朝の目覚め
朝、眠っていると柔らかいものがぼくの唇に触れた。
ミスティの唇だった。
「ん……」
「おはよ、ツナグ。起きた?」
ちろちろと、ぼくの唇を控えめに舐めてくる。ぼくも寝ぼけた頭のまま舌を出して、ミスティの小さな舌先に舌を触れさせる。しばし、踊るように互いの舌先が触れ合う。
ミスティは最近、こんないたずらをよく仕掛けてくる。
武田さん辺りに聞いたんだろうけど、唇だけでなく舌先が触れ合うのは気恥ずかしく、とても気持ちがいい。
「……おはよ、ミスティ。起こしてくれて、ありがと」
「えへへ、どういたしまして」
互いに真っ赤な顔のまま、ミスティにお礼を言う。
日本に来ても、エルフの二人の方が朝が早い。ぼくはもっぱら、こうやってミスティかシャクナさんのどちらかに起こしてもらう朝を過ごしていた。
今日はミスティの日だったらしい。
「おはよう、ツナグ。もうすぐ朝食が出来るよ」
台所から、エプロンを着けたシャクナさんが声をかけてくる。
最近、我が家の台所は日本の大衆料理を勉強したシャクナさんに任せきりだ。
元々、エルフの里で一人暮らしをしていた頃は自分で料理を作っていたそうで、日本の調理器具や食材に馴染むと、率先して炊事を行ってくれるようになった。
機械類にも慣れるのが早く、炊飯器やトースターなど、こんなに手軽で便利なものがあるのかと、最初は驚いてたっけな。
今では、少し自炊していただけのぼくや、若干料理の苦手なミスティよりも腕は上だ。優しい味付けで、何度食べても飽きない味を作ってくれる。
「おはよう、シャクナさん」
お玉を持って味噌汁を作るシャクナさんに、横から口づけをする。
シャクナさんは髪をかき上げながら、口づけを返してきた。シャクナさんはミスティより少し黄金に近い金髪だ。始めて日本に来たときから、豊かな髪を下ろしているが、豪華な体つきに緩くウェーブのかかった長い髪が差してよく似合う。
「舌を出して」
シャクナさんが、ぼくのあごに手を沿え、優しく微笑んだ。
ぼくは顔を赤くしながら、舌を出す。と、シャクナさんは唇でくわえるように舐め、舌先を絡ませる。
まったく、誰がこんなこと二人に教えたんだろうね。って、武田さんとロアルドさんのカップルしか思いつかないけど。
小さな水音を立てて、互いの舌を触れさせあうと、シャクナさんは満足したように頬を染めてにっこりと口を離した。
「いい文化だね、ツナグ。たくさん触れ合えて、朝から幸せになるよ」
可愛らしくはにかみながらそんなことを言ってきたので、料理する姿に後ろから抱きついた。料理がしにくいよ、とシャクナさんは身を捩じらせたが、声は嬉しそうだった。
二人とぼくの右手の薬指には、スチール製のシンプルな指輪がはめられている。
先週の休みに、武田さん紹介の金属加工業者で調整してもらったものだ。
予算はあるので、せめてシルバー製のものを買おうと思っていたのだが、二人が鉄の方が良いと言うので、そうなった。
銀は見慣れているし、鉄はカトラシア大陸じゃ貴金属だ。日本では鉄はありふれているけれど、逆に日本に馴染める気がするので、その方が良いということだった。
初めて指輪をはめた二人は、嫁入りを実感した幸せそうな顔をしてくれた。
カトラシアで苦労してきたエルフの二人だからこそ、この世界のぼくと一緒になることで幸せになってくれたら嬉しい。ぼくも、二人が大好きだ。
その夜、感極まった二人に襲われかけたのは内緒だ。
*******
眠たい目をこすりながら出勤すると、事務所には意外な人が来ていた。
スーツに身を包んだ、ロアルドさんと武田さんだ。
「おはようございます。あれ、二人とも、もう勉強は終わったんですか?」
「おはようございます、ツナグ殿。恥ずかしながら、語学の勉強はまだまだなのですよ。ですが、たまには職場で実地研修を受けたほうが良いということになりましてな」
ロアルドさんは日本のスーツに身を包みつつ、髪を多少短く整えていた。
耳先に髪をかけて隠しているところは変わらないけれど、日本に出張に来ているビジネスマンという出で立ちだ。
美術関係にはこれくらい髪を伸ばしている人も多いし、本人の顔立ちが爽やかなので不審には思われないだろう。多少耳が変でも流してもらえるから、美形って得だよね。
ロアルドさんの付き添いなのか、同じく仕事用の装いで顔を出していた武田さんが付け沿える。
「うちで日本語字幕放送を見ながら学生やってるのもいいけど、篭もり切りだと視野が広がらないでしょう? 美術史に合わせて西洋史も多少は覚えなきゃいけないし、現場研修を受けた方が早いと思ってね」
「多少の雑用と力仕事はできると思います。どうぞ、こき使ってください」
ロアルドさんが深く頭を下げて一礼する。
今まで在庫を搬送するのに、車の免許と腕力を持ってる社長の手が必要だったから、男手があれば、同じく免許を持ってる里中さんも搬送に回れるようになるかもしれない。
ぼく? ぼくは下っ端なんで、誰が搬送してても人足扱いでお手伝いしますよ。
デパートの担当者さんや警備員さんにも、もう顔を覚えられてるしね。
社長の手が空くだけでも、できる仕事は増える。
それがわかっているのか、社長も心なしか上機嫌だった。
「というわけだ、繋句。ロアルドさんは、外回りの多いお前につけるから、書類の読み方なんかも併せてしっかり指導してやってくれ」
「はい、社長」
「まだまだ研修中だから、仕事はぎこちなくなるとは思うが。在庫は先日補充したばかりだし、急ぎの仕事は無い。今日は得意先の御用聞きにでも回るのが良いだろうな」
御用聞きとは言うものの、実態は新人になるロアルドさんの顔見せだ。
取引先のデパートは元より、暗に、実父である里の村長さんに会わせてこいと言ってくれているのだろう。
エルフたちが里の外に使者を出すという話はしてるし、必要なものを用立てる相談をする、という意図もあるのかもしれない。
「はい、ありがとうございます!」
「なぁ、里中。下の店舗は閉めても大丈夫か?」
「はい? 社長が良いなら、構いませんけど……」
「繋句。ミスティちゃんとシャクナさんも連れてけ。取引先に顔見せするわけにはいかねーが、そろそろデパートの売り場は見学しておいてもいいだろう。まだ、一度も連れてってないんだろ?」
そう言えばそうだ。
この間、休日に買い物に行ったときも近所ばかりだったし、ミスティたちをまだ売り場に案内したことは無い。
里の関係者に、銀器がどういう場所で売られているか、確認してもらうことは必要だ。むしろ、今まで仕事の忙しさにかまけて連れて行かなかったのは迂闊と言える。
デパートには珍しいものも置いてあるし、連れて行くのは良いかも知れないな。
そうと決まれば、二人に確認を取ってこないと。