フリージング・ラプソディ
「わーっ、お魚やお野菜がいっぱいですーっ!」
「ふむ。魚は世界が違っても魚じゃの。野菜は、見たことの無いものが多いの?」
エスカレーターで降り立ち、地下一階の生鮮食品売り場を巡る。
食事の前にも時間があるので、この国の食料事情を見たいというリクエストに答えた結果だ。オルタの方は視察的な目的だが、アルマは完全に食欲でリクエストしている。
二人は売り場の広さと清潔さにまず驚き、商品の種類の多さに感嘆していた。
「しかし、ここに並んでおる魚はどれも、ずいぶんと瑞々しいのぅ」
「そりゃ、生だからね」
「生!? 塩漬けではないのか!?」
海が近いのか、と混乱するオルタに、低温保存と腐敗の仕組みを説明する。
バルバレアでは氷の魔術は河川の氾濫時の氷結という治水の用途が主で、平時は水魔法の劣化と言う認識だとか。攻撃以外は涼を取るか飲み物を冷やすことにしか使われていなかったらしい。
氷の魔術士は貴重だけど、冷凍保存という技術が確立すれば食糧問題がかなり改善される。日本の生鮮食品の流通事情が発展したのは、移動手段を除けば、主に冷蔵技術が発達したからだ。
オルタは目を輝かせて熱心に説明を聞いていた。王国にも導入する気なんだろう。
カトラシアは魔術という物理を超越した技術があるため、対象性を保持できず、必然的に科学が発展しなかった。化学や細菌学などもその煽りを受けたと言え、オルタはそこに王国の発展の余地が残されていると考えたらしい。
ただ、そんな小難しい理屈は関係なく、よだれを垂らしている子もいた。
「……この果物、甘い匂いがするです……!」
「アルマ。店員さんがいないからって、お金を払わずに食べちゃダメだからね」
りんごや季節はずれの桃を前に、アルマが指をくわえていた。
どうやら森で似たような果物を採って食べたことがあるらしく、思い出していたようだ。
果物が好きなら、バナナとか食べさせたら喜ぶかな?
「この後、美味しい料理を食べに行くから。それまで我慢しようね」
「……それ、わたしも食べていいんですか?」
「もちろん」
「やったーっ! ツナグ様、大好きですっ!」
アルマが飛びついてくる。
周囲の耳があるので、「ご主人様」は控えるようにアルマに厳命しておいた。それでも様付けなので周りの人にはギョッとされるけど。
うん。もう、諦めたよ。
可愛い女の子が四人もはしゃいでいるので、周囲の視線を集めて仕方がない。
アルマの爛漫さとオルタの豪華さはひときわ目立っており、買い物客は皆、二人に視線を流していた。
特にオルタは男女問わずに注目され、中には彼女に見蕩れながら歩いたために他の客にぶつかる人も頻発した。
その様子に、何となく相手の感情を察したのか、オルタは気恥ずかしそうに頬を赤らめていたけれど。
「し、師よ! 早く食事に参ろうぞ!」
耐えかねた彼女に手を引かれ、ぼくたちは苦笑しながら上の食堂街へと移動した。
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「うぅ……今まで視線を逸らされることはあれ、素顔で視線を集めることがあれほど心を惑わせるとは、夢にも思わなんだ……」
「まぁまぁ、オルタ。それだけきみが綺麗だってことだよ」
頭を抱えて真っ赤に茹で上がるオルタをなだめ、ぼくは料理を注文する。
やってきたのは、名店街にある大きめのイタリアン・レストランだ。
この店はテーブル席がブースで区切られているので、視線酔いしたオルタが気を落ち着けるのにもちょうど良かった。それでも、店員さんには顔を赤くされたけど。
羞恥に塞ぎこむオルタを皆で諭しているうちに、飲み物と前菜が運ばれてくる。
飲み物はノンアルコールのフルーツドリンク。
前菜はトマトとモッツァレラのカプレーゼと、海鮮のカルパッチョを大皿で注文した。
コース料理のような形式ではなく、人数が多いので複数注文して皆で取り分ける形だ。オルタは一人で食事をすることが多かったらしく、こうした形式に慣れていなかったけど、多人数の食事に期待を抱いたようだ。
「ご主人様、私が取り分けたいです!」
「はは。お願いするよ、アルマ」
器用に初体験のトングを使い、皿に取り分けていくアルマ。
帽子の下の熊耳がぴこぴこ動いていたので、役に立てることが嬉しいのかもしれない。
「ツナグ、これは西洋料理と違うの?」
「地域的には西洋の一種だね、ミスティ。国が違うんだ、ここはイタリアって言う国の料理を日本風にアレンジしたものを出してる」
「これは乳酪じゃの? ……ずいぶん、あっさりとしておるの」
「カプレーゼはトマトと一緒に口に入れるんだよ、オルタ」
食べ方を教えて実践すると、オルタはその味ににっこり表情を弾ませた。
どうやらお気に召したみたいだ。
「こちらの皿は、見たことのない質感の肉じゃの?」
「ツナグ。これはもしかして、刺身かい?」
「ああ、うん。生魚だよ、日本以外じゃ珍しいかもね」
「さ、魚を生で食べるのか!? 食べられるのか、そんなものが!?」
「さ、魚は生で食べちゃいけないって教わったです! お腹が痛くなるです!」
刺身を体験したことのないオルタとアルマの二人が、途端に強烈な拒絶を示した。
内陸らしいバルバレアでは塩漬けからの加熱調理が基本だし、アルマが言ってるのは川魚のことだろう。鮭を含む川魚には寄生虫がいて、生食は基本的にお勧めできない。
「大丈夫だよ、食べられないものは出さないから。マグロって言う、大型の海の魚なんだ。人より大きいサイズの回遊魚なんだけどね」
「食べられないなら、あたしたちが食べちまうよ? 刺身、美味しいのにね」
横からシャクナさんが、フォークで一切れかっさらって行った。
ミスティもシャクナさんも最初は生魚に眉を顰めていたけど、日本に住んでからは普通に食べるようになった。焼いてパサついた魚肉とは違う、独特の食感が癖になるそうだ。
シャクナさんとミスティが美味しそうに皿をつつくのを見て、オルタも恐る恐るトングを持つ。
意を決したように口に含むと、その表情がぽかんと間の抜けたものに変わった。
「何と。ねっとりとした食感に複雑な旨み。……臭みも消え、乙な味じゃのぅ」
「魚は鮮度が命だから。これも冷蔵保存技術の賜物だよ、オルタ」
ぱくぱくと、半ば手が自動的に動いているようにオルタはフォークを動かす。
その様子を見てアルマも手を伸ばし、生魚の味を知って笑顔になる。
「おいしーです! 生肉より癖が無くて、さっぱりしてて食べやすいです!」
「大型の回遊魚と言うと、向こうで言うノクレルのようなものかのぅ? 一度食べたことがあるが、味はのっぺりしていて変な酸味があり、美味には感じられなんだが……これは、美味いの。瑞々しいのに熟した獣肉のような旨味がたまらぬ」
「マグロ――というか、大型の回遊魚は、獲れたらすぐに大量の氷で身を冷やさないと、体熱で味が変わっちゃうんだよ。冷凍保存ができないと、本当の味はわからないかもね」
「うむむ……何としても、この世界の技術を持ち帰って見せねば。それが叶えば、賠償金など微々たる出費じゃ。師の下に弟子入りした甲斐もあると言うもの」
オルタは皿を前に、悩ましげに唸っている。宮廷魔術士筆頭のみならず、国政に口を出す立場でもあるからね。王国が戦争による領土拡張ではなく、技術的な発展を迎えれば、平和的に経済が向上するかもしれない。
暮らしに余裕が出来れば、他種族に対する風当たりも少しは収まる、と思いたい。
「ご主人様、食べられてないですよ? わたしが食べさせてあげますね! はい!」
アルマが明るい笑顔で、フォークに突き刺したカルパッチョをぼくに勧めてくる。
ぼくは礼を言い、そのフォークを口に含んだ。
アルマ。きみたち獣人が、安心して暮らせる世界が生まれればいいね。