戦いの心構え
里に帰還すると、ぼくを待っていた村長さんや社長たちの元へ戻る。
村長さんや社長だけでなく、そこにはロアルドさん、シャクナさん、春村会長に武田さんがそろい踏みしていた。
みんなは、ぼくの緊迫した表情を読み取ったのか、微かに眉間にしわを寄せた。
「すみません、無理でした。人族の軍は大森林に向かっています」
「そうですか……ツナグ殿は、よくやってくれました。気に病むことはございません」
村長さんがぼくの気を和らげようと笑いかけてくれる。
けれど、みんなの表情は沈痛なままだった。
「やはり、避けられなかったか」
「仕方ないさね。向こうは、あたしたちエルフを対等に扱ってないし」
「話し合いでは、無理じゃろうな」
「専守防衛という手段を取らざるを得なかったことが悔やまれますわね」
居並ぶ面々に、村長さんが頭を下げる。
「かくなる上は、以前からお話していた通りに、カドタ様、ハルムラ様、タケダ様はニホンへとご避難ください。我々だけならこの大陸を逃げ延びることもできましょうが、皆様が敵の手にかかったとあれば悔やんでも悔やみきれません」
「わかった、武運を祈るぞい。また一緒に茶を飲もう」
「どうかご無事で、皆さん。ロアルドも……きっと、帰ってきてね」
春村会長と武田さんが、支度を済ませる。この二人は、何があっても異世界で行方不明になってはいけない二人だ。
この二人さえ無事なら、エルフが日本で暮らしていくためのバックアップも容易になる。
「繋句、お前は残るのか?」
「はい、社長。門を使えるのはぼくだけですし、ぼくの魔術で敵を減らさないと、万が一の場合の撤退も危ないと思います」
社長がぼくの安否を気遣うように声をかけてくる。ぼくの決心を見て取ったんだろう、苦渋の表情を浮かべて、社長は唇を噛み締めた。
「向こうの仕事は、俺と里中に任せろ。お前は有休扱いにしておいてやる。必ず、無事に戻って来いよ。間違っても死ぬんじゃないぞ」
「心配しないでください。せっかく発展したこの里を、侵略なんかさせたりしませんから。きっと、守って見せます!」
ぼくがそう答えると、社長は苦笑してぼくの頭に手を置いた。
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「村長さん、工事の進み具合はどうですか?」
三人が日本へ帰還した後、日本行きの門を消して、ぼくは村長さんに向き直った。
「村の周囲の土を掘り、堀を作っております。堀の壁面は『せめんと』で固め、上を木柵を密にした壁と土塁で囲んでありますので、昇ってこられることはないでしょう。入り口の架け橋以外、進入路はありません」
「森の中は?」
「里に続く道を倒木で塞ぎ、周囲に罠を仕掛けました。行商人の知る道は使えないと思います。考えられるのは、大軍を少人数に小分けして、頭数に任せて林道を開拓するくらいでしょうな」
「少人数に分かれて森に深入りしたところを、各個撃破、ということですか」
「止むを得ません。なるべく死者は出さないようにしますが」
胸の内が苦くなる。
今から人と傷つけ合う争いが始まる、ということが心の負荷になっている。
村長さんたちも好んでやっていることではない。けれども、心を鬼にしてでもやらねばならないことだった。
迎え撃たなければ、こちらが蹂躙されるのだから。
「夜になったら、ぼくの魔術で、宿営地になる森の開けた場所の気温を上げます。睡眠時間が減れば体力が落ちるし、それでなくても慣れない熱帯環境は神経を削る」
日本に住んでいれば、高温多湿の熱帯夜の辛さは身に染みている。
向こうが信念無く欲望でこちらに向かってくるなら、心神に負荷をかけて心を折る。
ミスティと出会った森の泉は街道の反対側、森の奥深くだし、水分の確保にも苦労するはずだ。
人数で圧倒されている以上、大森林という環境を利用して優位に立つしかない。
「もしもの場合は……」
ぼくは意を決して、それを口にした。
「もしもの場合は、相手方の死者よりも負傷者を増やすことを念頭に置いてください。行動不能な人数を増やすんです」
これは良心や倫理観から採る戦術じゃない。
地球には、地雷という兵器がある。
地雷は人の命を奪うことを念頭に置いた兵器じゃない。負傷者を量産し、その介護で兵の人手が割かれることを意図した兵器だ。負傷者と介護者を作成し、二重に人手を減らす意味で埋設される悪魔の兵器である。
そのことを説明すると、隣にいたシャクナさんが、ぼくの頭を抱きかかえた。
ゆっくりと、ミスティも胸元に頭を寄せてくる。
二人とも、身を切られたように悲しそうな表情をしていた。
「もういい、もういいんだよ、ツナグ」
「ツナグがそんなことを考えなくていいの。ツナグ、気がついてないかもしれないけど、辛そうな顔してる。ツナグの心が、削れちゃうよ」
「シャクナさん。ミスティ。二人とも……」
「……ツナグ殿。ハルムラ殿から、聞きました。ニホンは決して楽園ではなく、七十年前には大きな戦に破れた国だったと。それでもニホンは立ち直った。我々もそうです、生きてさえいればどうにかなる」
重い空気を振り払うように、村長さんは、優しく笑う。
「これは、敵を叩き潰すものではない。生き延びるための戦なのです。我らエルフの力を、信じてください」
諭すような言葉が、村長さんの笑顔が、ささくれた胸に染み込む。
ぼくは何を一人で気負っているんだろう。
大切なものを傷つけさせたくは無い。けれど、エルフのみんなは里に執着してはいない。
悲嘆にくれて、慌てているのは厳密には当事者でもないぼくだけだ。
ぼくは、大きく深呼吸した。
気を取り直そう。気の持ちようで、状況の捉え方は変わるはずだ。
「そうですね。みんな、ごめんなさい、一人で焦ってました」
相手は五千の武装した兵団。でも、怖くは無い。
この里のエルフたちの心は、そんなに弱くないんだから。
「嫌な相手には、嫌がらせでお返ししましょう! ――相手が『もう嫌だ!』って叫びたくなるくらい、徹底的に追い回して、穏便に帰ってもらうのがぼくらの目標です!」
やるか。
これは戦であって、戦じゃない。心の折り合いだ。
しょうもない文化の磨き方にかけては、海外から『ヘンタイ』と呼ばれるほど偏った日本人の底力を見せてやる! 相手が泣くまで、嫌がらせするのをやめない!
「名づけて『お帰りはあちらです』作戦! 開始しましょう!」
周囲は、ほっとしたように、笑顔でうなずいてくれた。
その表情はどこか、迫り来る敵に対して、いたずらめいたものにも見えた。