたいだから」
ロアルドさんのみならず、ミスティとシャクナさんも日本語が上達していた。
古物商の店番というバイトをしている関係で、業務通達や買取書類を目にすることが多く、日本語の簡単な読み書きに触れる時間が多かったためだ。
習うより慣れろ、とはよく言ったもんだ。
「アルマは家でシャクナさんの家事を手伝うことが多いから、気長に教わると良いよ」
「ふえぇん。がんばりますぅ……」
「やはり日本語を覚えて、大量の書物から学ぶのが近道かの。と言うても、政治形態など、真似できぬところもあるのじゃが……」
「あはは。民主主義は、乱暴に言っちゃうと義務教育制度があっての政治形態だからね。教育を受けた人間が政治を引っ張るのは間違ってないよ。――その教育を受ける機会は公平化されるべきだ、と言うだけで」
民主主義は身もふたも無く言うと、多数の理論だ。
人権を尊ぶ主義であり、多数の納得を得る主義であって、正解を導く主義とは限らない。多数が間違った答えを出せば、国政もまた暗礁に乗り上げる。
日本では権利を行使してない人も多いけど、今は数年前と違って指導者が有能なので何とかなっている感じだ。良きにせよ、悪しきにせよ。
そんなわけで日本は日本、バルバレアはバルバレア、と政治関連は切り離している。
ぼくも日本でも参政権は無いし、深くは突っ込まないようにしていた。
「やはり学ぶべきはカガクと流通かのぅ。そう言えば、先日師から教わった蒸気機関じゃが、個人用の規模で開発が始まったぞ。馬車ではいかんのか、と貴族どもがうるさかったがのぅ」
「大規模化すれば輸送量が違うから、貴族たちもいずれ黙るよ。生活基盤を向上させて、余裕を持たせれば多少の研究費や出費には目をつむるんじゃないかな」
「はいはーい! ご主人様、ジャガイモは美味しいしたくさん採れるので、もっと植えた方がみんなの生活が楽になると思うです!」
アルマが手を上げて、元気よく話に入ってきた。
とりあえず頭を撫でてあげると、えへへー、と嬉しそうに顔を綻ばせる。
「……と、言うことなんだけど。どう、オルタ? カボチャとか他の野菜もあるけど」
「ふむ。一理あるの。この里にある日本の作物は興味深い。出所を知られると余計な非難を浴びせる者も多いでな、誰か他の者を使って植えさせてみるのもよいの」
食料が潤沢でない領地も多いからの、とオルタはこぼした。
大陸と言うくらいだし、平地もあれば山岳地帯もあるだろう。領地の生産品には偏りがあって当たり前で、だからこそ彼女は流通網の強化にこれほどこだわっているのかもしれない。
そこに経済の活発化と言う、王国の発展があると見越して。
「しかし、時代的には、師の世界から数百年ほど遅れておる感じじゃな。最先端の資料よりも数十年前の資料の方が転用しやすい」
「科学の発展も段階を踏んでるからね。高度に電子化された現代技術よりは、情報産業が発展する前段階の時代の方が合ってるだろうね」
他にも王国用の資料として、井戸掘り用の上総掘り、手押しポンプ、手回し洗濯機、ガス灯など多数の資料を用意した。農業面では千歯扱き、唐箕、重量鋤などだ。
明治から昭和初期にかけて活用されたものが多いので、ここ百五十年ほどの技術になるだろうか。
それでも、魔術に頼った中世文明のバルバレアからすれば、かなりの技術促進だ。
特に蒸気機関と空冷は昭和の3Cと呼ばれる、カー、クーラー、カラーテレビのうち、情報伝達媒体であるカラーテレビを取り除いたものなので、実績からして庶民を含めた王国の生活の向上に貢献するだろう。
バルバレア王国の文化は今、オルタを介して、大きな転換点を迎えようとしていた。