旅立ちの準備
ミスティとシャクナさんは午後から合流することになり、午前中はロアルドさんを連れて里へ赴くことにした。
門をくぐり、エルフの里を訪れる。
つなげた先は村長さんの家の前だ。玄関の木の扉をノックし、在宅を確認する。
「失礼します、繋句です。村長さんはご在宅ですか?」
やや置いて、村長さんが扉を開けて出迎えてくれた。
「こんにちは、村長さん」
「おお、これはツナグ殿! ……と、ロアルド? その格好は?」
息子のスーツ姿に目を瞬かせる村長さんに、ロアルドさんを紹介する。
「今日は、角田古物商の社員として来ました。研修生の、ロアルドさんです」
「本日より角田古物商に研修社員として雇われました、ロアルドと申します。村長殿に置かれましては、お変わりないようで何よりです」
慇懃に一礼するロアルドさん。村長さんは一瞬呆気に取られたが、すぐにしかつめらしい顔をして頷いた。
「これはこれはご丁寧に。エルフの里の村長をしております、エッケルトと申します」
挨拶を交わす二人。
やがて、形式ばったやり取りに、どちらからともなく噴き出した。
「お久しぶりです、父上!」
「いや、元気そうで良かった、ロアルド。少し痩せたかね? ――立ち話もなんだ、中に入りなさい。お茶でも入れよう」
「それでは、失礼ながら」
「……自分の家に入るのに、失礼も何もあるものかね」
「い、いや、父上。商業上の作法を習得せよ、との研修なのですよ。この後、別の取引先にも参りますので、そこで恥をかく前に練習しろと周りから言われまして」
「わかっておるわ、安心せい」
からかい半分に、からからと村長さんは笑い飛ばす。
日本の服に身を包んで、異種族の社会で働く息子の姿が嬉しいんだろう。物腰は普段どおりだけど、空気がはしゃいでいるように見えた。
ぼくらは家の中に案内され、テーブルでお茶をご馳走になる。
お茶は緑茶だった。茶請けには大福、この組み合わせはたぶん春村会長の持ち込みだ。
「それで、ニホンでの暮らしはどうだね、ロアルド?」
「はは。恥ずかしながら、衣食住すべてユメコの――失礼、タケダ様のお世話になっております。本人は私の将来に対する投資だと言ってくれてはいますが、やはり肩身の狭さから勉強にも熱が入りますな」
「かまわんよ、普段どおりにしなさい。ニホンの文字は難しいかね?」
「はい。何とか、音を表す五十音は書き取れるようになりました。カタカナという別表記も覚え、今はカンジという、意味を表す文字を四百文字ほど覚えたところです」
「え。ロアルドさん、もうそんなに覚えたんですか?」
ぼくは思わず口を挟んでいた。
四百と言ったら結構な数だ。一ヶ月少々で、小学三年生くらいの現代国語を学んでいることになるのかな? よっぽど熱心に勉強したんだな。
「まだまだ、覚えたてですがね。ユメコとは、秋口までには仕事上の書類を読めるようになりたいと話しています。それと、『ぱそこん』という機械を使うために、ろーま字なる別の言語も年内に覚えようかと」
「そこまで行けば充分戦力になりますね。ぼくが忙しいのも、あと半年の辛抱ですか」
「ええ、先にユメコが合流するとは思うのですが。ご期待ください、ツナグ殿!」
気負いもなく、爽やかに笑うロアルドさん。
息子の日本での進捗に、村長さんも満足そうに頷いていた。
「それで、ロアルド。これからは、ツナグ殿の代わりにお前が里との調整を手伝うことになるのかね?」
「まだまだそこまでは行きませんね。当面はツナグ殿の補佐や、雑用が主です。……まぁ、村の中でのことならば、私にもわかることは多いのですが」
「ぼくが忙しくて身動き取れなくなったら、家の合鍵を渡しますんで、ぼくの部屋から門で行き来してもらうかもしれません。あと、ミスティやシャクナさんと一緒に里に行ってもらうかも」
「そうですな。ツナグ殿の負担が減るのならば、どうぞ愚息を思う存分に使ってやってください。その方が、ロアルドも早くそちらの仕事に慣れるでしょう」
「はは、期待してますよ。……ところで、今日の本題なんですけど」
ぼくが話を切り出すと、村長さんは、はて、と首をかしげた。
「村長さん、この間、この里から外に向けて使者を出すって言ってましたよね? その準備で必要なものがあれば、今日、これから用立ててこようと思うんですけど」
「おお、それはありがたい! ……しかし、どのようなものがあるので?」
「旅って、どんなものが必要ですかね、ロアルドさん?」
ぼくはこの世界を旅したことが無い。
中世の旅事情なんて予想もつかないから、ここは両方の世界を知ってるロアルドさんに必要なものを聞いた方がいいだろう。
「そうですね……向こうのものですと、ライターや携帯コンロ、浄水用の簡易ろ過器などがあると楽になります。ろ過器はペットボトルで作れないことも無いですが、キャンプ用品にもあるそうなので」
「寝袋やテントの類も必要ですか?」
「いえ。野営中に、野盗や獣などの外敵に襲われたときにすぐに身動きが取れないのは危険です。マントに包まって寝た方がいい。それよりは、トレッキングシューズやブーツなど、足元を万全にするのが良いでしょう」
他には、ネックウォーマー等があると夜間の冷え込みが楽になるのだとか。
なるほど、なるほど。
商品計測用のメジャーは持ち歩いてるから、後で足のサイズを測らせてもらおうかな。
「他には、えるいーでぃー、でしたか? そのランタン等や懐中電灯は欲しいですな」
「防災用品と変わらないですね。たぶんデパートにコーナーがあるんで、見てみましょう」
他にはお馴染みの食糧や、身を守る鉄製の武器。
ただし食糧に関しては、缶詰は意外にかさばるので、小瓶に入った家庭用の調味料の方が良いとのこと。食材は自分で狩りをして現地調達することが多いそうだ。
そう言えば、同じく自然の中で長期間行動する特殊部隊なんかも、重宝するのは調味料だって聞いたことあるな。
特にカレー粉なんかは、野生動物の肉の臭みを消してくれるから、食事の確保に欠かせないものだとか何とか。
塩分も必要だろうし、食料品売り場でも買い揃えておこう。
「武器や鉄製品に関しては、こちらで用意しております。調整も済んでおりますよ」
「そうですか。じゃあ……あ、村長さん。アルミホイルとかは使います?」
「あるみほいる……ですか? それは、どのようなもので?」
「ああ、それはいいですな、ツナグ殿。――父上。アルミホイルというのは、羽のように軽い銀を、薄く紙状に延ばした反物です。火に燃えないので料理にも使えますし、何より人里に持ち込めば、高値がつくでしょう」
日本では一般的なアルミホイルだけど、この世界ではアルミ自体がまだ希少だ。
鉄を超えて地球でもっとも表出量の多いアルミだけに、日本では消耗品として扱っていることに、村長さんは驚きを隠せないでいた。
この世界だと金属を紙みたいに伸ばす技術も無いだろうし、ちょっとしたお宝だろう。
「そのようなものがあるなら、是非、里で使う用のものも購入したいですな。……ツナグ殿、お願いできますかな?」
「わかりました。安いので大量購入しておきます」
「父上。外の種族と交流が成立すれば、必ず交易品の目玉になるかと!」
日本から輸入したものをこの世界に流し、相手からは銀細工の原料となる銀を購入する。
日本が通ってきた技術立国としての道筋を、知らず、この里も辿ろうとしていた。
里の未来の展望も含めて、午前の打ち合わせは実りあるものになった。