奴隷っ娘の愛情
熊人族の女の子、アルマはぼくの後をちょこちょことついてくる。
まだ体調が戻っていないのだから寝ているべきだ、と忠告したのだけど、ぼくの役に立つことを見つけるために寝床を抜け出して、ぼくの行く後を追う。
捨てられないか、という、ぼくに対する不安と――
敵である人族に使役されていた、という、この里における疎外感みたいなものを感じているんだろう。
実際には疎外なんてそんなこともなく、嫌悪感を示さない外の種族と言うことで、周りのエルフたちからは好意的に捉えられている。
ただ、迂闊に近づいて怯えさせてはいけないと思って距離を取っているだけだ。
だもんだから、アルマの動きを止める人は誰もいない。
みんな、戦いの最中ということを忘れて微笑ましそうな視線で彼女を見ている。
「あー……アルマ?」
「は、はい! 何でしょう、ご主人様!」
「ぼくは、これから本部に戻って、騎士団の動向に対応しなくちゃいけないんだけど……ついてくるの?」
「はい! ご主人様のおそばに、いさせてください!」
ぼくは、眉間に指を当てて考え込む。
これは、言っても大人しく寝てなさそうだ。せめて栄養だけでも補給させないと。
「すみません。誰か、この子に食事を用意してあげてください」
「そ、そんな! 貴重な食糧を使っていただかなくても、大丈夫です! 一日や二日くらい、抜い……ても……あぅ……」
慌ててアルマが叫ぶけど、そのお腹が、きゅう、と小さく鳴いた。
血色も良くないし、栄養状態が悪いことは見てわかる。たぶん、一日一食食べているかいないかだろう。
「あたしが作るよ。消化の良い麦粥の方が良いだろう?」
「お願いします、シャクナさん。火はぼくが起こしますから」
指揮を執る村長さんに向けて、戻るのが遅れる旨の伝言を頼み、台所に移動する。
シャクナさんとミスティが小鍋を洗う横で、ぼくも大鍋に水を汲み入れた。
味付けは水一リットルに対して塩三グラム、砂糖四十グラム。飲む点滴とも言われる、脱水症状の際に水分と電解質、栄養を補給する経口補水液だ。
中身が全部溶けたら、外の鍋肌を水で濡らして、ミスティの風の精霊魔術で乾かして熱を奪う。気化熱による冷却だ。
確か、雷の魔術でも、ペルティエ効果という電圧差による熱放出の法則を使えたはずだけど。あまり冷やしすぎても消化器官に悪いので、自然冷却に任せた。
経口補水液を汲み、コップに入れてアルマに渡す。
お茶請けは里の備蓄品である板チョコだ。ぼくが銀紙を剥いて渡してやると、漂う甘い匂いに鼻を鳴らし、興味深そうに見慣れぬ黒い塊を見つめた。
「あの……これは?」
「身体に良い水と甘いお菓子だよ。とりあえず水分と糖分を摂らないと、まだ身体が回復してないからね。食べてごらん、美味しいよ」
「い、良いんですか? 甘いものだなんて、そんな貴重な……」
「たくさんあるから、遠慮しないで。これはきみのものだよ、アルマ」
できる限り柔らかく、そう諭す。アルマは遠慮がちに手に持ったチョコレートを見つめていたけど、ぼくが促すものを断れず、口をつけた。
一口味わったその瞳から、涙が溢れる。
「……美味しい……こんなの、今まで、食べたこと無いです……」
「良かった。座ってゆっくり食べなよ。もうすぐ、食事も出来上がるから」
ぼくが椅子を薦めるけれど、アルマは恐縮しながら首を振った。
「ひっ、ど、奴隷のわたしが、ご主人様と同じ食卓になんてつけません! 床で充分です!」
床で食事だなんて。
女の子にそんな扱いをするわけにはいかないと諭したけど、アルマは頑なだった。
よほど、人族に悲惨なしつけを受けたらしい。恐怖心が滲み出ていた。
ぼくは痛ましさに表情が歪みそうになるのをこらえ、自分の椅子を引いて笑いかける。
「おいで、アルマ」
「え……?」
戸惑うアルマの手を引き、自分のひざの上に座らせる。
同じ椅子の上でぼくに抱きしめられる形になり、アルマはとても困惑していた。
「え? え? ご、ごしゅじんさま? 何を……」
「……もう、怖いことなんて無いよ。大丈夫、怯えなくていいから」
アルマの細くて小さな身体を抱きしめ、短い茶色の髪をゆっくり撫でる。
下の妹が小さな頃にも、こうして抱きしめて、髪を撫でてやったことがあったっけ。
雷が怖くて泣いてた妹をあやした昔を思い出すように、ぼくはアルマの髪を撫で続ける。
次第に、アルマの身体の震えは止まっていた。
ぼんやりとまぶたが落ち、抱き寄せられるままに身体を預けてくる。
「ごしゅじんさまは……どうして、こんなにわたしに優しくしてくれるんです……?」
「うーん? ……そうだね。きみが傷ついて怯えているときに、それを癒したいと思うことに理由が要るかな」
治療魔術では、心の傷までは癒せない。
でも、万能な制御魔術の助けを借りれば、いつか精神に作用する治療魔術を編み出せるだろうか。いつか叶えたいと、ぼくは彼女を見て強く思う。
おじいさんが修めた制御魔術が、新たな魔術を編み出すように。
ぼくも、ぼくの魔術を編み出せるだろうか。
どんな魔術かはわからないけれど――
人を傷つけるより、人の悲しみや苦しみを吹き払える魔術であればいいな、と思う。
「ご主人様……苦しいです……」
「え? ご、ごめん、力をこめすぎてたかな」
「……っ、ちが、違います……胸が……胸が、苦しいんです……っ」
胸が? 大変だ、アルマは何かの疾患を持ってるんだろうか?
急いで治療しないと、と思うぼくの首に、アルマの両腕が回された。
「あ、アルマ?」
「……ご主人様! お願いです、ずっとわたしのご主人様でいてくださいっ!」
頬に触れるアルマの頬。彼女は、自分からぼくに抱きついていた。
頬に触れるアルマの肌は、濡れていた。彼女は小さく嗚咽を漏らしながら、ぼくに頬を摺り寄せてくる。
まるで求愛行動のように、何度も、何度も。
ぼくはその背に手を回し、彼女に手放されないと伝わるよう、無言で強く抱きしめた。
「……仲が良くなったのは良いんだけど。麦粥、できたよ?」
お盆を持ったミスティから苦笑交じりの指摘が入り、ぼくは我に返った。
ごめんなさい、奥様方。でも、放っておけなかったんです。
他意は無いんです。
その後、動転するアルマをなだめ、ひざの上で麦粥を食べさせてやった。
アルマはパニックになっていたので、ぼくが匙を持って食べさせたのだけど……
それを羨ましそうに見ていた二人から、後日同じことをして欲しいと要望があった。
あ、はい。
二人をひざの上に乗せて、あーん、って食べさせてあげればいいんですね?
外では、里の存亡を懸けた作戦が進行中のはずなんだけど。
どうしてこうなった。