蒼嵐の賢姫
「こ――降伏する!」
王が何かを言うより早く、そんな降参の声が上がった。
ぼくの前に立つ顔を隠した女魔術士、『蒼嵐の賢姫』の声だった。
王が取り乱した声で、彼女にすがった。
「姉上! 何を勝手に兜を脱いでいるのですか!? 姉上なら……」
「この者には勝てぬ! 妾の嵐の魔術でも、水を火に変えられ、雷を操られて終わりじゃ……それ以前に、魔術の発動をこやつが許すとは思えぬ」
「よくわかってるじゃないか。もう、そっちに魔術は一切使わせないよ」
制御魔術システム『デック』は起動したままだ。
やろうと思えば、いくらでも相手の魔術を拡散できる。魔術によって凝結した水なんかは消せないけど、電気分解の魔術を見せている。通用するとは思わないだろう。
「騎士団を無力化され、魔術を無効化されたなら……我々には、抗うすべが無い。異界の知識を用い、何を返されるか底が見えぬ以上、戦いにもならぬ……」
彼女の心は、すでに折れているようだった。
あまりにあっさりとした降伏に、拍子抜けした怒りがほんの少し冷める。
「騎士団よ! 鎧を脱ぎ捨て、束縛を脱せ――」
「往生際が悪いっ! ――『雷音』!」
威嚇の雷撃が、室内に音を鳴らした。ばちばちと弾ける雷の音に腰を抜かし、愚かな王はその場にへたり込む。
音は磁力に拘束された近衛騎士団にまで届き、抵抗する気力を奪い去っていた。
「命じればすべて叶うと思っているの? どうしてもぼくと戦いたいなら、王様。あんたが直接来れば良い。どのみち、ぼくはあんただけを狙い済まして焼き尽くすこともできるんだ。手加減はしないから、責任を取って自分で来なよ」
後ろで隠れて、自分では何もせずに命じるまま。それで、何をしても自分は助かると思うのなら、それは大間違いだ。理不尽を見せ付けた責任を取らせてやる。
王はぼくの気迫に腰を抜かし、その場で失禁していた。
「やめよ!」
王を睨みつけるぼくを、賢姫が必死に制する。
彼女は一歩前に歩み出て、フードを脱いだ。
ごつごつと岩のように荒れた肌、広く離れたぎょろりとした目があらわになる。肉付きも良く、この世界では美しいとされる容姿か。
何で、顔を隠していたのかはわからないけど。
「おお……賢姫さま……!」
「なんと、お美しい……!」
その容姿に、緊迫した場だと言うのに、室内に感嘆のため息が満ちた。
周囲の注目を浴びながら、賢姫は眉尻を落として告げた。
「エルフたちの里を襲わせたのは、妾の命令じゃ。責任はすべて妾にある。――どうか、この首一つで怒りを治めてはくれぬか。我が命と引き換えに、この王国と、この場にいる者たちは救ってくれ」
「……何で、エルフの里を襲ったの?」
「それは……」
口ごもり、口を閉ざす賢姫。
しばし、短い沈黙が満ちる。今さら口に出来ない理由があるのか? とも思うけど、どうもそれは彼女にとって、命を乞うよりも重い事情のようだった。
自分の命を差し出す、と懸命な態度を取られ、ぼくは内心で怒るよりも戸惑っていた。
「ならぬ! 姉上はこの王国の安寧に必要な方! 魔術士たちよ、その身に代えてでも姉上をお守りしろ!」
王が、恐怖を制して魔術士部隊に命令を下した。
それほど重要な人物と言うことか。高位の魔術士だから、国政でも重要な役目を持っているんだろう。
でも、それと反撃を許すかは別だ。
ぼくはありったけの力を込めて、その場のすべての魔術を打ち消すべく『デック』を起動させた。
「――範囲指定、室内全域! 『魔力拡散』!」
暴風雨のように、霧散した魔力が荒れ狂う。数人、数十人分の魔術が制御魔術によって拡散し、使用された魔力が行き場をなくして渦巻いた。
「――ああ、ああっ!?」
視界がふさがれる中で、誰かの悲鳴が聞こえる。女性の声だ。
やがて、魔力の暴風が治まると、そこには――
「ひぃッ!?」
小柄な、目を疑うような美少女が立っていた。
「ば――化け物ッ!」
「け、賢姫様!? そ、そ、そのお姿はいったい……っ!?」
大きな紫色の瞳に、輝くような銀色の髪。
細いあごに整った鼻梁、その造形はエルフにも負けないほどの美貌だ。姉上、と王に呼ばれていたはずだけど、どう見ても中学生ほどの容姿にしか見えない。地球でなら、メディアに露出しているアイドルグループが軒並み逃げ出す可憐さだろう。
地球でなら。
ぼくの目に美少女に見えると言うことは、この『蒼嵐の賢姫』という女性は、この世界での周囲からは――
「……とうとう、バレてしもうたか」
力なく、諦念を含んだ、泣きそうな声で、彼女は言った。
彼女がゆっくりと周囲を見渡すと、周りを取り囲んだ貴族たちは揃って後ずさった。中には視線を合わすことに耐えかね、その場に吐き出した者もいる。
その視界にはもはやぼくなど入っておらず、彼女を見るその表情は、畏怖と嫌悪に彩られていた。
「先ほどまでの美貌は、魔術で作り出した幻影じゃ。異界の大魔術士よ、妾がエルフの里を襲わせたのは、幻術に必要な魔物の素材が大森林でしか採れぬものじゃったからじゃ。……これで、納得してもらえたかの?」
大森林……思い出した!
エルフの里に来ていた行商人が、魔物の素材を高く買い取る客がいると言っていた。
彼女のことだったのか。もしや、里の襲撃の引き金は、エルフたちが行商人との取引を辞めたから……?
「この容姿を隠さねば、妾にこの王国での居場所は無かった。知られれば、妾こそが化け物と追い立てられるからの。……はは。だが、それも今となっては意味の無いことじゃ。さぁ、国の者たちの代わりに、この首を持っていくが良い」
「だ、大魔術士殿! 我々は、その化け物に騙されていたのです!」
「まさか、我らの国の中枢に、かような魔物が座しているとは……!」
周りの貴族たちが、手のひらを返して賢姫を生贄に差し出そうとしてくる。
口々に自分の無実と賢姫の罪を訴える連中に、ぼくは無性に腹が立った。
言い出したのは彼女でも、それに賛同したのはあんたらだろうに!
そう叫ぼうとしたとき、それより先に場の声を制する者がいた。
「――やめぬか、貴様ら!」
恐怖に震え、失禁していた、この国の王だった。