あの人族は今
「ツナグ殿。今日の訪問はいつもの、銀器の在庫の補充ですか?」
「はい。それと、里では何か変わったことはありませんか? 足りないものがあったり、体調の悪い人がいたり」
ぼくの持つ魔術は大別して、火・雷等のエネルギー系魔術、術式や情報を統べる制御魔術、それに加えて怪我や病気を癒す治療魔術の三種類だ。
医学が発展せず、魔術頼みの側面が強いこの異世界、カトラシア大陸のエルフの里においては、ぼくの治療魔術は医者の代わりになり得る。
村長さんは、笑顔で首を振った。
「大丈夫ですよ。村人たちは健康そのものです。――変わったことと言えば、病気などの類ではないのですが、一つ」
「何か?」
何かあったのだろうか。
不安になる僕に、村長さんはこともなげに言った。
「先日、行商人との取引を停止しました。今後、あの行商人がこの村に顔を出すことはもう無いでしょう」
エルフを魔物を狩る労働力として使い潰そうとした、この世界の横暴な人族の行商人との付き合いを絶ったらしい。生活必需品という弱みを握り、エルフたちを蔑んで虐げていたあの行商人との付き合いは、里にとっての悪縁だ。無い方がいい。
話によると、目当ての魔物の素材の供給が途絶えることに焦りを感じ、懐柔や脅迫など色々な反応を見せたそうだが、村長さんは取り合わなかったらしい。
武力を用いた脅迫に対しては、里のエルフが武装して取り囲み、受けて立つと啖呵を切ったとか。エルフの戦闘力は有名なのだろう、行商人は真っ青になって震えていたそうな。
その後、儲け話をふいにした行商人の末路は里の誰も知らない。
知らなくても別に誰も損をしないことだ。誰も見向きもしないエルフの里に訪れていた点と、儲け話に貪欲を通り越して必死にすがる反応を見せていたことから、そう規模の大きくない商会だということは想像がつく。有益な取引が無くなればどうなるか。
強欲さがすべてを失う、という好例になったかもしれない。
「後先を考えず、報復に来るという可能性は無いんですか?」
「どれほどの手勢を連れてくるかにもよりますな。中小の商人であれば、傭兵がせいぜいでしょう。国軍ならいざ知らず、傭兵団程度ならばこの森の中では返り討ちにできます」
頼もしい限りだ。
武装も鉄の鏃や刃物に変わっているし、銀装備の兵が相手ならば有利に戦えるだろう。
弓も角田社長推薦の機械弓とクロスボウに変えたばかりだし、装備面の心配は無い。
問題は里の人口が百人と少ないことだが、一行商人程度が都合できる兵数ならば戦力比十倍が良いところだろう。その程度なら問題ない、という考えのようだ。
「それなら良かったです。後は、村の生活を安定させて、エルフと対等に付き合ってくれる外の種族を探しに行かなきゃいけませんね」
「そうですな。村の腕自慢の若者から希望者を募りましょう。希少な鉄を豊富に持たせられるため、旅先でも交渉を有利に進めやすくなったところは、安心できる点です」
「安全のため、ぼくが護衛についていった方が良いかもしれませんね。人族のぼくが間に立てば、エルフの話を聞いてくれる種族も現れるかもしれない」
「はは、ツナグ殿にはもう充分にお世話になっております。この世界での我々のつながりは、我々エルフ自身が模索していくことですよ。これ以上ツナグ殿に負担をかけるなんて、とんでもございません」
村長さんは、そう言ってやんわりと断った。多忙なぼくを気遣ってくれているのが、傍目にも見て取れる。気遣いの村長さんらしい返事だ。
でも、いよいよの時にはぼくの力が必要になるかもしれない。
人族として。魔術士として。力になれることはあるはずだ、準備は怠らないでおこう。
「ときに、繋句くんや。この里の銀食器のことなのだがね。――我が春村物産と専売契約を結んでいないと聞いた他のデパートが、納入の打診を持ちかけてきておるのだが」
「勘弁してください、春村会長! まだ事務処理に裂ける人手が足りてないです!」
「ははは。そこは営業職としてまだまだだな、繋句くん。こういうときは、どんな苦境でも諸手を挙げて歓迎すべきだ。契約さえ取れれば、人手は意外に何とかなるでな」
無茶振りをした春村会長は、けらけらと笑っていた。
さすが現役の大企業トップ。老齢にもかかわらず、バイタリティがとんでもない。
ぼくも本来は会長の言うとおりに歓迎すべきなのだけど、さすがに業務マニュアルも固まっていない今の時期に別口の受注を増やすのは自殺行為だ。ぼくか角田社長が過労死してしまう。
売り時を逃すのは惜しいけど、二ヶ月ほど先送りして営業に伺わせていただくと言うことで、その場は事なきを得た。
まぁ、春村会長も今の人手で仕事を増やすのは無謀だと理解していたんだろう。叱責や落胆などはそれ以上何も無かった。
仕入先が異世界という秘密があるだけに、安易にスタッフを増やせないのが難点だなぁ。
武田さんとロアルドさんの合流が待ち望まれるところだ。
日本の地理や日本語の読み書きに慣れれば、ミスティやシャクナさんもバイトとして頼れるかもしれないけどね。
その後、村長さんの案内で銀器の在庫を受け取り、ぼくはもう一度日本に戻った。
事務所では書類の山を半分ほどに減らした角田社長が、精根尽き果てた様子で机に突っ伏していた。ぼくがいない間に、デパートへの外回りも済ませて、一心に事務処理を続けていたらしい。へんじがない。ただの社長のようだ。
お疲れ様です。
やがて、社長はむくりと起き上がると、おもむろに口を開いた。
「――繋句。知ってるか、明日は日曜日だ」
「そうですね、社長」
「休みにするぞ! 明日の営業日は取りやめ! 下の直営店舗も店休日だ!」
限界だったんですね。
さもあらん。
「ぼくら、この一ヶ月、働き詰めでしたからねー……在庫の納品を済ませてくれば、火急の案件は無いので大丈夫だと思います」
「そろそろ、労働基準監督署に顔向けできない実働時間になってるからな。ここらで羽を伸ばして英気を養わんと。残業代弾んでやるから、お前も嫁さん二人と一日遊んでこい」
「ありがとうございます、社長」
業績が好調だったこともあり、この一ヶ月間フルに超過した残業代は満額支払われることになった。端的に言うと、今月の給料は基本給の倍額近い。
おかげで懐は気にしないで済む。ミスティとシャクナさんもバイト代が支払われることになったし、明日は三人で買い物にでも出かけようかな。
二人の、婚約指輪でも探そうっと。