浄火の炎
真っ白い炎がぼくの身体を包んでいた。
身体の内から溢れ出した魔術が炎と融合して、ぼくの身体をめぐっている。
早く解き放て、と。
迫り来る理不尽と不条理を焼き払え、と。
そう叫ぶかのように、煌々と白い炎が舞い踊る。
「ツナグ、ダメよ!」
「心配しないで、ミスティ。この炎は……人の身体は焼かない」
ぼくの身を案じてやぐらに登ってきたミスティがぼくを制止する。
けれど、ぼくは何も心配していなかった。この炎は物理的な熱を持たない。
人を癒したいと思った。けれど、治療魔術では、精神の傷は癒せなかった。
かつて、老いた大魔術士は嘆いた。この世の理不尽と、強欲な者たちの傲慢を。
ぼくを見て、ぼくに会って、老いた大魔術士は願いを託した。
ぼくは、『魔法』を託された。
「神炎の魔術――『浄火の炎』!」
溢れ出した白い炎が奔流となり、襲い来る人族の騎士団を飲み込む。
村の入り口は炎の海となり、その場にいる者たちをすべて包み込んだ。
「うわぁぁぁ!」
「逃げろ! 退避、退避せよ!」
「間に合わない! 火のめぐりが、早すぎ――」
騎士団たちが恐慌と苦悶に包まれる。
逃げる暇もあらばこそ、その身は白炎の海に呑まれ、奴隷も、兵士も、騎士も問わず、炎の海の中に沈んだ。
白い炎が渦を巻き、やがて爆発のように光を溢れさせる。
ぼくは、静かに告げた。
「すべての黒き感情を燃やし尽くせ、浄火の炎」
炎が、光へと変わる。
やがて、光の弾けた後に残るのは、無傷の騎士団たちだった。
「な……? わたしたちは……なにを……」
「あれ……おれたち、何でここに……?」
「ここは……どこだぁ……?」
里に攻め込まんと猛っていた兵士たちは、皆、一様にその場にへたり込んで呆けていた。
まるで数十秒前までの怨嗟を忘れたように、憑き物の落ちた顔で呆然と辺りを見回している。
自分たちが、なぜここにいるのか。何をしようとしていたのか。
忘れたのではなく――なぜ、自分たちがそんなことをしようとしていたのか、わからない。
そんな表情をしていた。
兵を犠牲に暴虐さを示していた指揮官でさえも、虚空を見上げてぼんやりとしている。
ぼくは村の入り口に降り立ち、その場に立ち尽くす騎士団に向けて告げた。
「皆さん、自分の国に帰ってください。ぼくもエルフも、皆さんとこれ以上争いたくない」
「……うん? ……あ、ああ、そうだな……我々は……何をしに、ここへ……?」
「我々の任務には……何の意味があったのだ……?」
首をかしげながら、きびすを返す騎士や兵士たち。
その表情は夢から覚めたばかりのように朦朧としていて、現状の不可思議さに疑問を抱いているようだ。
「我々は……なぜ、国の命令などで使い潰されねばならぬのだ……?」
茫洋としたつぶやきを残し、兵士たちの姿が街道へ向けて、森の中に消えていく。
敵の姿が残らず消え去り、ミスティや村長さんたちが柵の外へ出てきた。
「兵士たちに……何を、したの、ツナグ?」
「あの魔術は、人の身体を焼く魔術じゃ無いんだ。人の敵意や悪意を焼き払う魔術。それが、ぼくの新しい神炎『浄火の炎』だよ」
「精神……魔術……! 伝説の……」
村長さんが、おののいたようにつぶやく。
人の精神に作用する魔術は、契約魔術を残して今は途絶えた技術らしい。
太古に伝わる始祖魔術士の時代に遡らなければその存在は確認できず、人族の伝承に伝わる程度なのだとか。
そりゃそうだよね。そんな便利な魔術があれば、大陸中を支配することも可能だもの。
「ぼくの魔術は、好きなように相手を操れるわけではないです。ただ、相手が抱いている敵意や悪意、相手を突き動かす負の感情を焼き払う、心に作用する幻の炎みたいです」
多くの世界の、多くの人々を救って欲しい。
悲しみや争いごとを無くして、多くの人と手を繋ぎたい。
先代の老人の願いと、ぼくの願い。二つの願いを叶える、夢物語のような白い炎。
この戦いで、犠牲者は誰も出なかった。
そんな夢物語のような魔術を振るった今なら、ぼくにも名乗れるだろうか。
戦場そのものを、戦そのものを無くせる力を手にした今なら……
誰もが夢見る甘い御伽噺を、現実に叶えるその称号を。
「ぼくは……みんなが望んだ、本当の大魔術士になれましたか?」
里の中から、大きな歓声が上がった。
脅威の去った村の入り口に、里のエルフも獣人たちも、みんなが歓喜とともに集まった。
ミスティとシャクナさんが、手にした弓を捨ててぼくに飛びついてきた。
「ツナグ……っ! ありがとう……っ!」
「やれやれ。里の英雄になっちまったね、旦那様?」
「あはは。少しは格好つけられましたかね」
「「自慢の旦那様よ!」」
二人から頬に熱烈な口付けが降り注ぐ。
はやし立てるエルフたちの中から、歩み出る姿があった。
人族に隷属させられていた、介抱した獣人たちだ。
その中から、ぼくに付き従いたいと言った熊人の少女、アルマが皆を代表するようにぼくに歩み寄る。
「ご主人様は……すごい方だったんですね……っ!」
瞳を輝かせて、ぼくを崇拝するような視線を向けられ、ぼくは苦笑した。
彼女たちが安心できるように、熊の耳が生えたふかふかの頭を柔らかく撫でる。
「もう、心配いらないよ。皆はぼくが守るから」
「はいっ、ご主人様っ!」
アルマが表情を輝かせて、大きくうなずく。その顔は活き活きと、隷属させられていたそれまでを微塵も感じさせないような、希望に溢れた笑顔だった。
エルフの里全体が、エルフも獣人も含めて、喜びと安堵に満たされていた。
ぼくも肩の力が抜け、大きく胸を撫で下ろす。
夢を叶えられる確かな力を得られたことが、ぼくには嬉しかった。
そして、それによってもたらされる平穏を皆が喜んでくれている。
望むことなんて、他にいくつも無い。
ぼくは、喜ぶ皆に向けて、笑顔で言った。
「さぁ。美味しいものでも食べようか、みんな」
後は、幸せになるだけさ。