危難の予兆
「なぜだ! なぜ、人族の国軍が攻めてくる!?」
村長さんは明らかにうろたえていた。
それもそのはずだ。想定していた状況とまるで違う。
商人の報復で人族の襲撃があることを予想していても、一国が軍を動かすのは想定外だ。それも数は五千。単純に、こちらの五十倍だ。戦力比としてはもっと大きい。
あの行商人は、そんなに人族に影響力を持っていたのか?
そんなはずは無い。それなら、もっと割りのいい商売に精を出していたはずだ。
「どういう名目で軍を出したか、わかるか、カネル?」
「街の噂では、鉄資源の調査とか……」
鉄資源。
里に溢れる日本産の鉄製品が、兵を呼んだと言うのか。
「……ぼくのせいです。ぼくが、里に鉄器を持ち込まなければ」
「それは違います、ツナグ殿。ツナグ殿のおかげで、この里の暮らしは格段に楽になった。ツナグ殿だけに責任を押し付けられません。享受したのは我々です」
ロアルドさんが静かに首を振る。
ミスティも隣でうなずいていた。周囲のエルフたちからも、賛同の声が上がる。
「それにしても、おかしな話です。行商人に見せたのは鉄器だけだ。量としては微々たるものです。国軍が動くほど巨額の利益を、里の外には知られていないはずです」
「村長さん。それは里の内部の情報を探って、持ち帰った人がいた、ということですか?」
「ありえません。行商人との取引停止から、森の中の見回りを行わせておりました。里の中に入り込む人族など、いなかったはずです」
どういうことだろう?
村長さんの話が確かなら、人族の国は確たる証拠もなしに、領土の外まで軍を派遣しようとしていることになる。
この大森林に対する開拓調査団なんだろうか? 領土拡張のための?
手間と費用を考えると、軍を動かすのは腑に落ちない。もっと、民間人を含めた調査団なんかの先触れがあってもいいはずだ。
何だろう、この違和感は。何か、ぼくらの知らない事情があるんだろうか?
「どうするの、お父様? 戦うにしても、相手の数が多すぎるわ」
「うむ、ミスティの言うとおりだ。最悪の場合は、里を放棄して遺跡に避難すると言う手も考えている。里は、畑も倉庫もすべて荒らされるだろうが……」
命には代えられない、と村長さんは重々しくつぶやいた。
「ぼくの魔術があれば、戦力は足りるはず――」
「それはいけません、ツナグ殿」
ぼくの申し出は、にべもなく村長さんに断られる。
ロアルドさんが、悲しそうな顔でぼくの肩に手をかけた。
「ツナグ殿。貴方は戦ってはいけません。日本には戦が無い。そのような場所で生まれ育った貴方を、恩人で客人である貴方を、戦火にさらすわけには行かないのです。これは、我々エルフ族の総意です」
周囲を見渡すと、エルフたちは決意めいた表情でうなずいていた。
「そうです! 恩人に手を汚させるなど……!」
「わ、私たちだけでも戦えます!」
「ツナグ様は、安全なところにいてください!」
村の人たちが、口々にぼくを戦場に出させまいとする。
みんなの反応に、ぼくは涙がにじみそうになった。
それは確かに、ぼくに人と戦える自信は無い。でも、みんなを守れる力があるのに、安全な場所に一人で残っているわけにもいかない。まして、ぼくを気遣ってくれる人たちを見捨てるなんて、出来るわけがない。
エルフたち全員を日本に避難させるには、まだ居場所が整わない。
一番有効な手段は、傲慢ではなく、ぼくの大規模魔術しか無いように思えた。
「……大丈夫です、ツナグ殿。相手の行軍は足が鈍い。まだ軍が攻めてくるまでは十日かそこらはあるでしょう。その間に対策を考えてみます」
「わかりました。戻って社長たちにも相談してみます。日本の道具を使えば、この窮地をしのげるかもしれない」
「お気持ちは嬉しいのですが、日本行きの門はすべて消していただけますか。万が一にも向こうに攻め込まれる事態があれば、我々は貴方たちに顔向けできません」
村長さんは、笑って言った。
「ツナグ殿。ありがとうございました。我々エルフは、ツナグ様たちニホン人の皆様のご温情を忘れません」
やめてください、と言いそうになった。
のどが詰まる。胸の中が焼けてくるように、感情がこみ上げてくる。
そんな風に笑わないで欲しい。
そんな、何もかもを投げ出すような笑顔を向けられても、嬉しくないよ。
ぼくは、エルフのみんなには、もっと幸せになって欲しいんだ。
これからも、ずっと。
「――ぼくも戦いに参加させてください」
「ツナグ殿!?」
「ツナグ!? ダメよ!」
「ミスティとロアルドさんは加勢する気なんだろ。きっとシャクナさんもそうだ。だったら、ぼくもみんなを放ってはおけないよ。この里のみんなは、もう他人じゃないんだから」
「ツナグ……」
悲しみに顔を歪めるミスティを抱き寄せ、安心させる。
「大丈夫。直接兵士と切り結ぶわけじゃないから。ぼくにだって後方支援くらいはできるよ。上手くいけば、熱魔術で相手の装備を剥がすこともできるかもしれない」
北風と太陽作戦だ。
銀は鉄に比べて熱と電気の伝導率が非常に高い。
電気伝導率が高いので、電磁波で装備を熱するのはあまり効果的ではない。銀は抵抗が少ないため、分子振動が起こりにくく熱を発しづらいからだ。
磁性の少ない反磁性金属のため、磁力で動きを止める無力化も難しい。
だけど、熱そのものの伝達率は非常に高い。温まりやすい銀なら、高熱でサウナのような環境を作り出してやれば装備を身に着けていられなくなるかも知れない。
森のように多湿なら、高温環境を作り出せば、脱水症状の多発による撤退も望める。
いよいよとなれば、感電による後遺症の可能性を無視して広範囲の感電魔法で無力化するという手段もある。
エルフのみんなは、ぼくにそういう手段を取って欲しくないんだろうと思うけど。
雷の魔術は安全な無力化には向かなくても、熱魔術なら可能性はある。
「それよりも、敵が迫るのを察知するために、警戒網を作ろう。――村長さん。今から日本に戻って、いくつか道具を購入してきます。村の人たちで役割を分担して、配備してもらえますか?」
「……わかりました。お願いします」
村長さんは、決然とうなずいた。