彼女の選択
興奮のあまり、ぷしゅう、と力の抜けた賢姫の身体を抱き支え、立たせる。
思えばずいぶん大胆なことをしてしまった気もするけど。勢いと言うことで許してもらおう。
彼女はすっかり顔を上気させ、少女らしく瞳を潤ませていた。
ただ、不快ではなかったようで、発情したように、力の入らないまま「もっとぉ……」と身体をすり寄せてくる。
中学生ほどの容姿の可憐な少女が切なげに哀願してくる様子は、不思議な淫靡さがあって、後ろめたさを感じずにいられない。
ぼくは身体を離すと、彼女は名残惜しげに小さく声を上げた。
その銀色の長い髪をゆっくりと撫で、尋ねる。
「やっぱり、人と触れ合えた方が良いよね? どうする? 行くところが無いなら、ぼくと一緒にくる?」
「そ、それはぁ……わ、妾にはこの王国を離れることはできぬ……この王国を天災から守らねば、妾の代わりに命を差し出してくれた弟にも、国の民にも申し訳が立たぬ……」
彼女は心苦しそうに、ごにょごにょと否定の言葉を紡いだ。
弟って、王のことか。この子の見かけはものすごく若いけど、姉弟なんだな。
何だ、そんなこと。
「別に王国かぼくの傍かを選ぶ必要はないよ。国の仕事をしながら、ぼくの世界に遊びに来れば良いんじゃない?」
「……へっ?」
ぼくは両手で抱き支えたまま、傍らに門を発現させた。
「こことエルフの里をつなぐ門だよ。同じように、ぼくの世界とつなぐこともできる。移動は一瞬だよ、ここに住みながら他の場所に行くことなんて、雑作も無い」
「じ、時空魔法……! 本物の……世界を渡るもの……!?」
彼女のみならず、周囲からも、動揺するどよめきが聞こえた。
世界を渡る門は掛け値なしの魔法だ。
もし、この門が本物ならば、誰しもがぼくを始祖魔術士の後継者と認めるだろう。正確には、この世界の始祖魔術士の後継者じゃないんだけどね。都合がいいから、黙っておこう。
「な、なぜじゃ? なぜ、妾のことをそこまで考えてくれる……? 妾は、そなたの住まうエルフの里を私欲のままに襲おうとした本人じゃぞ?」
「もしも、きみが環境に苦しめられてその行動を取ったのなら、ぼくはその苦しみを取り除きたい。その方が、誰のためにもなるだろ? ……争いじゃなくて、きみが救われることですべてが解決するのなら、そんな優しい結末があっても良いじゃないか」
辛かったね。苦しかったろう。
誰にも素顔を見せられない孤独と、化け物と蔑まれるかもしれない恐怖が彼女を歪めたのなら、力ではなく、その歪みを誰かが正してもいいじゃないか。
ぼくは、にっこりと笑って、彼女の額に口付けをした。
「きみを助けに来たよ、お姫様」
ぼくはそんな高貴な人間じゃないけれど。
それでも、その役目を演じるくらいはしても良いだろう。たとえこのやり取りが茶番に過ぎなくても、誰かが救われるために必要な茶番だってあるんだ。
蒼嵐の賢姫と呼ばれた少女は、耐え難い涙をぼろぼろと流し、ぼくの胸に飛び込んだ。
「うぐっ、あぁっ、わあぁ――――っ!」
「もう、心配はいらないよ」
抱きしめ、泣きじゃくるその小さな背中を、あやすように撫でる。
その様子を見ていた王が、ぽつりと告げた。
「行きなされ、姉上」
周囲の貴族たちは、何かおぞましいものを見るように慄いている。その様子を見回し、王は悲しげに眉根を落とし、そして続けた。
「姉上。魔術士としての責務の他に、余は姉上を縛ろうとは思わぬ。縛る権利など持ちはせぬ。姉上が人並みの幸せを掴もうとなされるのなら、それを成されるが良い。王宮での姉上の立場は、余が何としてでも守り抜いてみせるゆえ」
「良いのか……? 妾は、この異形で人と触れ合っても、良いのか……?」
彼女の言葉に、王は厳かにうなずいた。
この王城に彼女を受け入れる土壌は無いだろう。周囲の貴族の反応を伺ってみても、誰しもが彼女を醜悪な化け物と捉え、ぼくを、それを篭絡する魔王のように捉えている。
その理由は、彼女が醜く見えるという、それだけの理由だ。
この価値観は、そう簡単には覆せないだろう。
彼女の居場所がこの先、この国に本当の意味で生まれるとは思えなかった。彼女を伴侶として迎えようと言う者も、この国には現れないだろう。
彼女が、人として、人と触れ合うには、この国から連れ出すしかない。
「この娘を連れ出すぼくを、恐ろしい魔王と思ってもらってもいいですよ、王様」
「何を仰る、大魔術士殿。そなたの寛容さは身に染み申した。そなたの実力に抗うものも、この国の貴族にはおりますまい。そなたの人柄ならば、血のつながった我が姉上を託せるというもの」
王は恭しくひざをつき、ぼくに向かって一礼した。
「国をしのぐ実力と、義憤に憤る人柄を備えた、偉大なる大魔術士殿よ。我が姉上を、よろしくお願い申す――婿殿よ」
あれぇ?
「……何です? その、婿殿って?」
冷や汗をたらすぼくに、王は、きょとりと首をかしげた。
「……そういう話だったのでは? てっきり、我が姉上に花嫁として参れと言う話かと。史実の伝説を受け継ぐ大魔術士殿ほどのお方となれば、王家の血筋に連なる我が姉姫にも釣り合いますぞ?」
「ぼくには、もう婚約者がいるんですけど」
その一言に、胸の中の彼女が、この世の終わりのような絶望した表情を見せた。
「な……!? 今までの言葉は、やはり嘘じゃったのか? 妾に手を差し伸べたのは、妾を抱きしめてくれたのは、ただ妾の心をもてあそんだだけじゃったのか……? こんな、よりにもよって、おぞましい姿の妾を……うぅ……」
「いや、そんなつもりは無いから! きみは自分の姿を卑下する必要がないよ、と言いたかっただけで!」
「妾は初めて、人の、男のぬくもりと言うものを知った。初めてじゃったのに……」
「大魔術士殿が姉婿となれば、エルフの里との和平も叶いますな? 当代では無理でも、いずれは互いの確執も解けるかもしれませぬが……」
「そういう言い方って汚いですよね!? ぼくは、二人のお嫁さんと離婚する気はありませんよ!?」
「ならば、妾は第三夫人かの? 公爵であり、王姉でもある妾が第三夫人と言うのも体裁が悪いが……相手が伝説の大魔術士ともなれば、詮無きことかの!」
「姉上……幸せを掴みなされよ……!」
ええぇ!?
ちょっと待って! どうしてそういう流れに!?
確かに、口説いてると思われても仕方の無いことをしたかもしれないけど!
王も賢姫も、ぼくの話を聞かずに、すでに確定事項として自分の世界に浸っていた。
どうも、高町繋句です。
このたび、異世界の王家のお姫様を、お嫁に迎えることになってしまったようです……
どうしてこうなった。